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 画面を一旦閉じるといった小細工はまるで無意味なものであるから篤史はそのまま渡した。ひったくるかのように兄がそれを受け取る。


 兄の目に映るものは、桐原崢の名、そして彼が篤史によこした文面である。絵文字ひとつない、短い文面を兄は長々と眺め続けた。この短い文に何らかの分析でも行っているのか何なのかよく分からぬが兄はやがて視線を画面から篤史へと移すと、

「明日会うわけか」

と聞いた。

「会って何をする」

「何って、遊ぶんだよ」

 まるで小学生の物言いであるがそう言うほかないからそう言ったわけである。

「何して遊ぶのかと聞いている。ボール遊びか」

 兄の片側の唇が捲れ上がった。

 確かに会って何をする。あの握力が蘇る。一瞬で篤史を動けなくした、あの。

「違うよ」

 声が掠れた。即座に声が被さった。

「じゃあ何だ」

 兄の目が篤史の目をじっと見据えている。


 まさかな、と篤史は思った。当然のようにあの現場に兄はいなかったのだから見られてはいないのだし見透かすこともできないはずだ、兄はエスパーでも何でもない。それなのになぜこの目は知ったような色味を帯びているわけか。あの部屋で起きようとした、確かな、悪いこと。


 はっと息を呑んだ。兄の手が投球動作に入ったのだ。つまり篤史のスマートフォンを外に向かって投げようとしているのだ、篤史の頭上の、その向こうへ。その目は表情のないままであったがその手は本気だった。かつての豪速球投手だ、ひとたまりもない。

「兄ちゃん」

「冗談だ」

 突如として投球動作をストップし、兄は笑った。

「ボークだな」

 そう言ってスマートフォンを篤史に返した。

 画面にはいまだ崢の名があった。文面もそのままだ、明日待ってる、と。


「一緒に風呂に入ろうか」

 幾分柔らかな声がかかる。見上げると笑った兄がいた。笑った目がそこにあった。いつもの兄だ。

「待ってたんだからな」

 ほんの数秒前の出来事が幻のように思える。何の感情もない目、本気で通信機器を壊しにかかる手。自分は何を見たのだろうか。崢と会ったことさえももはや幻に思えた。魚の楽園も、崢から感じたあの匂いも、実在しないものだったのかもしれない。


 早く中に入れ、蚊が入る。言いながら兄が篤史の手を取る。玄関が開けっ放しのままだった。とっくに入ってると思うけど、などと言いながら篤史は兄に連れられてゆく。


 十五歳にもなってお兄ちゃんと一緒に風呂に入る男がどこにいるかと母は篤史にたびたび言うのであるが、言うなら兄ちゃんに言ってくれと、そのたびに篤史は心の中でぼやいた。実際にぼやいたって無駄だ、今に始まった話ではないが母は兄に弱いのである。父親不在の西山家、兄はまさに父親役になっているわけだ。二十八歳の大黒柱は独身のままである。

 篤史、帰ったの? 今頃になって奥のほうから母の声がする。



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