脱線の多い料理店
現在五時五十分、約束の時間まで残り十分。
顔を洗う。服を着替える。洗濯機に脱いだ服を投げ込む。
不思議なことにこの洗濯機は洗剤不要。企業秘密によって汚れが落ちる。
そう書いてある。これの提供はエールキング社。誰かの魔法だろう。
今、心が弾んでいる。誰かと話すことが楽しかったから。一人では退屈だったから。
このままドアノブに手をかける。ドアを開ける。
「やあ、早かったか?」
「いや、ばっちり。」
やっぱり誰かと話すのは楽しい。
正直知らないハッシュドビーフよりこっちが目的にさえなりつつある。
「夏にハッシュドビーフなんておかしいと思わないのか?」
「白状するとさ、それがどんな料理か知らない。」
こう言えば話が長くなるような気がする。
「まじか、お楽しみじゃん。そうだ指輪つけてるか?」
「勿論。アイス食いてえ。」
性格の良さがにじみ出ている。アイスは普通に食いたい。
外に出る。後ろをついて行く。
「そういやこっち来て何日目?」
「1日目、正直奢ってくれるって聞いて部屋で飛び上がった。」
「そりゃ嬉しいこって。」
嘘じゃない。この歳じゃなかったらもっと言えば小学生くらいだったら飛び跳ねてた。
ガッツポーズくらいはした。
五分くらい歩いただろうか、立ち止まった。
「ここ。近くていいだろ。」
「ドレスコードの指定、もしかしてあった?」
他の建物と違うお洒落な雰囲気の建物を目にすれば僅かにも頭をよぎる。
浮かんだ単語を適当に口にする。
「ないな。ある富豪が引き払った後ここを料理店にしたんだと。」
「じゃあ、大丈夫か。」
そうだ。ハッシュドビーフにデミグラスソースを使うのは日本風である。ネットでハヤシライスのレシピを調べているときそんなことを見た気がする。
店に入る。店員に席に案内され座る。シックを肌で感じ取る。水が出される。
ついでに注文もした。
「水、出るんだ。」
思わず言葉になる。
昼のときは自分で頼んだ。てっきりこっちもそうだと思った。
「軽食のとこでは出ないが大体のところで出てくる。」
「一番最初に何が書いてあるかな?」
テーブルに二つ残されたメニュー表を開く。
開いた次のページに店の歴史などが書いてある。これを見ながら待つのが楽しい。
「ノア=エールキングが住んでいた屋敷を改装して作られたこのレストランは百年以上の歴史を持ちます。ノア=エールキングが愛した洋食を多くの方々に味わって頂いたいという願いで誕生しました。皆様にここでのお時間を楽しんで頂ければ幸いです。」
エールキングの知名度は最王手企業。これを濁らせる必要はあったか?
結構考えたが、考えすぎか。
「どうした、考え事か?」
「最近変なことがあってさ。真昼間に目の前が真っ暗になった後にポケットに変な紙を突っ込まれてた。」
「本当か?」
紙を手渡す。まじまじと紙を彼は眺めた。そしてしばらくの考え事の後、何やら少し真剣な顔つきでこう口にする。
「薄々勘付きそうだから言うとさ、レイ=ラガークインは本名じゃない。」
「こちらご注文の品となります。」
うん、提供時間から考えると普通なんだ。シュールな笑いが一緒になっただけだ。
「これを取っておいてくれ。」
彼は苦笑いしながらチップを店員に渡した。