8話 王弟ルフィーノ
アルフレードは急ぎ足で温室に向かっていた。
温室といっても、まるまる一つの庭園が収められていて植物園並みの規模だ。冬の庭園は見栄えしないし、寒くて四阿で過ごすにも適さないので、来客用に設えた特別仕様の温室だった。アルフレードが入室すると、侍従から客人は散策を終えたところだと連絡がきた。
アルフレードはお茶には間に合ったようだと、ほっとした。
小道を伝って四阿にたどり着くと、ちょうどお茶の支度が終わったところで客人は優雅に手を振ってきた。
「やあ、アルフレード、久しぶり。お邪魔しているよ」
「ルフィーノ様、お待たせして申し訳ありません」
「お構いなく。忙しい時に突撃訪問したのはこちらだ。急かしてしまったのではないだろうか、申し訳ない」
へにょんと情けなさそうに眉をさげたのは焦茶色の髪に水色の瞳の体格のよい男性だ。隣国・海の王国の王弟でそろそろ三十路のはずだが、冒険者として方々を駆けずり回って鍛えている精悍な男前だった。
海の王国では魔獣討伐には冒険者を頼っていた。もともと両国は一つの王国だったが、保守的な山の王国に対して昔から海外貿易が盛んだった海の王国は開放的で多種多様な価値観が根付いてる。多神教を支持していて、一神教の山の王国とはずいぶんと前に袂をわかっていた。
海の王国は東方諸島と婚姻関係が多く、髪も目も濃く暗い色は東方人の特色だ。ルフィーノは現王とは異母兄弟で、東方人である彼の母親の髪色を引き継いでいる。
ルフィーノは異母兄とは年が離れているし、王位継承者は他にもいるからと冒険者家業で海の王国に尽くしていた。
アルフレードが席に着くと、彼の前にもお茶が用意された。黄みがかったお茶は東方産で、緑茶というものだ。ルフィーノからの土産だと説明があって、アルフレードが大きく頷く。
「航路が再開されたのですね」
「ああ。ようやく、大海蛇が退治されて、平穏が訪れたからね」
「おめでとうございます。ルフィーノ様のご活躍を噂でお聞きしましたよ」
「いやあ、私などは大したことはしていないよ」
ルフィーノは照れ顔で頭を掻いた。
ちょうど、古代種竜と同時期に海の王国では大海蛇が出現していた。東方諸島への航路は大回りを余儀なくされて、貿易に支障がでていたが、この度討伐されたと聞いている。ルフィーノ率いる冒険者グループの手柄だったはずだ。
「豪快にも海を割って、海底までさらけだした、と聞いていますが・・・」
「うーん、ちょっとした手違いでねえ。そこまでするつもりはなかったのだが。でも、まあ上手くいったから、いいかなっと」
ルフィーノは大雑把だが、粗野な印象はなく大らかな感じだ。カラカラと笑って、お茶を口にする。
アルフレードも一口いただいて、紅茶よりもすっきりとした味わいに頬をゆるめた。
「これはよいお茶ですね。取引できるなら、注文したいところです」
「ようやく、我が国に入るようになったから、取引できるようになるのは来年かな。まあ、今回は多めに持参したから、しばらくは味わえるだろう。取引再開となったら、すぐに手に入るよう手配するよ」
「それは楽しみです」
アルフレードは前哨戦の世間話は十分だろうと、早速本題に入ることにした。
「ルフィーノ様は明日の奉納祭と鎮魂祭に出席とのことでしたが・・・」
「ああ、我が国の脅威もようやくおさまったからね」
古代種竜の被害者は山の王国だけではなかった。国境の大河で両国間を繋いでいる大橋も壊されて、避難が間に合わなかった一般市民が十人ほど犠牲になっている。海の王国では昨年の鎮魂祭には外交大使が出席していた。今年は第二王子が出席するはずだったが、急な予定変更で王弟のルフィーノになった。
奉納祭と鎮魂祭の開催責任者のアルフレードは困惑顔になる。
「ルフィーノ様のお連れも参加なさるとのことですが、前日の申し出はさすがに困ります。
今からでは警備の変更は難しいですし、神殿側との連携も不十分になってしまいます。何か、事情がおありとは思いますが・・・」
「警備は問題ない。私と参加する仲間は共に大海蛇を倒した『青い火の鳥』だ」
「ほお、東方諸島出身で今回の討伐で金剛クラスに上がったパーティーですね」
アルフレードは目を瞠った。
金剛クラスは冒険者の頂点でほんの一握りの者しかなれない。金剛の下位は、金・銀・銅・鉄・岩という等級になっている。
冒険者ギルドは各国には属さない独立機関で完全に実力主義だが、ならず者の集団と警戒されないように等級が上がるに連れて礼儀作法も重要視されるようになる。銅クラスまでは腕っぷしだけでなんとかなるが、それ以上のクラスはギルドでマナー講習を受けて合格しないと上がれない仕組みだ。
金剛クラスともなれば王侯貴族と接しても問題ないとされる所作を身につけているはずで、式典参加可能だった。
それでも、アルフレードは渋い顔を崩さなかった。
「金剛クラスならば礼儀作法も護衛の心配もないでしょうが、式典の段取りもありますので。参加者はルフィーノ様だけにしていただくわけには?」
歯切れの悪いアルフレードにルフィーノはニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。
「おや、私は君の応援に駆けつけたのだが?
青い火の鳥が参加すれば、とある悪評の払拭になると思ったのだがなあ。君はこのところ城下で囁かれている噂を知らないのかい?」
「・・・どのような噂でしょう?」
「そうだなあ。単刀直入に言わせてもらうと、君が闇魔法で洗脳されているというものだな」
「そのような事実はありません! ・・・あ、その、怒鳴ったりして、申し訳ない」
アルフレードはかっとなって大声をあげたが、すぐに冷静さを取り戻した。頭を振るアルフレードにルフィーノが水色の瞳を細める。
「隠さなくてもいい。噂の火消しに躍起になっていると我が国の大使から報告を受けている。
・・・亡くなった婚約者に洗脳されているから、未だに新しい婚約者がいないのだと噂されているだろう? 彼女が婚約解消の腹いせに呪いをかけたとか、ずいぶんと悪様に言われているらしいな」
「完全に事実無根です。ジルがそんな真似をするわけがない。
第一、呪いとか洗脳とか言いだす輩は王宮医務官を侮辱していますよ。私がそんな目に遭っていたら、彼らが気づかないわけがないのに」
「そうだなあ・・・。だが、この状況は貴国だけの問題ではないと気づいているか?」
ルフィーノに探るように問われた。憮然としていたアルフレードは思わず眉をひそめた。
「どういうことですか?」
「ああ、愚かな歴史が繰り返される前兆だ。
闇魔法の排斥が高まる先ぶれには必ず闇魔法への非難があった。洗脳とか魅了とかで悪評をばら撒かれた次には闇魔法の取り締まり、ひいては闇属性者の拘束ときて、最後には処刑コース行きだな」
「まさか、そんな!」
驚くアルフレードにルフィーノは苦笑いだ。為政者として先の見通しがつかないとはまだまだ若いな、と思ったが、口にだすのはさすがに無礼すぎるだろう。
かつて、滅びの後に復興した世界では闇魔法が悪者にされた時期があった。諸々の社会の不満や不安が精神安定剤役の闇魔法に向かったのだ。
『大丈夫、心配はない』と闇魔法で宥められても、拭いきれない不安や虚無感を人々は『何が大丈夫なんだ、どこが心配ないのだ。いい加減な慰めで惑わすな』と闇魔法の使い手にぶつけた。その結果、洗脳や魅了の力を持つ闇魔法を排斥すべし、と世論が高まり、闇属性は何人であれど処刑台に送られた。
十年ほどで闇属性はほぼ絶滅状態になったらしいが、人々の不平不満はおさまらなかった。却って増長するばかりだったが、心の安寧を保つ術の闇魔法を排斥したのだ。当然の結果だろう。
人々の争いが増えて、国家間の戦争にまで広がった。光魔法の過剰使用で心身共に病む者が後をたたなくなり、光属性者は短命になって治療の術も失われそうになった。そこで、ようやく人は愚かな戦いをやめた。
光と闇の属性がレア魔法になったのはこの愚かな歴史のせいだ。極端に両魔法の使い手が激減し、またもや人類は滅びそうになったが、滅亡直前で改心したのはまだ人類に望みがあったということか。
現在では洗脳や魅了はそれを望む下地があってこそだと解明されて広く知れ渡っている。心を強く保てば闇魔法には抵抗できるのだ。
強い抵抗ほどかける魔法も強いものになるから、無理やりかけた魔法が成功しても、操り人形のように自我を持たない人間の出来上がりだ。周囲がそれに気づかないわけがないのに、どういうことか、ジルベルタの悪評が市中を駆け巡っていた。噂を報告されたアルフレードが否定しても、何故かそれさえも洗脳された結果と言われて、打つ手に行き詰まっていたところだった。今日もその対策に追われて、この場に来るのが遅くなった。
ルフィーノは思案げに顎に手をあてた。
「ここ最近で急速に囁かれだしただろう? どうも、噂の広まり具合が早すぎる。
それこそ、ゴシップ好きなお喋りどもに闇魔法が使われたのではないかと、私は推測しているよ。だから、火消しも役には立っていないと思う。
面白おかしく噂を吹聴するだけの浅慮な阿呆どもが古代種竜討伐の英雄である君を貶めて何がしたいのかと思ったが、故フェデーレ嬢の評判を蹴落とすのが目的なら、話はわかるんだ。噂を流布したヤツの狙いは君の婚約者の座、ひいてはこの国の王妃だろう。フェデーレ嬢の後釜に収まりたいが、故人の評判には敵わないから、やらかしたとみえる。
ハードルを下げるためにこんな悪どい真似をしそうなご令嬢、または野心家の貴族に心当たりはあるかい?」
「・・・私の婚約者候補は今のところ、身分的に巫女姫のサクラ嬢か、ドナート侯爵令嬢です。伯爵令嬢も視野に入れて検討中ではありますが」
「ああ、巫女姫は異世界人の少女か。強力な光魔法を扱えるらしいが、本人や神殿の意向はどうだ?」
「両方とも乗り気ではないですね。サクラ嬢からは友情の好意は感じますが、それだけです。
神殿でも、昔の過ちを教訓に権力闘争から遠ざかった基盤を整えたというのに、今更俗世の権力に囚われるつもりはないとの見解です」
かつての闇魔法の排斥には聖職者が関わっていた。闇よりも光のほうが上位であるとの驕りのもとに闇属性者たちを糾弾したが、光の裏には影ができる。光と闇は表裏一体だ。どちらかだけを切り離すなんて、できるわけがなかった。
愚かな歴史の教訓として、絵本の中では光は善、闇は悪の象徴で勧善懲悪のお伽話が語られているが、それを信じるのは幼児期だけだ。長じるに連れて歴史を学ぶうちに、かつての愚かな行為も知ることになり、世界はお伽話のように単純ではないと思い知る。
庶民でも学校で歴史を学ぶように教育されているのだ。闇=悪を正しいと信じるのは愚か者だけというのが、現代の常識だった。それが覆されようとしている。為政者ならば、放置しておけない問題である。
「じゃあ、侯爵令嬢はっと・・・、おや、ドナート家は確かオルフィ家との縁組を解消されてなかったか?」
「ええ、ラウロ・オルフィ公爵令息と昨年解消しています」
アルフレードは頷いた。
ルフィーノは冒険者稼業に没頭しているのかと思いきや、母国の貴族情報もきちんと掴んでいるようだ。ルフィーノは焦茶の頭をガシガシと掻いた。
「あ〜、なんか聞き覚えあると思ったら。ラウロからの婚約の証をほっぽってたお嬢さんだろ?
迂闊ってか、ちょおっと、不用心ってか。次期公爵夫人に相応しくないって判断されたよな。そのお嬢さんがこの国の王妃ってかあ〜」
勘弁してくれ、というようにルフィーノは顔を片手で覆った。ラウロは彼の異母姉の子供で甥だった。
クラーラがついうっかりしていたとしても、身支度を整える侍女まで揃って忘れるとは思えない。
クラーラが婚約の証であるネックレスをつけていなかったのは本人の意思だろう。ラウロが面白く思うわけがない。婚約解消は当然だった。
もともと一つの国だった両王国は切っても切れない関係だ。山の王国にとっては海の王国は他国と繋がる唯一の縁だし、山の王国が北と西の時空の歪みを抑えてくれているから海の王国は沖合の歪みに対応できる。
両王国の友好関係の政略結婚をダメにしたクラーラが次期王妃とか。両国間にヒビを入れそうな予感が今からヒシヒシとしている。
アルフレードはげんなりとするルフィーノに待ったをかけた。
「候補にあがってはいますが、ドナート侯爵令嬢が私の婚約者になることはないでしょう。学園の彼女の成績では王太子妃教育に数年はかかる。それから、さらに王妃教育となると、10年は必要だと試算がでています。
政略ならば10歳差もあり得ますから、8歳以上の令嬢を視野に入れています。どうせ、教育に10年かかるならば、却って年少のほうが飲み込みは早いでしょうから」
「・・・一応、聞いておくが、アルフレードは幼女趣味(?)ではないよな?」
「当たり前です、疑問符をつけないでください」
アルフレードは恐る恐る尋ねるルフィーノに冷ややかに答えた。
未だに独身貴族で華やかな噂の絶えないルフィーノにだけは言われたくない。自由恋愛で公に10歳年下の恋人がいたこともある男なのだ。
「海の王国の救世主と名高い青い火の鳥が参加すれば、かしましいお喋りどもの好奇心を掻っ攫えるとは思いますが・・・」
アルフレードは火消しになるのかと懐疑的だ。ルフィーノは太鼓判を押すように頷いた。
「火の鳥メンバーに闇魔法の使い手がいてな。彼女をお披露目すれば、フェデーレ嬢の名誉回復は叶うと保証するよ。我が国と東方諸島と、他国へケンカ売るほど度胸のあるヤツはいないだろう」
東方諸島には闇魔法の血筋が数多く逃れていた。ジルベルタの祖母は東方諸島の王族で政略結婚で嫁いできた。ジルベルタの黒髪と紫紺の瞳は祖母譲りだ。
ジルベルタを彷彿とさせる闇魔法の使い手が英雄として参加すれば、確かに噂の沈静化に繋がるかもしれない。
アルフレードはしばし思案してから了承することにした。
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