5話 聖剣士ジェレミア
前回からの続きです。
アルフレードが退出した後に、フランカは馴染みの侍女に一人にしてとお願いした。
誰もいなくなった室内で大きなため息を漏らして、額を手で抑えた。嘆く資格はないとわかっていても、切なかった。
アルフレードが闇魔法を断っているのは承知していた。おそらく、ジルベルタへの想いを昇華したくないのだとわかっていた。
だが、アルフレードは王太子となり、いずれは国王の座に就く。そろそろ婚約者も決めねばならず、トラウマの治療を試みなければならなかった。
「ごめんなさいね、ジル。アルには貴女を忘れて幸せになってもらわないといけないの」
フランカは『フランおばあちゃま』と慕ってくれた少女を思い浮かべて自嘲の笑みをこぼした。
フランカ自ら育てているハーブには闇魔法を使っている。精神をリラックスさせるハーブに精神魔法も作用しているのだ。さらに精神安定の効き目は増して抜群だった。
先ほどアルフレードに振る舞ったハーブティーも渡したオリジナルのブレンドティーもフランカお手製の特別なものだ。闇魔法の行使と同じ効果がある。
今晩からアルフレードの罪悪感は少しずつ薄れ、ジルベルタのことは切なさの残るよき思い出に変化していくだろう。
国王から相談を受けて闇魔法の行使は難しいと判断した。騙し討ちのようなやり方だが、睡眠に支障が出て健康に害がでている状況だ。本人の快諾がなくても、治療は必須だった。
アルフレードに望まないことはしないと言ったそばからの裏切りだが、フランカだって彼と同罪で気持ちがよくわかるだけにためらいはなかった。アルフレードには前に進んでもらわねばならない。
「アル、ジルも貴方の幸せを願っているはずよ。・・・二人とも、許してちょうだいね」
フランカは応じる者がいないとわかっていても、声にださないではいられなかった。
アルフレードが訓練所に到着すると、休憩中のようであちらこちらで輪になって談笑する姿が見られた。
ぐるっと見渡すと、イレネオとジェレミアが地べたに直接座り込んでいる。イレネオが小枝で地面に何か書いて説明していた。ジェレミアが覗き込んでは、首を捻っている。
ジェレミアは貧民に近い層の平民だった。幼い頃から腕っぷし頼りで生きてきたらしい。剣の腕は兵士になってから鍛えてメキメキと上達していったが、魔法のほうはからっきしだった。聖剣士に選ばれて神殿所属になるからには魔法も扱えねばならず特訓中だが、まずは読み書きも怪しくてそこからの指導だった。
討伐の道中でも見かけた光景にアルフレードはふっと頬を緩めた。
「だからさあ、魔力は感情に左右されやすいの! ブチ切れて激情のままとか、大惨事になるからな?」
「んー、でも、戦いの時にはどうしたって興奮するだろ? 魔法ぶっ放すの、ヤバくねえ?」
「剣技だって加減はできるんだから、魔法も加減を覚えればいいんだよ」
「え〜、めんどくさあ」
「おまっ、聖剣士が何言ってる!」
イレネオに叱られてジェレミアが首をすくめる。
同い年で道中もずっと一緒に行動することが多かった彼らは友人になっていた。イレネオが血統書付きの大人しげな仔犬だとすれば、ジェレミアには雑種でヤンチャな仔犬というイメージがある。
「二人とも久しぶりだな。相変わらずのようだけど、魔法講座はうまくいっているのかい?」
「あ、殿下だ!」
「アルフレード様!」
二人は飛びあがるように立ち上がってぴしっと背筋を伸ばして礼をとる。子爵家の三男坊のイレネオに教授されたらしく、ジェレミアも様になる姿だ。
アルフレードは苦笑して首を振った。
「いや、非公式だし、私たちは討伐の仲間だろう? そう畏まらないでくれ」
「殿下はさすが話がわかりますね」
「お前、いくらなんでも失礼だろ?」
イレネオが感心したジェレミアの頭をパシッと叩いて注意する。仲のよい様子はまるでやんちゃな少年のようで、彼らより一つ年下のアルフレードはなんだか老成している気分で複雑だ。
苦笑いが張りついたままのアルフレードにジェレミアが首を傾げた。
「殿下、なんだか、前よりも細くなったみたいですが。まさか、ご令嬢のようにダイエットとかしてませんよね? 細マッチョはちゃんと筋肉がついてないとカッコ悪いですよ」
「その口はなんだ、こら! 失礼だって言ったばっかりだろ⁉︎」
再び、イレネオに叩かれたジェレミアが頭を押さえた。今度は本気で殴られたらしく、痛むようだ。
アルフレードが止めに入るが、気分はまるで保育士だ。
「まあ、イレネオもそう熱くなるな。これでも、ジェレミアが心配してくれているのはわかっているから、大丈夫だ。不敬罪と言うほど狭量ではないぞ?」
「ですが・・・」
「せっかく殿下が仰ってくださっているんだ、甘えておけ」
護衛のダリオが主に変わって仲裁役に入った。ジェレミアがパタパタと尻尾を振るように勢いよく顔をあげた。
「ダリオ様、お久しぶりです。よかったら、手合わせしてもらえませんか?」
「まあ、殿下のお許しがあれば」
「もちろん、許可する。イレネオがついてくれているから、私のことは気にするな」
「やった!」
ジェレミアが嬉々として訓練に戻った。ダリオが後に続いて訓練用の木剣を受け取って、使い勝手を確かめている。
イレネオはダリオに変わってアルフレードの護衛を務めるためにそばに寄った。
「殿下、申し訳ありません。ジェレミアはまだ聖剣士としての礼儀がなってなくて」
「いや、以前よりも上達していると思うよ。マナーも君が教えているのかい?」
「僕がここに来た時は教えますが、普段は神官長様が面倒を見てくれているそうです。
ジェレミアは魔法の特訓の他に、まだまだ剣技を磨くんだって、訓練に明け暮れてます。周囲からは脳筋扱いみたいですね。もう少し読み書きにも力を入れてくれるといいのですが・・・」
魔法書を読み解くのはまだまだ先になりそうだと、イレネオは遠い目になっている。
読み書きを完全にマスターできれば魔法書で覚えられるとイレネオは思っているようだが、それは天才と評判のイレネオならではだ。
あの手の脳筋は体で覚えるタイプだからな〜、と思ったアルフレードは賢明にも沈黙を選んだ。イレネオの苦労はまだまだ続くだろう。
ぽんぽんとイレネオの肩を労いで叩いてやる。
「まあ、あまり気負うな。ジェレミアのペースでやっていけばいいさ」
「でも、また神剣を使う機会が訪れたら・・・。僕たちは力不足で後悔したくはないのです、もう二度と」
イレネオが悔しそうに俯いた。ジルベルタの死に責任を感じているのだ。アルフレードは肩に置いた手に力を込めた。
「いや、皆はよくやってくれたよ。・・・全員が全力で挑んで倒せたのだ。恥じることは何もない。
ジルのことは私の差配ミスだ。初手以降は彼女の魔法が効かなかったのだから、退避させるべきだった。
・・・私の甘さがジルを失う結果になった。力不足などと卑下しないでくれ」
「殿下・・・」
イレネオがジルベルタを失った時のように顔をぐしゃりと歪めた。だが、涙はこぼすまいと涙目になっても堪えている。
アルフレードはふっと寂しげに微笑んだ。
「私が最後の攻撃を回避して時間稼ぎをすればよかったのだ。一角竜は瀕死状態で最後の足掻きだったのだから。
油断した私が愚かだったのだ。ジルはその犠牲になった。君たちのせいではない。
どんなに悔やんでも嘆いても、時は戻らない。・・・私は一生悔やみ続けることにしたよ。
しかし、立ち止まることはしない。いつまでも、うじうじとしていたら、ジルに怒られてしまうからな。だから、イレネオも自分を責めないでくれ。
それでも、まだ何か責任を感じるならば・・・、私が立ち止まるような時には叱ってくれないかい?」
「は、い。僕で、よければ・・・」
イレネオが乱暴に目を擦る仕草をアルフレードは見なかったことにした。模擬戦を始めたダリオとジェレミアに視線をやったのだった。
ダリオは頭髪を数本かすめとられて目を見張った。
もともとジェレミアはただの一兵士にしては鋭い剣技だったが、神託を受けてからは訓練にのめり込み、国内で上位に入るほどの腕になっていた。それよりも、さらに洗練された動きで速さも増している。
討伐後も訓練を続け、精進した結果だろう。
「魔法は相変わらずだが、剣の腕前はあがったな」
「おかげさまで。そのうち、魔法もお目にかけますよ」
ジェレミアは打ち合いながらも、不敵な笑顔で応じている。
ジェレミアは神託が下った時に、飛びつくように拝命した。一角竜の最初の犠牲者に友人がいたのだ。同期の兵士で同じ貧民出で、気の合う相手だった。気のいいヤツだったのに、派遣先で逃げ遅れた子供の救出に赴いて亡くなった。
ジェレミアは友人の敵討ちだと復讐心に燃えた。
討伐準備が整うまでの短期間でも訓練に励み、神殿内では敵う相手がいないほど上達したが、ダリオには敵わなかった。
ダリオは次期王太子、ひいては将来の国王の護衛騎士筆頭で、魔法も剣技も国内トップクラスだ。
がむしゃらに励むジェレミアに適度な休憩も必要だと諭し、身体を休めている間はイメージトレーニングで頭を使え、いつでも訓練はできるのだと教え導いた。ジェレミアにとっては師と崇める相手だ。
そのダリオに剣技だけでも一矢報いることができそうだった。
数手先の勝利を確信して足を踏み込んだジェレミアに予想外の反撃がきた。思わず、体勢を崩したところに怒涛の連撃だ。しまった、フェイクだったかと焦る間に、一気に形成逆転で木剣を弾き飛ばされた。
「ああ、くっそお! 今回はイケると思ったのにぃ」
ジェレミアは荒い呼吸のまま、大の字に寝転がった。ダリオは余裕綽々ですでに呼吸を整えている。
「悪くない攻撃だったが、相手の全身に注意を払えば誘いだと気づいただろう。もっと、広い視野を身につけろ。
魔獣は人間の動きよりも予測不可能な上にもっと狡猾だぞ?
まあ、魔法が使えるようになれば、攻撃の幅も広がるだろうが、柔軟に対応できなければ無意味だからな」
「・・・ご教授、ありがとうごさいました」
ジェレミアはぶすくれながらも上半身を起こして頭を下げた。
ジェレミアは敵討ちができればよかった。討伐後は神殿の聖剣士なんざ、お綺麗な職に就くつもりはなかった。
だが、一角竜が倒れ、勝ったと気をぬいた瞬間に、ジルベルタの悲劇が起こった。
ジルベルタのことは気鬱の病で婚約解消されたのに、討伐メンバーに選ばれて気の毒だなと思いはしたが、貴族としてのお勤めですか、それはそれは大変ですねえ、と完全に他人事だった。
イレネオが気遣っているのは高位のご令嬢だからだろう、お貴族様はホントめんどくさいな、と思っていた。
そんな認識はジルベルタが魔力攻撃を仕掛けた時に、倒れ伏してもなお命懸けで戦う姿を見て、なんて傲慢で失礼だったのかと思い知らされた。
ジェレミアは友人を失った痛みを知っている。
大切な誰かを守りたいという願いをよくわかっていたはずだったのに、己の油断で犠牲をだしてしまった。それも、直接の攻撃手段を持たず、本来なら後方支援であったはずの相手だ。
ジェレミアが魔法を使えていたら、もっと剣技を極めていたら、ジルベルタは犠牲にならなかったのにと激しく後悔した。それはイレネオも同様で、二人して力不足に落ち込んだ後は、もっとずっと強くなってこんな悲劇は二度と起こさないと決めたのだ。
聖剣士として誰にも恥じない人間になるのだと奮起して、イレネオに色々と協力してもらっている。
ジェレミアは確実に聖剣士として歩みだしていた。