4話 神殿長フランカ
アルフレードは奉納祭の式典の打ち合わせ後に神殿長にお茶に誘われた。
神殿長は王国内全ての神殿を取りまとめる大神殿の最高責任者で、神託を下した人物でもある。神殿長は穏やかな老婦人で、若かりし頃は巫女姫を務めていたほどの実力者だ。
大神殿で栽培しているハーブティーと手作りのクッキーを勧められて恐縮する王子を神殿長はじっくりと眺めた。
「殿下、また少しお痩せになりましたか? ・・・あまり、眠られていないと聞いておりますが」
「ああ、何かと立て込んでいてな。少し、寝不足なだけだ」
神殿長は何気なく答えたアルフレードに慈愛の瞳を向けた。
「そう無理をなさいますな。陛下や王妃様も心配しておりましたよ。・・・やはり、フェデーレ嬢を悼んで夜はお辛いのでしょう?」
びくりとアルフレードは肩を跳ねさせて、顔を強ばらせた。
「神殿長、余計な真似はするなよ」
「殿下が望まれないことは致しません。ただ、よく眠れるハーブティーをお渡ししますので、毎晩お飲みください。わたくしがブレンドした自信作なのです。ぜひとも、味の感想を聞かせてくださいな」
ほほほと神殿長は人のよさそうな笑顔だ。
アルフレードは無理やり闇魔法をかけられなくてホッとした。
神殿長は肉体を癒す光魔法と精神を安定させる闇魔法、レア魔法両方の使い手だ。
闇魔法と聞くと、洗脳や隷属といった負の力を想像しがちだが、実際はトラウマの治療や心の安寧など精神安定剤のような力だ。人の心は強い負荷がかかるとストレスで消耗するから、洗脳されて意に沿わない言動をさせられると心が壊れてしまう。下手をすると、洗脳された途端に廃人になるのだ。
魅了や洗脳が有効なのはそれを望む下地があってこそで現実的ではなかった。物語では、よく闇魔法は人の心を操る悪者扱いが多いが、実際にはそう簡単にはいかない。
国教では双面神を崇め奉っている。光と闇の神で人類の生みの親だった。
双面神は光の泉から器を象り、闇の微睡みから心を掬い入れたと教義では語られている。
魔法は風・火・水・土・光・闇の6属性で、一人につき一属性が基本だ。稀に複数の属性持ちがいるが制御が難しく、下手をすると暴走さえする。
討伐メンバーのイレネオが天才魔法士と呼ばれるのはレア魔法以外の四属性持ちでありながら、完璧な制御ができているからだ。イレネオは22歳でアルフレードよりも一つ年上だが、小柄なせいかどことなく子犬のような雰囲気があった。
討伐の旅では気鬱の病で婚約解消されたと腫れ物扱いだったジルベルタを気遣ってよく話しかけていた。
ジルベルタは実父から見捨てられたのを機に無表情無言を通すようになった。まさしく、気鬱の病にかかったようで、婚約解消と相まって彼女を侮り貶める者がいたが、イレネオがさりげなく庇っていた。
アルフレードがそれを知ったのは旅の終盤だ。後方支援に近い場所にジルベルタを置いておくのは心配で、効率的な討伐のためと理由づけて前線に配置換えした。そのせいで、彼女は・・・。
アルフレードはぐらりと視界が揺れて、思わず卓上に手をついた。ガチャンと音高くティーカップが倒れる。カップが割れて中身も溢れだし、卓上は大混乱だ。
「まあ、大変。かかってはいないかしら」
神殿長自ら布巾を手にとってアルフレードの服を拭こうとしている。アルフレードは焦って弱々しく頭を振った。
「私は大丈夫だ。神殿長、申し訳ない。お手製のハーブティーを台無しにしてしまって」
「気にしないでくださいな。体調が悪いのだから仕方ないわ。
少しハチミツを入れて淹れなおしましょうか? 疲れた時には甘いものが一番ですよ」
「いや、そのう・・・、さすがに子供のようなことは・・・」
「あらあら、昔はハチミツ入りなら飲んでくれたではないの。それも嬉しそうにしていたのに」
「それは、子供の頃の話だろう?」
微笑ましいモノを見る目になる神殿長にアルフレードは思いきりしかめ面になった。
子供の頃に参拝すると、構ってくれた神殿長は当時はまだ神殿長補佐だった。
おばあちゃまと呼んでくれていいのよ、という言葉に幼い頃は甘えていたが、さすがにいつまでも子供扱いはないだろう。
「あらあら、フランおばあちゃまは悲しいわ。男の子は意地っ張りですぐに甘えてくれなくなるのだから」
「・・・この年で、男の子というのは、やめてもらえないか?」
アルフレードはげんなりとした。成人男性で男の子呼ばわりは正直キツい。地味な精神攻撃かと疑ってしまう。
確かに子供の頃は『フランおばあちゃま』と呼んでいた。そう呼ぶと嬉しそうな顔をするフランカが本当の祖母のように思えて、神事で神殿を訪れる楽しみの一つだった。メインは幼なじみと共に過ごすことだったが、彼女はもういない。
アルフレードが己の罪に打ちのめされている間に卓上は綺麗に片付けられていた。
神殿長フランカお付きの侍女は優秀で気配を感じさせることなく、空気のように控えている。侍女が用意したティーポットでフランカが新しいお茶を淹れてくれた。ハチミツなしの新しいハーブティーだ。
爽やかな柑橘系の香りにアルフレードの顔に懐かしさが浮かぶ。ジルベルタが好んだブレンドティーだと気づいたのだ。そして、『好んだ』と過去形で思ったことに動揺した。
アルフレードは密かに拳を強く握った。
アルフレードはジルベルタへの罪悪感を闇魔法で薄めてもらうのはイヤだった。闇魔法を使用してもらったほうが安眠できると両親から勧められても、頑として拒んだ。
ジルベルタへの思いまで薄れてしまいそうで怖かったのだ。
アルフレードとジルベルタは政略上の婚姻だが、もともと幼なじみで幼少期から親しくしていた。婚約して意識するうちにお互い恋情が育まれていった。確かに彼女を愛おしく思っていたのに、どこから間違えてしまったのか。
「アル。そんなに強く握っていては手を痛めてしまいますよ」
アルフレードはそっと手を取られて、顔をあげた。幼い頃から変わらない慈愛の笑みのフランカが強張った指を開いていく。
『アル』という愛称はフランカがつけてくれた。
『フランおばあちゃまだけの呼び名ね』と内緒話のようにこしょこしょと囁かれて、そばにいたジルベルタが『ずるい』とむくれてしまった。フランカは『それじゃあ、お揃いにしましょうね』と、彼女には『ジル』と名付けてくれた。
『三人だけの仲良しの証よ』とフランカに頭を撫でられて、ジルベルタと一緒に誇らしげに頷いた。
懐かしくも切ない思い出にアルフレードの青い瞳が潤んだ。
「わ、たしは・・・、驕っていたのです。私なら、ジルを守れると思っていた」
アルフレードはぽつりとこぼした。一言でも漏らすともう堪えきれなくて、ぽつぽつと語りだす。
サクラ襲撃事件は大神殿の最高責任者であるフランカには詳細が伝わっていた。
「私の婚約者だからと無罪放免にしては必ず非難がでる。彼女の疑惑を晴らすために、わざと厳しい取り調べにした。その上で無実だと証明するはずだったのに・・・。
まさか、フェデーレ公爵が彼女を切り捨てるとは思わなかった。
婚約解消したのも、下世話な噂が下火になるまでの間のつもりでいた。再婚約を示唆していたのに、彼女を侮る愚か者がでるとは思いもしなかった。
イレネオがフォローしたジルが微かに表情を動かすのを見て、私のほうが彼女を守れるのにと悔しかった。私には本音を晒して欲しくて、そばに置いた。でも・・・」
守られたのはアルフレードのほうだった。
一角竜の討伐はジルベルタの幻覚から始まった。闇魔法は感情を持つ生物になら干渉可能だ。却って、単純な生存欲求しか持たぬ獣や魔獣のほうがかかりやすい。
それでも、攻撃されて怒りに駆られた一角竜にはすぐに効かなくなった。アルフレードの風魔法で角を折られてからは狂ったようにアルフレードを狙いだして、陣形は乱された。
アルフレードに攻撃が集中して囮状態にするしかなかったが、王太子内定のアルフレードを失うわけにはいかない。アルフレードへの防御に力を分配しなければならず、事前の攻撃作戦などまるで役に立たなかった。
そんな中で攻撃魔法を持たないジルベルタには何もできなかった。攻撃の主力から離れていたからこそ、油断した後の一角竜の攻撃に反応できたのだろう。
「ジルを殺したのは、・・・竜ではない。私だ、私さえ驕らなければ・・・」
「いいえ、あの子を殺したのはわたくし。貴方は自分を責めるのではなく、わたくしを憎むべきです」
アルフレードは強く断定されて、顔をあげた。フランカは珍しく昏い目をしていた。
「最小限の犠牲での討伐成功を願ったのです。神託で選ばれた中の誰かが命を落とすことはわかっていました。それでも、わたくしはメンバーから貴方もジルも外そうとは思わなかった。
貴方たちを本当の孫のように思っていたのに、王国の安全を最優先にしたのよ。
フランおばあちゃまと呼ばれていい気になっていたくせに、貴方たちを躊躇いなく危険に放り込んだ。王太子とその伴侶となるジルに冷酷な打算で神託を下した。
わたくしの魂は冥界に堕ちるでしょうね。でも、わたくしは後悔はしていないのですよ。やらねばならない事を果たしたと思っています。
・・・さあ、薄情者に恨み言をぶつけるのは今のうちですよ?」
アルフレードは悲しげに微笑みさえ浮かべるフランカに静かに首を横に振った。
神託を得るには大神殿の神の間にある魔法陣に全属性の魔力を流し、潔斎した聖職者が三日三晩祈りを捧げなければならない。
そのため、大神殿の役職には全属性が揃うような人材が選ばれる。レアな魔法で発現が少ない光と闇の魔法は特に歓迎されて、高位につくことが多い。サクラの巫女姫就任理由の一つでもある。
特に今回は失敗は許されない神託で、最高責任者のフランカが祈りを捧げた。フランカが『最小限の犠牲』を念じながら得た神託だった。
「危険は覚悟の上で引き受けたのです、私もジルも。
神剣の聖剣士が選ばれるほどの事態だ。なんとしても討ち取らねばならないとわかっていた。フランカ様のせいではありません」
神剣とは大神殿で保管されている聖剣の銘だ。
聖剣は古代遺産で各地の神殿で保管されており、必要な時だけ使用されていた。その中でも神剣は特別な聖剣で使い手を選ぶ。誰でも扱えるわけではなかった。
一角竜は神剣を用いて、さらに協力者も揃えて挑むほどの難敵だった。
アルフレードはぐしゃりと金の髪を乱暴に掻きあげた。
「外そうと思えば、ジルを外せたのです。婚約解消直後だったし、理由は気鬱の病だ。療養目的で外しても誰も文句など言えなかったはずだ。
しかし、ジルが申し出たのです。『王国の安寧のために必要な神託』なのだから、従うと。
私は彼女の申し出に甘えてしまった。彼女ほど闇魔法に長けている者はいない。上手くいけば、彼女の幻覚で犠牲をだすことなく倒せると思ったのです。・・・『最小限の被害』を念頭に置くのは私も同じでした」
「では、わたくしたちは同じね。・・・共犯者、というところかしら」
フランカは瞑目するようにそっと目を伏せた。
アルフレードは国の為政者として最善の策を講じた。フランカも聖職者として一番被害のでない方法を模索した。それなのに、彼らの大切な人が最小限の犠牲だったなんて、なんと皮肉なことか。
それでも、いつまでも嘆いてはいられなかった。彼らはそれぞれ立場のある人間で、伴う責任があるのだ。
しばし、彼らは無言でそれぞれの想いに浸っていた。時刻を告げる鐘の音でふと我に返る。
「ああ、もうこんな時間ね。お約束のハーブティーをお渡しします。こちらへ」
フランカの声に反応した侍女がハーブティーを入れた小袋をすでに用意していた。手渡されたアルフレードは先ほどよりも顔色が回復している。
祖母と慕うフランカに心の内を吐露し、同じ想いを共有したことで、少しは楽になっていた。
「フランカ様、ありがとうございます。有り難くいただきます」
「ええ、ぜひ味わった感想を教えてくださいね。もし、よろしかったら、この後は訓練場に顔をだしていただけないかしら。今日はイレネオ様がお見えになっていて、ジェレミアを指導してくれているのよ」
ジェレミアは平民の警備兵で剣の腕は確かだったが、魔力の扱いには慣れておらず、討伐の旅の間にイレネオが指導していた。ジェレミアが聖剣士として神殿所属になった今でもだ。
アルフレードは久しぶりに彼らと顔を合わせるのも苦にはならずに頷いた。