29話 陥落
前回ほどではないですが、長さは・・・、もはや何も言うまい。
トーヤのお話回です。
「そんなに死にたかったら、私が引導を渡してやる。だがな、今のお前が黄泉の国に行ったとして、堂々と彼女に顔向けできるのか?」
ルフィーノに殴られたトーヤにマサムネが愛刀を突きつけた。マサムネの利き腕はつり布で覆われているが、戦意消失どころか、生きる気力を失っている相手を葬るのに問題はない。
アイリが涙目で弟を睨みつけた。
「・・・は、なを。ジルベルタ様にお花を贈る約束をしたじゃない。彼女の好きな色の、花を。
貴方、そんな体たらくでそれを果たせると思って?」
トーヤが一人で突っ走って、危うくパーティー全滅になるところだった。マサムネの負傷はその代償だ。トーヤにはこのまま斬られても仕方のない真似をした自覚はある。
だが、『ジルベルタとの約束』と言われて、トーヤはのろのろと顔をあげた。
『燦々と陽の光が降り注ぐ様を見ていると、どんなに落ち込んでいても気分が明るくなります。だから、わたくしはお日様の色、黄色が好きなのです』
ジルベルタはそう言って、黄色のバラを目にして微笑んでいた。
黄色のバラの花言葉には嫉妬などと負の感情を思わせるものがあるが、それでも好きなのだと。だから、トーヤは次に会う時に黄色のバラを贈っても構わないかと尋ねた。
次に会うのは見事大海蛇を討ち果たした時だ。
別れの挨拶でジルベルタはお手製のお守り袋を渡してくれた。子供の頃に祖母に教わったと言って、トーヤたちの無事を願って祈りを込めてくれた。そのお礼に花を贈る約束をすると、彼女は嬉しそうに頷いた。
そのわずか数分後だった。
侍女の悲鳴が聞こえて、慌てて駆け戻れば血を吐いて倒れたジルベルタがいた。
アイリがすぐに光魔法を放ち、トーヤは襲撃犯を一刀で切り捨てた。振り返り様に目にしたのは青い顔をして取り乱す姉だ。
「ああ、そんな、まさか。・・・もう手遅れだなんて!」
ジルベルタの傷は心の臓にまで達していた。死者に光魔法を用いても効果はない。
目の前でジルベルタを失ったトーヤは荒れた。自暴自棄になって無茶な攻撃ばかり繰り返し、そのまま朽ち果ててもいいと思うようになった。
だが、青い火の鳥は大海蛇退治の依頼を受けている。依頼放棄など許されるものではない。
アイリには心配されて、マサムネには苦言を呈されて、ルフィーノには叱責された。それでも、トーヤの心には響かなかったが、ジルベルタの言葉を思い出すと失った感情が甦ってくる。
「陽の光が・・・、降り注ぐ光が好きだって、言ってた。・・・バラが好きだと、だから、今度贈ると・・・」
紫紺の瞳から涙が溢れて、トーヤは子供のように泣いた。好意を抱いた相手を目の前で失った衝撃が強くて感情が麻痺してしまった。あれ以来、初めて泣くことができた。
トーヤが立ち直って青い火の鳥は大海蛇に挑んだものの、大海原をホームとする大海蛇には敵わなかった。
トーヤは絶体絶命の危機に瀕していた。
目の前には潤んだ目で睨んでくるカリンがいる。
愛おしい相手からの上目遣いとか、怒っていても可愛く見えるのだから、最初からトーヤに勝ち目なんかなかった。
ジルベルタ改めカリンは青い火の鳥に所属して大海蛇退治に参加することになった。まずは冒険者登録をして等級をあげて、だったのだが、その前段階で躓いた。
匿われていた山荘から王都近郊のルフィーノ邸に移動した途端、熱をだして寝込んだのだ。まだ大怪我から完全に回復してはいない。まずは体力作りからとなったのだが、トーヤだけがカリンの参加に強硬に反対した。
深窓のご令嬢には無理だ、素人が金クラス以上の青い火の鳥に加わるなんて無謀だ、カリンは貴族女性らしくご令嬢の家庭教師でも勤めていればよいと言い放った。
カリンは蒼白になったが、意地でも考えを変えなかった。体力作りのトレーニングにがむしゃらに挑んでは体調を崩して寝込んでしまう。
咎めるトーヤの言葉はますますきついものになるが、カリンも意固地になるだけだ。そこで、マサムネから改善命令がだされた。
「桐也、お前のジルベルタ嬢との思い出を全て包み隠さず、花鈴に話せ。我々には彼女との思い出があるが、彼女にはない。だから、彼女は我々の信頼を得ようと必死になる。青い火の鳥の役に立たなければならないと無理をしがちだ。
役に立とうとも立たずともそんなのは関係ない。花鈴は我らの大切な仲間なのだと信じ込ませろ。
それが出来るまではお前を訓練から外す。今日からずっと花鈴のお世話役になるんだ」
「桐也がお世話役なんて不安しかないけど。
花鈴ってば、一人でこっそりと泣いてるのよ、誰かさんの暴言のせいで。可哀想よねえ?
ほっんとおうに、誰かさんのせいでー。元凶が発言撤回しない限り、彼女の傷心は塞がらないわよねえ?」
「それは可哀想だなあ。ああ、なんて気の毒なんだ。何処かの誰かさんが嫌って意地悪をするから・・・」
「嫌ってない! 意地悪でもない! 心配するのは当たり前だろう? あんなことがあったんだから」
ルフィーノに食ってかかるトーヤに全員から生温かい視線を向けられる。
「彼女にはそんな記憶はないのだから、話を聞いただけでは実感するのは難しいぞ。
だから、全ての思い出を話せと言っている。お前だけだぞ、彼女に何も話さないのは」
「はっ?」
驚くトーヤにアイリとルフィーノがうんうんと頷いている。
「桐也ってば、ジルベルタ様に会うたびに『姉上の相手をしてくれる礼だ』とか言って、焼き菓子を渡していたのよねえ。
ジルベルタ様が食べすぎてしまうからと遠慮すれば、『太る心配をしているのか?』なんて無神経なことを言いだすし。本当に乙女心を解さないのだから、わたくし、姉として非常に恥ずかしい思いをしたわよ」
「彼女がメイリンたちにお礼の品を贈りたいと相談したら、メイリンはドクダミが好きだからドクダミの花でいいとか言ったし。
メイリンは解毒効果のある薬草集めでドクダミを採取してただけで、好きではなかったのだが。
だから、メイリンに朴念仁って言われてるんだって教えてあげたんだよねえ」
二人の話は前回の時間を遡る前の出来事だ。トーヤにとっては黒歴史とも言える。
メイリンとサイフォンは海猫鳥というパーティーを組む兄妹の冒険者でルフィーノの知人だった。青い火の鳥が渡航したのと同時期に海の王国で活躍し始めたので何かと接点ができて、依頼によっては手を組んだこともある。
ジルベルタが討伐時の護衛をしてくれたと話したので知人だと明かせば、共通の話題ができてより親密になることができた。
メイリンたちと別れの挨拶をきちんとできなかったとジルベルタがしょぼくれたので、海猫鳥宛の手紙を引き受けた。手紙と一緒にお世話になった贈り物もしたいというから、メイリンがよくドクダミを集めていたのを思い出して教えただけだ。
「・・・年頃の女の子にドクダミ? ちょっと、私の紳士教育に自信がなくなってきた」
「マサムネ、そう落ち込むことはないよ。誰にでも失敗はある」
「ええ、そうよ。桐也ってば、子供の頃からこんな感じよ?
お母様に庭で捕まえたカエルをプレゼントしようとしたり、蛾を綺麗だからと飼おうとしたり」
「それは姉上のせいだろう!
何を贈ろうかと悩んでいたら、自分の力で用意できるものでいいと言ったじゃないか。きっと、母上も喜んでくれるって」
「だからって、まさかカエルとは思わないもの。せめて、庭のお花かと思うわよ」
「蛾だって、新種の蝶だと姉上が言ったから!」
「そう思ったのよ。だって、子供だったんですもの。わからなくても仕方ないわよ」
アイリはトーヤに睨まれても、しれっとしている。
昔から散々姉に振り回されてきた弟にしては、仕方ないの一言で済ませないでもらいたい。
「わたくしたちはちゃんと花鈴に好意を伝えたわよ。
わたくしは妹のように思っていたし、政宗様は親戚のおじ様ね。ルフィーノ様は元々知り合いだけれど、花鈴になってからは冒険者の先輩として接しているわ。
貴方だけ何も伝えずに否定や反対ばかり。花鈴が萎縮してしまうわよ」
「だからと言って、今の彼女に話して何になる。ジルベルタ嬢との思い出は花鈴には関係ない。
ただの貴族令嬢に冒険者なんて無理だと現実を教えているだけだろう」
「はあっ、もうなんでこんなに拗らせているのだか・・・。
我が国出身者が他国に渡ってただの貴族令嬢でいるなんて、それこそ無理だわ。花鈴の出自に疑問を持たれるわよ。貴方、花鈴がジルベルタ様だと知られても構わないのかしら?」
「・・・そんなの、私には関係ないだろ」
「うっわ、サイテ〜」
「同感」
心底軽蔑したような声はメイリンとサイフォンだ。
カリンの体調が落ちつくまで付き合ってくれていたが、彼らもそろそろ独自の活動に入るので別れの挨拶に訪れた。そこで、話が聞こえてしまったのだが、彼らの背後にはカリンもいた。
傷ついた顔をしてきゅっと唇を噛み締めている。トーヤは思わず目を逸らしてしまった。
「ねえねえ、カリンちゃん。こんな冷血漢なんか放っておいてさ、わたしたちのパーティーに入らない?
わたしたちとのほうが絶対相性がいいって。お兄ちゃんも賛成だって」
メイリンがカリンに腕を絡ませた。サイフォンが頷いてから、ぐっと親指を立てる。
カリンが冒険者になればメイリンたちのほうが先輩になるから気安く接してほしいと言ったので、メイリンがそれではお友達になろうと言い出した。カリンちゃん呼びはお友達の証だ。
サイフォンは基本メイリンの好きにさせているので、彼も妹に倣っている。
「まあ、メイリンってばずるいわ。花鈴を引き抜くつもり?」
「それは困るな。カリンは大海蛇退治の切り札だぞ」
「だって、カリンちゃんが可哀想だもん。何処かの誰かさんに嫌われてイジメられてるし」
「だから、嫌ってないと言っているだろ! イジメてもいない」
「「「それじゃあ、どう思っているんだ(のよ)?」」」
全員の視線を浴びてトーヤはたじろいだ。カリンがメモを突きつけるように見せてくる。
『疎んでる邪魔にしてる迷惑だと思ってる』
「いや、疎んでも邪魔にしても迷惑だとも思ってないから! 嘘でもないぞ」
カリンが書きかけた言葉を先取りしてトーヤが叫んだ。それでも、カリンは瞳を潤ませて睨んでくる。絶対に嘘だと思っている目だ。
「はあっ、いいからさっさと話せ。周囲から耳に入れるよりも自分で話したほうがいいだろう?」
マサムネの命令でトーヤとカリンは二人きりでお話し合いすることになった。全員がゾロゾロと出ていく中でカリンだけはじぃっとトーヤを見つめている。
トーヤは焦ったものの、実力行使も辞さなそうなマサムネのジト目に逆らえなかった。
カリンはジルベルタの頃よりも感情表現が豊かになっている。言葉がでない分、表情で伝えることも増えたからだ。非難と悲哀を込めた眼差しにトーヤは内心で怯んだ。早くも心情では全面降伏気味だ。
『カリンではダメなの? ジルベルタでなければ仲間にしてもらえないの?』
トーヤたちと接した記憶があるのは前回の時間軸のジルベルタでカリンではない。記憶のないカリンはもどかしかった。
トーヤは困ったようにぐしゃと銀髪を掻き上げた。
「君がジルベルタでも花鈴でも私の意見は変わらない。
冒険者には危険がつきものだ。どんなに入念な準備をしても、細心の注意を払っても不測の事態は常にあり得る。
私は君が危険な目に遭うのも、悲しい目に遭うのも嫌だ。瀕死状態の君の姿も大泣きする姿ももう見たくない」
カリンは首を傾げた。ジルベルタが誰かの前で大泣きするなんて考えられなかった。
トーヤはバツが悪そうな顔になる。
「・・・君と初めて会ったのは、葬儀後にルフィーノ様に紹介された時ではない。私はその前に君を見かけているんだ」
ルフィーノに付き添って山の王国に到着したのは第一王子の葬儀の前日で、青い火の鳥は街中に宿をとった。ルフィーノは弔問客で同盟国の王弟だから、王宮に客室が用意されていた。もともと王子たちと親しくしていたので、兄の死に落ち込む弟王子を見舞うために青い火の鳥とは別行動だ。
トーヤは一人街中の様子を確認しに外出していた。アイリは宿で休息中で、マサムネは買い物に出かけている。
街中は中央に隼の紋章がある黒幕が掲げられていた。普段は華やかな王都もさすがに明日の葬儀のために喪に服していて人足も鈍い。
トーヤは宿周辺の地理を頭に入れながら自分の目で確かめていた。長兄から後継者争いで命を狙われる幼少期を過ごしたので、初見の場所での逃走ルート確認はすでにクセになっている。周囲に注意を払っていたせいか、小柄な人影とぶつかって驚いた。
目深にフードを被った相手は足早に歩き去ったが、トーヤには放っておけなかった。直接ぶつかったせいで、闇魔法を感じたのだ。認識阻害で他者から隠れるように移動している相手など怪しさ満杯だ。明日の国葬で何かやらかす可能性もあって見過ごせなかった。
一定の距離を保って相手を尾行すると、丘の上の自然公園にたどり着いた。怪しい人影は頂上を目指していて立ち入り禁止の柵外へ足を踏み入れた。
トーヤも認識阻害を用いて柵まで近づくと、足を止めた人影はフードを外した。さらりと長い黒髪が揺れて女性だと気づく。
どこか思い詰めた顔をした女性は白いバラの花束をそっと頂上から下へ放った。すうっと息を吸い込んだかと思うと、鎮魂歌を歌い始めた。切々とした哀悼が漂う歌声で胸が痛くなる。
女性は認識阻害を解かずに歌っている。誰の耳にも届くことのない歌声だ。いや、聞かせる相手はただ一人。『愛しき者よ』という歌詞の通り、亡くなった相手に捧げているのだろう。
トーヤは思わず動揺した。
怪しい人物かと思ったが、そうではなかった。誰か大切な人を亡くした女性が公に弔えない事情でもあるのか、人知れず感情を爆発させているだけらしい。
他所様の心に土足で踏み入ったような気まずさを覚えるが、トーヤは歌声に惹き込まれたように動けなかった。
女性は歌い終えると同時に崩れ落ちた。大粒の涙を流してうずくまる。
「あ、る。ごめん、なさい。アル、わたくしの、力がもっと・・・。どうして、こんな・・・。あいし、てた、のに・・・」
アル、と呼びかけて泣きじゃくる女性は紫紺の瞳をしていた。黒髪に紫紺の瞳の容姿は東方諸島の特徴だ。
まさか、とトーヤは眉間にシワを寄せた。
亡くなった第一王子の婚約者がカンナギ国の王族だった祖母似だと聞いたのを思い出したのだ。予想通りならば、彼女を一人で放っておくわけにはいかない。侍女や護衛も連れていないのだ。もし、トーヤのように認識阻害に気づく者がいれば彼女の身が危うくなる。
トーヤは陰ながら護衛することにした。子供のように泣きじゃくる彼女がトーヤに気づくことはない。
日も暮れて周囲が暗くなる頃にようやく彼女はのろのろと動きだした。泣き止んだ後はしばらく放心状態だったのだが、気が済んだようだ。
重い足取りで家路に着く彼女は公爵令嬢だったはず。王太子妃教育で感情を露わにしないようになっているのだろうが、まさか自宅でも一人で思いきり泣くこともできなかったのかとトーヤは気の毒に思った。
予想通り、女性は豪華な邸宅にたどり着いた。密かに門を潜り抜けるまでトーヤは見守った。まだ彼女の認識阻害は解かれていなかったが、ここまで来れば大丈夫だろう。
トーヤは最後に彼女の後ろ姿を目に収めてから宿へ向かった。
「あの時の慟哭がすごく衝撃的だったから・・・。今の君には無事に安全に過ごしてほしいと思う。
本当は私が君を守ると言いたいのだが、予測不能な事態が起こり得ると経験してしまってはそんなことは言えなくなる」
予測不能な事態とは大海蛇に敗れたことだ。古代遺産の時空装置によって精神だけは一年前に戻ったが、おそらく肉体のほうはあの時の攻撃で亡くなったはずだ。まさか、あんな大敗を喫するとは完全に予想外だった。
それなりに勝算はあるものとして挑んだのに、全くの計算違いだった。
カリンはむうと唇を尖らせた。
『わたくしを案じてくれるのはわかりましたが、決めつけないでください。わたくしは安全に守られたいのではないのです。貴方たちの力になりたい、仲間にしてほしいのです。
もし、試してみてダメだというならば諦めますが、何もしてないうちからわたくしの決意を潰さないで』
「・・・ならば、冒険者として扱くことになる。最低限、自分の身は自分で守れないと困るからな」
トーヤがしぶしぶと譲歩すると、カリンは嬉しそうに頷いた。
ルフィーノは王弟の公務もあって留守がちだし、マサムネはリーダーの責務がある。アイリは指導者に向かないので、トーヤがカリンの指導役になった。
カリンは慣れない環境に初めてのことばかりで、最初はうまく順応できなかった。だが、涙目になることがあっても泣き言は言わずに耐えていた。
トーヤは泣かせたくはなかったが、彼女の安全に関わることだから手を抜くわけにはいかない。厳しい指導になる代わりにカリンの体調管理には気を配った。
弓の鍛錬を始めてからは毎日彼女の手のひらを確認している。慣れない初心者はマメができて潰しがちだ。痛みを堪えながらでは変な癖がつくかもしれないからと、毎日せっせと消炎効果のあるクリームを塗ってケアに務める保護者っぷりだ。
ルフィーノから「え、誰これ。・・・おかんか⁉︎」と突っ込まれるほどだった。
カリンは自分でやるからと遠慮したが、トーヤがこれも指導のうちだとか押し切ってくるので若干赤くなりながらもお任せの状態だ。
「白魚のような手だったのに、な・・・」
厚くなった手のひらをそっと撫でながら、トーヤは憂い顔だ。
ぽつりとこぼされた独り言が心臓に悪い。
カリンは平常心、平常心と唱えながらも、何の苦行だと突っ込みたくなった。トーヤは意外とマメな性格で面倒見がよいのだが、心の声を無自覚に垂れ流してくる。
「いえ、それは貴女に対してだけだと思うわよ」
カリンのぼやきを聞いたアイリはため息混じりに突っ込んだ。
弟が恋心を自覚する前にジルベルタが亡くなって、時の遡りで今度は悲劇を防げると思ったのに、またもや目の前で最愛の想い人を失いかけたのだ。過保護になるのは仕方がないだろう。
カリンは体力作りと鍛錬の同時進行で、冒険者活動も少しずつ増やして行った。闇魔法で対象を罠まで誘き寄せ、嵌って動けなくなったところを仕留めるというやり方で高ランクの魔獣も倒すことができた。
一年で銅クラスまで上がったところで、久しぶりに体調を崩して寝込んだ。
何故か当然の如く、トーヤが付き添って寝台から出るのを禁止されている。
カリンが手を伸ばすと、トーヤがすぐに自分の手のひらを差し伸べてくる。急ぐ時やメモ用紙を用いるほどではない場合にはトーヤが通訳するようになっていた。カリンがトーヤの手のひらに指で文字を綴る。
『大人しく寝ているから。トーヤも休んで大丈夫よ』
「私が付き添いたくてやっていることだ。気にすることはない。・・・もしも、私が鬱陶しいなら、下がるが?」
カリンはぶんぶんと首を横に振った。トーヤの気遣いは嬉しいのだが、迷惑をかけているのではと不安になったのだ。
トーヤはそっとカリンの手を握った。
「君はよくやっている。慣れない冒険者活動にも一生懸命で、私たちの大事な仲間だ。心配するのは当然だろう?」
カリンはこくりと頷いた。
今では確固たる信頼関係を築けているから、記憶がないからと不安になることはない。ただ、トーヤの心に在るのは前回の時を一緒に過ごしたジルベルタで、カリンではないのが少しだけ寂しいだけだ。
繋いだ手は温かいのに、心の中は降り出しそうな空模様とか、カリンはしょんぼりとなった。それを体調を崩したのを気にしていると解釈したトーヤがぎゅっと握る力を強めた。
「ゆっくり休んで体調が整えば気持ちも落ちつく。気に病むことはない。君が治ったら渡したいものがある」
カリンが小首を傾げると、内緒だとトーヤが優しく微笑んだ。
体調が良くなったカリンはトーヤから素朴な木笛を渡された。見た目ではわからなかったが、直に触れると内包する聖なるオーラを感じる。木笛に備わっているのは浄化と癒しの力だ。
ばっと顔をあげたカリンが信じられないと目を丸くした。トーヤがお守りの懐剣を作りなおしたものだと気づいたのだ。
返す、と突っぱねようとした手は大きな手のひらで覆われた。
「銀クラスへの昇格にはこれまで以上に強力な魔獣と関わることになる。君の安全と私の心の安寧のために、絶対に受け取ってほしい。
それに、この笛は君の戦力アップにも役に立つ。これ以上の魔力媒介に相応しいアイテムはないだろう?」
カリンは無詠唱で魔法を放てるが、魔力媒介のアイテムがあったほうが制御や術の展開が楽なのは確かだ。
「何か危険なことや気になることがあった時にも役に立つ。君の声代わりにしてくれ。笛の音が聞こえたら、すぐに駆けつけるから」
トーヤは銀鎖を取り出して笛を通すと、カリンの首にかけた。乱れた黒髪をそっと耳にかけてくれる。
カリンはかあっと赤くなった。トーヤが体調管理でカリンに触れることはあるが、事務的な感じだった。壊れ物を扱うような丁重さを感じたのはこれが初めてだ。
カリンがあたふたとなると、トーヤも視線を逸らして早口になった。
「銀クラスになったら、いよいよ大海蛇退治に乗り出す。覚悟していてくれ」
すぐにカリンはきりっと顔を引き締めて頷いた。これまではカリンが追いつくのを待ってくれていたのだ。
『覚悟なら最初からできているわ。最期まで貴方のそばにいたいとずっと思っていた。
だから、もしものことがあってもわたくしだけ安全圏に追いやるなんてしないで。約束よ?』
「最期まで・・・って、ああ、もう、そんなこと言われたらっ」
急に叫び声をあげたトーヤが片手で顔を覆って、カリンはびっくりした。何事かと目を見張ると、赤い顔をしたトーヤに睨まれる。
「本当は全てが終わってから伝えようと思っていた。でも、もう二度と同じ後悔はしたくない。何も告げられずに終わってしまうなんて嫌だ。単刀直入に申し込む。
花鈴、一生涯私のそばにいてくれるか? 私の唯一無二の最愛として」
「・・・⁉︎」
求婚だと理解したカリンが目を白黒させる。
仲間意識での言葉だったのに、とは言葉にできなかった。困惑の中に嬉しいと思う気持ちがあると気づいてしまったのだ。
しばらくカリンが挙動不審に陥って避けまくっていたら、トーヤは振られたと落ち込んでしまった。アイリにうじうじとしてきのこを栽培しそうな弟をなんとかしてちょうだいと懇願されて、カリンは決心した。
どうやら、この人はカリンがいないとダメになるらしい。年上の男性なのに、ちょっとヘタレなとこが可愛いなと思えるとか、案外自分も彼に絆されているようだ。
だから、一生涯よろしくお願いします、と答えたのに、すっかり後ろ向きになったトーヤになかなか信じてもらえなかった。カリンも落ち込んでしまい、メイリンがまた引き抜こうとしてきて・・・、とまあ色々とあったが、涙目で詰め寄るカリンにトーヤは完全降伏した。
二人の婚約はなんとか成立したのである。
それから、一年後にカリンが銀クラスに昇格して、万全の態勢を整えて青い火の鳥は大海蛇退治に乗り出したのだった。




