2話 演奏会
ぱちぱちぱちと鷹揚な拍手が鳴り響いた。
国王一家の前で大神殿の奉納祭で捧げる神楽が披露されたところだ。
二人のフルート奏者にハープ奏者と歌い手が一人ずつ。いずれも見目うるわしい令嬢で奏者としての腕も確かだ。
奉納祭の演奏者は未婚女性に限られており、名誉なことだった。身分は問わないが、幼少期より教養の一環として手習いしている高位貴族ほど有利だ。稀に平民が選抜されることもあるが、大概は親が音楽家で有名な娘ばかりだ。
「すごい、すごい。皆さん、とてもお上手だわ」
軽やかな声をあげて称えたのは異世界人サクラだ。
異世界人は権力争いに利用されるのを防ぐため、神殿が後ろ盾になっている。サクラは清楚な巫女服だが、裾に金糸の刺繍が施された最高位の巫女姫の格好だ。
彼女も討伐に加わり、多大な貢献をあげたとして一神官から巫女姫に昇格していた。神殿から神楽の確認で、この場に同席していた。
この世界は千年ほど前に一度滅んでいる。
当時の最大国家が時空魔法を極めていたのだが、制御に失敗して国土全体が焦土と化したという。それ以来、時空魔法装置が設置されていた場所から時空の歪みが発生し、厄介な生物が現れるようになった。人に危害を加える魔獣の他に、時折異世界の人間が紛れ込むこともある。
異世界人は魔力のない世界からやってきて、この世界に馴染むと魔力が開花する。どうやら、世界の理で異世界には魔力の元がなく、この世界で魔力源に触れて初めて覚醒するらしい。
異世界人は魔力が目覚めると、言葉が通じるようになって意思疎通ができるようになる。
サクラは強力な光魔法に目覚め、近年では稀にみる高待遇で神殿に迎えられた。巫女姫となると、高位貴族と同等の身分となり相応しいマナーを求められるが、多少覚束なくても異世界人であるからと大目に見られていた。
「サクラ様にお褒めいただき、光栄ですわ」
「やだなあ、サクラでいいって言ってるのに。クラーラってば、真面目なんだから」
サクラに気安く話しかけられているのは歌い手のクラーラ・ドナートだ。侯爵令嬢で演奏者の中で一番身分が高い。
サクラと同い年で、サクラがこの世界を学ぶために通っている王立学園の同級生だ。彼女たちは最終学年でもう少しで卒業だった。
「私的な場でならともかく、陛下の御前でそのような呼び方はできませんわ」
「えー、わたしがいいって言ってるのに? 国王様、大丈夫ですよね?」
サクラが愛らしく小首を傾げて国王を見つめた。国王は苦笑いで頷く。
「まあ、この場におる者はそう礼儀に厳しくない者ばかりだしのう。だが、普段は巫女姫としての威厳を忘れないでくだされ。我が国の沽券にも関わります」
「はあい、ちゃあんとわかってますう」
幼い子供のような返事に王妃がすっと一瞬だけ表情を消した。すぐに穏やかな笑みを取り戻したが、目だけは笑んでいない。
王妃の変化に気づいたのは第二王子のコルラードと婚約者のドロテーアだけだ。二人はそっと目を見交わして王妃に倣うことにした。
ドロテーア・モランドはハープの演奏者でフルート奏者の二人とは友人である。三人とも伯爵令嬢で幼い頃から音楽に慣れ親しんできた。お互いに切磋琢磨してきた仲で、合奏は何度も経験していて呼吸はピッタリだ。今回の奉納祭ではソロパートを熟せる歌い手が他にいないと初めてクラーラと組んだ。神殿から推薦されるだけあって、クラーラの歌声は美しく力強い。
それでも、前任者には敵わないとサクラ以外の全員が密かに思っていた。
そんな心中をおくびにも出すことなく、王妃が悠然と微笑む。
「皆さん、とても素晴らしい演奏だったわ。奉納祭が楽しみですこと。
でも、奉納祭が終われば、貴女たちももう卒業ね。婚姻の準備は大丈夫なのかしら?」
貴族令嬢は学生時代の間に嫁ぎ先を決めることが多い。家庭の事情などで相手が見つからないのは下位貴族に多く、大概は家庭教師や王城勤めの文官や侍女になる。持参金を稼ぐついでに婚姻相手を探すものだが、この場の令嬢たちには皆婚約者がいた。
卒業後は嫁ぐ準備に専念できるので、奉納祭までは音楽三昧だと微苦笑が返ってくる。
「まあ、貴女もなの、ドロテーア? コルラードは一刻も早く、貴女との婚姻を望んでいてよ?」
王妃がおどけるように肩をすくめた。
王族の婚姻となると、国をあげての一大イベントなのだが、第二王子のコルラードは婿入りの臣籍降下で王位継承権も放棄する。身内と親しい友人だけのごく内輪な挙式予定だ。婿入りのモランド伯爵家に合わせた規模になるだろう。
ドロテーアこそが卒業後の婚姻準備筆頭者だ。婚姻は卒業の半年後と決まっているが、準備はこれからである。メインのウェディングドレスも仮縫状態だ。
友人がくすくすと笑って、ドロテーアとコルラードが赤くなる。
和やかな雰囲気の中で王妃が合図して侍女たちがお茶の支度を始めた。演奏の労いで王妃とお茶会だ。
国王は執務があると席を立ち、アルフレードとコルラードも女性だけでごゆっくりどうぞと後に続こうとしたら、クラーラが頬に手をあてて大きな声をあげた。
「まあ、殿下。失礼ながら、お顔の色がすぐれないようですが・・・」
「いや、大丈夫だ。少々、寝不足なだけで」
「アルフレード様、どこか悪いのですか? 癒しますよ」
すぐにサクラも近づいてきた。アルフレードが否定しても二人は納得しないので、医務室に行くことになった。サクラは何かあれば光魔法で癒すと張り切っているし、クラーラは健気に心配してますアピールで付き添いを申し出ている。
コルラードが兄を庇うように二人の前にでた。
「兄上も幸せ者ですね、このように美しく可憐な花たちに心配されて。でも、兄には私が付き添いますので、ご心配なさらずに。
巫女姫様はそろそろ神殿からお迎えが来ると思いますし、ドナート嬢では兄が倒れたりしたら手を貸せないでしょう。却って巻き添えにでもしてしまっては申し訳ない」
第二王子からも説得されて二人ともしぶしぶと諦めた。お茶会の雰囲気ではなくなってしまい、侍女たちはテーブルセッティングを取りやめ、手土産を用意する方向へチェンジだ。
ドロテーアたちも具合の悪い第一王子を気にせずにお茶会というわけにはいかないので、また後日に機会を設けましょうと王妃に言われて了承した。
コルラードが兄に付き添い、令嬢たちも退出すると、見送った国王はどかりと座り直した。執務には戻らずに、取りやめになったお茶の支度をするように侍女たちに命じる。
「あら、あなた。執務はよろしいの?」
「そなた、意地悪だな。アルフレードのための取り繕いだと承知していただろう」
王は恨めしそうに妻を見やった。
アルフレードの顔色が朝からすぐれないのはわかっていたから、今日の演奏会の欠席を勧めたのだが、奉納祭は年間行事で一番重要だし、昨年から古代種竜の犠牲者を悼む鎮魂祭でも演奏を披露する。演奏者の見極めは王家一丸で見定める必要があった。
アルフレードの意思は強く休ませるのは無理だったので、労いのお茶会は王妃に任せることにした。国王が執務だと宣言すれば角が立たないで抜けられる。第一王子のアルフレードが追従してもおかしくはない。
それなのに、せっかくの気遣いが、クラーラのせいで台無しになってしまった。
弱みを見せるのをよしとしないのが、王侯貴族だ。この世界の常識を取得中のサクラは仕方ないとしても、クラーラは侯爵令嬢で、兄二人がいて家を継ぐ可能性は低い。嫁ぐのは確実で、貴族夫人の心得を取得しているはずの年齢だ。もう少しオブラートに包むとか取り繕いすべきだろうに、高位貴族のくせに裏表のない直接的なやり取りとか、あり得なかった。
国王ははあっと大きくため息をついた。
「アレらが婚約者候補だとか、気が重いのだが・・・」
「仕方ありませんわ。侯爵令嬢を飛ばして、伯爵令嬢を選べませんもの。
それにドナート嬢の婚約解消にはあの子にも責任がないとは言えませんし。情報統制が甘いところがあったようです」
「それだが、本当にあの事件はジルが犯人だったのか?」
「あなた・・・、それは今更ですわよ」
夫がポツリとこぼした呟きに妻は憂い顔だ。慣れ親しんだ王妃腹心の侍女たちも空気のごとく控えたまま、無になっている。
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