15話 筆談
エドアルドに案内されてアイリが姿を消すと、侍女が新しいお茶を淹れてくれた。
カリンと向かい合わせになったアルフレードは視線をうろうろとさせた。侍女がついているし、ドアを開けた外には護衛も控えている。二人きりではないのだから、外聞を気にすることはないのだが、なぜか落ちつかなかった。
アルフレードが無言でお茶を飲んでいると、カリンがメモ帳に何か書いて見せてきた。
『殿下、今日はわたくしどもの願いを叶えてくださってありがとうございます』
「・・・あ、ああ。私が一番適任だったから」
アルフレードは動揺しながら答えた。筆跡もジルベルタとよく似ていたのだ。いや、彼女とそっくりなカリンが綴った文字だからこそ、余計に似ていると思うのかもしれない。
カリンは彼の混乱には気づかずにメモ帳にサラサラとペンを走らせた。
『殿下のおかげで祖母へ吉報を届けられます』
「いや、そんなに大したことないではないから気にしないでほしい。それよりも、ミツフジ嬢。
先ほどは公爵夫人が失礼な発言をして申し訳なかった。不快な思いをさせて本当にすまない。まさか、公爵夫人があのような偏見の持ち主とは思わなかったのだ」
カリンはすぐに書いた内容を見せてきた。
『お気になさらずに。殿下のせいではございません。
歓迎会でフェデーレ家の親類という方々にお目にかかりました。皆様、あまり故人をよくは思われておられないようでしたので、何か言われるかもしれないとは予想していました』
「え、そんなバカな」
アルフレードは呆然と呟いた。
ジルベルタは公爵令嬢で彼の婚約者だった。婚約解消したとはいえ、親類の中では一番高位の令嬢だ。しかも、討伐の犠牲者で国を救ったと名を馳せている。
ジルベルタの血縁者のカリンが鎮魂歌を奏でた歓迎会でジルベルタを疎んでいたと悟られる発言をしたとは驚き以外の何者でもない。国賓にケンカを売る行為だ。まさか、第二のクラーラが公爵夫人の親類にいたとは・・・。
もしかして、ジルベルタは親戚内ではずっと貶められて辛い思いをしていたのかもしれない。
ジルベルタからそんな話は聞いたことがなくて、アルフレードはぎゅっと拳を握りこんだ。手のひらに爪が食い込むが、痛みを感じる余裕はなかった。
ジルベルタにとっては大したことではないから相談しなかったのか、それとも、アルフレードが頼りにならないから相談されなかったのか。
幼馴染で婚約者で誰よりも身近な存在だったはずなのに、彼女について自分が知らないことがあったなんて。
アルフレードが荒れ狂いそうな心中をなんとか落ちつかせようとしていると、カリンが可愛らしく小首を傾げた。
『いくら親類でも気が合う方、合わない方はいますもの。それが赤の他人ならば尚更です。仕方のないことだと思います。
それに、夫人は闇魔法に何かトラウマでもあるのかもしれませんし、我が子だからと、親が無条件で愛せるものでもないでしょう。
夫人の発言は失礼なものでしたが、殿下の責任ではありませんから』
「それは、そうかもしれないが・・・。ジルは、夫人と折り合いが悪かったのだろうか。私は全く気づかなった」
アルフレードが不甲斐なさそうにこぼすと、カリンがそっと首を横に振った。
『エドアルド様はお姉様を慕っておられました。侍女の中にもわたくしを見て懐かしそうな顔をしている方が幾人もおりましたから、ジルベルタ様は夫人以外には慕われていたと思います。
それに、婚約者の殿下もおられた。ジルベルタ様に味方は大勢いました。彼女は決して孤独ではなかったと思います。
殿下がお気になさって落ち込まれると、ジルベルタ様は悲しまれるのではないでしょうか?』
真っ直ぐに見つめてくるカリンは本当にジルベルタに似ていて、思わず彼女といる錯覚を起こしそうだ。
思わず、手の力がゆるんで、アルフレードは軽く息を吐いた。
「ああ、すまない。つまらない愚痴など吐いてしまって。
貴女には迷惑だったろう」
『いいえ、弱音を吐けるというのは良いことです。溜め込んでしまっては、いつか壊れてしまうかもしれませんもの。
王子としてご立派な殿下も素敵ですが、弱いところのある殿下も人間味があって親しみやすいですわ』
「そ、そうか・・・」
アルフレードは狼狽えて、つい視線を逸らした。
以前、公務が立て込んでいて疲れて愚痴を漏らしたら、ジルベルタに似たようなことを言われたことがあった。あの時のジルベルタはくすりと微笑んで、アルフレードの頭を撫でてくれた。
『いつも頑張っている殿下へのご褒美です』と言って。
目の前のカリンはジルベルタではないとわかっているのに、頭を撫でてくれないのがなぜか残念でならない。
アルフレードは気持ちを切り替えようと、話題を変えることにした。
「ナナミネ嬢が確認に向かわれたが、貴女はそれでよいのでしょうか? 貴女のほうが祖母君の持ち物には詳しいのでは?」
『わたくしよりもアイリのほうが祖母に可愛がられていたので問題ありません。アイリのおばあ様と祖母は友人で子供の頃から交流があったのです』
「そうなのですか」
『ええ、祖母は母の婚姻をよく思っていなかったらしく、離縁して出戻った母との仲はよくありませんでした。それで、わたくしもあまり祖母との交流はなかったので』
「そ、それは大変でしたね」
アルフレードはマズい話題を振ってしまったと焦って後悔した。
「そのう、ミツフジ嬢はナナミネ殿の許嫁と伺いました。祖母君がご友人の縁でしょうか?」
『いいえ、二年ほど前にわたくしが婚約解消されてからのご縁です。故国をでて冒険者になるしかなかったわたくしをトーヤが助けてくれたのです』
「え、あ、それは、申し訳ない。無神経なことを言って・・・」
『お気になさらずに。婚約者と信頼関係を築けなかった未熟なわたくしがいけなかったのです。
トーヤとアイリはわたくしの命の恩人なのです。大怪我を負ったわたくしを助けてくれて親身に世話を焼いてくれました』
「そ、そうだったのですか」
アルフレードは心中でダラダラと嫌な冷や汗をかいた。またもや地雷を踏んでしまったと大焦りだ。何か他に明るい話をと思ったが、狼狽えたせいか余計なことを口走ってしまう。
「・・・もしや、貴女は恩を感じてナナミネ殿と婚約関係を結んだのでは・・・」
『確かに恩を感じてはいますが、それとは別です。わたくしはトーヤをお慕いしていますから、彼に申し込まれてとても嬉しかったのです』
カリンが頬を赤く染めて俯き、アルフレードは衝撃を受けた。
十二家同士の縁組だ。てっきり、政略結婚の間柄だと思っていたのに。
アルフレードは無意味に口を開け閉めしたが、言葉は何もでてこなかった。とりあえず、落ちつかねばとお茶を口にすると、カリンが次のメモを見せてきた。
『殿下のご婚約もそろそろ決まると伺っております。王太子になられるのと同時だそうですね。おめでとうございます』
「・・・ああ、そうだが・・・」
アルフレードは気まずそうに言葉を濁した。
ジルベルタそっくりのカリンから祝いの言葉とか、喜ぶべきか悲しむべきか、なかなか複雑な心境だ。
国王の申し出は非公式なものとルフィーノが言っていたから、婚約者候補の申し込みをカリンは知らないのだろう。トーヤがわざわざ教えるとは思えないし、知らないのだから仕方ないのだが。
カリンははっとしたように慌ただしくペンをとった。
『差し出口をいたしました、申し訳ありません。ただ、殿下の幸せをお祈りしたかったのです』
「いや、言祝ぎがイヤだったのではなくて、そのう」
アルフレードも大慌てで手を振った。カリンが怒らせてしまったと恐縮しているのを感じたのだ。
「貴女はジルにそっくりだから、彼女に言われたような気がして。・・・私が幸せになるのをジルも望んでいるのだろうかと不安になったのだ」
アルフレードはぽつりと力なく呟いた。
ジルベルタが彼を庇って亡くなったことは公にはされていない。アルフレードが罪悪感を抱いていると知る者はその事情を知っている人間だけだ。
これまで、フランカにしか打ち明けていなかった思いが溢れるように湧きでて、アルフレードはどうしても言葉にせずにはいられなかった。
「私はずっと後悔していた。私の差配がマズかったせいでジルは亡くなったのだ。もっと他にやりようがあったはずなのに・・・。
こんな未熟な己が不甲斐ないだけなのに、貴女の言葉がジルに言われたような気がして落ち込んでしまった。
すまない、貴女には非がないのだ。ただ、私が女々しい情けない男だというだけさ」
アルフレードが自嘲気味に薄く笑うと、カリンがふるふると首を横に振った。急いで走り書きした内容を見せてくる。
『後からならば、いくらでも最善策が思いつきます。所詮は結果論に過ぎません。
殿下たちは準備万端で最も効力の高い策を講じて挑んだ討伐と伺っております。恥じることは何もありません。
誰もが覚悟なさっていたのでしょう? 殿下の後悔はそれを否定することになりませんか?』
「そうかもしれないが、ジルは私のせいで・・・」
『それとも、ジルベルタ様は殿下の幸せを願えないような方だったのですか?』
「そんなわけない! ジルはいつだって私のそばにいてくれて、一番の味方だった!」
ごほんと大きな咳払いがして、アルフレードは我に返った。ドアの外側に立つ護衛のダリオだ。彼からの警告と気づいて、一気に冷静さが甦ってくる。
つい大声をあげてしまったが、感情的になって声を荒げるとは紳士らしくない。第一王子として相応しくない振る舞いだった。
アルフレードは深呼吸してカリンに頭を下げた。
「も、申し訳ない。怒鳴ったりして。その・・・」
『わたくしも言葉が過ぎました。申し訳ありません。
ただ、これだけは知っておいて欲しかったのです。
殿下の幸せを王国の誰もが望んでいます。きっと、ジルベルタ様もです。だから、彼女のためにもぜひお幸せになってくださいませ』
「・・・ジルも?」
迷いながら問いかけるアルフレードにカリンがにこりと微笑む。今でも心の奥底にしまわれているジルベルタそっくりの微笑みだ。
アルフレードはなんだか笑いたいような、それでいて泣きたいような気持ちにもなった。感情の整理がうまくできない。
ただ、幼な子のように、うんと頷くだけで精一杯だった。




