11話 諍い
クラーラは目覚めてすぐに喉の痛みを感じた。続いて鈍痛が頭に響いて、マズいと直感する。
予想通りに声は掠れていて、風邪をひいてしまったと青ざめた。神楽後にドレス姿のままで寒風の中にいたのがまずかったのだろう。奉納祭のために新調したドレスだから見せびらかせたくてショールさえ羽織らなかったのが悔やまれる。
慌てて侍女をサクラのもとへ使いにだした。
今日の朝食は地方都市の領主宅に招待されていて、体調を崩したと欠席するわけにはいかない。朝食で他の同伴者と顔を合わせる前に不調を治す必要があった。
すぐにサクラがやってきて、呆れた顔をされてしまった。
「え〜、何やってるのよお。喉を痛めるって、歌えないでしょ?」
「だ、がら、あなだ、呼んだ。早ぐ、治じで!」
サクラは掠れて聞き取りづらい声に渋い顔になった。
光魔法を使い過ぎると段々効き目が悪くなるのだ。薬で治せるくらいならば、普通は光魔法で治癒したりしない。
クラーラの容体は熱はないのだから薬で改善するものだが、鎮魂祭は正午からだ。午前中にリハーサルもやると聞いている。早く治ってもらわないと、ものすっごく面倒なことになるだろう。
サクラは渋々とクラーラを治療した。クラーラはすぐに発声練習をしてみて、満足げに頷いた。
「もう今日は光魔法をかけられないからね。うっかり転んだりしないでよ?」
サクラは釘刺しして部屋を出ていく。下船準備で慌ただしい中、いきなり呼ばれたのだ。機嫌がいいわけない。巫女姫お付きの侍女も付き従っていて、いい顔をしていなかった。
クラーラは彼女らの姿が見えなくなってから、ふんと鼻を鳴らした。
「たかが元庶民のくせに、偉そうに。思いあがるのも今のうちだわ」
「そうです。お嬢様が王妃になられた暁には目にモノを見せてやればよろしいですわ」
侍女がご機嫌とりで追従してきた。
孤児院出身のくせに侯爵家に雇われているから、自分も偉くなったものと勘違いしている娘だった。闇魔法の使い手だから連れてきたが、用が済めば専属から外すつもりだ。王妃になるからには、もっと身元が確かで高位の侍女をつけねば相応しくない。
侯爵家には持参金を稼ぐために勤めている伯爵家次女や三女の侍女だっているのだ。
口止め料込みの報酬に色をつけてやれば文句などないだろう、たかが元孤児が侯爵令嬢付きになれただけでもこの上ない誉れなのだから。
クラーラはあれこれ世話を焼く侍女をすでに見放していた。
御座船に乗っていたのは、演奏者と討伐メンバーにルフィーノとお連れたちだ。全員、領主の屋敷で朝食に招かれていたが、女性陣は身支度の時間をもらっていた。それぞれ客室に案内されてお世話役の侍女をつけてくれるほどの好待遇だ。
クラーラが身支度を終えて部屋からでると、お世話役が食堂まで案内してくれる。クラーラは食堂の手前の角でばったりと演奏メンバーと鉢合わせした。フルート奏者のロレッタ・バルディだ。
ロレッタはふっと口角をあげて皮肉な笑みを浮かべる。
「あら、ドナート様は体調を崩されたのではなかったの? 朝食のお招きには参加なさるのかしら」
「まあ、おかしなことを仰るのね。誰が体調を崩したというの?」
「下船間際に巫女姫様をわざわざお部屋に呼びつけていたではありませんか。体調不良でもないのに、そうなさったの?」
「サクラ様とはお友達ですもの。少しお話がしたかっただけですわ。サクラ様が馴染めるようにね」
サクラが貴族のお招きなどにまだ不慣れなのは皆承知している。それを匂わせたのに、ロレッタは冷ややかに目を眇めた。
「まあ、そうでしたの。『もう今日は光魔法をかけられない』と巫女姫様が仰っていましたけれど?」
クラーラはぐっと言葉に詰まった。サクラの去り際の言葉を聞かれていたなんて思いもしなかった。
ロレッタはわざとらしく深いため息をつく。
「はあああ、演奏のアレンジなんて無粋な口出しをする前に体調管理をしっかりとすべきですわよ。今日は王弟殿下以外にも海の王国の来賓がおられるのに、体調不良で不出来な演奏を晒すおつもりなのかしら。
ドナート様は少々責任感がないのではなくて?
わたくしたち、奏者は式典の主役ではありません。飽くまで添え物ですわ。追悼のお気持ちもなく、鎮魂歌を奏でるなんて、失礼ではありませんか。そんなこともお分かりにならないのかしら。
・・・ああ、ジルベルタ様ならば・・・」
最後の苦々しい呟きは小声だったが、しっかりとクラーラの耳には届いた。
ロレッタたちは数年間はジルベルタと組んで演奏していた。
クラーラは比べられたことに、かっとなった。
「貴女ねえ! わたくしを侮辱するのもいい加減になさい。たかが伯爵令嬢ごときが物申すなんて、生意気なのよ‼︎」
「奏者として経験も場数もわたくしのほうが上です。演奏に身分は関係ありませんわ。不慣れな新参者ならば、今日のような大舞台では先達を敬うものではないのかしら」
ロレッタの冷ややかさは詰め寄られても変わらない。むしろ、悪化したくらいだ。
クラーラが思わず手を振りあげたら、複数の足音が響いた。
「何をなさっていますの?」
「ロレッタ、どうしたの?」
ドロテーアともう一人のメンバー、カメーリア・マルテーゼだ。
彼女たちの乱入でクラーラは悔しそうに手をおろした。引いてやろうとしたのに、小憎らしくもロレッタは太々しく茶色の巻毛を背に払った。
「ドナート様の体調管理の杜撰さを指摘したら、打たれそうになったのよ。演奏前にフルート奏者の顔を腫らそうなんて何を考えていることやら」
「まあ、そんな」
「え、まさか」
信じられないという顔を向けられて、クラーラの収めた怒りが再燃した。罵ってやろうとしたら、ピィーと澄んだ音が廊下中に響いた。
ローブのフードを目深に被った女性だ。英雄メンバーのカリンといったか。
長い黒髪がフードから溢れて胸元に垂れていた。彼女はマフラーを外して素朴な木笛を吹いている。何かの合図のように音をだしていて、高く澄んだ音色には心洗われるようだ。
ドロテーアたちは第三者の出現に、はっと我に返った。客人の立場で揉め事を起こすのはよくない。
だが、彼女たちと違ってクラーラはますます激昂した。
「貧乏くさい笛なんて、やめなさい!」
クラーラはカリンに近づくと、バシッと木笛を払いのけた。フードが外れて黒髪が顕になり、カリンの身体が大きく傾いだ。がらんと転がる木笛をクラーラが素早くヒールで踏んづけた。
「どういうつもりよ! こんな粗末な音色を聞かせて! 耳がおかしくなるわ」
「ドナート様! なんてことを・・・」
「まあ、大変だわ。誰か!」
ドロテーアたちが悲鳴をあげて、お世話役の侍女がオロオロとしている。クラーラが煩わしげに足をのけると、木笛を拾ったカリンが非難の眼差しで見あげてきた。
「何よ、もんく・・・、え?」
「ま、まさか」
「もしや、・・・おねえ様?」
クラーラがぎょっとして後退り、ドロテーアたちは驚愕で立ち尽くす。そこへ、バタンと勢いよく食堂の扉が開いた。
「花鈴!」
ナナミネ姉弟が真っ先に駆け寄った相手は黒髪に紫紺の瞳の女性だ。頬に一筋血の跡がついている。
遅れて続いた男性陣の中でアルフレードが鋭く息をのんだ。
「ジル? ジルなのか?」
カリンはジルベルタと同じ色の髪と瞳だけでなく、顔立ちも似ていた。いや、ただ似ているのではなく、瓜二つといってよいくらいそっくりだ。
アイリがハンカチで彼女の頬を押さえると、トーヤが慎重に手を貸して立たせていた。
「頬は何かで引っ掻かれたのか・・・。他に怪我はないか?」
カリンがこくりと頷き、アイリがすっと目を細めてクラーラを指さした。
「あの指輪で傷ついたのではない? ずいぶんと大きな石だもの。手を振り翳されたら当たるわ」
クラーラの指には大きなサファイアの指輪が嵌っていた。彼女は朝から着るにしては派手なドレスでネックレスにイヤリングと装飾品も大粒の宝石で飾り立てている。
ジェレミアがこっそりとイレネオに囁いていた。
「なあ、朝っぱらからあんなケバいのがご令嬢の正装なのか?」
「・・・いや、普通はあそこまで派手にしない」
イレネオもこそこそと答えて、他の令嬢に視線をやる。彼の指摘通り、ドロテーアらはシンプルな装飾品で品のよいデイドレス姿だ。
クラーラは周囲の視線の集中砲火を浴びて、指輪を隠すように手で包みこんだ。
「な、何よ。たまたま当たってしまっただけ」
「申し訳ありません! わたくしとドナート様の諍いに巻き込んでしまって」
クラーラの言い訳に被せるようにロレッタが叫んだ。カリンの前に懺悔するかのごとく、両手を組んで跪く。
「お顔に傷がつくなんて・・・。なんとお詫びすればいいのか、罰はいかようにもお受けします」
カリンが驚いて後退り、トーヤが彼女を背に庇った。
「いや、貴女が傷つけたのではないだろう」
「でも、ジルベルタ様によく似たお顔を傷つけるなんて!」
ロレッタは涙目で悲痛な声をあげた。
彼女はジルベルタの歌の大ファンで伴奏できた時には昇天しかけたほどガチ勢だ。ドロテーアが慌てて止めに入った。
「ロレッタ、落ちついて。お詫びするにしても、もう少し穏便になさい。ミツフジ様が驚かれているわ。
申し訳ありません。その、ミツフジ様はおね、いえ、ジルベルタ様にとても似ておられるので、わたくしどもも動揺してしまいまして」
「ああ、カリンはフェデーレ嬢とは再従姉妹だから、似てるのは当然だよね」
「えええー!」
「再従姉妹?」
のほほんと情報という名の爆弾投下したのはルフィーノだ。皆が注目すると、こくこくと頷いてみせた。
「フェデーレ嬢は祖母君とそっくりでしょう。
祖母君はカンナギ国の王族だった方で、双子の姉が三ツ藤家に嫁いでいる。カリンも祖母似だから、二人が瓜二つなのは当然でね。
今回、青い火の鳥が鎮魂祭に参加するのはカリンが血縁者だからという理由もある」
「へえ、そうだったんですかあ」
山の王国の誰もが驚きで固まる中、呑気に答えたのはサクラだ。彼女は空気を読まずにカリンたちへ近づいた。
「よかったら、治しますよ。かすり傷でもお顔ですからね、痕が残ったら大変です」
「いや、遠慮すぐふぉ」
トーヤが警戒心たっぷりで応じたら、姉から肘打ちを食らった。アイリはにこにこと朗らかな笑顔で口を開く。
「まあ、ありがとうございます。でも、花鈴は以前大怪我の治療で光魔法を使いすぎてて、効き目が悪いのです。塗り薬で治したほうがいいのですわ」
「あ、そうだったんですか」
「ええ、お気持ちだけいただいておきますわ」
「・・・光魔法は私たちでも使えるだろ」
トーヤが鳩尾を押さえてぼそっと溢した。カリンがつんつんと服をひっぱって注意をひく。しぃっと人差し指を唇に当てた。ここはアイリに任せたほうがよいと訴えている。
「あのう、それでは英雄様方はお部屋で治療の用意をいたしますので。お食事も運ばせたほうがよろしいでしょうか?」
少々、小太りな中年男性が恐る恐る申し出てきた。屋敷の主である領主だ。
領主は微妙な雰囲気から英雄と山の王国関係者は引き離したほうがよいと察した。侍女に指図しようとしたら、クラーラが口を挟んだ。
「それなら、わたくしも部屋に運んでちょうだい。耳障りな笛の音を聞かされて気分が悪いのよ」
「ドナート様!」
「なんて失礼なことを・・・。あんまりですわ」
ドロテーアとカメーリアが非難の声をあげた。クラーラの振る舞いを目にした彼女たちが先ほどの光景を暴露して周囲の気温は下がっていく。
冷ややかどころではなく、絶対零度をまとったトーヤがクラーラを殺人光線で射抜く。
「貴様、花鈴を殴ったのか」
「な、殴ってなんかいないわよ! 貧乏くさい笛を振り払っただけなんだから。不快な音を響かせたその女が悪いんじゃない!」
「ドナート嬢、無礼もいい加減にしろっ!」
厳しく叱責したのはアルフレードだ。クラーラは驚いて後退った。
「え、アルフレード様。どうして?」
「彼女はルフィーノ様のお連れで国賓だぞ。その相手になんてことをしてくれたのだ」
クラーラは憤るアルフレードが理解できなかった。
相手はたかが冒険者風情だ。祖母が元王族だったからなんだと言うのだ。
クラーラは奉納祭で神楽を大成功させた功労者だ。鎮魂祭でも成功は保証されたようなもの。すでに父が王家に婚約者候補としてかけ合っているはずだ。
アルフレードの婚約者に内定していると思い込んでいるクラーラは叱責されて大いに不満だった。
クラーラの表情から反省や後悔の色は皆無と見てとったルフィーノがふっと皮肉な笑みを浮かべた。
「我が国救世主の青い火の鳥メンバーで、王弟である私の連れ相手にずいぶんと強気な態度だな。そうか、山のお国は我が国とコトを構えるおつもりか?」
「とんでもありません! 海の王国とは今までもこれからも変わらず誼を結んでいきます。大事な同盟国です。
ドナート嬢の無礼は誠に申し訳なく、この通り謝罪いたします」
「わたくしからも深くお詫び申しあげます。諍いに巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」
「わたくしもお止めできずに、お詫びのしようもございません」
アルフレードが慌てて謝罪すると、ロレッタとドロテーアまでも深く頭を下げた。
演奏者仲間だけでなく、自国の王族にまで謝罪させて平然としているクラーラに向けられる視線は厳しかった。クラーラは内心では狼狽えたものの、表面上はツンと顎をあげて高慢な態度だ。
そんなクラーラにアイリが目だけは無で、うふふっと微笑んだ。
「花鈴の笛は我が国の御神木、不死鳥の止まり木から作られたものよ。その名の如く、不死鳥の性質である浄化作用があるの。
花鈴は争いを鎮めようと笛を吹いたのに、耳障りだなんて。まるで、魔性に魅入られたかのお言葉ねえ?」
「なあんですってえ! たかが冒険者ごとき荒くれ者のくせに、わたくしを魔性の者だとでも侮辱するつもり?」
「侮辱しているのは貴様だ。花鈴の笛は声をだせない彼女の声代わりだ。先ほどの吹き方は助けを呼ぶものだったぞ。
貴様の荒ぶりに危機感を覚えたのだろう。その通り、貴様は花鈴を傷つけた。
それを謝罪もせずに罵るとは、どういうつもりだ」
「わたく「ダリオ! ドナート嬢を部屋に連れて行け!」
アルフレードは忌々しげに護衛騎士に命じた。
「ドナート嬢、鎮魂祭終了まで部屋で謹慎を命じる。王都に帰還次第、この無礼に対する沙汰を申しつける。覚悟しておけ」
「なっ、アルフレード様! わたくしなしでは鎮魂祭を行えませんわっ」
「問題ない。昨年も歌はなしだったのだ。君がいなくても追悼の意は表せる。いや、独唱を己が晴れ舞台と勘違いしている道化者がいないほうがいいだろう。連れて行け」
「そんな、アルフレードさまあああ」
クラーラは泣き喚いて抵抗したが、ダリオに領主の護衛も手を貸して荷物のように抱えられて連れて行かれた。令嬢扱いしてもらえなかったが、自業自得だろう。
騒ぎの元凶が退場すると、ルフィーノがぱんぱんと手を叩いて場を仕切った。
「さあ、カリンは傷の手当てをしなくては。我々も朝食をいただいて、鎮魂祭の打ち合わせだ。
予定外の騒動で時間を取られてしまった。キビキビ動かないと予定がずれていってしまう。領主殿、采配をお頼み申す」
「は、はい。お客人をお待たせしてしまって申し訳ありません。
直ちに朝食の用意は整いますので、英雄様方はお部屋にご案内いたします」
領主がはっと我に返って、侍女に指図した。
ルフィーノは予定通りに食堂へ向かうが、ナナミネ姉弟はカリンに付き添う。彼らの後ろ姿を見送って、ジェレミアが目を覚ますように頭を振った。
「よく似てたなあ。フェデーレ様かと思ったよ」
「・・・うん、僕もそう思った」
イレネオは心配そうにアルフレードへ目をやった。きっと、アルフレードもジルベルタの面影を彼女に見出したことだろう。
ルフィーノの後に続いたアルフレードはカリンの後ろ姿へ一瞬だけ名残惜しそうな視線を投げかけていた。
 




