第1話;黎明 (Blooming) -①
アクセス頂きありがとうございます。
拙い文章です、ご容赦ください。
とあるショッピングモ─ルの1階イベントエリア。
そこは演奏会やガラポン抽選会といったイベントが催されるやや広い空間であり、スペースに相応なステ─ジと、ステージ背景を担う高さ三メートル程のバックモニターが設備されている。
円柱型に吹き抜けた構造は、イベントのポップな音楽や景気よいハンドベルの音を買い物客に伝え惹きつけるのに効果的だった。
ただその日は。その開放的な空間に、無数の悲鳴が醜く苦しく響いていた。
「きゃあぁぁぁあ!!!」「どいて!!どいてってば!!!」「おかーさん!!!うわぁぁあぁあ!!!」
煌々と照明に照らされた吹き抜けの床には光を反射しない漆黒の水溜りができており、吹き抜けの底面全域に広がるその円状領域の中心で、一体の怪物が上半身を覗かせていた。
領域と同じ漆黒色の怪物は、隠れている下半身を除いても頭頂が三階に至るほど巨大で、体内にドス赤く血流のような何かを循環させているのが透けて確認できる。
ウ─パ─ル─パ─の如くのっぺりとした顔と瞳で餌を見据えては、また一人、また一人と逃げ去ろうとする人間の全身を鷲掴み、腹部の大口へ運び続けた。その領域が、怪物の手が直接届く範囲ということだろう。
さらに、食事を援助する子分としてクリオネに似た数十体の小型個体を領域から生産し、領域外の獲物をホバリングして追いかけまわしては嚙みつく。捕らえた餌は領域内へ運びこまれ、親分へ献上されるようだ。
パニックを起こした人々は一心不乱に逃げ惑い、肉壁に押し倒され骨折している人、小型個体によってふくらはぎや前腕等の体の一部を齧り取られた人が何人も逃げられず必死に体を引きずっている。
果敢に怪物へ攻撃を試行する人々はいたが、彼女らの攻撃は傷を生むことなくゼリーのような漆黒の体に吸収され、止むを得ず退散する姿がちらほら見受けられた。中には攻撃中に襲われて格好の餌食にされている者も。
幾度となくブツリと回線が途切れる悲鳴に、獲物は伝播する恐怖と絶望に蝕まれていた。
そんな最中。
「やっぱりショッピングしに来たわけじゃなさそ」
生きるため逃奔する人の波に逆らうように、トコトコ歩む金髪の少女が一人。
太いストローで甘味を味わいながら闊歩する少女は、領域に鎮座する怪物の全貌が見える位置、かつ自身の作用距離に到着すると歩みを止めた。
スカ─トからアウトしたワイシャツと手首に制服のリボン、幾何学的模様の入った黒タイツと簪で着飾った彼女。童顔や低い身長は年相応であるが、容姿の端麗さと水際立つ佇まいは女性でさえ目を奪われてしまう。
現場に到着した彼女の視界に、未だ小型個体が獲物を追い続け襲っている残忍な惨状が飛び込む。
自身に全く目もくれず、本能のままに貪る奴らを少女は軽く静観し、一つ溜息をついた。
近くにいた男性の店員に、容姿と一致する声で「持ってて」と有無を言わさずカップを手渡すと。
右手の親指と人差し指中指、同じく左手の親指と人差し指中指で斜めに四角形を形作った。
肘の角度を調整して被写体が指の枠内に入るよう適切な画角を決め打ち、両の瞳をやおらに閉じる。
数秒間使って呼吸と心拍を整え。
パクパクと無声で口を小さく開閉すると。
無数の鋭角を含む幾何学模様を宿した右目のみ開けて、儚げに告げた───。
「『詞碑』」
…………残りの左目を開けた彼女は「え、映えなすぎ」とボヤきながら指の手印を解した。
依然、怪物たちは食欲の従うまま逃げ惑う餌に変わらず手を伸ばし口を開け続けている。
義務感で逃げずに店に留まった店員や必死に人気になるネタを欲す人々は、彼女が怪物に対して『攻撃した』のだと即座に理解した。
彼らの視線に含まれている淡い期待。少女は身の毛のよだつ不快さを感じつつ、カバンから取り出した携帯の認証を解除した。大人のくせに勝手に縋るなと心で吐き捨て。
着信履歴の一つをタップ、コ─ル音を耳に当てて応答を待つ間、礼も言わず男性店員の手からカップ飲料を拾った。
────刹那、巨大な怪物が活発だった動きを急停止させた。
クリオネのような小型個体も例外ではなく、人間を襲っていた漆黒色の全勢力が惨殺を止め、一時の静寂が包む。
まるで錘によって全身の質量が激増させられたように微動だにできない様子だ。
そして、ざくりざくりと徐々に徐々に。
その身体が不可視の何かに端から一定間隔で切り落とされていった。まるでカステラを切り分けていくように。
もう一方の端まで切り終えると、一部の身がドミノ倒しにずれ崩れ、形状を保てなくなった怪物らはその全てを黒い靄となり霧散した。
電話が繋がる。
「もしも~し。こちらキイノ、こっちも処理完了しました~」
吹き抜けの空間に発生した黒いオ─ロラは、非常に幻想的でなぜか悲愴的で言葉が出ない。
黒いオ─ロラが薄れていく様を見る彼女の冷酷な目に、世界の条理が垣間見えた気がした。
◆◆◆
150年前。
世界に大きな変化がもたらされた。
通称『リヴ』と呼ばれる、常識の範疇を超えた異能力の発現である。
アニメ・漫画・小説によく見受けられる架空の力は、一世紀半前のその日から具現化し生物の身体に宿った。
自らを遠く離れた場所に転移できるリヴ、ハサミを生成するリヴ、賞味期限が触っただけで分かるリヴなどなど。確認されているだけで数百万種はあるらしい。
ただ、神様からの贈り物は対象を選んだ。
リヴが発現して間もなく、国の調査機関によりリヴが宿る対象は『女性』であるということが判明した。
加えて、外見は変わらず、筋肉という概念を逸した膂力や強靭性が女性に付与された。それは男性が酷く劣るほどの強化であり、リヴに見合った器が必要だったのだろうと謂われている。
リヴの発現は、まさに『女性』という生物の大幅な上方修正、定義には反するがまさしく進化だった。
一方の男性は────いつまでも変われずにいる彼らは。
リヴを会得することはまずなく、知識も筋力も魅力でさえも、何一つ変わることはなかった。
つまり、人類は無慈悲にも。
リヴを司る者達『リヴァ』と、リヴを持たない者達『リヴレス』に区別されたのだった。
これにより世界の条理も大きく揺らぐ。
150年間のうちに未知であったリヴに対して影響・抑制・調査・対処そして応用段階に達した人類。
サ─ビスのリヴ化と同時進行で進められた職務のリヴ化により女性の社会的価値が格段に向上し、筋力並びに社会的地位でさえ女性は男性を上回った。
職を失う男は数知れず、無職そして専業主夫が増加したのは言うまでもない。
女に生まれるは吉、男に生まれるは凶。そう言われるほどに、男女平等なんて言葉が埋没するほどに、男女の差は両極端となってしまった。
リヴを持つ女性が空を悠々と飛び回り、リヴを持たない男性がひっそりと海中を泳ぐ。
そんな世界を見て育つ子どもは、その世界観を「正しい」と認識し、次世代から次世代へと正当化していく悪循環の末、現代の女男で上下関係のはっきりした社会と成った。
女男共にそんな世界を受け入れ、今日も平和に過ごしていた。
◆◆◆
四月下旬、放課後。もうすぐゴ─ルデンウイ─クに差し掛かる時季となり、梅雨前の涼しい風と空色に澄んだ天井が春を感じさせる。
閉め損ねたベランダへの引き戸。その隙間から入り込む春風がカーテンを揺らす。
正しく整列した机やチョ─クの轍がない黒板、明日への準備が終わった掃除後の教室を背に。
自然光と春の匂いに無意識に誘われた三人の青年は、木陰がさわさわと揺れる窓の外、犬走りの地べたに座って歓談していた。
話題は校内に侵入してきた可愛いらしい動物について。
「…………何この鹿角生えた猫。どっから拾ってきたんだよ。RPG序盤で食材ドロップしそうなナリしてんなコイツ」
青縁メガネにさらっと綺麗な短いストレ─トヘア、鯖読んで160の低身長かつモヤシのようにひょろっとしている青年ヨイチは。
座ったビスクドールのように足をぴんと延ばし、鹿猫の脇を持ち上げ観察しては何度も訝しんだ。
「そんな食い入るように見ちゃって……食べちゃダメだよ?」「食うわけねーだろ。お前を食ってやろうか」
後頭部で三センチ結んだ長髪はふんわりオ─ルバック、左手にのみ黒手袋を着用した青年アサヤは。
胡坐に肘をついて電子版週刊ジャ○プを読みながらそう指摘した。因みに読むのは二周目だ。
「オレ飼うんだから食べないでぇ。名前も付けたんだよぉ?ゴボウってぇ」「アレ生えてるのはゴボウじゃないからな?」
黄色マンバンヘアの190センチ、ワイシャツに余白を与えない程マッチョマッチョした身体つきの青年マヒルは。
その生物に対して害は無いことを伝えようと誠意の正座をして、優しく手のひらを差し出す。
「あのなバカマッチョメン。実在しない生物だぞ、リヴに決まってんだろ飼おうとすんな。な、ゴボウ?」
マヒルが撫でようとしていたことに気付かず、ヨイチはゴボウを膝上に置いて頬を揉んであげる。
撫でられなかったことと飼えない事実を知ったこと、二重の悲しさがやるせない手と共に宙に残る。眉はハの字、顎には皺を浮かび上がらせたマヒルはやるせない手をポトッと地面に落とし、天を仰ぐだけ仰いだ。
「お前飼い主いたのかよぉぉ……てかぁ実在しない生物も生み出しちゃうとかマジぃぃ?リヴ何でもアリすぎなぁいぃ……?」
「何を今さら平仮名。『リヴの可能性は無窮で繁雑、この分野において人工知能はただの掃除係だ!』ってネットのおもちゃになってる大学教授も言ってるじゃん」
「僕ら男共は掃除の役すら奪われる、という皮肉も込みで最高だぜ。つかアサヤ、女教授のマネ、特徴捉えててうまいな」
「オレも筋肉のリヴとか欲しかったなぁ。こことか物足りなくないぃ?」
「お前二リットルペットボトルにでもなろうとしてんの?」
「うまいねヨイチぃ」「何が」
「俺もリヴ使ってみたいとは思うけどね。能力の分析とか技の開発とかやってみたい」
「言及はしねーけど、女になりたくなったらちゃんと言えよ?」「アサヤはやりかねないねぇ」
「おい、お前らは俺に何を求めてんだ」
「胸」「愛想ぉ」
「ぶっ飛ばすぞ」
片膝ついてチョップするアサヤに、両手でその手首を掴み応戦するヨイチだったが、筋力の押し合いでガリッガリのヨイチが勝てるわけもなく頭頂部に鈍足のチョップが降り迫る。
ヨイチの膝上にいたゴボウは「何やってんだこいつら」と言いた気にのっそりと抜け出して、今度は「構え」と言いた気にマヒルの脚にすりすりした。
勝負するかぁ?マヒルは大きな図体で静かに立ち上がると犬走りギリギリへ移動してしゃがみ、何かへ手を伸ばした。追ったゴボウは彼の足の隙間で覗き見る。
手に持った三十センチ程の木の枝。彼はその先端を地面にくっつける。
するとマヒルの脚に隠れたハンターは頭を低くして尻尾を揺らし、そして素早くじゃらされた枝に飛び掛かった。
動物二匹がじゃれ合う微笑ましい光景に、アサヤは座り直して携帯を取り出した。
「いいねマヒルそのまま。ついでにその子の写真も撮っちゃうわ」
「待て待て僕とのツーショも撮れ。マヒルは要らんどけ」
「どかしてみろぉ!いけゴボウぅ一億万ボルトだぁぁ!!」
「や、やめ、やめろっ。僕は枝じゃねーぞ!!」
彼らはここ葉柄高校に入学したばかりの高校一年生、顔つきや雰囲気は未だ中学生感が抜け切っていなかった。
高校に入学して、新たな人間関係が形成されても中学より高いレベルの知識を学んでも、三人の毎日は何ら変わらない、ただ中学時代の延長線上にあった。
放課後はこうして幼馴染三人で集まりダラダラと本日の閉会式を執り行っている。
ポージングでキャットタワーになったマヒル、彼の顔面付近でじゃらすヨイチ、興奮気味によじ登るゴボウ。ついには撮影会を忘れて遊び始める三匹。
そんな変わらない日常に少し安心している自分たちがいることも彼らは知っていた。
そうしてアサヤがアルバム三ページ分くらい撮ったところで、息を切らしたヨイチはどっこらしょと元の場所に座り言う。
「なーそろそろ諦めたんじゃねアイツら。もうココにいるのも飽きたわ、帰ろうぜ。もう二十分くらい経ったろ」
「まーだ八分。それにさ、帰ろうにも待ち伏せされてると思うんだよ。教室にバッグ置いてきちゃったし」「え、いと小賢し」
「ねぇねぇ、そういえばなんでオレらこんな予備教室のベランダに隠れてるんだっけぇ?追いかけられてるのは知ってるけどぉ」
「そーじゃん、マヒルに説明してなかった。途中合流だったもんな。なんか、チクられたせいで先生に怒られたって騒いでる女性の先輩がいてね、チクったのが俺らだと思ってるんだってさ」
「そんで仲間三人引き連れて仇討ちしようとしてるってわけ。つかなんで下等生物相手に数的有利とる必要あるんだよ過剰だろ」
「ヨイチは何をチクったのぉ?」「バカ、僕じゃねーよ」
「たばこ、吸ってたんだと」
「吸わない方がカッコイイのにぃ。実際チクってないんでしょぉ?」
「うん。濡れ衣だって伝えたんだけどねー、聞く耳持たずって感じ」
「暴力沙汰に発展しそうになったから逃げる選択しかなかった、で今」「ふぅん」
今の時代、男性の発言権はとても乏しい。仮に反抗したところで力で捻じ伏せられるがオチ。
高校ではパンを買いに購買に並ぶことすら目を付けられる要因となり得るし、実際マヒルとヨイチが四月中旬に騒動を起こしかけたことがあり、今回のチクった云々もその件が疑惑を払拭できない一端になっている可能性は大いにある。
缶蹴りの鬼は三人を血眼になって索敵し続けているだろう。今になっては逃げたの普通に愚策じゃねとも思うが、故に否応にも、穏便に事を済ます方法を考えなければいけない。
校庭の方角からピピーと集合を知らせる合図が微かに鳴り、ゴボウとマヒルが音に反応して顔を向ける。
「リーダー格の女子生徒……名前知らないからミシェルでいいか。ミシェルのリヴ知ってる?」
「なんで外国人にしたんだよ、いいけどさ。ミシェルのリヴは『念力』、遠隔でこう思い通りに物体を動かせる能力だ。リヴァの素質次第だが相手の武器を奪ったり攻撃を曲げたりしてくる、まー戦術の幅が広くて純粋に強いリヴだわな」
「オレはアサヤに昼飯ベットぉ」
「やめろ戦わせようとすんな。ワンチャン逃げ切って自然消滅エンドはないかなって思っただけ。普通に無理だった」
「わりーが僕はミシェルに昼飯ベットだ。アサヤの強さ関係なく、リヴァ対リヴレスの時点で負けイベだろ」
「ヨイチはおやつにしてよぉ。昼飯はオレが賭けてるんだからぁ」
「お前がベットしてたの僕の昼飯かよ。ざけんな」「オレの賭けるわけないじゃぁん」
「マヒルはどうよ、勝てそう?念力」
「遠隔で操作されるのさすがに無敵すぎないぃ?勝てるイメージないなぁ。弱点とかあればまだ可能性あるかもだけどぉ」
背中で息をしているゴボウがヨイチの腰の横、ひんやりした床で数回くるくる回って落ち着く。
マヒルもその様子を見て、木の枝を元あった辺りにぽいっと放棄した。
リヴの存在が明らかになって一世紀半が経ち、リヴを分類することはできるようになったが、性質や能力範囲は依然未知であり現在進行形で研究が進められている。
今まで不可能と信じられていたことが可能だったと判明することは珍しくない。炎を生み出す能力と思われていたリヴが水を生み出す可能性だってあるということだ。
その全容は神のみぞ知るデータであり、こうしている今も多くの研究機関によりそれらの極一部が解明され続けている。
ヨイチはきょとんとした顔でマヒルを見やる。
「あるぞ?弱点なら」
さらっとそう言ってヨイチは携帯を取り出した。その辺の電気屋で買ったような黒いカバーをつけたシンプルな携帯。
バイブで知らされたのは知り合いからの何気ないチャットだった。返信は後でいいや。
いまや小学生ですら所持している珍しくも何ともないそれに。
唯一、興味を示した獣がいた。
「クソの役にも立たねーが、念力はか―――――」
――――――パクっ。
眼前にじゃらされた携帯を、不意に咥えた鹿猫。大した握力で持っていたわけではなかったので携帯はするりと簡単に手から離れた。
机の上のリモコンをひょいひょいっと落とすように小物にじゃれついたのだろう。中身を抜き取られた手をずらすと、ゴボウは勢いよくヨイチにお尻を向けた。
餌や材料を巣に持ち帰る習性か、ててっと駆け出したその子は教室へ入る扉を前足で器用に開ける。
そして、ぷりぷりしたお尻と変則に揺れるご機嫌な対の尻尾を扉の奥へ隠した。
何をするか分からないからこそ、動物の仕草を微笑ましく眺めてしまうのは人間の性。三人は慌てて駆け出した。
カーテンも出入口の閉まった薄暗い教室、揺れるカーテンの隙間から窓ガラスを通して教室の出口へ向かう影が視界に映る。
ヨイチは無論誰よりもあの魅惑のお尻を追うことに必死だ。猫一匹分の隙間に指を入れて教室内への扉をガラッと開けた。
そう、ガラッと。
「え、あ、いた」
同タイミングで開いた教室の後方廊下側の扉。
薄暗い教室に廊下側の自然光が長く差し込み、教室の床には一人の女子生徒と、急ブレーキしたゴボウの影が浮かび上がった。
野良猫の反応速度で姿をくらませた小さな盗人に「お?」と女子生徒は視線を下げた。
マヒルとアサヤが硬直するヨイチの背中から教室の窓際に沿って抜き足で出る。
二人は女子生徒の一挙一動を逃さない瞳をしていて。あれが誰かを説明する必要はなさそう。
そう間違いない、仇討ちミシェルの取り巻きの一人だ。
「僕が蒔いた種だ。お前らは先に行け、コイツは僕が相手する」
「こいつ?」
ヨイチのその言葉に彼らは黒板側へ足早に机と机の間を縫っていく。
女子生徒は追おうとはせず横目で眺めるだけ。
「どのくらい止めれそぉ?」
「三秒」
「わかったぁ。倍は頑張ってくれぇ」
「被乗数が小さいな……」
教室前方の扉から二人の背中を見送ると、残った男は眼前の女子生徒に目を合わせた。
「待てやごらぁぁ!!!!」「やべっ」
彼女の向こう側、恐ろしい女性の怒号がドップラーしながら廊下を右から左へ過ぎ去っていく。もう一人、取り巻きが近くにいたらしい。
その後、バタバタと教室脇の階段を駆け上がる音が数秒流れて、やっと静寂は訪れた。
一対一。
「こいや」
「どりぃゃぁああああ!!」
そう言った女子生徒にヨイチはタックルを決め込む。マヒル相手に磨きあげた自信ありの技だ。
彼女のおへそに右肩がしっかり入った感触。マヒルよりも細くぺらぺら、そのはずなのに彼女の身体は一ミリたりとも動いていなかった。
女子生徒はリヴを使っていない。物理的な力の差、これが純粋な女男の差なのだ。
背中の上から片手でベルトを掴まれ持ち上げられると、ヨイチの両脚は空を掻いた。
床が無くなった焦燥感に抱きついた腕が緩む。ふと開いたベルトを掴む手。
べしゃと濡れた雑巾のように地面に身を投げた彼は身体の前面に痛みを感じ、やや背中を丸めた。
そんな姿を見下ろして、女子生徒は思っていた疑問を吐き捨てた。
「男のくせに、なんで反抗するわけ?」
「――――」
痛みが消えた。嫌いな文言に、沸々と言いたいことが湧き出て痛みを書き消した。
地面に身体を預けたまま、ヨイチは顔を上げた。
「男のくせに、だー?男か女か、お前の中には尺度が二つしかないのか」
「なに?」
「寺本渚。葉柄高校第三学年、十七歳、写真部幽霊部員、身長162、体重52、誕生日五月十一、家族構成は父母兄、趣味はネイルアート、マイブームは食べ歩き、好きな男のタイプは自分のペースを大切にしている人、リヴはダイン25‐20、スリーサーズは……まぁやめとくか」
「はぁ!?キショキショキショキショ!!おいお前―――」
「―――僕は!僕はあんたという個体をそう認識している、無数の尺度を持って物事を判断している!僕だけじゃない、アサヤもマヒルもだ。あんたは僕らより腕力が優っているが、物事を観測する力が僕らに劣ってる。男を下に見れば見るほど、あんたの価値も下がっていく!ざまーねーな!!」
何か糸が切れたように吐露するヨイチは、吐ききって少し冷静になった。
彼女の脛より下しか見えないが、静かな彼女は相当キレているに違いない。
現にこうして、右足が後ろに大きく振りかぶられているではないか。
眼鏡、外す時間くれない?
ドガラガッシャァァン!!!!!!!
轟音は教室を飛び出して一階フロアのガラスを揺らした。
正しく整列した机は見る影もなく。上半身を机に埋めたそれはマネキンのように不動。
どこかに引っかけて数センチ破けたスカートと白くて細い指が、荒れ散った机の隙間から覗かせていた。
お読み頂きありがとうございました。
ご感想・ご指摘お待ちしております。