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ヒス状態

 扉の方へ向かおうと一歩目を踏み出した時だった。

 何者かに手首を掴まれたのだ。


「だ、誰?」


 嫌な予感がし、振り返ることなく何者かに尋ねる。


「普通に僕なんだけど」


 数秒の間を開け、ゆっくり振り返るとカンナが手首を掴んできていた。


「ねぇ、普通に僕悲しいんだけど。え?忘れてた?忘れてたよね?指差し確認までしたのに忘れてたよね?ねぇ、シロコ?僕ら友達だよね?」


 ヒステリックと化してしまったカンナの口が止まらない。


「ごめんって。頭がパンパンすぎたから抜けちゃってたかもしれないわ」

「頭パンパンになってたら、まず先に僕の記憶からなくなっていっちゃうんだ」


 カンナは気分があるラインを超えるとこうなってしまう。

 この言動を見て一瞬にして思い出した。

 カンナに叱ることはしばしばあったのだが、そのうち何度かこういうケースに進展してしまうことがあった。

 その度に叱ることを後悔していたのだが、それ以上にカンナが色々やらかしてくるものだから、できるだけ抑えて叱ることにしていたことをすっかり忘れてしまっていた。

 今回に限って私は叱っていないのだが、カンナは誰からも見られなくなったらこの状態に陥る。

 叱ってこうなった時は「僕なんて……」と言いながら、どこに酸素がそんなに溜まっているんだと言わんばかりに、立て続けに言葉を発していた。

 カンナにはそういう一面がある。


「謝られても僕のこと忘れてた事実は消えないもん」


 こうなってしまったカンナを通常状態に戻すのにとっておきの策がある。

 昔から行なっていたものだが、その時は他の誰の目にも触れられない場所で、二人きりになって行なっていた。

 そう、誰にも見られたくないことで、カンナを落ち着かせていたのだ。

 だから正直、今この場で"それ"を行うことに対して動きあぐねている。


「時間がないぞ」


 私の口が小さく動き、アルタイルからそう伝えられた。

 そうだ、私たちには時間がない。今すぐにでも扉へ向かわないとソウルターミナルへ移送されてしまう。

 ……仕方ない。気持ちを切り替えろ、シロコ……!!!


「あ〜〜、よちよち、ごめんねぇ、カンナちゃん」


 私は最大限の愛をカンナに注ぎ始める。


「お、おっかさん?」


 背後から感じる視線が痛い。

 鋭い矢となって、背中にズカズカと突き刺さってくる。


「忘れてたんじゃなくてぇ、カンナはカンナで偉い子だからぁ、言わなくても伝わってるかなって思っちゃったのぉ」

「ぼ、僕だって言われなきゃわからないことがあるんだぞ」

「そうだよね、そうだよね。ごめんね、カンナちゃん」


 たとえ私のこの愛の注ぎ方が間違ってたとしても、私はこれを独学で導き出したのだ。

 実験相手がカンナしかいなかった私にとって、他の方法を検証する余地はなかった。

 親にも愛されることのなかった私にとって、この方法しか知らない。


「……僕はどうすればいいの?」

「一緒に行く?」

「行く!ついてく!離さないでよ?」

「よしよし、わかったわかった。じゃあ、乗って?」


 カンナに背中を差し出す。

 カンナの小さな体が私の背中に重くのしかかってくる。

 彼女は鮫人間だ。一般的な人間とは常軌を逸している。


「……わらわを扱き使うとは良いご身分じゃな」


 ヒステリック状態に陥ったカンナはその場から全く動かないという習性があった。

 カンナを連れていかないというこの状況でそれをされたらまずい。

 ちなみにカンナの体重は……いや、この話はやめておこう。なんだかカンナのことを勝手に話してしまっては申し訳なく思ってしまう。

 明確な数字は出せないが、一般の人間には決して持つことのできない重量だ。

 だから、アルタイルと入れ替わった。私の体に負荷はかかるも、アルタイルになら持ち運べると、感覚を通じて伝えられたのだ。


「二人とも、行くぞ」


 ヤイチとあつみんが頷く。

 私たちは奥にある扉へと急いで向かう。

 神の心を持つ私たちには不要であるSAMEWATAをカンナとあつみんはを服用した。世界の移動に欠かせないアイテムである。

 こいつに人生をボロボロにされたのに、こいつがなきゃいけない状況なのには腹が立ってくる。

 全力で怒りたくても怒れない。もどかしい怒りが込み上げてくる。


「誰かいないか?」


 扉が見えてくると、そこには不気味な人影が宙に浮いている。


「……あれは!!?」


 急いで動かしていた足を緩め、よく目を凝らす。


「……あーっ!!!大事なこと忘れてた!!!」


 カンナはいつの間にか通常状態に戻っていた。


「何を、忘れてたの?」


 カンナをその場に降ろし、アルタイルと入れ替わってから尋ねる。

 体への負荷のせいか、息が少し荒くなっている。


「アイツに謝らせようと思ってたのに、僕の近くから急にいなくなったことを忘れてた!!それで探しに行ってたんだよ、僕は!」

「アイツは……」


 私が不気味な人影と言ったのはそのまんまの意味で、人影には手足がなかった。

 頭と胴体しかないのにも関わらず、人影は浮いていて、生気が滲み出ている。


「カエセ……」


 人影が小さく呟いた。


「カエセェェェエエエ!!!!!」


 次の瞬間、大きな唸り声とともに、とてつもない速さで距離を詰めてくる。


「迂回して扉をめざせ!」


 こんな不気味な召使いを前に正面突破は不可能だ。


「散り散りになってもいいから、各自扉をくぐるぞ!」


 私たちがバラバラになって召使いの追跡から逃れようとすると、召使いからではない唸り声が聞こえてくる。

 それと同時にかなり多くの足音も聞こえてきている。


「お、お前らぁ……!!」


 少し遠くを走ってるヤイチが涙ぐんでいる。

 足音の聞こえた先に視線をやると、先ほどヤイチの上にピラミッドを形成していた生徒たちが一斉にこちらへ向かってきていたのだ。


「ヤイチ!この子たち何しようとしてんの!?」


 走りながらヤイチに尋ねる。


「俺らを助けにきてくれたんだよ!俺たちは召使いを気にせず、扉に行けばいいんだ!」


 無数の制服の集団のことをよく知らないが、とにかく味方らしい。どこからどう見ても終末の世界に現れるゾンビにしか見えないが……いや、第一印象で決めつけるのは良くないな。

 とにかく今は扉を目指そう。目的地はもう目の前だ。

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