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拝啓、つくりかけの世界  作者: ふゆむしなつくさ
プロローグ
2/8

林道、夜、少女と猫。


「なぁカナエ、お前なんで、ずっとこんな仕事続けてんだ?」

「…うん?どうしたの、藪から棒に」


 一寸先の見通しすらおぼろげな、深い深い夜闇の中。

 枝葉が軟風に揺れる、さわさわとした音だけがときおり響く林道の一角で、ふいに密やかな話し声が聞こえた。


 問いかけた声は、成熟した男性のもの。

 応えた声は、若い女性のもの。


 それから僅かな間をおいて、声の中心地に、小さな明かりが灯った。

 照らされ浮かび上がったのは、年季を感じさせる大型トライク(自動三輪車)が一台と、簡素な野営。

 入り口の開いたドーム状のワンタッチ・テントが一つ。その内側に、膨らんだ寝袋シュラフが一つ。テントのかたわらには使われた形跡のある焼き網を乗せたスタンドがそのまま残されており、そしてその隣に、尾の無いつややかな黒猫が一匹、座り込んでいた。

 明かりを灯したのは、女声の主だろう。寝袋シュラフから伸ばされた白い手が、テントの入り口に置かれたランタン型のライトに触れている。

 寝袋シュラフから覗く女性の顔つきは、声の印象に違わず、まだずいぶんと若い。少女と言っても差し支えないその面貌から察するに、年齢は恐らく、十代の中頃から後半といったところ。


「なんで…って言われても…」


 少女はそこまで呟くと、ごそごそと身体を動かし、体勢をうつ伏せに変えてから続きを口にした。視線はテントの外、座り込んだ黒猫へと向けられている。


「この生き方しか、私は知らないもの。やめたら野垂れ死にだよ。さすがにまだ死にたくはないなぁ」


 冗談めかしたその言葉に、黒猫が苛立った様子で返す。


「お前は俺が今、そんなとぼけた誤魔化しを求めてると思ってんのか?」

「………」

「生きていくための手札ってのは、状況に応じて自分で増やしていくもんだ。いつまでも持ち合わせで勝負しなきゃならないわけじゃねえ。少なくとも俺はこんな危なっかしい仕事、二十にも満たねえガキの、ましてや女が続けるべきじゃあないと思うがね」

「んー…まぁ、そうなのかもね」


 少女はまぶたにかかった前髪をそっと耳にかけ、少し考える素振りを見せた。それから、ぽつぽつと話し始める。


「まだ動いている機工種があちこちにいる。人さらいだとか、盗賊だとか、人的な被害もたくさんあるし、トライクの運転なんてしてる以上は、事故の可能性だってずっと付きまとう。壁の外は確かに危険でいっぱいで、今となってはこんな仕事、あんまり続けるべきじゃないのかもしれない。どこかの居住区に身を落ち着けて、別の生き方を見つけるべきなのかもしれない」


 黒猫が口を挟まないのを確認して、少女は続ける。


「でも、私には知りたいことがあって、それはいつだってこっち側、壁の外に転がってる。そして運が良いことに、私が教わったこのたったひとつの生き方は、それを探す上ではとても都合がいいの。やめる気には、まだならないかな」

「…別に、知らなきゃ生きられないわけでもねえだろ」

「まあね。でも、目的を捨ててただ生きていくだけなのは虚しいよ、とても。それに」


 少女はそこで一度言葉を区切り、黒猫に向けて柔らかく笑いかけ、言った。


「これでも結構気に入ってるの、この仕事。続ける理由なんて、とりあえずはそれだけで充分じゃない?」


 黒猫がひとつ大きなため息を吐き、

「なら、勝手にすりゃあいいさ」とぶっきらぼうに言い捨てた。

「うん、そうする」と少女が優しく、それに返した。


「じゃあ、私はもう寝るね。今日は夢、見られるかな」

「…さあな。そんなのは今考えても仕方ねえことだ。それに、寝りゃあわかることでもある」

「…それもそうだね。おやすみ、ミヤ」

「ああ」


 そのやり取りを最後に、小さな明かりは消えて。

 林の中には、元通りの静寂が戻った。



 ◆



 そして、私はまた夢を見た。いつもと同じたぐいの、薄く記憶にこびりつく、不思議な夢。

 見覚えのないどこかの建物。その一室で、私は二人の女の子と何かを話していた。

 周囲はやけに騒々しく、同年代と思しき男女の姿であふれかえっている。彼らは皆一様みないちように、男女それぞれで統一された衣服を纏っていて、違う格好をしている者はほとんど見受けられない。

 自分の意志とは無関係に揺れ動く視界の中に、知らないはずの光景が鮮明に映り込む。

 木目のかかった床。白く塗装された壁に、広いガラス窓。等間隔に何十と並ぶ机と椅子。部屋の前面らしき部分には濃緑色の大きな板がかけられており、隅に白い文字で、何かが小さく書かれていた。『日直』と記されたその下に、『英利』『岩倉』という二つの単語が並んでいる。読み方や意味は、私にはよくわからない。


「ちょっとカナエ?聞いてる?」 


 ノイズを無理やり混ぜ込んだかのように聞き取りづらかった会話の中で、不意にはっきりと、私を呼ぶ声が聞こえた。

 視界が動き、話し込んでいた相手の内、片方の子が中央に収まる。

 私よりほんの少し背丈が低く、眼鏡を掛けていて、色素の薄い長い髪を後ろで編んで一本に束ねている、利発そうな顔立ちをした女の子だった。

 会ったことのない相手のはずなのに、なぜだか微かに、懐かしさのような、奇妙な感覚があった。

 

「聞いてる聞いてる」


 夢の中の私が、軽い口調でそう答えた。

 そこでプツリと、映像は途切れた。



 ◆



【定期記録:驗歴げんれき七二九年 卯月(うづき)六日  記:ミズキ シンヤ】


『監察対象K.I.5833の状態に特筆すべき変化は見られず。移植・結合された記憶、及び人格については、依然無意識下での再生が行われるに留まっている。自己形成により生じた自我は未だ安定しており、剥離や混濁、自己存在との齟齬といった症状は確認されない。総じて懸念には及ばず、経過は良好なものと思われる。引き続き監察を継続する。』





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