8鮮やかな色
ルシェル・プロウス・グラディリウム第二王子は、第一王子の目と耳である。十六歳にして王位継承権は欲しておらず、兄の代わりの視察と称して様々な場所に出入りしていた。ついでに人懐こい性格で人々から話を聞き出したり、情報の裏を取ったり、街の様子を自ら確認したりと、趣味がそのまま仕事になったような生活をしている。
ルシェルから「第二王子」という称を取れば、残るのは好奇心である。
「ははっ、素晴らしい……っ!」
物好きの遊び好き。楽しいもの、面白いもの、美しいもの、珍しいものも好き。
そんな彼が、ピオスフィラ城の使用人全員での出迎えに目を輝かせていた。
「お気に召したようで何よりです。今日は娘の誕生日ですので、娘の好きな色で華やかに出迎えとさせていただきました」
言葉の取りようによっては「娘の誕生日なのによくも視察など重ねたな」という王子の行動を咎める意味にも取れるし、実際アイテルにはそういう気持ちがなくもない。しかし一瞬顔を顰めた文官や騎士が、次の瞬間には呆れて口を半開きにする。
目の前には何の裏も無さそうな、娘にデレデレと甘い顔をする辺境伯がいた。
そして同時に、あぁこれは娘を祝いたくて仕方なかったのだなと、許してはいけないはずがどこか仕方ない気持ちが湧き起こる。そんな周囲の空気を察して「とても良いことだ。親にとっては娘の誕生日が一番大事だからな」と、また王子がおかしそうに笑った。
使用人は仕事着にオレンジ色のスカーフを首に巻いて、留め具に白い花を。ピオスフィラ一家は白を基調とした服に、所々オレンジの装飾を入れている。ミューリも白のドレスを纏い、ウェストはオレンジのリボンで絞り、首には白とオレンジのリボンを背中に垂らすように巻いている。残念ながら金の髪にオレンジのリボンは目立たないので、白い装飾で纏めた。
どれもこれも、何一つ高価な装飾はされていない。
貧乏貴族と誰もが言ったピオスフィラ辺境伯は、ルシェルの目にはどこまでも華やかに映る。やはり己の目で見なければ何も分からないのだ、と改めて思う。
ルシェルは楽しさに目元を緩ませて、それぞれと挨拶を交わす。そして穏やかに笑みを浮かべる幼女の前で片膝をついた。
「顔を上げてくれ。今日の主役は、君か?」
パチリと一つ瞬いた金色の目が、砂糖菓子でも溶けるように笑みを深めた。その表情に目を見開いたルシェルに気付いて、ミューリは小さな口を開く。
「いいえ? 王子を差し置いて、自分が主役などと言えるはずがありません」
「そうか。君の家族は、君を主役にしたいようだが?」
「それは困りました。なにせ初めて誕生日を祝ってもらうので、主役のなり方がわからないのです」
片手を頬に当てて、困ったわ、と態とらしく首を傾げると、後ろに控えた王子付きの文官がフッと息だけで笑った。咳払いで誤魔化したが、全員がしっかりとそれを確認した。
クツクツと肩を震わせる度に薄緑の髪が揺れている。悪意なく笑うルシェルに、ミューリは悪い人ではないのだろうと目を瞬かせる。
「……名前を教えてくれるか?」
「ミューリ・ピオスフィラです」
スカートの端を摘んで、軽く腰を落とす。
「ではミューリ、私が命じよう。今日の主役は、君だ」
その言葉に嬉しそうに笑ったミューリは、くるりと後ろを振り向いた。
「やりました、お父様。これでちょっとくらいなら王子をぞんざいに扱って私を祝っても、文句は言われませんよ」
「でかした!」
「……ん?」
娘を抱えて高く掲げるアイテルと、手を叩いて喜ぶエリシュ、おめでとう!と声を掛ける兄弟、拍手で祝う使用人。
そしてポカンとした顔で、その光景を眺めるルシェルとその一行。いち早く正気を取り戻した文官が慌てて声を上げる。
「あ、いや、待っ……」
「さ、ルシェル王子をご案内してくれ」
ミューリを抱えたまま指示を出した満面の笑みのアイテルは、テキパキと指示を飛ばして反論の隙を与えない。そもそも反論しても、命じられたのだから多少の扱いは仕方ない、と言ってしまえる。
ミューリがアイテルに抱えられたままルシェルを見下ろすと、好奇心の色を隠さない瞳がこちらへ向けられていた。ニッコリ笑う顔に、ニッコリと笑い返す。
そうして部屋へ案内される後ろ姿を、一家で見送った。
しばらくは領内についての現状を説明をする、という名目で休息を入れる。着いたばかりで何やら色々起きたので、ルシェルとしても一息入れて落ち着きたかった。
子供は別室で待機だったが、その間に第二王子が連れてきたという護衛になる騎士と対面を果たしていた。
両脇を兄弟に挟まれながら、ミューリはその騎士をまじまじと見つめる。騎士にしては白い肌に、肩の丈ほどのストレートの赤茶色の髪をハーフアップに、グラディリウム騎士団の黒い団服が良く似合っている。
しかし、一番三人が目を惹いたのは……。
「オレンジですね」
「まるで今日の主役のようだね」
「ミューリの好きな色を知っていたのかな」
突然別室へ放り込まれたオレンジ色の瞳の騎士は、精悍な顔付きの下で、三者三様の目に戸惑っていた。
一人はただでさえ眩しい金の目を更に輝かせて、一人は緑の色を深めて苛立ちを、一人は緑の瞳を薄めてこちらの意図を透かして見ようとしているようだ。子供がこのような目をするのか、と主に兄二人に対して油断ならない感想を抱く。
「ロディート・ルナプレーナと申します。ルシェル第二王子より、ミューリ・ピオスフィラ様の護衛に任命されました。どうぞ、よろしくお願い致します」
「ミューリ・ピオスフィラです。よろしくお願いします。それではまず……」
ミューリは兄弟の間から静かに一歩踏み出し、許しを与えるように両手を広げ、金色の瞳をゆるりと細めた。今日で四歳になったとは言え、洗練された所作は無理がない。白いシンプルなドレスは清廉さを、散りばめられたオレンジ色は窓からの光の加減で金に輝くようにも思える。
兄ばかりに目がいっていたが、一番油断してはいけないのは妹であったと、緊張を高める。穏やかな笑みの筈であるのに、視線を逸らせない相手。小さく開かれる口から一体何を言い渡されるのかと、ロディートは身構えた。
「抱っこしてください」
は、と開きそうになった口を寸で閉める。
大人びた表情から吐き出された言葉は、甘えたい子供のそれで、チグハグな印象に頭が一気に混乱した。後ろの兄弟などは。不満げな空気を出しながらも静観している。これは何の試練かと口の中で奥歯を噛んだ。
「どんな持ち方でも良いのです。いざとなったら、私を抱えて逃げなければならないでしょう? その時に躊躇されては困るのです」
ロディートはその言葉に納得して、身構えすぎていた自分がおかしくなってくる。
そもそも四歳の子が甘えるより先に自分の身を守ることができる騎士かどうかを考える方がおかしいのだが、緊張が解けた今、ロディートの思考はそこまで考えられなかった。
失礼します、と一つ頭を下げてから、片腕に座らせるように持ち上げる。子供を抱き上げることに慣れていないとわかる手が、恐る恐るミューリを抱えて立ち上がった。「レイアより断然安心感があります」とロディートの肩を支えにしながら、壁際に待機するレイアに向けてミューリが笑う。
レイアは一度ミューリを抱えて落としている。落とした先がベッドだったので怪我は無かったが。
クスクス耳元で柔らかく笑う声に、どうやら及第点は貰えたようだとロディートが息を吐いた瞬間、その声は耳元で響いた。
「ルシェル王子の元を離れてこの地に来るのは、嫌ではないのですか?」
声が柔らかすぎて、反応が遅れてしまった。「嫌ではない」と一言言えば良いだけのそれが、出てこない。誘われるように引き摺り出される感情を力尽くで押し込める。
しかし、間近にある金色の瞳に「嫌ではありません」と言ったところで、困ったように眉を下げて笑われるだけだった。
主人の命令に沿うことは、騎士の務めである。
しかしいくら命令であるとは言え、ロディートは多少なりとも不満があった。国に仕える為に騎士となった筈なのに、たった一つの領の、たった四歳の女の子の護衛をしてやれと言うのは、騎士の仕事ではないと感じている。
代々、王族の関係者に仕えて来たルナプレーナ侯爵家の次男であるロディートはその思いが強い。第二王子は馬鹿ではない。これが必要なことだと分かる。だから騎士として命令には従う。
それでも……。
「ロディート様、今日は一日、よろしくお願いしますね」
金色の瞳に微かな不満を見透かされたのだと、ロディートは「はい」と返事をするのが精一杯だった。