7ピオスフィラ流
準備期間は、たった二週間である。
「ミューリの誕生日は毎回何か起こるね」
「ノストお兄様、言霊って知っていますか?」
「なに、急に。コトダマ?」
「言葉には力があるから、言ったことが本当になるのです」
視界の端でレイアと護衛の騎士がハッと口を押さえた。
「……ミューリの誕生日は毎回穏やか」
「ふふっ、来年はどちらが本当になりますかね」
口を横に引っ張って不満そうにするノストに、ミューリはニッコリと首を傾げて戯ける。二人で笑い合ってから、床に広げた計画表にもう一度目を落とした。
紙に筆を走らせるミューリは、当日から逆算して準備するものを考えていた。何とかなりそうだと頷くと、ノストも小さく頷いた。
二週間という時間は十分にも思えるが、王子の来訪ともなれば家の者だけの誕生日会とは訳が違う。視察という名目なら、本来は一か月は前もって知らせて欲しいものだ。幸い、既に誕生日の為に準備されていた分もあったので、少々変更するだけならさほど時間はかからない。まぁ多少「ミューリの為に準備したのに」という苦言に聞こえないフリをするのが大変だったが。
王都との距離はさほど離れていないにしろ、アイテルやエリシュが足りないものを買い出しに往復すれば早くても三日はかかる。新幹線や電車があったことは恵まれていたのだと、ミューリは思い出して小さく笑った。
迎える準備に並行して、ミューリの誕生日のための特別な飾り付けも用意された。
手の空いたメイド総動員。ミューリとエリシュはもちろん、面白そうだからとゼファーとノストも手伝った。護衛の騎士まで楽しそうに準備を進めたものだから、予定よりも余裕を持って事を終えることができたくらいだ。
王子到着のため城の隅々まで掃除をして、至る所に装飾を施し、とりあえず王子が滞在するだけの体裁は整えられたと言える。
そうして迎えた王子到着の日。
朝からバタバタと騒がしい城内は、実は第二王子の為の準備は終えている。いや正確には終えていない。全ては凝り過ぎた装飾のせいで、飾り付けが終えていない。
もっとも、王族を迎える為にここまでの装飾はひつようないのだが。
ミューリは城の中を歩きながら、散らばる飾りに小さく笑った。
「……これは、ルシェル王子を歓迎しているのでしょうか?」
街の中心を通り過ぎ、城門に辿りついた王子一行は馬車を止める。見えた城の姿に、その場からしばらく動けなかった。
「いや……娘の誕生日だから、だろうな」
目を丸めた第二王子は、フッと面白そうに笑う。王子付きの文官はその言葉を聞いて、もう一度城の姿を見た。可愛らしい花の数々になるほどと納得した。
城の正面、いくつかの窓に人の顔より大きなオレンジ色の花が咲いている。そこから下がるオレンジと白のリボンが、時折吹く風に揺れた。あれは本物か、いやあんなに大きな花があるはずない、しかし魔法使いがうんぬんと騎士たちが興味深そうに話している。おそらく布を重ねて作っているのだろうと分かったが、器用な者がいたものだと王子は口角を上げる。
窓に飾られたのは大きなリボンローズだった。初めはミューリが子供の手のひら程の小さなものを作って見せたが、他のメイドやエリシュが大きいものを作ろうと提案した。大きすぎると花びらが重力に負ける、と言ったがそこは骨組みを入れてしっかり固定されるように作られた。
そのせいで昨日終わるはずの予定が、当日までずれ込んで今朝はバタバタと忙しなかった。
「ふ、はははっ! いいな……アレは、うちの姫も喜びそうだと思わないか?」
「え、えぇ……ただ城の大きさが違い過ぎるので、飾る大きさには苦労する気がします」
「そうか。じゃあ内緒にしておこう」
それがよろしいかと、文官はバレないように安堵の息を吐き出した。
進め、と声を掛けて走り出した数台の馬車は、華やかに飾られた城へと進み出す。窓の外を眺めながら、第二王子のルシェル・プロウス・グラディウムは口元に笑みを浮かべた。
通り過ぎる街並みは王都と比べたら酷いものだが、少しずつ補修の手が入っているのが分かる。決して裕福な人間はいないが、絶望に沈む人間も不思議と居ないのだ。まだ街を歩いたわけではないので見えていないだけかもしれないが、王都の隅にあるスラム街ですら飢えて死ぬような人間がいるというのにここはその姿が見えない。
酷い有様だという噂は聞いていた。それこそピオスフィラ辺境伯のアイテルが来て一年はまともな生活が出来なかったと。井戸が二つできた頃に長男が産まれ、ポツリポツリ流れ着いた者たちに住む場所を与えて、仕事として畑を与えて、なんとか形になってきた。それでも過酷な環境故に、亡くなる者も少なくなかったと聞く。
しかし、今は百人か二百人ほどの民を預かる領主である。
「(アイテル・ピオスフィラ辺境伯。元侯爵家三男、実力重視の第三騎士団副団長、加えて魔法使い、人格者で周りの評判もなかなか良い)」
王子は城の前で馬車を降りると、一番手前で頭を下げているプラチナブロンドに声を掛けて頭を上げさせた。
「ようこそいらっしゃいました。ピオスフィラへ」
有能な人だ、と口の中だけで呟いた。