6第二王子の印象
この世界では楽器は高価なもので、貴族の男児が趣味程度に鳴らすだけである。その中でも楽士になるのは、貴族の次男や三男、跡を継がないような男の嗜み。あとは夫を亡くした女性の後世の楽しみ。
そのため、「楽器をやる人間は金と暇だけはある」と認識されている。
音楽だけを発表する場などは無く、パーティのダンスで鳴らす程度。国の公式行事ともなるとお抱えの楽士が居るが、中位貴族のパーティではその時だけ他貴族から呼び寄せて弾いてもらったりする。
例えその家で弾ける者が居ても、「あの家の次男は暇なのだ」と後ろ指をさされるので、滅多に家の中からは呼ばない。
その話をプロテウスに聞いたミューリは、「子供は暇なのでちょうどいいですね」と一言。プロテウスは一度は納得して頷いたが、まず家の書庫を網羅したミューリが他に学ぶものがないという前提の話だと頭を振った。通常の三歳児はまず読み聞かせと礼儀作法から始まる。騙されてはいけない。
ミューリは諸々を聞いて、そもそも単体で聴かせる技術が無いのでは、と首を傾げる。そこは実際聞いてみなければなんとも言えない。
音楽自体が邪険にされているような世界ではなさそうなので、そこは安心した。
「とても言いにくい話だが……」
朝の水やりを終えたミューリは執務室に呼ばれ、何事かと思えば自分以外の家族は全員揃っている。遅れて申し訳ないと一言断って、兄弟の真ん中の空いている場所へ腰を下ろす。いつの間にか決まったミューリの定位置だ。
そうして執務机に何か紙を開いて。重々しい空気を醸し出している父からこれまた重々しい声が発せられたことで、室内の空気は最悪の状態だった。両脇に目をやるが小さく首を振られ、正面の母はアイテルから視線を外さずに、口元を扇で隠しながらも厳しい目をしている。
そんな中で告げられた言葉に、ミューリは一瞬だけ思考が止まった。
「ミューリの誕生日に第二王子の訪問が決まった。腹の底から気に入らない」
「追い返しましょう」
「ミューリの誕生日を潰す気?」
「……うん? 三人とも落ち着いてください」
ピオスフィラ一家の誕生日は、通常の貴族よりも慎ましく華やかだ。決して豪華という訳では無い。
まず仕事を早く切り上げる。誕生日の当人の好きな色の布を壁に下げて、好きな色の服に身を包み、食事は奮発してワインと肉が必ず出して、家族でソファーに腰掛けて乾杯をする。疲れて寝るまでがセットの、パジャマパーティのようなものである。
本来なら親しい人を招いてパーティを開き、形式に則って贈り物や祝いの言葉を頂くなど、社交の練習場でもある。ゼファーとノストは、三歳の誕生日は王都の会場を借りてパーティをしたが、ミューリは三歳になる誕生日近くに体調を崩して無しとなった。
実際は、パーティに楽士が来ると知って興奮したミューリの喜びによる発熱である。
その為、アイテルとエリシュは「領が安定するまでは」と理由をつけて誕生日のパーティを取りやめ、家の中だけで祝うことにした。これがまた楽しくて、エリシュは年甲斐もなく誕生日までを指折り数えるようになったり、アイテルは節制して自らの好きな色の布を買ったりと、子供より大人の方がはしゃいでいたりする。
近い位置で遠慮なしの談笑して寝落ちするだけのそれだが、貴族の家庭を知っている城の使用人たちからしたら、部屋から漏れる一家の笑い声は羨ましい程に「華やか」であった。
その家族の一日を邪魔するとは何事か、と。
執務室の中で聞いていた文官もメイドも、顔には出さないがどこか納得いかない心持ちで聞いていた。
「あの、お母様、三人が……」
「ミューリ」
「ぁはい……?」
「貴女はオレンジ色が好きだから、もう飾る布を買ってあったの」
扇を下げて、隠していた赤い口元が露わになる。シルバーの柔らかい髪が微かに揺れて、いつも優しい青い目が今日は敵を射殺さんばかりの視線が宙に向けられている。
「腹立たしいわぁ……」
その言葉に、室内の空気が三度ほど下がった。美人の迫力というものを、出さなくても良い今に全て出している。壁際に控えた護衛の騎士が、反射的に剣の柄に手を伸ばしそうになる程の圧力だった。
そんな母の視線の先に第二王子が浮かんでいるのだと思うと、ミューリは哀れみさえ浮かんでくる。自分の事で自分よりも怒る人間がいると、不思議と落ち着いてくるものだ。誰に何と声を掛けようかと唇をもにもにと動かして、とりあえず周囲で立っている使用人に振り返り、「くれぐれも室内の会話は他言無用ですよ」と声を掛けた。
何故か全員が感情を隠すようなとても良い笑顔で頷く。特にレイアは、過去一番楽しげな笑顔で頷いた。
「第二王子は私の誕生日だと知っているのですよね?」
「あぁ、むしろそれを知って合わせてきたようだな」
「それなら、贈り物の一つでもあるのでしょうか」
「あるだろう。無かったら追い返すさ」
乾燥地帯でも育つ薬草の種など、実用的なものだと良いとミューリは考えて頷くが、部屋にいる全員が宝石かリボンの類いを思い浮かべて頷いた。
「手紙によると、一泊するそうだよ。あぁ第二王子の食事の心配はしなくていいらしい。毒の心配もあるし、護衛の人数も人数だから、少なくない量の食材を持ち込むそうだ。他に知れたらみっともないと言われそうだが、ピオスフィラの食糧庫を圧迫しないならその方が嬉しい」
「もっともです」
「今のピオスフィラには毒物を用意する金もないけど」
ノストの呟きに、ミューリは苦笑混じりに頷く。
今この領は冬越えの為、各家々の補修、備蓄の確認と補填、必要なものを少しずつ集めている。その為のお金はあるが、人を害する為の金など無い。誕生日を飾る布を買う予算はあっても、良くも悪くも王子に割く予算はないのだ。
「王子も参加できるように、今から形式通りの誕生日パーティを計画するのは無理ですからね。家族内の誕生日パーティはまた別の日にすれば……」
「そういうことではないのよ、ミューリ。三歳の時はお祝いできなかったから四歳は絶対、と思っていた母の心は荒れ狂っているのよ」
邪魔が入るとは思わなかったわ、と不満げに呟くエリシュはパッと広げた扇で熱を冷ますように自分を仰いでいる。ミューリは自らの興奮によってダメにさせた誕生日パーティを憂う母に、何も言えずに黙る。興奮してすみません、とは言えずにそっと目を逸らした。
「街にミューリを連れて行ける事自体はありがたいが……」
「はぁ……どこまで格式に沿えばいいのかしら」
「主役はミューリなのに……」
「王子もてなして終わるのは嫌だよなぁ……」
沸々と文句を垂れる家族に、ミューリは顎に手を当てて考える。とにかく、適度に王子をもてなせて尚且つ誕生日という何かが欲しい。王子の訪問によって、ピオスフィラ流の特別感が出せないという部分に不満があるのだろう。
普通は王子の訪問は、娘の誕生日よりも喜ぶべきではないだろうか。どこまでも家族本位の考えであるが、ミューリはそれが嫌いではない。むしろ好ましく思う。
ミューリは口元に笑みを浮かべる。
要は全員が、誕生日という日に特別な楽しいことをしたいのだ。
「それでは、慎ましく華やかにいきましょう」
隣で不貞腐れる兄弟の手を柔らかく取って、ミューリは楽しく微笑んだ。