3発芽
「外に出ます」
「だぁめ」
笑顔で迫る妹と、笑顔で阻止する兄。
ピオスフィラの城の門前。事情の知らない者から見たら、容姿の良い兄妹が微笑み合っている光景に見えるだろう。しかし、側で会話を聞いている護衛とメイドは、その場の空気が三度ほど下がったことを感じた。
「外の様子はいつも教えてあげているでしょう?」
「聞くのと見るのとでは全く違うと思います」
「私の話では足りない、ということかい?」
「お兄様は人に聞くだけで全てを把握できるのですね。私はまだ幼いので、話を聞くだけでは想像が難しいのです。まだ幼いので」
どの口が言うのか、と聞こえた人たちは口を半開きにする。
喋れるようになってきてから、周囲の者たちはじわじわとミューリの異質さを知った。七歳と五歳の兄弟もかなり頭の良い部類に入るものの、妹はそれを軽く越えている。
まず二歳から文字の習得を始め、三歳である今、城に置かれている本を全て読み終えた。元々、アイテルの所持していた本しか置かれていないので少ないが、それでも百程度はあるだろう。歴史、経済、軍事指南書まで幅広く知識を吸収した。
歴史については、前世でも必須として家の歴史を学んだ。ただピオスフィラ領に関してはたった七年程の歴史でしかないし、行った政策もまだ少ないので、オムニア国の歴史を読んだ。
最近では百年前に行われたピオスフィラ領の戦争が、一番損害が大きかったと書かれていた。なんせ領一つ丸ごと、機能できないほどに滅されている。
仕事が無い幼女が暇を持て余して領と国の歴史を覚えた、と少ない使用人と文官達に広まるのは早かった。
経済に関しては、探検と称して忍び込んだ執務室で、自国と他国の情報がアイテルの机に広げてあったので勝手に見た。そして他国の経済政策が数ヶ月間上手くいっている、との報告書に「上手くいっているのは今だけで、これでは数年のうちに破綻します」とケチをつける。近くで書類に埋もれていた文官は、いつの間にか居た天使に癒されながら首を傾げた。
始めは舌足らずな説明に疲れた心をほわほわと癒していたが、聞いているうちにじわじわと現実に戻り目を見開き、口も涎が垂れるのではないかと思うほど開きっぱなしになる。そして実際に垂れた。汚い。
指南書に関しては兄二人も興味を持って読んでいたし、分からない場所はアイテルに面会の約束を取り付けて三人で教わっていた。「わざわざ面会の予約を……」と子供の早すぎるビジネスマナーの習得に、天才だと喜ぶべきか、もっと子供らしく抱き付いて仕事の邪魔でもして欲しいと悲しむべきか、一週間は悩んだ。
エリシュは夫のその姿に「善良な私の子が優秀で悪いことなんてないわ」と手を叩いて笑っていた。
「外の様子は窓からでも見れるだろう?」
「窓から見ているからこそ、本物が見たくなるんです。知らないものは知らないので見たいとも考えませんから」
「遠くの宝石が近付いたら石ころだって知ってしまったら、悲しくないかい?」
「遠目で宝石に見えているなら、その石は私にとっては宝石なのです。記念に持ち帰って大事にしましょう」
自分を宝石に見せるなんて良い石ですね、と嫋やかに両手を合わせて笑うミューリに、ゼファーは口を横に引っ張る。そして大きく息を吐いたかと思うと、両手で顔を覆った。
「もぉぉー……ミューリー……」
「ゼファーお兄様もお父様も、過保護で困ります。外を見て回るくらいさせてください」
一触即発の空気が霧散して、周囲で様子を窺っていた者達は全員が安堵の息を吐く。
兄妹喧嘩とまではいかなくとも、毎度神経を尖らせて会話をする二人には妙な迫力があり、いつ互いに牙を剥くのかと周りは冷や冷やしていた。しかし当の本人達は「ミューリと言い合うのは難しくて面白いよ」「真剣に言葉で遊んでいるだけです。問題ありません」と軽く微笑むだけである。
「あ、いた。ミューリ!」
そんな二人のことを理解して空気を和らげるのはノストだ。ノストの登場に周囲の者は更に安心感を膨らませて、背を向けて城内の掃除をしていた者は小さく歓迎の拍手を贈った。
自らが救世主のように持ち上げられる空気感に気付いて辟易しながらも、ノストはミューリを抱き上げるとくるりと一つ回る。五歳になってミューリとの体格差があるとはいえ、子供が子供を抱き上げることに周りはまた違った不安を湧き上がらせる。しかし身体のバランスが良く、剣術の稽古では兄よりも上だと評されるノストが簡単に転げるわけもなく、軽々と妹を持ち上げて歩き出した。
「何かあったのかい?」
「ミューリが庭に作った畑、ゼファーも知ってるだろ?」
「あぁ、あの……」
「花壇ですよ、花壇」
「うん、花壇ね。あれ、成功したみたい」
その言葉に、ゼファーは目を見開いて、ミューリは満足げに頷いた。
「芽が出た」
一瞬の沈黙ののち、兄弟は走り出す。
一歩遅れて護衛とメイドが後を追って、ミューリはノストの肩越しにそれを見て頑張れ頑張れと手を振った。
たかが五歳と七歳、しかし英雄の息子としての頭角は既に現し始めている。
アイテルは魔法での活躍が有名だが、剣の腕が確かでなければ騎士にはなれない。副隊長の地位に居たため、執務仕事と下の教育が主だってはいたが、副隊長と隊長は他とは格が違う。
更に、実力重視と言われた第三番隊の副隊長である。
「っし!」
「はぁっ、はっ……くっそ、負けた」
ゼファーとノストは、実力者である父親から、とても優しい訓練を受けている。ただし当社比。
「いや……ノストはミューリを抱えているから、実際は私の負けかな」
「そんなことない。ミューリは紙一枚分の重さしか無い」
「重くないとは言ってくれないんですね」
ストン、と地面に降り立ってから、座り込むメイドへ駆け寄った。兄二人の護衛騎士は、アイテルの元部下とあって息切れ一つない。
「はあ゛ぁ……はあぁ……っ!!」
「大丈夫ですか?」
「お、じょさま……次からは、はぁっ、お、追い掛けなくても……よろしいでしょうか……っ!!」
「私としては良いのですが、側付きのメイドとしては良いとは言えないかもしれません。大丈夫、退職金の増額については私から口添えします」
「庇うならもっとしっかり庇ってください……!!」
ペシペシと乾いた地面を叩いて抗議する相手に、ミューリは微笑みながら小さく首を傾げるだけだった。
そもそも、メイドのレイアは数ヶ月前に解雇されそうだったところを一度助けている。
理由は、実の親も話さなかった実家の事情をミューリに話したこと。正に解雇を宣告された瞬間に執務室にヒーローの如く現れ、理由一つに対して反対意見を笑顔で十は挙げた。
そして「わたしが普通の子供ではないことも、彼女のしったいの理由の一つです。お父様も他の方も、そうしてわたしに騙されたではありませんか」という説得力のあり過ぎる言葉に、その場に居た全員が頭抱えた。
無事にミューリのメイドとして戻ったレイアは、もうミューリを子供として見ることをやめた。と言うより見れなくなったのでやめた。
今までも誠心誠意尽くしたが、それに加えて「ミューリ個人に従う」という言動をするようになった。雇い主であるアイテルではなくミューリ個人に従う方が、自らに利があると知っての鞍替えである。
度々、ミューリに揶揄われて遊ばれているが。
二人のコントを横目に、ゼファーとノストは花壇の前でしゃがんだ。
「……本当に、芽が出てるね。水は?」
「コップ一杯もあげてない」
「乾燥に強い植物……?」
ゼファーは小さな芽に指先で触れながら、「まさかあの種が」と片眉をあげる。
ミューリは兄弟の隣りにしゃがみ込んで、兄と同じように指先で芽に触れると、ゆるりと微笑んだ。それは親が子に向けるような慈愛に満ちたもの。天使が人の形を得て隣にいるような気さえする。
ゼファーもノストも、時折見せるミューリのまるで大人のような表情を不思議に思いつつも、何も言わずにいた。同時に、何故か両親でさえ知らない知識を持っていることも、時折知らない曲を口ずさんでいることも、何も聞かない。
聞いてしまったら消えてしまう気がするから、聞かない。兄弟二人での取り決めである。
「上手くいったので、もう二つも植えましょう。お兄様たちが植えますか?」
「あぁ、それはいいね」
「僕は左側」
「なら私はミューリの右側だね」
しゃがむ私の左右を挟んだ二人に、ミューリは膝に顔を埋めて、不思議な気持ちにほわほわと笑う。
一人っ子を経験していたミューリは、いつしか「兄弟」というものを愛しく思っていた。幼い頃から共に居てくれる人間。前の父ですらここまで近しく感じなかった、家族。
心地良い気持ちそのままに、満面の笑みでレイアを自室へ走らせた。種を持ってきて貰うだけだったが、息切れから回復したばかりのレイアには悪魔の命令のように思えた。
その絶望の顔が見なかったミューリは、兄たちが種を植える為の穴を鼻歌でクラシックを奏でながら掘るのだった。