2ダメイド
初めて鏡を見た時、ミューリは首を傾げた。
金髪に金の瞳、目尻は少し下がり気味で柔らかい印象を受ける。美しい容姿は両親からのものだろう、と思うが……緑の瞳を持つ父と、青の瞳を持つ母。しかし自分の瞳は「金色」である。初めて鏡を見た娘が首を傾げたまま動かないので、痺れを切らしたエリシュが理由を訪ねた。
多妻の許された世ではいろいろなことを勘ぐってしまうのは仕方ないが、流石に「本当に母の子ですか」とは言えないし、そもそも父の不貞を疑っているわけではない。前の人生では黒髪黒目が普通の姿であった故に、親から色を受け継がないことが不思議でたまらないだけだ。考えた末に「目の色が両親どちらとも違う」という話を舌足らずの口で懸命に伝えた。
エリシュは目を瞬かせながらも、純粋な疑問だと受け取って、「確かうちの家系に金色の瞳がいたわね。先祖返りかしら?ちゃんと私の子よ」と笑っていた。なるほどそういう遺伝もありえるのか、とDNAの神秘に目を輝かせた。
三歳になるまで、ミューリは兄弟や親、メイド達の噂話から、なんとなくこの世界のことを把握した。
オムニア国、ピオスフィラ辺境伯。
公爵や伯爵などは聞き覚えがあったが、辺境伯の爵位を初めて聞いたミューリは首を傾げた。乳母に聞けば、どうやら国防の為に高い権限を与えられる位らしく、この国では公爵家と並ぶ地位とされるらしい。
「しゃくいがたかいのに、くろうしているようにおもいます」
「ぅおぉ……お嬢様はとても賢くていらっしゃいますねぇ」
驚いたような感心したような声で、メイドがパチパチと目を瞬かせる。
乳母や兄弟、両親であれば、この歳で話す内容を全て理解してしまう賢すぎるミューリに、話す内容は選んだだろう。全身金色の天の使いか精霊かと見間違う子に、出来るだけ良いものだけを与えて育てたいという過保護さが日毎に強まっている為である。
しかし乳離れして三歳になった今では、乳母ではなく城のメイドがミューリの世話をする日も増えてきた。その為、日の浅いメイドは、どうせ子供には理解しきれないだろうと話し始める。一応は「とても言いにくい話ですが」と前置きして始まった話に、ミューリの顔はじわじわと歪み始めた。
ピオスフィラ辺境伯領は、出来てからまだ間も無い。
百年も前の戦争で荒れ果てた地は、人が住めるような環境ではなかった。草木は辛うじて残ってはいるものの、風が吹けば乾いた砂が舞い、雨が降らず水は干上がり、建物は老朽化して砂埃が入り込む建物ばかりだ。
そこへ、先の戦争で英雄となった侯爵家の三男、後のミューリの父となるアイテルの名が上がった。
「戦争で大きな手柄を立てたので、王様がご褒美に土地をくれたのです」
「こんなとち、イジメでは?」
「……そこなんですよねぇ」
相手が子供ということも忘れ、メイドはまるで同僚と話しているような軽い感覚で、ため息混じりに続ける。
その侯爵家では、第三夫人の子であるアイテルの出来の良さを、他の妻がよく思わなかった。
三人目の妻はほとんど跡継ぎ争いからは関係ない「愛人」としての立場が多いが、上の二人よりも明らかに政治も剣の腕も、更には容姿にも優れていた為、侯爵が跡継ぎの候補として加える旨をチラつかせてしまった。そこからアイテルは二人の兄に睨まれ、夫人たちからは「お前は出来損ないだ」と洗脳のように唱えられた。
侯爵自身はこの諍いを些細なものだと思っていたが、放置してエスカレートしていった虐めの果てに、アイテルの母は第二夫人に毒殺されてしまう。金使いの荒かった第二夫人は余罪を全て明らかにされた上で死刑に決まり、息子は第二夫人の実家へと引き取られた。
アイテルは家を出られる年齢になったその日に、城の騎士団に入団。侯爵家との一切の連絡を絶った。
そして六年前に起きた戦争で、アイテルは一時は敗戦を噂された戦況をひっくり返した。ひっくり返せてしまったのだ。
国の英雄と囃された彼に、王は莫大な褒賞金と共に土地を与えようと考えたが……ここにもアイテルの足を引っ張る者が多く存在した。侯爵家の出ではあるが疎遠になっていることから、大きく出られないと考え、更にそれぞれの思惑から「ピオスフィラ領を与えてはどうか」と候補が上がった。
隣国に面した荒廃の土地。何人かは酷い環境に追いやれると喜び賛成し、何人かは「無謀ではないか」と反対したが、国の防衛を考えて常々どうにかしなければと上層部で考えられていた土地であったため、強く反対はできなかった。結局は王の決定には逆らえないし、アイテル自身も侯爵家から出られると快諾した。
ちなみに侯爵よりも高い爵位を得たので、第一夫人の子からは疎まれたが、それはまた別の話である。
「つまり、ほかの貴族たちが、かんりしたくないから、おとうさまにおしつけたのですね」
「……お嬢様、やっぱりとても賢いのですね」
ミューリは大きなため息を吐き出して、頬に手を当てた。何故そんな詳細まで知っているのか、メイドの情報とは侮れないものだ。
使用人たちがチラリと噂していた「たった一人の妻しかとらない愛妻家」の理由には、侯爵家でのいざこざが関係しているのだろうとミューリは目を伏せる。前世の常識も根付いているので多妻を勧める訳ではないが、そういう世界なら他家からの嫁の押し付けもあって面倒だろう。もしかしたら、自分の身も第三夫人に収まるかもしれない。
それならそれで仕方ないか、とミューリは穏やかに受け入れた。
そもそも、他家からの押し付けがあったとしても、荒廃した土地に好き好んで嫁いでくる嫁などまず居ない。自ら踏み入ってきたエリシュくらいである。
「いただいた褒賞金も、もうほとんどないのではないでしょうか」
「そうでしょうねぇ」
「そろそろメイド、クビになりますか?」
「うっ……お嬢様、短い間でしたが……っ」
両手で顔を覆ったメイドに、ユーモアのある人だとミューリは小さく笑った。
しかしそれならどこからお金を輩出しているのだろう、と首を傾げる。およそ百五十人ほどしかいない領民から搾り取るようなことはしていない。枯れた大地では草すら精一杯に育てなければならないと知っているので、税はギリギリまで下げている。
ミューリの小難しい顔を見たメイドは「悲しませてしまった」と勘違いして、なんてことないようにパッと笑って見せる。
「しかし! アイテル様は王城にて騎士たちの剣術指南などしてお金を稼いでおりますから、当分は私とお別れすることはありませんよ!」
「そ、そう……」
そこまで話していいのだろうか、と口元をひくつかせた。父親が出稼ぎでその日をしのぐためのお金を稼いでいると聞いた娘の心境としては、とても複雑である。
「それに、国内に五人しかいない『魔法を使える人間』を王が放っておきませんよ」
ミューリは納得して頷いた。
先の戦争でも、戦況をひっくり返した要因が『魔法』である。
アイテルは「空気」に特化した魔法使いだ。戦争では竜巻を起こし、かまいたちで敵を薙ぎ払い、真空によって呼吸を奪い、そして自らを浮かせて兵が守る中心に降り立ち、相手の大将の首を飛ばした。
そのせいで「天空の騎士」などと、恥ずかしい異名がまことしやかに囁かれ、オムニア国に広まっている。
更に言えば、母であるエリシュも魔法を使える人間だった。
エリシュは「植物」に特化した魔法使いで、様々な植物を育てることができる。エリシュ自身は「些細な魔法だわ」と言うが、ミューリは聞いた瞬間に、製薬に必要な植物は全て確保できるのではないかと目を瞠った。が、今の荒廃したピオスフィラでは何も育たない。宝の持ち腐れもいいところだ。
アイテルとの婚姻の話は戦争に向かう前に進んでいたが、与えられる土地がピオスフィラ領と聞いてエリシュの父であるアニムーム公爵が話を反故にした。例え貴族としての地位が高く有能な人物であろうとも、荒廃した地に娘をやるなどとエリシュの実家は軟禁までして止めたのだが、「行けだの行くなだの、娘をどうにか出来ると思わないで」と逃げ出して駆け落ち同然で共になった。
魔法はその時に発現したらしく、軟禁場所の窓の外に逃げる用の大樹がたった一晩で育っていた。
ただ孫の顔は見たいらしく、時折「たまには帰って来ないか」という手紙が届いている。ミューリは、エリシュが手紙を笑顔で破く姿を見たことがあるので、迂闊に実家の話はしないようにしよう、と決めている。触らなければ爆発もしないのだ。
「まほうは、いつ使えるようになりますか?」
「さぁ……? なんせ実例が少ないので、下は五歳から、上は六十八歳までですね」
「ろくじゅ……」
「死ぬ手前に発現した方がいたそうです。すぐ死にましたが」
死ぬ間際、その場にいた全員に「せめてババアのへそくり全部使い切ってから死ぬべきじゃった……!」という思考と共に、ババアのへそくりの在処が全員の脳内に浮かんで消えた。サイコキネシスという単語が浮かんだミューリは、うっかり呟かないように笑顔を崩さないまま口を横に引いた。
サイコキネシスは一瞬の出来事すぎて、それが魔法の一種だと気付くのに三日掛かったらしい。もちろんへそくりは全て回収した。
「魔法使いお二人の子供ですから、ミューリ様も使えるようになるかもしれませんね」
「それなら水のまほうが良いです」
「あら、どうしてですか?」
「ここは水不足なので」
「げ、現実的……いえ、将来有望……?」
メイドは何とも言えない顔をしてから、結局は可愛い幼女の夢物語として「頑張ってください」と言うに留めた。