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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

紅葉の行方

作者: tmtm

小川の水面が橙に色を染めた紅葉を写しておりました。

 林立した木々から聞こえるのは秋風の囁き。ひらひらと舞い降りてくる落ち葉を目で追うと、その先には

 着物を着た美しい少女が一人、小川の真ん中に佇んでいます。

 にっこりとほほ笑んだ彼女はその細く白い指を動かし手招きしてきました。私はふらふらと、蜜に誘われる羽虫のように彼女の元へ――


「――美香! 美香! ちょっと、大丈夫?」

 聞きなれた声を契機に、先ほどまであった小川の美しい景色は砂糖菓子のように溶けていきました。目の前に浮かぶのは心配そうに揺れるブラウンの大きな瞳。

「大丈夫。ありがとう陽華」

 彼女は「それならいいけど」と呟き、私――星川美香(ほしかわみか)の手を取って歩み始めました。こちらから目を離さないのを見るに大丈夫という言葉は信用されていないようです。

 歩き出して、ようやく周りが見えるようになってきました。農家の軽トラックと登下校の学生以外に利用者のいない細い道路、電信柱に飾られる色落ちした看板、道路より一段下で頭を垂らした稲の穂先。そう、私は通学の途中でした。

 歩き慣れた細道を抜けると、ようやく人家が増えてきます。いよいよ学校が近くなった時、意を決したように陽華がこちらを振り向きました。

「また、あの事故のこと……いや、小夜子のこと考えてたの?」

「そんなこと……ない」

 彼女は、こういうところで鋭いのです。図星をつかれた私はバツが悪くなって陽華の手を払いのけつつ歩き出しました。

 私には、二人の親友がいます。いえ、正確にはいま“した”。

 一人は目の前にいる日向陽華(ひなたはるか)

 まず目につくのが、ぱっちりと開いたアーモンド形の目に小麦色の肌。赤みのある長髪を根元で結んだポニーテールは彼女らしい快活な印象を与えます。見た目に違わずスポーツ万能。どんくさい私を体育の時に何時も助けてくれます。闊達な性格で男女問わず多くの友人に囲まれる眩しい存在です。

 天真爛漫という言葉にお日様が命を吹き込んだような女性といえるでしょうか。

 もう一人は月影小夜子(つきかげさよこ)

 切れ長の目と陶器のように白い肌。肩口で揃えられた烏の濡れ羽色の髪が似合っていました。ここ一帯では有名な名家の生まれで、着物を好んでいました。これが彼女の端正な容姿に映えるのです。手先が器用で私に裁縫を教えてくれたりもしました。その指先がまたドキリとする程美しくて。彼女は私が手間取ったとしても急かすことなくいつもニコニコと見守ってくれていたんです。

 可憐という言葉に月明りを添えたような女性でした。

 幼いころから何時も一緒にいたこの二人は私にとってかけがえのない大切な親友だったのです。

 陽華の言う事件が起こったのは今から二週間前でした。

 紅葉狩りに行こうと言い出した小夜子と私は山間の小川へ向かいました。よく整備された平たんな道で子供だって行ける場所。子供の頃から三人でよく遊んだ思い出の場所でもありました。この時、陽華はバレー部から助っ人を頼まれていて小川へは遅れて到着する予定になってたんです。

 小川に着いた私達は歓声を上げていました。小川の周りには紅葉の絨毯。そこから溢れた色とりどりの葉が清流に乗って流れるさまは時間を止めたくなるほどの光景だったのです。

 そして、驚くようなことが起こりました。童心に帰ったのか小夜子は素足になると小川に飛び込んだのです。ちゃぷちゃぷと音を鳴らして流れてくる落ち葉を踏もうとする姿は本当に子どものようで。

 可愛らしいやら可笑しいやら、私も彼女につられ小川の中へと飛び込みました。水の冷たさに私が素っ頓狂な声を上げると小夜子が大笑い。それを見た私もお腹の空気が無くなるくらい笑っていて。

 だから、気づくのに遅れたんです。

 上流から迫りくる轟音。

 二人を襲う鉄砲水に。

 私は奇跡的に助かってしまったけれど小夜子は打ちどころが悪かったみたいで。病院で目覚めた時、彼女が帰らぬ人になったと聞かされました。

「あっ」

 いつの間にか、学校のすぐそばまで来てしまっていました。私の姿を見た学友が視線を伏せ逃げるように校門をくぐっていきます。

 あの時からそうなのです。しかし、無理からぬことでしょう。

 小夜子が死んだと聞かされてから私は泣きました。

 狂ったように。

 狂ってしまえればよかったのですが、そうもならず。

 あの髪を振り乱して泣きわめく姿を見れば誰も近づきたくはなくなるでしょう。彼女の行動を責める気にはなれません。

「美香……」

 一部始終を見ていたのでしょうか。いつの間にか隣にいた陽華の長い眉がへたりと下がっていました。彼女は何も言わず私を抱きしめます。強く、強く。彼女の胸はお日様の匂いがしました。

「大丈夫、大丈夫だからね。私がそばにいるよ」

 そう言って頭を優しく撫でてくれます。私はというと、愛情を求める幼子のように陽華の背中に腕を回すことしかできませんでした。

 校内から予鈴が鳴ると陽華は私を離し、ポケットから何かを取り出しました。

「お守り……?」

「そう、御守り。作ったんだ。ほら、私の家は神社でしょ? それで美香が元気でいられますようにって」

 鮮やかな青色の御守りが陽光を浴びて煌めきました。私が小夜子を失ってもなお狂わずに生きていけているのは陽華のお陰なのだと思います。

「ありがとう。陽華」

「いいのいいの! 親友でしょ、私達。それと約束して」

 彼女の顔から照れ笑いが消え真剣なものへと変わります。

「絶対に一人であの小川に行ったりしないって」

 空風が二人の間を吹き抜けスカートの裾を揺らしました。彼女の顔は美しさの中に危ういまでの真剣さがあって。私はただ熱病に浮かされたようにコクコクと首を振るしかありませんでした。

「じゃあいこっか。教室まで送ってくね」


 教室に入り授業が始まると、ひたすら砂を噛むような時間が空過ぎていきました。学友たちも私に話しかけませんし、私からも彼女たちに語り掛けることはありません。

 なにか、見えない線が引かれているようでした。

 沈黙が濡れ落ち葉のように張り付いてきます。

 唯一の救いは陽華の存在。

 休み時間に教室の外から私を呼ぶ彼女の声が聞こえると、私は水中から息継ぎをするかのように教室の外へと逃れるのでした。

 気味悪そうに私達を見つめる学友の目には気づかないふりをして。

 苦痛の時間は下校を告げるチャイムの音と共に終わりを告げます。私は陽華の姿が見えるとすぐに教室の外へ飛び出しました。

 帰り道、私達はゆっくりゆっくり歩んでいきます。少しだけでも陽華との時間を伸ばしたくて。最近悩まされてきた小川の白昼夢も御守りのお陰か、朝以来見ることはありませんでした。

「そろそろ、帰ろっか」

 山影に夕日が半分ほど隠れた時、陽華は名残惜し気にそう呟きました。

 私の家の前まで来た陽華は去り際に振り返ると一言。

「朝の約束、忘れないでね」

 私は彼女の後姿が見えなくなるまで手を振った後、家の中へと帰ります。自分の部屋に戻った私は何もする気が起きなくてベッドに身体を投げ出しました。

 その時です。

 ポケットに入れていた御守りが一瞬、体を離れました。手を伸ばした時にはもう遅くて。

 その瞬間、私の周りはあの小川へと変わっていました。

 ただ、今度は勝手が違います。色鮮やかだった紅葉は黒く変色し、清流だった小川も濁った泥水が流れていました。

 顔の周りに落ちてくる虫食いだらけの葉を手で払うと、目の前に小夜子が現れました。

 いつもと違い目に涙を浮かべて。パクパクと口を動かすのですが声は聞こえません。

 水中で発した声が地上には届かないように。

 ただ、小夜子の仕草、その必死の表情からどうしても私に伝えたいことがあるのだと分かりました。私が小夜子に手を伸ばしたその瞬間。

 周りの風景は霧のように消え去り、私は部屋の中で一人ぽつんと佇んでいました。

 伸ばした指先には陽華の御守り。

 脳裏に浮かぶのは小夜子の必死な表情。

 衝動。

 私は部屋を飛び出すと靴もきちんと履かぬまま走り出しました。

 あの小川へ。

 今にも沈みそうな夕陽はどうにか体半分を地平線のこちら側に残している状態。不気味に伸びていく影を横目に見ながら私はただ駆けます。

 ――駆けて、駆けて。辿り着いたのです。あの小川に。

 一歩、踏み出すとすぐに小夜子はその姿を現しました。その表情は能面の様で。

 怒っているようにも哀しんでいるようにも見えました。

 現実で初めて見る小夜子の亡霊。つま先から頭まで凍り付きます。

 彼女はゆっくりゆっくりと私に近づいてきました。

 生前そのままの姿で。

 私の両肩に手をかけ小さな口が動きます。

「……して」

「え……? さ、小夜子」

 恐怖と混乱。もう、口はまともに動きません。歯の根の合わない私を見ても小夜子の表情は微動だにせず。

「……を…………して」

 でも、その声が少しずつ聞こえるようになって。

「目を覚まして」

「え?」

 告げられたその言葉は私の想像の外に位置するものでした。

 背後に、足音。

「何してるんだ……!」

 陽華でした。怒気を隠そうともしていません。その目の鋭さは息を呑むほどのもの。

 ただ、その視線が向けられていたのは私ではなく、小夜子でした。

 突如、景色が白く染まります。宙に浮くような感覚。

 傾いていく景色の中、視界に映るのは陽華の必死な表情。

「――――――」

 ただ、その言葉はこちらまで届くことはありませんでした。


「美香……? 美香! せ、先生! 美香が! 起きて!」

 耳に入ったのは母の涙声。目に映るのは真っ白な天井。涙ぐむ母をお医者様がなだめています。

「大丈夫ですよ。もしかすると疲れがたまっていたのかな? 外傷もないですし心配いりません」

 二人の横に目を移すと意外な人物の姿がありました。

 今朝、私から逃げた学友。頭に疑問符が浮かびます。

「美香、お礼を言いなさい。このお友達があなたを助けてくれたのよ」

 さらにその横には担任の先生。これはいったいどういう事でしょう。混乱は深まるばかりです。

「あ、ありがとうございます。あの、でも……あなたは」

「ご、ごめんなさい! 違うの。私も、ううん。私達あなたを無視してたんじゃないの。でも、でも……! 怖くって…………」

 怖い? 私が? 何故? どういうこと? 精一杯頭を捻りますがなにも答えを生み出してはくれません。

 担任の先生が学友の背中を撫でると、その子は何かを吐き出すように言葉を続けました。

「だって、だって! 星川さん、まるで、陽華ちゃんが隣にいるようなこと言うから……」

「陽華? なんで、陽華……?」

 陽華がどうかしたのでしょうか? 頭の深いところがズキズキと古傷のように痛みを発しました。

「星川」

 先生が私に近づいて膝をつきました。目線が同じ高さに。眼鏡の奥にある瞳に浮かぶのは哀しみの色。

「日向は……日向陽華は亡くなったんだ。月影小夜子とお前が事故にあった道の近くでな。トラックが横転して…………」

 カチリ、と頭に音が木霊して。続けてパズルが組みあがるように今までのおかしな出来事の辻褄があっていきました。

 どうして、みんな私を不気味そうに見ていたのか。

 どうして、人気者の陽華に誰も話しかけなかったのか。

 どうして、小夜子はあれほど必死になにかを伝えたがったのか。

 分からないことが一つだけ。

 陽華は私が作り出した幻だったのでしょうか?

 無意識に胸ポケットに手が伸びます。

「あっ」

 指の先に見えたのは青色の御守り。

 ぽたぽたと頬を伝う雫。胸にある哀しみ、愛おしさ、辛さ。全てをごちゃ混ぜにした想いが白いシーツに染みを作っていきます。

 最後に陽華が言おうとした言葉が分かった気がして。

 心の中でそっと「そばにいるよ」と呟くのでした。


 あくる日、私はまたあの小川におりました。

 来るのはこれが最後になるでしょう。陽華からもらった御守りを握りしめて小夜子を待ちます。

 やがて空風が吹き抜けました。続いて視界を満たす秋の彩り。

 赤、黄、橙と色鮮やかに、紅葉は天より降り注ぎます。それは自然が作りし芸術。

 そして空を舞う落ち葉が無くなったとき小夜子はもう目の前に来ていました。お気に入りの深紅の着物でおめかしして。生前私が大好きだったあの優しい笑顔で。

 いざ、小夜子を目の前にすると何を言ったらいいか。言葉に詰まります。

 助けてくれたお礼? 怖がった謝罪? 忘れないよと気持ちを伝える?

 言いたいことが多すぎて喉の途中で渋滞を起こしてしまっているようでした。小夜子はいつも通り。ニコニコ笑って私が答えを出すのを待っていてくれます。丁度、裁縫を教えてくれた時のように。

「美香」

 小夜子の声。鈴の音のように聞き心地のいい。彼女はその細い腕を伸ばすと固くなった私の手をほぐします。

 すると、青い御守りを自身の手に取りました。

 それから彼女はあの笑顔を浮かべたまま、何の迷いもなく。

 その御守りを水面に投げ捨てたのです。

 残酷な子供が虫を地面に叩きつけるみたいに。

「これでもう、邪魔者はいないね」

 ハッとした私はお守りを取ろうとしました。

 でも、もう遅かったんです。

 小夜子の白魚のような指はとっくに私の指と深く、深く絡みついていて。ああ、なんて可憐なんでしょう。

 頭のどこかで逃げろという警報が鳴り響きます。

 でも、もう遅かったんです。

 だって、彼女の瞳はその着物と同じ深紅に染まっていて。ああ、なんて綺麗なんでしょう。

 逃げようという気持ちはもう破れた紙風船のように萎んでいきました。

 薄い唇をチロリと舌で舐めると、彼女は私の耳元に顔を近づけます。その吐息が掛かるだけでゾクゾクとした感覚が背筋を通り抜けました。

「美香、陽華言ってなかった?」

 横目で見た彼女の笑みは妖艶なものへと移り変わっていて。

「ここに一人で来ちゃダメだって」

 ようやく陽華の最後の言葉が分かったときグラリと視界が傾きました。

 彼女に引っ張り込まれたと分かったのはその後すぐ。

 もう、冷たい水面は手遅れなくらい間近にまで迫っておりました。

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