神待ちサクラと枯れた俺
「初めましてこんばんは! 泊めてもらっていいですか?」
玄関開けたら女子高生。いやはや、人生とは分からないことだらけだ。
キャリーバッグと制服という出で立ちで、家出少女と見て取れる。なにかワケありなのだろう。
「悪いな、他を当たってくれ」
そして触らぬ女子高生に祟りなし、だ。すげなくドアを閉めてやり、警察沙汰を回避する。
家を飛び出した少女が、売春を対価として他人の家に宿泊する。俗に言う“神待ち”というやつか? しかしそういうものはインターネット上にて、両者の合意の上で行われるはず。無関係の人間に売りつけるのは違うだろう。知らんが。
22年も生きてりゃそういうこともある、今の出来事は忘れよう。そう思い、卓上で湯気を立てるミルクティーを飲み干そうとし、カップを手に取ったところで、窓越しに目と目が合う。
誰と目が合ったのか、そう先ほどの家出少女。頭がそれを理解すると同時に乾いた破砕音が足下にて響く。
「入〜れ〜ろ〜」
さながら亡者のうめき声。その形相は悪鬼すらも威圧するだろう。
「分かった、入れ。泊めてやるからそれはやめてくれ」
俺の心臓がピンチで危険。やむなく折れてやる。
前門の女子高生、後門のポリスメン。いや何を言っているのかわからない。
なぜ俺がこんな目に遭わねばならぬのか。ちくせう。
* * *
作り直したミルクティーを冷ましつつ、向かいの椅子に座る少女へと話しかける。
「おい、お前」
「サクラです」
「なぜ俺なんだ? 俺はお前のことを知らんし、お前に頼られる理由もない」
「さて、どうでしょうね」
堂々とはぐらかしよる。
「素性の知れんやつを置いておくほど俺は寛容じゃない。今夜は仕方ないにしろ、明日には放り出すからな」
「それは困りますね。皿洗いや洗濯などしますよ?」
「間に合ってる」
元より一人暮らしが長い身だ、その辺に抜かりはない。
「肩たたきとかどうでしょう!?」
「お前は俺の子どもか」
「あ〜〜、……えっと、シます?」
これ見よがしにはー、っとため息をついてやる。
「神待ちのお約束ってか。生憎押し売りはもう足りてるんだよ」
「そういうのを期待して家に上げたわけでなく?」
「お前みたいなちんちくりんに需要があると思ってんのか、思い上がんな」
「ひどいッ!? けっこう覚悟の末の発言なのにぞんざいに流された! しかもちんちくりんって!」
いいや、どう見たってちんちくりんのすっとんとんだ。近所の高校の制服を着ていなかったら中学生かと勘違いしてただろう。
言ってやろうかと思ったが、やめた。気遣いなどではなく、これ以上うるさく騒がれてはたまらないからだ。
「そう言わずしばらく泊めてくださいよ!」
「お前がワケありなのはなんとなく分かるがな。面倒事は避けるに越したことはない」
「まぁまぁ、とりあえず一年くらい」
「長いわ!」
いきなり一年泊めてくれとか言う人間がいるとか、人生の深遠さを感じる。
「それなら半年!」
「駄目だ」
「せめて一ヶ月!」
「くどい」
「むー、一週間……」
「ったく、仕方ないな」
さっきから折れてばかりだ。厄介なことに巻き込まれてしまったものである。
「最初に高い要求を提示しておくことで、うまく交渉するテクニックです。おかげですんなりいきましたね、ふっふっふ」
「あ?」
「いえ、何でもないです」
本当に厄介だ。妙に精神が図太くて、図々しい。
「それでは、短い間ですがよろしくお願いしますね?」
ふにゃっと表情を緩めて、こちらを見る。
ネコのように細められた瞳。その目で俺を見るな。
* * *
「ところで、彰さんは神様って信じてます?」
夕食の席の沈黙を破って、問うてくるは茶髪の少女。
いくら雰囲気が悪かろうと、もっとマシな話題選びは出来なかったのだろうか。
「宗教勧誘か? あいにく興味がなくてな」
「そんなんじゃないですよ。あっ、このきんぴら美味しい」
やたらと箸の止まらぬ娘だ。単に健啖家なのか、それとも家でろくに食事がもらえていないのか?
ちなみにコイツは何も作ってはいない。全て俺の料理である。
「と言うか、なぜ俺の名前を知っている? 名乗ってないのだが」
「新条 彰、ですよね。名前はもちろん、色々知ってますよ。家の場所、屋根の色にリビングの内装まで。私に知らないことはありません」
無い胸を張って言っているものの、それはこの場所で容易く手に入る情報である。ひょっとしなくてもコイツは頭が悪いのかもしれない。
よく考えれば、名前だってそこらを少し探せば出てくるだろう。
「なんだそれ。自身が全知の神だとでも言いたいのか」
「ええ。神様は神様でも、その中でも女神様です。ガッデスです。存分に崇めちゃってください!」
ぬるい味噌汁を嚥下する。
「アホか。神なんて、何処にもいねぇよ」
* * *
「うげ、なんでまだいるんだよ……」
不快な金属音に叩き起され、のっそりとベッドから這い出してみれば、少女が相変わらずの小生意気な表情でこちらを見下ろしている。
「かわいいサクラちゃんが起こしに来たというのにその反応っ!?」
「自分でかわいいとか言うな」
例え顔が整っていたとて、それを自ら言ってしまっている時点でマイナスだ。
「今週唯一の休みなんだ……。頼むから眠らせてくれ」
ベッド脇の目覚まし時計をちらりと一瞥する。デジタルの画面には「6:01」の表示。こんな時間に人間は活動出来ないし、してはならない。
故に、ここで再び布団に潜り込むのは義務なのである。
────カンカンカンカン!
「うるさっ!?」
また鳴らされた。しかも今度は結構至近距離で!
「彰さんが起きるまでやめませんからね」
たまらず布団の隙間から覗いてみれば、フライパンとフライ返しを手に臨戦態勢の彼奴の姿。
「お前、これまで泊めてもらった奴にもそんな事してたの……?」
例え下心を持ってコイツを泊めた人間だろうと、この仕打ちには流石にキレるだろうに。
その問いに、サクラは不思議そうな表情で。
「泊めてもらったのは彰さんが初めてです。他の人ではなく、彰さんだからですよ」
「だから、何で俺なんだよ」
「さぁどうでしょうね?」
はぐらかされた。
「こういう言葉、男の人はドキッとするものなんじゃないです?」
「自分で言うな。そういう所だぞ」
仮に魅了度なんてものがあるならば、出会った瞬間がピークだっただろうな。噛めば噛むほど嫌な味がする。
「彰さんを見返そうと、料理を作ろうと思ったわけですよ」
「ほう」
照れくさそうにはにかむサクラ。
コイツもそういう事するのか。ほんの少しだけ見直したかもしれない。
「で、結果として作り方が分からなかったので聞きに来ました。てへぺろ」
「は?」
朝食は結局俺が作った。
* * *
「桜が綺麗ですねー。あ、私のことではありませんよ」
「どうしてこんな目に……」
食後だぞ。休日だぞ。そして俺はインドア派なんだ。なぜ散歩に連れ出されているのだ。
俺は家で休んでいたい。
「ここまで満開の桜、見ずに過ごすなんてもったいないですよ!」
軽い足音が桜並木の坂を駆けていく。わざわざついて行く義理もないが、かといって付き合わずに帰ったりしたらどれだけ騒がれるか。世界は理不尽で出来ている。
坂の頂上、舞い散る花弁のシャワーを浴びるサクラは、俺に背を向けたまま問う。
「彰さんはこの桜を、誰かと見に来たことがあるのですか?」
コイツのことだ。俺をからかうための問いなのだろうと、短い付き合いでの経験から察する。
さて、どうだろうな……とはぐらかす。と、眼前の少女が振り返る。小枝色の長髪がふわりと翻る。
「いいえ、あなたは見たことがあるはずですよ」
その表情は笑いを象っていない。
「なぜだ?」
「分かりますよ、何だって。彰さんの過去も、交わした約束も」
ドクン、と心臓が跳ねる。
「あぁ。もしかしてですが、彰さんは近いうちに死のうと考えていませんでしたか?」
「突拍子もないな。なぜ俺が死ぬ必要がある?」
「そんなの一つしかありませんよね。あなたが大好きだった、死んでしまった彼女を追うためです」
そんな馬鹿な。
何故コイツが知っている。誰も知らないはずの、俺の過去を。
もしかしたらコイツは本当に神なのかもしれない。或いは────
「違う。お前の言っていることは出鱈目だ」
韜晦、されど声は震えている。
拙い俺の嘘を見抜くような、その瞳。
「でも、安心してください。そんなどうしようもない彰さんをどうにかするために、私がやって来たのですから」
表情を崩し、手を差し伸べてくる。
「……何故だ。お前にはそんな理由も、義務もないだろう」
「ありますよ!」
顔を背ける俺に、強く呼びかける声。
背伸びした彼女の両の手が、頬を挟み込む。
「私にはあなたを救済したいという、意思があります!」
だから、こちらを向いていてください。そう呟くサクラの顔は、どこか泣きそうで。
なあ、きっと昨日初めて会ったばかりのお前は、今なにを感じて、そんな表情をしているんだ?
「時間は掛かるかもですが、それでもきっと……!」
すっと、軽く息を吸い込んで。
「あなたのことを救ってみせます。……だって私は、神様ですから」





