怪物よ、喜びの涙を流せ
「泉くんはそれだからいけないのよ」
椅子に背を預けながら速水が言う。
「人間変わらないもんだろ」
それに僕が応える。
いつものやり取り。
僕たちは明日に何の疑いも持たず、躊躇いもせず日々を過ごしている。
だから、いつだって事の終わりを笑い話に出来るのだ。
今日だってそうだった。
「せめて女の子には丁寧すぎるぐらいが良いと思うの」
「例えばどういうのだよ」
「そこであなたが具体案を出してくる、とか」
「女心がわからなくて別れたんだぞ」
「無茶言うなって? 女の子は無茶してくれる男が好きなの」
速水はいつだってそうだ。
切れ長の流し目でこちらをからかってくる。
からかいや冗談でトーンが変わるわけでもないからどこまで本気かわからない。
でも、何故か嫌いにはなれない。
「そういうもんかよ。なら対価は何をくれるんだ」
「日々のモチベーション、自尊心、ステータス。そして、身体」
「尽くしてそれかあ。まあ悪いものではないけどもさ」
速水の口からそんなことを言われると、少しどぎまぎしてしまう。
性欲はあるし、生物である以上仕方のないことだとは思うけど、どうしてここまで胸が高鳴るのだろう。
何ともなしに速水を見る。
前髪を真ん中で分けて耳にかけている。長さは肩甲骨辺りまで。
高校生らしからぬ、どこか冷たく大人びた雰囲気。
だからだろうか、学年での人気はそこまでだ。
僕だって高校男児の端くれではあるから、速水の外見は美人だと思うし、スタイルもすらりとしていて好みではある。
まあ、マドンナ的ではないかもしれない。
もちろん、他の男にこの話をすると「お前ホの字か」とからかわれるが、断じて恋愛感情はない。好意があるのは確かだけど。
「本気で愛しているなら、その人にすべて捧げたくなるものよ」
速水の色素の薄い髪は、夕暮れを吸い込んで煌めく。
「だから元カノとは上手くいかなかったって言いたいのか」
彼女は机に肘をつき、指を見つめて摩っている。
「まあ、私たちがどれだけ愛を語っても意味がないとは思うけれど」
「どっちだよ。そうやっていつも煙に巻いて」
「馬鹿は馬鹿のままが幸せなの。自分が見世物であることを理解しないうちが幸せなようにね」
達観しているような雰囲気を醸し出しているが。
「人の恋愛もセックスも聞いてきたくせに何言ってんだよ」
まあ、言った僕も僕だけど。
「笑ってはないから有罪ではないでしょ。どちらかと言えば……」
ほんの少し咎めるような視線を送ってくる。
「よくそれで人に嫌われないよな」
「自分を嫌った人間に時間をかける意味が分からないわ。それに、どうでもいい人間に時間を使う意味も。だから私は嫌われていないように見えるのよ」
ため息交じりに、また背もたれに身体を戻す。
「強情なんだか強かなんだか」
「欲しいものは手に入れる。わかりやすくていいと思わないかしら」
そう言いながら足を組んだ姿は、どこまでも彼女に似合っていた。
「そのためにはすする泥もありましょうに」
「あなたは人前に泥だらけの姿で出るのが好きなの」
目を細めてジトリと睨んでくる。
「いや、そういうわけではないけども」
「でも、人間関係を上手く構築できる人間は、そういったマゾよ」
一瞬伏し目がちになる彼女を僕は見逃さなかった。
どうして彼女を嫌いになれないのか。放っておけないからだ。
「速水さんはマゾではないからなあ」
普段は散々人で遊ぶくせに、時たま陰を見せてくる。
それを知りたいと思わせるほど、様になっていた。
「私をマゾだと思うのは、勘違いした奴らだけ」
「それもそうだな。誰しも両方の素質は持ち合わせてるみたいだけど」
「花は咲かなければ意味がないのよ」
速水は頭が良い。勉強が出来るとかいうのではなくて、地頭の方だ。
だから、もしかすると今までのすべては計算しきった行動かもしれない。
それでも、僕は彼女を信じてみようと思う。
彼女は本当の僕を知らないだろうから。
私は泉くんが好き。
何故好きになったかなんて説明できない。
直してほしい部分はたくさん言えるけれどね。
でも、わざわざそんなことを言うくらいなら、自分から直すように差し向ければいい。軋轢を生まず、多様性を許容させればいい。
最初に良いと思ったのは、だいたい入学して半年。
小奇麗で人畜無害。同性異性との関係も円滑。
自分が傷ついてでも他人を助けようとする精神を持ち合わせている。
他人を信じようとするが、聖人君子ではない。
どこかしら陰があるように見えるけど、自分から見せようとしない。
かといってあまり人を恐れているわけでもなさそう。
まあ、対人恐怖は触れ合ってみて初めて分かることだけど。
いずれにせよ、がっついてくる男どもよりは私を喜ばせてくれる。
自分勝手に振舞うことは苦手だろうし、自分から断ることも得意ではないと思う。
クズになりきれないだけでなく、こちらの想いに応えようともしてくれる。
悪態をついても、なんだかんだやってくれるタイプの人間のように感じる。
少なくとも、何もせず悪態をつくだけの騒音有機物ではないのはたしか。
彼を手に入れるための計画は柔軟にしてある。
計画の始まりは二年のクラス替え。
ここで泉くんと別クラスだったなら、告白してしまうのも手だったけど、同じクラスだったから本来の計画をスタートさせた。
まずは担任と一つ深い関係になっておくこと。
同級生からの人気はないけど、熱意はある女性の先生だったから、二者面談の時に「嫌われてます」と伝えて、生徒の本音をぶつけた。
一方では、教師好みの「頑張る生徒」を演じる。
先生に質問し、成績を上げながら、たまに低い点数を取る。
担任に最も近しい学級委員になり、従順でありながら、たまに意見する。
もちろん、学級委員には立候補しない。仕事を上手くこなし、ある程度の交友関係があれば、推薦もしくは押し付けという形でその役職に就ける。
そうすることで、少なからず目には入る。
担任とも関係を深めておけば、私の評判は教師間にも次第に広がっていく。
ただの「良い生徒」では意味がない。
「有能かつ不完全な生徒」でなくてはならない。
次に、泉くんに認知されるために、席替えで彼の隣に移った。
担任に対する布石で、席替えを一任されるようになっていた。
だから、他の生徒からの要望を踏まえて弄ることが出来た。
個人の評価がどのようなものにしろ、これで全体評価はプラスに傾く。
担任は忙しいだろうし、築き上げた関係を壊したくないのか、文句こそ言ったが私の改ざんを黙認した。
一目置かれるべきは教師からで、生徒から必要なのは「都合のいい人間」という評価だった。自分にとって都合の悪い人間を担ぎ上げる人はいないのだから。
そこからは簡単な話。彼と徐々に関係を深めていく。
もちろん、身体を触れ合わせたり、ダイエットの話なんかをしてお腹を触らせたりもした。彼はよくガムを持ち歩いていたから、それをほぼ毎日貰ったりもした。
彼との会話も、最初のうちは共感を重視し、彼の好きなサブカル――もともと私も好きだった――などをネタにして軽口を言い合える関係にまで深めた。
彼は頭の良い人間で、自分と同等以上の人間に惚れるタイプなのは好都合だった。
意外だったのは、案外に人が苦手で、恋愛についても私に相談してきたこと。
彼は意思決定は自分でするタイプの人間だから、私は助言を飛ばすだけでよかった。
告白してきた女の子は幼馴染だったらしいけど、彼は良く覚えていないようで、そこまで警戒するものでもなかった。顔も私より良くなかったし、内に溜めるタイプの子だったから上手くいかないのはわかっていた。
別れたところで相談に来るだろうから、そこでも彼の思考の外側からアドバイスする。彼の私に対する信頼は上がり、おそらく無意識のうちにでも私に対して好意は生まれているはずだ。
そして、それを確信したのはついさっき。
彼は気づかれないようにしていたつもりらしいけど、見ているのは知っている。
情欲を匂わせ、小さな行動を起こし、突っ込みどころを作ってあげる。
そこに、彼と同じように陰を持っていることを見せつければいい。
もちろん、効果を高めるために自分磨きは怠らなかった。
外見的な美しさもそうだけど、彼の好きそうな返しを出来るように。
泉くんの描く「速水」に寄せた行動を取り、その中に意外性や幼さをちりばめる。
私が素を出した時に動きやすいよう、多面性は重視した。
彼の内心は「好意はあるけど、恋愛感情ではない」という感じだと思う。
彼から告白される可能性は低い。一度も告白したことがないと話していたし。
――なら、私から告白すればいい。
プランBとして用意していた「初めに告白してしまう」というのは、所詮スタートラインをどこにするかの違いでしかなかった。
恋仲になって手懐けるよりも、徐々に手懐けた先で恋仲になった方が簡単。
それも、ここまで来ればもう問題はないはず。
断られるようなら、身体を使えばいい。
彼も私の身体に興味があるようだし。
――欲しいものは手に入れる。
分かりやすくていいと思わない?
その為になら、私は身体も心も捧げる。
泉くん。
あなたは私を信じてくれるようだけど、私はあなたを信じない。
そんな次元じゃない。あなたのすべてを受け入れてあげる。
あなたがそうやって私好みに変わってくれるなら、死ぬまで愛すわ。
身体も心もすべてあなたに捧げて、あなたを幸せにする。
傷つけることなんて決してしない。あなたの「速水」はそんなことしない。
そして、あなたのすべてを私のものにする。
これは決定事項。完遂されて然るべきなのよ。





