課金石で殴……れない!? ソシャゲ世界に転生したらデフォルトでハードモードでした
ルミエール王国の王女に生まれた私、リュシエンヌの子供時代は幸せだった。両親は厳しいけれど愛情深く、《祈りの姫》である私のことを、民も臣下も慕い敬ってくれた。何より、お兄様がいた。誰からも愛される私は、きっと末永く幸せに暮らすのだろうと信じていた。
そんな無邪気な思い込みが崩れ去ったのは、私が十歳の時のことだった。
「あ……あぁ……」
幼い私は、間近に迫る鋭い牙の輝きを前に、へたり込んでいた。王都近郊の森に、散策に出かけていた時のことだ。小さな魔獣や妖精と戯れるうちに、護衛から離れてしまったのだ。危険な魔獣は追い払われているはずだったのに──たまたまなのか、騒がしさを嫌ったのか。森の主である大狼が、私の前に現れて牙を剥いたのだ。
「止めて、来ないで……」
か細い声での哀願が、狼に通じるはずもない。逃げたところで、一瞬で噛み殺されるのが目に見えている。刃のような牙が喉を裂くのを思い浮かべて、ぎゅっと目を閉じた時──
「そこまでだ!」
一陣の風が、私の金の髪を吹き上げた。目蓋の裏に影が過ぎり、何かが私と大狼の間に飛び込んできたのだと分かる。
「我が名はルミエール王国王太子、トリスタン! 妹に仇なす者には容赦せん!」
恐る恐る開けた目に映るのは、頼もしい背中と、そこに踊る金の髪。私と同じ色の。軽装の皮鎧には緻密な装飾が施されている。もしも彼が振り向けば、その胸元には王家の紋章が燦然と輝いているのを、私は知っていた。
「雷よ降り注げ!」
彼の声に応えて、無数の稲光の雨が大狼に突き立った。森の主は素早く跳び退って、艶やかな毛皮には焦げ目ひとつつかない。でも、とにかくも大狼は面倒くさい、と思ってくれたらしい。不機嫌そうに尻尾で地面を打つと、巨大な影は森の奥へと消えていった。
「──お兄様……!」
本当に危機が去ったかを見届けようというのか、彼は私を背に庇って身構えたままだった。半ば転がるようにして。私は彼の腰の辺りにしがみついた。私を助けてくれた人が誰だか、分かってしまったのだ。彼は、この人は──
「リュシエンヌ、無事だったか!? もう大丈夫だ、俺がついているからな!」
「お兄様……『お兄様』だったのね……」
「ああ、俺だ。可哀想に、怖かったよな? すぐに王宮に帰ろうな……!」
「お兄様」は、私の言葉を本当の意味では理解していなかっただろう。幼い妹が、危ない目に遭って混乱して泣いているだけだと思って、ひたすら抱きしめて慰めてくれた。護衛や侍女たちのところまで、私を抱っこしてくれた。シナリオ通りの、とても優しい良い人だ。
あの時──私は確かに混乱していたし涙も本物だった。でも、大狼に怯えていた訳でも、雷に驚いていた訳でもない。私の頭に渦巻いていた思いをあえて言語化したら、こんな感じだっただろう。
お兄様? お兄様だ! あの被り星5で有名なシスコン王子! じゃあこれプリサン? プリサンの世界なの? 私が姫ってうわ恥ずかし! っていうか、なんでよりによってソシャゲなの!?
プリサンことプリンセス・サンクチュエールは私が前世でハマっていたいた女性向けスマホアプリだ。イケメン育成要素のあるファンタジーRPG、って分類になる。
プレイヤーことルミエール王国の王女は、神や精霊に祈りを捧げることで彼らの声を聞き、人の秘められた力を解放することができる《祈りの姫》。その力で(ガチャから出てくる)イケメンたちを強化して、世界の危機に立ち向かう──と、掃いて捨てるほどありそうな設定のゲームだった。どちらかといえばマイナーだけど、知っている人は知っていて、細々と長く続いている、そんな立ち位置。
前世の私は、プリサンをやり込んでいた。老後に後悔するのかなあと思いつつ、結構なお金と時間を貢いだ。結局老後を迎えることはなかったっぽいけど。生まれ変わって(?)十年くらい、全く気付かなかったのは不覚だった。デフォルトのヒロイン名とか意識してなかったし、ストーリー開始前の幼少期ならしょうがないと思うんだけど。そんな中で、私の記憶を呼び覚ましたのが、あの声だ。
『我が名はルミエール王国王太子、トリスタン! 妹に仇なす者には容赦せん!』
あれは、トリスタン入手時のボイスだから。前世の晩年に限って言えば、親の声より聞いた声だ。ヒロインの兄というポジションゆえに、トリスタンはゲーム配信開始時からいる初期キャラで、だからこそ被りでいらないのに来ちゃうことも多いキャラだった。新キャラピックアップで、レアキャラ確定のキラキラエフェクト、からの「妹に(略)容赦せん!」はぶっちゃけ苛ついた。スマホを投げたら画面に罅が入った。あの時の私の涙は、ガチャ爆死の記憶が蘇っての思い出し泣きでもあっただろう。
そもそも、幾らやり込んだゲームでもその世界に生まれ変わりたいとは普通は思わない。もっと壮大なストーリーや世界観の物語は沢山あるし。どうせ生まれ変わるならそういう世界の方が良かった。そりゃ、プリサンも好きは好きだったけど、うーんソシャゲかあ、という気分は否めなかった。
でも──私は結局割り切った。生まれてしまったものはしょうがないし、蘇った前世の記憶らしきものを消すこともできないし。幸い、プリサン世界はソシャゲならではの事情で二十一世紀日本の記憶を持った女にはかなり過ごしやすい。バレンタインガチャのためにチョコ(っぽいお菓子)もあるし、クリスマス的なイベントもある。ヒロインを気軽にあちこちふらふらさせるシナリオの都合上、お姫様といっても堅苦しい思いはしなくて済んでる。
それなら、このゆるふわな世界でのんびり生きれば良い。「リュシエンヌ姫」は美貌にも権力にも財力にも恵まれているし。ゲーム知識と併せれば、何不自由なく暮らせるはず。……《界の狭間》から忍び寄る《闇の軍勢》さえ倒せば。
記憶を取り戻してから約八年──十八歳になった私は、社交界デビューの宴を間近に控えている。七つ年上のトリスタンお兄様は、二十五歳。
「我が怒りは汝が怒り! 我が道を塞ぐ敵をその翼で打ち砕け。雷竜よ、憤怒の咆哮でもって裁け!」
お兄様の詠唱に応えて、雷の精霊が閃き、轟く。竜に似た形にうねる稲妻は、訓練所の地面に幾筋もの溝を抉った。
あの詠唱を真顔で、むしろ楽しそうに謳い上げるのはすごい。まあ、ゲーム通りなんだけど。小さなスマホ画面で見ていたエフェクトを目の前で見る迫力は圧巻だ。といっても、この技の完成形はこんなものじゃない。
「お兄様、雷の精霊がもどかしそうですわ。詠唱が少し違うのではないかと──」
トリスタンの奥義スキルなら、詠唱も含めて耳タコだ。詠唱とか基本スキップするけどね、たまに聞きたくなることもあるから。熱血王子様キャラはそんなに好みでもなかったけど、古いキャラだけに所持していた期間も長いからね、インフレに呑まれた後も気分転換に引っ張り出すことともあったから。だから、記憶が蘇って以来、私は精霊のお告げを装ってお兄様の強化に励んでる。
「我が道を塞ぐ敵を打ち砕け。その翼を鉄槌と為せ、ではいかがでしょうか」
「うん、リュシエンヌが言うならそうなんだろうな!」
プリサンのトリスタンがプレイヤーの間でシスコン扱いされていたのは、他キャラ狙いの時にガチャですり抜けるのがあるあるだったからだ。妹に悪い虫がつくのを身を挺して防ぐお兄様、ってことで。でも、この曇りない笑顔を見ていると、前世で被りトリスタンを何度となく破棄したのが申し訳なる。本当に、良い人は良い人だから。暑苦しいけど。
「──我が道を塞ぐ敵をその翼で打ち砕け。雷竜よ、憤怒の咆哮でもって裁け……!」
と、お兄様の詠唱は今度は見事に成功した。雷の精ははっきりと竜の形に凝り、その方向は先ほどできた溝を完全に上書きする地割れを生んだ。
「なるほど! さすがリュシエンヌだな!」
「いえ……お兄様の努力と才能があればこそ、ですわ」
満面の笑みで親指を立ててるお兄様に対して、私の顔は少し引き攣っている。やり込んだソシャゲの知識で褒めそやされても、後ろめたさしか感じない。《祈りの姫》どころか、中身はただのオタク女だ。こんな本性、お兄様には絶対知られたくない。
「当代の《祈りの姫》の力は素晴らしい。お披露目の宴では異国の者も褒めそやすだろう」
「……はい。とても楽しみですわ」
プリサンのストーリーの起点は、ヒロインのお披露目パーティーだ。ゲーム的には、ガチャ産のキャラのお披露目でもある。性格も外見も色々な属性を取り揃えた色物イケメンたちに直で会うのも、不安だけど。
「今から緊張しているのか? 俺がついてるから安心しろ」
「ありがとうございます、お兄様」
ああ、優しいお兄様。私の本当の不安は、やっぱりお兄様には言えないの。
ゲームのオープニングでは、敵も顔見せするものだ。私のお披露目パーティーは、プリサンのストーリー通りなら《彼ら》の襲撃で滅茶苦茶になる。
「頼りに、しておりますわ……!」
リュシエンヌとして十八年も生きていれば嫌でも分かる。この世界は本物で、コンティニューなんかない。手持ちキャラはトリスタンだけ──だから、どれだけ強化しても知識があっても、不安が消えない。
私の人生、大丈夫?





