目に見える魔法薬店
(ブンコの根元を粉末状にしたものを、っと)
手元にあった粉を目の前にある鍋に流し入れる。音もなく鍋の中身が青から緑を帯びた色に変わる。
それを覗き込んでいたのだろう、子供が目を丸くして驚いた。
透明な晶板を挟んだ反対側にいるその子供は、今にも板を突き破りそうな勢いで顔をくっつけていたが、ふと。
「…………、……」
振り向いて走り去っていく。どうやら向こうにいる女性に呼ばれたようだ。離れ際、名残惜しそうにこちらを眺めてきたので手を振ってやる。
果たして、その子供もぎこちなく手を振った後、今度こそその場を離れていく。
その後ろ姿を眺めながらも、作業を続ける。
(さて、最後はモモ花の蜜を……)
「マスター、客だ」
「うわぁっとうぅ!!」
入れようとしたところで、後ろから声をかけられる。すぽん、と音がしそうなほどの勢いで飛び出し、そのまま落としそうになったビンをなんとか掴み直し振り向くと、そこには声の主。音も立てずに忍び寄っていた、金の毛を持つ獣人。その獣人たる証のような三角耳を、布の被り物で隠したリリスがいた。
「お、音が何もしなかったよ!?」
「ふふん、そのための肉球だ」
確かにリリスの足裏には肉球が存在する。
けれどほんとにそのためかなぁ、と思いつつもむふー、と自慢げな顔をされてしまえば、こちらから何か言うのも野暮だ。
言いたいことを全部一つのため息に落とし込んでから、顔をあげる。
「で、えーと……お客様?」
「ああ、もう台カウンターに座ってるぞ」
「ん、了解。すぐ行くから待っててもらって」
こくり、と頷くリリスを横目に、手の中の瓶から滴を一滴。鍋の中が薄いピンクに染まり始めたのを確認してから、火を落とす。あとはこのまま放置して、ゆっくり冷ましたら完成だ。
その完成像を想像しながら手早く周りを片付ける。使用した容器やヘラを洗い、保管場所に仕舞い込む。最後に手を洗ってから、扉を潜る。
「おう、おつかれさん」
「いらっしゃいませ、お客様」
カウンターには一人のお客、この魔法薬店に来店したお客様が一人、常連のロウさんだ。
「今日は何にします?」
「いやー最近すっかりハマっちまってね。いつものあれ、頼むわ」
「黄花たんぽぽのコーヒーですね。かしこまりました」
ぺこり、と頭を下げてから手元のカップを温め始める。お湯は常に沸いている状態なので、あとは蒸らしながら淹れるだけだ。
セットした紙に粉末を流し込み、少しずつお湯を注ぐ。そうして下から滲み出てきたモノをカップに貯めて完成だ。
「お待たせしました。ご注文のコーヒーです」
「……うん、うまい」
一口、口にしてからそう呟く。よし、と心の中で小さく思ってから改めて辺りを見渡す。
明るすぎず、リリスの丁寧な掃除のおかげで埃ひとつ見えない店内。それがコーヒーの匂いで少しずつ満たされていく。
今日は気温も高めなので、匂いもすぐに広がっていく。ロウさんがコーヒーを半分飲むぐらいには、店内がほとんどその匂いに満たされていった。
「にしても何回味わっても不思議だよなぁ。まさかその辺に生えているような花が、こんな美味いコーヒーに化けるとは……」
「まぁ、薬草の延長にありましたから」
事実、何もわかっていなかった頃は、その辺に生えている草を全て確認する勢いで調べたものだ。もちろん薬草の本もあるので、全ての薬草を自分で試した、というわけではないが、そのおかげでいくつか新種の薬草を発見するに至った。
「にしたって、だ。今まで誰もやってなかったんだろ?」
「いやー、ははは……」
「それに、あの晶板も人気って聞いたぜ。なんでもこの店の目玉になりつつあるって?」
ロウさんが指差すのはカウンターの奥、僕がさっきまでいた場所だ。指す先はもちろん、鍋と晶板のある部屋。外から薬の調合を覗き込める設備だ。
「俺もまさか、魔法薬の調合を見せ物にする奴がいるとは思わなかったぜ」
少し前の話、魔法は秘匿の最たる物だった。魔法は基本的に自分で身につけるもの。それを誰かに教え伝えることはほとんどなかった。
それがいつしか広く広まるようになり、誰でも使えるようになった。今では魔法を学ぶための施設ですら、多くはないもののあちこちに建っている。
もちろんそれは魔道具に魔法薬も例外ではなく、そのレシピや製法は広く広まった。やろうとさえ思えば、それこそ誰でも魔法が使えるし、魔法薬を調合、道具を作成することだってできる。できるようになった。
けれどもそれは、「魔法」というものの凄さと同時に、使う難しさも広く世に伝えることになった。
方法が分かっても、誰もが同じようにできるわけじゃない。だからこそ、ああいった派手なものはお客さんの目を引くのに使えるのでは、と思い立ったのがあの晶板の始まりだ。
「……っと、もう時間だな。今日はこの辺で失礼するぜ、ごちそさん。またくるわ、マスター」
「あ、ありがとうございました!」
少し物思いにふけっているうちにいつの間にかロウさんのカップは空になっていた。
それをこちん、とカウンターに置いて立ち上がる姿に、慌てて頭を下げる。
またくるわー、と妙に気伸びした声と一緒に足音が遠ざかっていく。ついでからんころん、とドアにつけたベルが鳴る。
その二回目の音を聞いてから、ゆっくりと顔を上げた。
「相変わらず嫌な客だ」
「……リリス? 一応お客様だよ?」
「そうは言うがな、マスター」
相変わらず足音がしないことには、もはや慣れつつある。それでも不意に来ると、さっきのようにびっくりしてしまうのだけれど。
けれどリリスがここまで言うのもロウさんだけだ。一体何が……。
と、考え始めたところで、鍋のことを思い出した。
「っと、ごめん。また任せていいかな?」
「む、そうだな。鍋の中身もいい具合になっているぞ。こっちは任せて行ってくるがいい」
「ありがと、じゃあお願い」
言葉の途中からすでに、リリスはカップを洗い始めている。それを眺めてから、また僕は部屋の奥に引っ込む。
鍋の中には果たして。綺麗に凝固したピンクの塊が鎮座していた。
その出来に思わず手を握ってから、次の作業へ取り掛かって行った。
ーーー
「よぉ、こんなところまでご苦労さん」
「……『ご苦労』とおっしゃられるなら、もう少しお控えを」
「へいへい。今月の努力目標にでもしますよ、っと」
マスターの店から数歩。ちょうど、最初の角を曲がったあたりにその人影はあった。
いつまでも続きそうな小言を手で制し、人影の前を横切り裏通りに入る。後ろから聞こえてくるため息を聞き流した後。
「それでどうだ? 尻尾ぐらいは見えたのか?」
「……はい。が、やはり尻尾のようです。本体を掴むのは……」
「まだかかる……ってか。はー、やだやだ。こんなおっさんには重すぎるぜ、こりゃ」
思わず頭をがしがしとかくが、もちろん何の解決にもならない。問題は目の前に積まれたままだ。
店を出た直後だが、もうすでにマスターのコーヒーが恋しい。
「こうなればやはりあの店にーー」
「おい、その先は口にすんじゃねぇぞ?」
振り返らない。が、それでも強い口調で言う。
そればっかりは見逃せない言葉だ。
「分かってますよ。もちろん『冗談』でございます」
「……お前さんの、『それ』は冗談に聞こえねぇんだよなぁ……」
今度は振り返る。呆れ顔を向けてやれば、言葉の続きがやってきた。
「『冗談』ではありますが、悪くない案では?」
「ちっ、分かってるよ……。あー……また嫌われるんだろうなぁ」
店にいる獣人の少女を思い出して、ため息。
もちろんはっきりとは分かっていないだろうが、あの店に持ち込まれる『厄介事』の原因は察知されてそうだ。
「追い出されていないだけマシでしょう」
「うるせー、いつ追い出されてもおかしくないとこまで来てんだって」
「あきらめてください。これもーー」
再開してしまった小言は聞き流す。もうじき表通りだ。
後二十歩、後十歩。明るい光が足元に来たあたりで、小言は完全に幕を閉じた。
ーーー
朝。
「おはよ、マスター」
「うん、リリスもおはよう」
眩しすぎない日の光に、青く晴れた空。早い時間だからか、まだ店の前を行き交う人は多くないが、リリスと二人、開店の準備を始める。
掃除をしてお湯を沸かして。それから棚にある薬草や粉のチェックをしていく。
そんな時。
カランカラン……。
「あ、すいませんお客さん。まだ開店前なんです」
店の入り口から音が聞こえてくる。さっき、掃除のために鍵を開けたから、間違えて入ってきてしまったのだろうか。
申し訳なく思いながらも、出直してもらうように一歩前に出る。相手はフードを深くかぶっている上、外から入る光のせいもあって顔はよく見えない。
見えないが、一房だけ外に流れている髪の毛は銀。髪の長さから、女性だろうかと当たりをつける。
「えっと、お客様……?」
声をかけても無反応。一歩たりとも動かないその相手に、首を傾げてもう一声。
もしかして気分でも悪いのだろうか。であればこの店に来たのも一応、納得できる。
まだ開店時間前とはいえ、急に悪くなったりするのが体調だ。咄嗟に入ってしまったのだったら仕方が
「……ました」
「はい、なんです?」
ぽそぽそとした声が辛うじて耳に届く。けれどもまだよく聞こえない。
仕方ない、とそのお客に近く。そうして声が聞きやすいようにしゃがみ込んで。
もぎゅ
(へ?)
僕の頭は柔らかい何かに包み込まれた。