陽当たり良好吸血鬼
新居の真ん中に棺桶が置いてあった。
日当たりは良好、駅近、2階、角部屋、築浅。しかも相場より安い。
そんな好条件の並ぶマンションのワンルーム。就職のため新生活を始める私のお城。
しかしそこにはただ一つだけ問題があった。
南西2つの窓から差し込む日光が棺桶を照らしていた。
「えー……」
棺桶は内見時にはなかったはずだ。
さすがにあったらつっこんでる。
つまりこの棺桶は内見後に置かれた……のか?
誰が? 何のために? もしかしてこの地方の風習かなんかだったりします? ここ東京23区だけど。
棺桶は吸血鬼とか入ってそうな西洋風の棺桶だった。
「え、吸血鬼? まさか吸血鬼入ってる?」
そんなバカな。
ドッキリか何かか?
部屋にカメラとかあったりする?
もしかして『人様の新居に棺桶置いてみたwww』的な悪ふざけに巻き込まれてる? 都会って怖い。
そもそもこの棺桶どこで売ってるの? 葬儀屋? 斎場? あ、教会?
考えても考えても納得できる答えは出ない。
仕方なく棺桶に近付く。
荷物は全部業者に任せたので手元にはハンドバッグ一個しかない。
私は鞄で棺桶の側面を軽く叩く。
その音からは棺桶の素材が木製らしいということしか分からなかった。
「うーん……」
蓋開ける? めっちゃ重そうだけど。
なんか他に棺桶をつつけそうなもの……。
あ、飴。鞄の中に飴の大袋を発見。
個包装のまま棺桶に狙いを定めて……。
「えいっ」
乾いた音を立てて飴は棺桶の蓋にぶつかった。
「えいっえいっ」
私は袋の中の飴を節分の豆かってくらいに投げ尽くした。
黒板を爪で引っ掻いたような不快な音が棺桶から返ってきた。
「ひっ!?」
え? 棺桶の中になんか入ってる?
まさか死体遺棄!?
私はここに来てその可能性に気付いた。
いや待て落ち着け。仮に死体遺棄でも動いてるってことは生きてたんだ。
助けよう。警察に行こう。自首しよう。
いや自首はしないよ! 何も悪いことしてないよ!
私が混乱している間に棺桶の蓋が持ち上がった。
「ひえ……」
私はせめてもの自己防衛に鞄を盾にした。
蝶番のきしむ音とともに現れたのは、小中学生くらいの西洋風金髪美少女だった。
棺桶の中で半身を起こしながら、彼女は口を開いた。
「おはよう下僕。目覚めの夜ね」
「……おはようございます」
挨拶は大事、世界共通。
下僕とか言われたけどとりあえず気にしない。
美少女の背中の中程まである美しい金の髪は陽光にきらめき、大きな赤い目は逆光の中にあって輝いている。
透き通るような白い肌に黒いレースたっぷりの可愛い洋服を着ていてお人形さんみたいだった。
少女は自信に満ちた笑顔で私を見て、そして、きょとんとした。
「……あれ? タロウ?」
少女の日本語は上手だったけど太郎の発音だけは少々舌足らずだった。
太郎って誰だ。
「……タロウはどこ? ってぎゃあああ!?」
突然、少女が悲鳴を上げて頭を抱えた。
見ると髪の毛が焦げていた。
まあ吸血鬼だもんな。
陽光にきらめいたら燃えるか。
……吸血鬼!? あの!?
「カーテンを閉めなさい、下僕!」
少女が棺桶にもぐりながら必死の形相で叫ぶ。
縮こまっちゃって可愛い。
新居の窓には前の住人が残していったカーテンがかかっていた。
分厚い黒の遮光カーテン。正直趣味ではなかったが、もらえるものはもらっておこうの精神でもらっておいたやつ。
私は断じて下僕じゃないけど、髪の毛が燃えてるのは普通にかわいそうだった。
大股で部屋を横切り、遮光カーテンを閉める。
室内を暗闇が包んだ。
「ふう……死ぬかと思った」
手で髪を梳きながら少女はホッと一息ついた。
「礼を言いましょう下僕」
「下僕じゃないけど……あ、私の名前は椎名エリナ。お嬢ちゃんお名前は?」
「このワタシに対してお嬢ちゃんとは失礼ね。でもカーテンを閉めた功績に報いて答えましょう。我が高貴なる名はミランダ・エステファニア・アレリャーノ」
長っ。しかし私はいい大人なので名前をいじらないだけの分別はある。
「よろしくミラちゃん」
「気安い!」
ミラちゃんが白目を剥く。表情豊かな子だなあ。
「まあいいわ。タロウ知らない?」
「知らない……何太郎さん?」
桃太郎さんとか? 金太郎さんとか? 坂東太郎さんとか? あ、あれは川か。
「タロウはタロウよ。私のタロウ」
「知らない……」
その太郎さんって人がミラちゃんの下僕なのだろうか。
「……タロウ……」
ミラちゃんがしょんぼりとうつむく。捨て犬みたいだった。
しかしすぐに顔を上げて私をにらみつけた。番犬みたいだった。
「ところでエリナ、あなたこの家に何の用?」
「何の用も何も、ここ私の新居」
「ええ!?」
ミラちゃんはのけぞって驚いた。ミラちゃんの大きく開かれた口の中には鋭く尖った八重歯が見えた。
やっぱり吸血鬼? まあ人体発火現象なんて起こしている時点でだいぶおかしいんだけど。
あ、吸血鬼だったら人体ではないな。鬼体発火現象?
「……あ! もしかして棺桶に何か投げつけてたのエリナ!?」
「そうだけど……」
「……タロウ」
何かを確信したように呟いて、ミラちゃんの目にじんわりと涙が浮かんだ。
泣いている女の子相手にどうしていいか分からず私は素直な疑問をミラちゃんにぶつけた。
「……ねえミラちゃんって吸血鬼?」
「ワタシは……地縛吸血鬼」
「地縛?」
「……ワタシは数十年前にここに封印されたの。それ以来、ここがワタシの拠点。完全に動けないわけじゃない。でも棺桶がここに封じられてしまった」
「数十年前って……」
このマンションは築浅だ。数十年前ということはマンションの前の建物だろうか。
いや、待て、それ以上の問題がある。
数十年前? 十数年前じゃなくて数十年前?
この小中学生くらいの女の子が?
「……ミラちゃん年いくつ?」
「レディに年齢を聞くなんて失礼」
つんとミラちゃんは横を向いた。
「まあいいわ。愚かな人間に吸血鬼の年齢が分かるとも思えないし」
ミラちゃんはもったいぶって、かっこつけて、間をたっぷり取った。
「ざっと500歳くらいよ」
「500……」
500年前って戦国時代? 信長炎上が1582だから……もっと前? って何時代?
「で、ヒトに年齢聞いておいて自分の年齢は?」
「22歳です」
「小童ね」
500歳からしたらね。
「……そんなことはどうでもいいの。あなたがここに住むってことはタロウはどこに行っちゃったの……」
「ん? 太郎さんはここの住人だったの?」
「そうよ……ワタシは地縛吸血鬼だからこの棺桶は住人にしか見えないの」
「なるほど」
内見の時の私は契約してなかったから住人判定されてなかったということか? そんなに厳格に人間界のルールに囚われるものなのか、地縛吸血鬼。
「……ワタシ、タロウに捨てられたの?」
ミラちゃんが寂しそうな顔をした。……いや違う。たぶん違う。
「……ミラちゃん落ち着いて聞いてね。太郎さんは……行方不明なの」
「え……?」
「私はこの部屋を格安で借りた。それはこの部屋が事故物件だったから。この部屋が事故物件になった理由は前の住人が失踪したから」
太郎という名前は知らなかった。しかしその失踪した住人というのがミラちゃんのタロウなのだろう。
「タロウが行方不明?」
ミラちゃんの顔に衝撃が走った。
「………………」
ミラちゃんは黙り込んだ。
私は部屋にかかっている時計を見る。これも前の住人が残したものだ。
そろそろ業者が荷物を運んでくる時間だった。
「ミラちゃんって私以外の人にも見えるの?」
「見えるわ。棺桶に入ってれば見えないけど」
「じゃあ、しばらく入っててくれる? 業者さんが荷物持ってくるの」
「……分かったわ」
ミラちゃんは弱々しく答えると棺桶に戻っていった。
棺桶の蓋が重い音を立てて閉まった。
▼▼▼
ミラちゃんの棺桶が他の人間に見えないというのは本当だった。
それどころか当たり判定もない。業者は棺桶のある位置をすり抜けた
業者ににこやかに対応しながら私は部屋を整えた。
さすがにベッドなんかは使い回しが嫌だったので新品だ。
「ミラちゃん」
業者を帰らせ、呼び掛けるとミラちゃんはのそのそと棺桶から出てきた。
その顔は不機嫌そうだった。
「下僕、お腹が減ったわ」
「……血を飲むの?」
私、注射とか苦手です……。
「今時の吸血鬼は血とか飲まないわ。血とか飲んでいたのは食糧難の頃ね」
「へー」
「夜型生活でも生きやすい時代になったもの。コンビニ万歳!」
「世俗にまみれてる……」
「もう日も落ちたわ。出掛けましょう下僕」
「……太郎さんのことはもう良いの?」
「よくない。でもお腹は減るの! さあ下僕! ごはん!」
私は下僕じゃない。
下僕じゃないけど、まあいい。
新居が事故物件のおかげで生活費には余裕がある。
少女ひとりくらいなら養えるだろう。
太郎が見つかるまで面倒見てあげようじゃないか。
ミラちゃんが棺桶から出る。
分からないことだらけだったけれど、私のお腹も減っていた。
だからご飯にしようと思った。
詳しい事情はその時に聞けば良い。
私と美少女吸血鬼との同居生活はこうして始まった。