新米教師ユリカの四十九日間戦争
宇宙からの『落とし物』が、火球となり関東北部の地方都市へ落ちていく。
数秒後、合同庁舎ビルの上部を破壊し大通りに着弾。
アスファルトは陥没し、その衝撃波で大通りに面したビルの窓ガラスは割れ、人々の頭上に降り注ぐ。
水曜の昼下がり、ビジネス街の日常は一瞬にして崩壊した。
煙がもうもうと立ちこめる大通りの窪みの底では、緑と青のまだら模様の液体がブクブクと湧き始める。
亀裂の入ったアスファルトにべたりと張り付く爬虫類の手のような物体。次に緑と青のまだら模様の胴体が這い出してくる。
それは大山椒魚のような姿形だが、胴体はすぐ脇で横転しているトレーラーよりもさらに大きく、頭から尻尾の先にかけての体側部には、無数の眼球がキョロキョロと不規則に動いている。
あきらかに地球上のものではない、おぞましき姿の怪獣である。
怪獣の全身が道路に出ると、眼球の一つ一つが逃げていく人間の背中へ向けられる。
微かに透き通る体内から泡がブクブクと湧き出し、緑と青のまだら模様の皮膚が波打ち始める。
ブッシャァァ――――……
怪獣の体表から粘り気のある液体が噴出し、無数の触手となって四方に伸びていく。
大通りを走る者だけではなく、路地裏へ逃げ込んだ者にまで触手は伸びていく。
追いつかれた人々は悲鳴をあげる。それを待ち構えていたかのように、触手の先端が蛸の足のように広がり、次々と人間を飲み込んでいく。
断末魔が街を覆い尽くす地獄絵図。
怪獣の体は、人間を飲み込んでいくたびに膨れ上がり、新たな被害を拡大していく。
誰もが次は自分の番かと覚悟したその時だった――
「待ちなさい怪獣!」
騒音をかき分け、ビルの谷間に女の声が響きわたった。
その瞬間、触手の動きが止まり、怪獣の体側部にある無数の眼球がぎょろりと向けられた。
「大黒生命ビルの上を見ろ! 誰かがいるぞ!」
続く男の声に、人々も一斉にビルを見上げた。
「あっ、ユリカ様!?」
「ユリカ様よ!」
「ユリカ様は本当にいたんだ!」
それまで絶望の縁にいた人々は一気に沸き立ち、口々に『ユリカ』の名をつぶやき始める。
彼らの視線の先には、全身にレースのフリルが付いた紫の服を着ている若い女が、大黒生命ビルの屋上の手すりの上に立っていた。
「私たちの街を荒らす悪い怪獣はぁー、ユリカの愛の力でお仕置きよっ!」
指でハートマークを作り、たわわに実る胸に押し当てる。
ぽよよんと弾む胸。
地上の人々の歓声が沸き起こる。
指のハートマークから、白とピンクのストライプ模様のかたまりが空中に浮かび上がり、それがステッキの形に伸びていく。
「きゃー、ユリカさまぁー!」
「ユリカ様が俺たちを助けに来てくれたんだー!」
ステッキを手にとり、派手なアクションポーズで歓声に応えるユリカ。
だが、間近で見るとその口元は引きつっていた。
『ユリカ、もっと笑顔を振りまくゲロ! そんな中途半端な笑顔じゃ、真の魔法少女になれないゲロよ! ゲロゲーロ!』
ステッキの根元の膨らんだところがキラキラと輝き、ゲロゲロとしゃべり出す。
「そんなこと言っても恥ずかしいものは恥ずかしいのよー! 見た目だけ魔法少女でも、やってることは真逆だしぃー!」
作り笑顔を観衆へ向けつつ、ユリカはステッキに答えた。
『人間どもの恐怖心が怪獣のエネルギーの元になっていることはキミも知っているゲロ? だからキミの笑顔で人間たちから恐怖心を取り除いてやるゲロよ! キミは今、憧れの魔法少女になったんだゲロよー!」
「ううーっ、それは小っちゃい頃の夢だからー! それに私、もう少女って歳じゃないしぃー! ねえ聞いて、私の今の夢はね――」
『いいかいユリカ、キミはすでに2体の怪獣をやっつけて地球を守ったんだ。もっと自信をもっていいんだゲロ! そして残りの5体をやっつければ、キミたち地球人の勝利だ! さあ、目の前の怪獣をやっつけるゲロよ! いくゲロ、魔法少女ユリカ――っ!』
夢の話題は無視されてしまったが、ステッキに励まされて少し気を持ち直したユリカは、そのステッキを股にはさみビルの屋上から飛び立つ。
怪獣の触手は一斉に襲いかかるが、彼女の体に触れる寸前で次々と蒸発していく。そしてユリカは怪獣の頭へステッキごと突っ込んだ。
だが、怪獣の頭はゴムボールのように凹み、その反動でユリカは弾き飛ばされてしまう。
ゴムまりのように為す術もなく路面に叩き付けられた場所は、観衆からわずか20メートルの距離だった。
「ユ、ユリカさまぁ――」
「うひーっ、ち、近寄らないでぇぇぇ――ッ」
ユリカは全身全霊の勢いで観衆を制止した。
近寄ることを拒まれた観衆は戸惑い、顔を見合わせて首を傾げた。
『3体目の敵となるとこちらの手の内も読まれて、さすがに勢い任せの攻撃では歯が立たないゲロなー!』
「あんたが勢い任せ言うなぁー! 私は指示に従っているだけなんだからね?」
『ゲロゲロ。こちらの手の内を早い段階で知られるのは得策ではなかったのでゲロよ。しかし、こうなったからには、こちらも第2フェーズに作戦を変更するゲロ!』
「うん、わかった。やってみるよ私!」
ユリカは拳を握り、すっくと立ち上がる。
『あ、キミの胸を見るゲロ!』
「え、胸? わわっ! いつの間にか元のサイズに!?」
コスチュームがはち切れんばかりにたわわに実っていたはずの胸は、元のAカップに戻っていた。
「ふえーん、悲しみ~」
『いや、問題はそこではないゲロ! キミの胸はエネルギーの貯蔵タンクなんだゲロ! それがもう底を尽きかけているんだゲロよ!』
「うっ、……ということは?」
『現地調達ゲロな!』
とたんにユリカの顔が曇る。
「無理ぃー! こんな大勢の前で顔を晒せないしぃー!」
『やるんだユリカ! 地球を救うためには、いつやるゲロ?」
「今でしょーっ! ううっ……、私の尊敬するあの人のモノマネをこんな場面でさせないでぇー」
涙目でステッキに苦情を言いながら、しぶしぶ観衆に目を向けるユリカ。
観衆は皆、ユリカを心配そうに見つめている。
だがユリカ本人の目は、もう獲物を狙う鷹の目だった。
ターゲットをロックオンしたユリカは、腰を振りながら群衆に向かっていく。
「おにーさんには今付き合っている彼女とかいるかしらん?」
声色を変えて、濃艶な微笑みを浮かべつつ、青年に向かって話しかける。
イケメン顔の青年は、ぶわっと頬を赤らめ首を横に振った。
「そっかー、それならよかったわん! ユリカ嬉しい! うふふっ……」
ユリカはダンスのような華麗なステップで、青年の背後から手を回す――――
――数十秒後、ユリカはまるで何かから逃げるように空を飛んでいた。
『ぐへへっ、性感エネルギー大量ゲットゲローっ! あの人間、この先1ヶ月の間は勃たないでゲロなーっ!」
「そ、そんなぁー、ごめんなさいごめんなさいごめんなさーい!」
耳まで赤く染めて両手で顔を覆っていたユリカは、地上に倒れて介抱されている青年の方角に手を合わせた。彼女は新社会人になって1年目の23歳。まだまだ多感な年頃なのである。
「でも、恨むならあいつを恨んで!」
ユリカは空を睨み付ける。
昼間でも輝いて見える彗星は、宇宙からの侵略者を連れてきた元凶だ。
ステッキをぐっと握りしめる。
『その感情はエネルギーの損失に繋がるゲロよ!」
「うるさいうるさいうるさーい! 足りなくなった分はあんたが補いなさいよーっ」
『無理ゲロよーっ、そんなことしたら魔法少女の姿を維持できなくなるゲロよーっ』
「いっくよ――――ッ」
ステッキの警告を無視し、ユリカは怪獣に向けて急降下する。
跨がっていたステッキを空中で引き抜き、頭の上に振りかぶると、はち切れんばかりの胸がプルンと揺れる。
ステッキの先端からピンク色の光が伸び、剣の形になっていく。
「愛の剣アタ――ック!!」
ビジネス街一帯は、光と水しぶきに包まれた――
公園の駐車場の赤い軽ワゴン車に、茶髪の男子高校生がもたれかかっている。
ガサガサと音がすることに気づいた彼は、学ランを脱ぎながらその方向へ歩いて行く。
茂みの中にユリカこと、米澤友梨香が全裸でしゃがみ込んでいた。
「み、見ないでぇー」
「お前の裸などに興味はネェー!」
男は学ランを友梨香に投げつける。
「まったく、毎回無茶しやがって……お前は身バレしたら学校をクビになるんだろ?」
「だって……だってぇー、私が戦わなければ地球は滅んじゃうんだもん!」
友梨香は学ランで裸体を隠しながら、しょぼんとした表情で立ち上がる。
「地球の心配より自分の心配をしろ! お前がいなくなっちまったら、俺も学校にいられなくなるんだからな!」
「うん、ごめんね心配かけて」
「だから、お前の心配はしてねーから!」
「あ、エンジンかけて車の中を暖めてくれていたんだね? えへへ……幸村くん、なんだかんだいっても、先生に優しいよね?」
「うっせぇー! 早く服を着ろ! うだうだしてると、また職質されるぞコラァー!」
それからしばらく経って、赤い軽ワゴン車は国道17号線を蛇行しながら北上して行った。