陰キャは恋の作法が分からない
世の中の謎など、大抵は駆逐されている。
手軽に出会える不思議は科学で解明されていて。
空から降ってくる少女もいなければ、曲がり路でぶつかる妙に顔の良い男女も居ない。
そもそもパンをくわえて走るっていうテンプレイメージの「元」は何処なのか。
意外にそれが現代に残された謎ではないかって気もする。
「あー、カレシ欲しいなー」
「ねー」
そんな事を言いながら通り過ぎていく同じ学校の女子たち。
だが世の男子よ勘違いするなかれ。
彼女たちの中にはすでに理想というか目当ての男子は存在する。
迂闊に惚れるとお前等は勘違い野郎か身の程知らず、どっちかの称号がつくことになる。
俺は詳しいんだ。どっちの称号も持ってるからな。
「……はあ」
ふと、そう溜息をつく。つきたくもなる。
思うのだ。世の中には恋愛権なるものが存在して、一部の特権階級のみが持っているのではないかと。
一般男子の恋愛に「貢ぐ君」だの「アッシー」だの「メッシー」だのといった言葉が現れたりするのは、そういう権利を取得していないからじゃないかと。
……実はアッシーとかは死語らしいが、死語だから概念が死んだってわけじゃないだろうと俺は思っている。
「……はぁーあ」
ああ、死にたい。朝からこんなこと考えてる辺りがモテない理由なんだろうな、とか気付いて死にたい。でも死ぬのは痛そうだから嫌だ。その辺の電柱に手をついて黄昏ようとして、絶妙に乾いた犬のフンが目に入って「うえっ……」と声が出る。
やめようノーマナー、ストップノーマナー、駄目絶対。
「おう、おはよ清川。何やってんの?」
「朝一番に話しかけてくるのが男だって事実に絶望してるとこだよ」
「なんだ、いつものか」
同級生の猪山……幼稚園の頃からこの高校1年まで一緒のこいつだが、まあ……親友とは言わないが普通の友人以上の関係は気付けていると思う。思う、のだが。
「なあ猪山、俺思うんだよ」
「屋上に美少女はいねーぞ。進入禁止だからな、ウチの高校」
「今日はその話じゃねえよ」
「昨日したもんな」
歩きながら言うと、隣を歩いていた猪山がそんな返事を返してくる。
そう、良い奴だ。非常に良い奴なんだよなあ。
「……お前はこんなに良い奴なのに、貴重な幼馴染枠が埋められてると思うとやるせない気分になるんだよ。どうしたもんかなあ」
「死ねばいいんじゃねえかな」
「気軽に死ねって言うんじゃねえよ、泣くぞ」
ほんとに泣くからな、お前。陰キャなめんなよ。
「大体、うちの学校ときたらクラスのマドンナもいねえし」
「何時代だよお前。そもそも、そんなの居たらどっか運動部のキャプテンと付き合ってんじゃねえの?」
「……実はヤンキー少女がいい子だとかで俺に」
「実はいい子でもお前には惚れないと思うぞ」
「なんでだよ」
「お前のモテ要素、何処よ?」
「女の子には無限に優しいぞ」
「今どき優しさってのは標準装備らしいぜ」
「下心もセットだろ、そういうのは」
「お前鏡見ろよ」
……ちくしょう、何も反論できねえ。そうだよなあ、モテる奴にはモテる理由があるよなあ。
「あーあ、実は俺にすげえ力が眠ってたりしねえかなー」
「俺が神ならお前にそんな力は渡さねえかな」
「猪山……お前今日、俺に辛辣じゃねえ?」
「朝からお前のトーク聞かされる俺の身にもなれよ。俺とお前で漫才コンビみたいな扱いになってんの自覚してんの?」
……え、何。そんな扱いになってんの? なんで?
「……なんでやねーん」
試しに猪山の肩をぺしっと叩いてみたら、虫でも払うみたいな仕草で弾かれた。
「今の酷くね?」
「なんかすげーイラッとした」
「そっか……じゃあ無罪だな」
「お前、本気でそう言ってるのはすげえと思う。モテ要素じゃねえと思うけど」
いやでも、俺もやられたら同じ事すると思うし。たぶん控訴審棄却だよな。
「あー……モテたいなあ」
呟きながら空を見上げる。あ、スズメだ。
でも最近見るスズメって実はスズメじゃないって聞くけど本当かねえ?
「つーかさー」
「んあ?」
スズメの事に思いを馳せていたら、急に現実に引き戻される。
「お前そうやってモテたいとか言うけどさ、具体的に誰が好きとかあんの?」
「ん? んんー……」
いや、そう言われてみると……特にねえけど。
うーん、うーん……うん、無いよなあ。
「……特にないけど、ある日突然脈絡もなくモテねえかな、とは思ってる」
「いや、どんなイケメンでも脈絡なくモテたりはしねえだろ」
「そこはほら、なんかこう……不思議な何かが発生してだな」
「不思議に頼ってる時点でダメだろ。もっと現実見ろよ」
「見てるから悲しいんだろが。つーか猪山ァ。そういうお前こそ好きな子とか居るのかよ」
「居るぞ」
え、マジで。冗談で聞いたのに。
「え、誰? 隣の席の子とか?」
「能見だろ。つーか同じクラスだろ……名前覚えてねえのかよ」
「いや、覚えてるけどさ。個人情報保護の観点とか」
「隣の席って言ってる時点でアレだと思うけどな……つーか違ぇよ」
「じゃあ誰だよ」
「教えねえ」
「ええー……言えよ親友だろ」
「都合の良い時にだけ親友になるんじゃねえよ」
そんな会話を交わしながら……特に美少女ともぶつからずに、俺達は学校に着く。
いつもの教室、いつもの挨拶、いつものクラスメイト。
「……突然美少女が転校してきたりしねえかな」
「あはは! まーた清川の語りが始まったよ」
「あれでしょ? 厳格なお家に窮屈な思いをしてるお嬢様とかってやつ」
「居るわけねー!」
キャハハハ、と笑う女子たち。うーん、夢がないな。
この3人はいつもつるんでて楽しそうだけど……あれ、なんか4人いるな。
……ま、いいか。
「……夢は大切だぞ。人生を豊かにしてくれるからな」
「清川のは夢っつーか妄想だからなあ」
「マジキモ川って感じだよねー」
おいやめろ。清川でキモ川だと語呂良すぎて定着するだろが。
まあ、ここで下手に突っ込むと完璧に定着するから言わんけど。
「ていうかだな、転校生の場合はお嬢様じゃないぞ」
「えー、なんで?」
「お嬢様は転校なんかしないからだ」
そう、お嬢様は転校などしない。何かの間違いで公立校には居るかもしれないが、転校などしないのだ。なんか転校とかは……うん、違うよな。
「すげーなキモ川。朝からブッ飛んでるわー……」
「たぶんお嬢様居てもマジビンタされるよね」
「あー、あるある。こうパーンって!」
素振りすんな。俺のお嬢様はそんなのじゃないやい。
つーか助けてくれ猪山。俺のライフゲージが侵略されて……あの野郎、知らんぷりしてやがる。
サッカーの話題で盛り上がってんじゃねえぞテメエ。
「つーかさ、キモ川の言う転校生ってどんなさ?」
「あー? そうだなあ……」
転校生、転校生か。うーん……。
「……やっぱこう、この学校にはない空気持ってるのは定番だよな」
「あー、不思議ちゃんってやつ?」
「あれマジでキツいよ? やめとけー?」
「別に元気いっぱいな子でもいいぞ。居るだけでエネルギー貰えそうなやつ」
「そういうのが好きなんだ?」
「そういうの『も』好きなんだ」
「うわキモッ」
ボーリング工事かよ。俺の心を抉りすぎだろ。畜生、猪山! 助けを……あの野郎、こっちに完全に背を向けてやがる!
「清川ってあれでしょ。こう両側で括ってる髪型とか好きなタイプっしょ」
「あー。ツーテールか? あれって漫画で見ると可愛いのに現実だとあんまし見ないよな」
「その辺分かんねーからキモ川なんじゃね?」
「……それ以上俺の心を抉っても温泉とか出ねえからな」
机に突っ伏す俺の肩が、侵略者どもによってベシベシと叩かれる。
ええい、無遠慮な。本日の営業は終了しました。
「なんで温泉?」
「わかんない」
「トびすぎでしょ」
俺が頑なに突っ伏していると、バシバシと叩いていた手がユサユサに変わる。
ぬう、何故俺をそんなに起こしたいのだ。
「やめよ……此処に眠るものを起こすでない……祟りが起こるぞ……」
「いいから起きろって」
「話あんのよ」
「そうそう」
……話って。今までのは話じゃなかったんかい。
仕方なしに起き上がると、なんだか女子たちのフォーメーションが変化してる。
さっきから一言も話してない、謎の4人目が正面に出てきている。
「……えーっと……」
言いかけて、俺はハッとする。
胸の前で手を組み合わせるような、独特の動作。
どことなく伏し目がちで、何かを言い淀むような口元。
いや、ちょっと待てよ。
え? あれ? これってもしかして。
「あ、あの……!」
待ってくれ。ちょっと待ってくれ。
「……清川君、好きです!」
教室の全ての音が、ピタリと静止した。
言われてしまった。え、おい。待ってくれ。
……俺はまだ、君の名前すら知らないんだぞ。