#9.人生
徹夜テンションって、何言ってるかわかんないよね・・・。
「ねぇ、人生って、何なんだろうね?」
椎奈が用意してくれた、トースト、ベーコンエッグ、スープ、サラダとオーソドックスな朝食を食べ終え、紅茶を啜っている──なおこの場合の「啜っている」はあくまで表現的なものである──と、不意にそんな問いが浮かんだ。
この質問は僕の癖のようなもので、そういう、「意味も答えも明確には無い問い」について考えてみることがある。そして、そういう時の被害者は、たいてい彼女だ。・・・というか、僕は基本的には、彼女以外と喋ることが無い。
────ボッチと哂うがいい。知ってるから。
「いま、でしょうか」
そして椎奈は、そういう問いにも、わりあいはっきりとした答えを提示してくれる。
「いま?」
ならば、過去はどうなのだ。そう問うと、
「過去は、言ってしまえば人跡です。『いま』以外はただの轍でしかない」
ならば─────未来は?
「『みらい』に特定の呼称など必要は無いですよ。『いま』があるから『未来』があるのですから、『みらい』は『いま』で事足ります」
「小人生」の総算が「大人生」。そういうことなのだろう。
「なら、僕の理論もあながち間違いでもないのかもね」
独り言。悪癖。
「啓さんの、理論・・・ですか?」
椎奈が、どこかわくわくした様子で聞いてくる。というかこれは、僕たち共通の趣味かな。
「うん。『生きるということは、死ぬということである』っていうこと」
「生きること」を終えること。
それが「死ぬこと」ならば、それはちょうど、読書と同じではないだろうか?
「読むこと」を終えることは、「読了すること」である。
あるいは、製造過程か。「死ぬこと」と「装丁する」こと。
その人生の、唯一足り得る性質は、むしろその中身。何を成しているか。そして、何に影響を与えたか。生死は関係ない。どれだけ強く多く、的球を動かせるかが重要なのだ。
だから、イコール。そこに差異は無い、ということ。
「っていうこと」
そう締め括る。椎奈は眉にしわを寄せ、時折首を傾げてはウンウンと唸っている。最後には、妙に疲れ切った様子の笑顔で、「相変わらず、啓さんは何を言っているか分からないですね」などと言われた。・・・・・いつものことなので、気にしてはいないが。
「でも、『生きるということは、死ぬということである』というのは、なんとなく分かります」
「なら、よかった」
自分でも解かりづらい自覚はあったから。
「椎奈」
名を呼ぶ
「何ですか?」
返答が返る。
「なんか、そうやって唸ってる時の椎奈って、可愛いね」
「それはどうも」
訳分かった?私は分からん。
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