#1.不転
これは、紫乃宮啓の辿った、現実。
僕の世界は、驚くことすら無いほどに、不変だった。
日々は不退転であるものだが、これはもっと異質なもの。
毎年毎月毎週毎日毎時毎分毎秒―――――、というわけではない。
具体的に、いつ、と区切れるものではないけれども。
それでも確かに、僕の日々は『日常』という枠において、変わることのない不転だった。
◇ ◇ ◇
共に、デジャヴの海に溺れよう。
◇ ◇ ◇
ふと、己の身が、コールタールのごとき鈍重に浮かび上がったのを感じた。
(あぁ、また僕は眠っていたのか)
薄ぼんやりとした意識の中、おぼろげに、日常の事実を再確認する。
夕陽の差し込む窓際最後列の席は、高校二年生にはいささか快にすぎる。
机に突っ伏したまま未だ覚めぬ目で教室を見渡せど、自分以外に生徒の姿は見当たらない。
時は放課後。食欲を満たし、虚ろになるまま授業を寝過ごし、今に至るのだろうと当たりをつける。理系の人間が聞く気もない古典の授業を五限に入れられて、「眠るな。」というほうが理不尽なのだ。理系にとっては、過去推量も伝聞も意思も知ったことではない。・・・もっとも、その後の六限までそのまま寝過ごしたことについては弁明の余地もないが。
(これは、戸締り宜しく、と?)
生徒の姿だけでなくその鞄も無いということは、そういうことなのだろう。なんと無情な世の中だろう。無論、寝ていた彼が悪いわけだが。
何はともあれ、授業が終わっているのなら帰宅するに越したことはない。高2の秋なら、自習するという選択肢が無いわけではないが・・・
(ま、僕はそんなに出来た奴じゃないからね)
数瞬思い浮かんだ考えを否定する。眠気の残った体でそんなことをしたいとも思えない。
僕は、パイプ机に立てかけていた鞄を背負い、扉を抜け、施錠し、教員室に鍵を返却し、そうした日常を抜けて、帰路に就く。
◇ ◇ ◇
紫乃宮啓は、決して特別な人間では無い。むしろその逆だ。特別な力も無く、特殊な性質も無く、得意なことも苦手なこともない。強いて挙げるなら、好き嫌いが無いことか。
ともあれ、そんな平々凡々な人間で、そうであることに疑念を持ったことも、反感を持ったことも―――己の性質に反感というのも変な話だが―――ない。
紫乃宮啓とは、畢竟、そういう人間だ。
「こんにちは、紫乃宮さん」
そんな啓だが、その隣人はそうでもない。
「夕陽が出ていても、『こんばんは』なのかな?」
無難に返す。どうも彼女の言葉は、僕には丁寧すぎる。
「どちらでもいいでしょう?そのような些末事」
・・・そして、たまに恐ろしくも感じられる。
陽乃本椎奈。
この篝夜町の有力者の娘で、歴としたオジョウサマなわけだが、何故かお隣さんな彼女は、僕によく話しかけてくる。何故かも何も、幼馴染だからなわけだが。
「途方もなく胡乱げな目をしておられますが、私が何か?」
心底、不思議そうな目で問う椎奈。心が痛い。
「いや、何でもないよ。それで、どうしたの?」
そう、本題を切り出すも、
「いえ、隣人であり、同学の士である紫乃宮さんを見かけたので挨拶を、と」
本題も何も、本人は挨拶のつもりだったようだ。
「そっか。じゃあ、また学校で」
「えぇ」
そう言って、僕らは互いに家に入る。
・・・椎奈と居ると、無性に緊張する。育ちの良さからくる物腰が、僕を焦らせるのだ。普通の高校二年生が使う言葉づかいではない。そういうところが、社交的な優等生でありながらクラスで浮いている理由なのだろう。・・・それがイイ、という話も耳にするが。
ともあれ、帰宅したのだから、今は自室で惰眠をむさぼろう、と思った。
これからは、この現実・日常編と異界編の二作進行で進めていきたいと思います。
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