邂逅と簒奪
豪雨とは、生物の体力を削り気力を減退させる忍耐の水だ。こんな天気の日に思い出すのは、いつも決まって俺の人生における転換期となったある出来事だ。
俺は4年前に警察官という職業を辞職した。
6年前の咲本詩奈怪死事件の捜査が中断されてすぐの頃だろうか。俺の元に一通の黒い手紙が届いた。
手紙には、こうあった。
拝啓 江橋才加 様
お久しぶりでございます。江橋様の求める情報を入手致しましたので、●●●−●●●−●●●●までご連絡ください。
敬具 ヤーナフ
ヤーナフとは、俺が懇意にしているプロの情報屋だ。決して姿を現さない周到さと、依頼を出せば地球の裏側だろうと調べ尽くすほどの徹底さと信頼性がウリとなっている。
俺はその手紙に記されていた連絡先に掛けることにした。電話を受けたのは機械音声だった。
『お久しぶりです。江橋様。江橋様がお求めになられているご兄弟の件で進展がありました』
俺は幼い頃に両親に売られた。そして妹は他界し弟の消息は不明となった。俺は運良く資産家に命を拾われ、ここまで社会復帰することができた。しかし、今でも夢に出て来る。まだ乳児の妹が泣き叫ぶ事しかできない悲鳴と、苦悶と恐怖に身を震えさせながら何処かに連れ去られる弟の後ろ姿が。
追いかけても、声を掛けても、二人には届かない。その反面、手の形をした影は背後から俺を捕まえようと手を伸ばしてくる。影からは純粋な悪意が感じられる。足を、肩を、頬を。段々と行動が制限されて、終いには二人の姿が消える。いつもここで夢から覚める事が多い。
しかし、あの日は違った。その先の夢を見た。
真っ暗な視界に一筋の光明が見えた。その光に縋るように追いかけると、見えたのはとある少女の惨状だった。四肢は喰いちぎられ、道の真ん中に残飯の如く捨て去られている様。それは、間違いなく倉南ちゃんの実姉である咲本詩奈の遺体だった。
咲本詩奈の遺体を夢で見る。普通なら精神が病んでるのではと疑うべきだろうが、当時の俺は、それが何かのヒントだと信じて疑わなかった。
そして、その考え方はあながち間違いではなかった。ヤーナフとの連絡をとった後、いきなり彼女が俺の目の前に現れた。
自宅のインターホンが鳴り、出てみると目の前には凄惨な死を迎えた筈の咲本詩奈がいた。
恐怖よりも困惑が。困惑よりも疑心が勝った。それは幽霊や幻を疑ったのではない。本物か偽物かを疑ったわけでもない。亡き妹と生死不明の弟の『死した事実と可能性』を疑いたくなった。逆に言えば、生きている可能性と希望が脳裏を過ったのだと思う。
咲本詩奈は言う。
「私の死体を直接見た貴方なら、私の言葉が妄言ではないことを実感できるでしょう?」
「私がヤーナフ。貴方の妹さんと弟さんを返してあげる事ができる存在よ」
咲本詩奈は・・・、ヤーナフはそう語った。
「返すって、いったい誰から?」
俺は確かに二人を奪われた形となった。しかし、よくよく考えてみると、特定の何かに奪われたのかと言われたらピンとこない。
「何でだろう。俺から二人を奪ったのは、両親とあの変態集団のはずなのに、何か違和感がある」
「事の上っ面だけを見れば、それ以外に貴方から簒奪した者たちとして相応しい者はいないでしょう。でも、貴方の心は違う見方で簒奪者たちを捉えている。だから、違和感が生まれるのよ。そして、その見方は間違いじゃない」
俺は何も言わずに、ただヤーナフの言葉を聞くことに徹した。
「貴方の心に潜む【呪詛の祝言】を励起させてあげる。それが動機となり、やがて目的と手段を見出す」
正直なところ、ヤーナフが語る言葉の意味は殆どわからない。しかし、一つだけわかったことがある。
俺は、根底では簒奪者たちに対してあまり嫌悪感を抱いていないのだろう。きっとそれよりも憎むべき存在がいるからだ。それはーー。
「私を殺したのはーー」
ーーーー。
ああ、なんとなく察していた答えだった。
「貴方の家族を返す手助けをする替わりに、交換条件があります」
「交換条件?交換条件もなにも、既に俺は二人についての情報の代わりに対価を払っているはずだけれど?」
対価。それは金銭であることが多いが、ただの公務員に莫大な金銭を出す余力はない。俺は金銭の代わりにとある対価を払っている。それが仇となったことを、もう少し後になって俺は気づくことになった。
「対価は対価よ。貴方から受けた依頼はあくまでも情報だけ。呪詛の祝言の励起とはまた別よ」
「その呪詛の祝言っていうのは、いったいなんなんだ?」
「簒奪者と手助け、そして呪詛の祝言はすべて直結する話なの。そして私の正体にも軽く触れる話でもある。咲本詩奈でも、ヤーナフでもあってそうでない私の存在理由」
「わかった。それで、俺は何をすればいい?」
「貴方にして欲しいのはたった一つだけ。とある三人の邂逅を促すこと」
とある三人とは誰のことか。俺の人生は、ここを最後に分岐した。
読んでいただき誠にありがとうございます。




