歯車の表裏(表)
正月気分も抜けてくる頃。今日からは受験を控えた中学三年生たちだけが午前授業で帰宅することになっている。
予定通りに午前授業がすべて終了し、ここからは帰宅を許されているが半数の生徒は自宅には帰らないと思う。私が通っているこの中学は、どうにも偏差値を重視し過ぎる傾向がある。高い成績を維持する者だけを特別扱いし、成績が伸び悩む者を切り捨て、努力しない者を積極的に迫害するという環境を全面的に肯定している。
正直、これが悪いことだらけなことだとは思えない自分がいる。実力主義を肯定しているわけじゃない。けれど、努力する人たちとしない人たちを同じ空間に置く時間をできるだけ短くする配慮をしているという自分なりの解釈をしてみると、割とこれでもいいかなって思えてしまう。
「お疲れ、倉南ちゃん!」
いつも授業終わりに私の席まで駆け寄って来る女の子がいる。名前は絹ヶ谷猪里ちゃん。その名前の通りに上質な絹のような黒い髪に猪のキャラクターのヘアピンを付けた可愛らしい女の子。
「うん、お疲れさま。猪里ちゃん、今日はどうするの?」
「あたしはこれから職員室に直行なの。もうこの時期になっても志望校の模試の結果が芳しくないってことで、また説得という名の脅しを受けさせられると思うと・・・とほほ」
猪里ちゃんは特段勉強ができないというわけではない。ただ、目標が高すぎるだけだと思う。語弊があるかもしれないけれど、自分に合ったレベルの高校に進学するべきだと思う。
「猪里ちゃんの志望校って私と同じ桐名瀬高校だよね?」
「うん・・・でも、なかなかボーダー越えられないんだ。勉強頑張ってるんだけどね。倉南ちゃんは特待生狙ってるんだっけ?」
「うん。枠が二十人分しかないけどね」
特待生というのは簡単に言えば学費をすべて免除してくれる制度を受けられる生徒のこと。入学試験での成績上位二十名だけが得られる制度で、特待生クラスとかいう勉強・勉強・勉強!って雰囲気のクラスに入ることになるらしい。
正直、息の詰まるようなことをしてまで勉強はしたくないというのが本音ではあるのだけれど、それ以上に実家からの世話を少しでも多く受けないようにしたいという私の意地があって、目指している部分が大きい。
「いいなぁー、倉南ちゃんは頭いいもんね。羨ましい」
「何度も言うけど、頭がいいというのと、勉強ができるというのは別のことだと思うよ?」
私は自分が頭がいいとは思っていない。ただ努力してない人よりは知識が定着しているだけ。
頭がいい人っていうのは、姉のように理知的に俯瞰したり多角的な見方や考えを持つことができる人のことを言うのだと思う。勉強ができるというのとは方向性が似通っている面があるだけの全く別なモノのはず。
姉曰く、勉強ができる女の子よりも頭が良い女の子の方が男性受けするらしい。どうでもいいけど。
「そういうふうに言える辺り悟ってるみたいでちょっと大人っぽいよね。仕事のできるキャリアウーマンとお話ししてるみたいだよ」
「・・・?よくわからないけど、ホントのキャリアウーマンの方が絶対に頭いいだろうし、勉強もできると思うよ?」
そんな他愛もない話をしていると、校内放送で猪里ちゃんが呼び出された。どうやら話に夢中になってしまって、随分と時間が経ってしまっていたらしい。とはいっても、ホンの十分ていどだけれども。
「あー、どうしよ。ただでさえ志望校に届いていないだけで先生たちから白い目で見られるのに、鬼の形相になっちゃうよ」
「それでもまだいい方だと思うよ?一番怖いのは無関心な態度をとられることだと思うし・・・」
「いえてる、いえてる」
そう、子供である私たちにとって見落とし・・・というより知らない人が多い事実がある。それは、大人からの扱いという面で怒られるということと無関心というのは、受ける心的ダメージが異なるということだ。
誰だって怒られたくないから、そうされないように頑張るけれど、一番怖いのは相手にされないことだと思う。好きの反対は無関心であるように、怒られるという反応があるだけ、まだ自分に対する関心が残っているということを実感できることはとても大切で有り難いことだと思う。
「ここの先生たち、そういう面では容赦ないよね。できない子の救済措置とか設ける気さらさらないし、そんなことをした前例がここ数年ないって話だよ」
それじゃあね。と言って猪里は荷物を持って職員室までトボトボと重たそうな歩みで向かって行った。
猪里とお話をしている間に、気づけばこの教室にはもう殆ど人はいなかった。私はできるだけ屋敷に居たくない・・・というより家族と一緒に居たくないので、下校時間ぎりぎりまで午後も学校に居残って勉強をする予定だ。
♦♦♦
午後六時前、学校の自習室を借りていた私は帰宅することにした。冬の午後六時ともなれば辺りは既に真っ暗。道中に並ぶ街路灯の明かりが頼りになるほど心細い。
最近は物騒な事件をよく耳にする。実家は少し傾斜を昇ったところにあるのだけれど、この町の殆どの人たちが生活圏としている下層部では、小学生の失踪事件や資産家の一家心中、これは解決済みだけれど乳幼児を狙った殺人事件なんかもあった。
この町は観光地として栄えていた分、そういった面での収入の割合が高かったため、そういった事件が様々なマスメディアによって拡散されて以降、経済面が不況なのだそうだ。それもあってか、町総出での事件解決や事件の防止への意識が高く、暗くなる時間でも明るく賑やかな雰囲気作りが目立っている。
しかし、それは町での取り組みであって、住宅街の奥の方にある坂を昇ろうとすると途端に辺りは自然な暗さが当たり前に支配する光景が広がる。
私の実家はその先にあるので必然的にその暗い坂道を昇らざる終えないのだけれど、意地っ張りな性格の私には、どうしても素直に迎えを呼ぶ気にはなれない。正直、これで何かあってもそれは自業自得だと弁えてるし、覚悟はしているつもり。一応、知り合いのお店から携帯用の小さいけど威力抜群なスタンガンを貰っているので常備してはいる。
夜空は少しずつ輝きを増している。もう二、三時間もすれば天の川のように綺麗な星々になる。その光景を眺めたい気持ちもあるけれど、まずは屋敷に帰ってからだ。
坂道を昇る道中、目の前から坂を下りて来る人影に出くわした。辺りが暗すぎるのとその人影が身に着けているコートが黒一色なせいか、本当に人影という認識しかできない。
ある程度距離が縮むと、その容姿が段々とはっきりしてきた。
黒一色のコートに黒い革製の手袋。身長は私よりも少し大きい百五十強といったところ。歩き方からして男性っぽく、顔が体格に不釣り合いなくらい若い。ベビーフェイスという言葉があるけれど、それで評される一般男性よりはもっと若いように見える。
私はそっと上着のポケットに忍ばせているスタンガンに手を掛ける。
一歩、また一歩と歩みを進める。そうして互いがすれ違った瞬間、私は明らかな異常に気が付いた。
「この匂い・・・」
本能が嫌悪を示しているのがわかる。腐臭、命が使い潰され、用途としても価値がなくなったような匂い。そして、その匂いよりも衝撃は弱いけれど匂う時点で以上と即座に判断が付くつーんとした鉄臭い血の臭い。
私は思わず、すれ違った男性の方を振り向いた。・・・が、そこには誰もいなかった。
「あ、あれ・・・さっきの人は」
ちょっとだけ坂を下って下層部を眺めてみても、人影すら確認することができない。さも、初めからすれ違った人間などいなかったのだと言わんばかりに、私の視界には人っ子一人いなかった。
――――あまりに不気味過ぎる。だったら、さっき感じた嫌悪感満載の匂いはなんだったのだろうか。何もないのにあんな匂いが発生するわけがない。
「・・・・・・」
お昼頃に猪里は私のことを頭がいいと評した。けれど、やっぱりそれは見立て違いだ。
だって、今の私はどうしてもこの匂いの原因が知りたくて堪らないのだから・・・。知的好奇心?そんな大層な欲求ではないと思う。これはもっと単純、ただの怖いもの見たさだ。
私は再び振り向いて坂を昇ろうとした―――――。そのとき、私は突然のこと過ぎて反応が少し遅れてしまった。
「・・・お姉さん。もしかして僕のことを探してるの?」
振り向いてほぼ至近距離。目の前には、さっきの男性が私の顔を覗くように佇んでいた・・・。
「わっ・・・わあ?!」
間抜けな声が漏れる。そんな痴態も気にならないほど、今の私の中では切迫した状況として捉えられていた。
構わずポケットに忍ばせていたスタンガンをその男性に向ける。男性は、そのスタンガンを視認すると同時に、三歩ほど後退した。
「いきなり人にスタンガンなんか向けるなんて、お姉さん怖い人だね。防犯ブザー鳴らさなきゃ」
男性がズボンのポケットに手を伸ばそうとしたところで、私は一目散に坂道を下っていった。
――――気づけば、人通りの多い道に到着していた。緊張と走ったせいか口の中が渇いてカラカラだ。交番にいる駐在さんの江橋さんに相談し、一緒に実家までの道を付き添ってもらったが、道中でさっきの男性に出くわすことはなかった。
「また、何かあったら呼んでください」
屋敷の門で別れた江橋さんには申し訳ないけれど、正直、生きた心地がしなかった。
読んでいただき誠にありがとうございます。




