呪詛の祝言 仲石洋治編 一年前
一年前
日光が身体によく滲みる。同時に二日酔いのせいで頭痛が激しい今日この頃、幾つも連なる建物群の中でも一際目立ちにくい8階建ての雑居ビル。その二階にある事務所で仲石洋治は氷枕を頭上に乗せて深呼吸をする。
事務所の中には雰囲気重視のために用意した恰好ばかりの資料とそれらを納める棚が幾つか。テレビとテーブルが一台ずつと、職員二人用の仕事机が二台ある。その他に何があるのかと問われればこう答えるしかないだろう。
酒類の瓶を大量にまとめたゴミ袋が数えられないほど積み上がっていると。
この惨状は、なにもコレクションをしているというわけではない。加えて、ここ数年めんどくさくて放置しているというわけでもない。
このゴミ袋たちはあくまで今週の分だ。二、三日後には瓶の回収車がゴミ捨て場にやってくるので、その時にまとめて捨てに行くつもりのようだ。
「あのぉ、社長?一応今回も注意させていただきますけれど、一週間でこの量の飲酒は本当に身体に悪いので控えていただけませんか?というか、なんで頭痛で済んでるんでしょうか。普通死にますよ」
この事務所の社長こと仲石洋治に声を掛ける枯れた声の主は、向井貞尚である。向井は、この事務所の社員であり、主に事務兼雑務の仕事を任されている。
「私もそこんところ不思議なんですよ・・・なーんでまだこんなにピンピンしてるんでしょうね。あれかな、ガキの頃から親の目を盗んで口の空いたウィスキー飲んだり、焼酎と水をわざと間違えたふりして飲んでたからでしょうかね・・・」
「その話何度も聞きましたけど、ろくな少年時代送ってなさそうですね。あっ・・・失礼しました」
仲石と向井は、年齢がかなり離れており、向井のほうが二回り程年上だ。しかし、向井は仲石に雇用されている立場にあるというこで、下手に強く物申せないところがあるようだ。かと言って申し訳なさそうに謝っているというわけでもないが。
(今の謝罪、社交辞令並みに中身の無い謝罪だったな・・・まぁ、確かにろくな人生歩んでないのは大当たりだけどさ)
「まぁ、それはそれとして、向井さんちょっと水持ってきてくれますか?コップ一杯に氷詰めたキンキンに冷えたやつ」
「わかりました。少々お待ちを」
まるで日課のように淡々と氷水を作る姿を観察している仲石の脳裏を過った無駄な妄想。向井に割烹着を着せてどこぞのおあばちゃんっぽい見た目にするとそこそこに似合うのではないかとわけのわからない想像をしている。
(なーんか、どっかで見覚えあるな)
「はい、氷水です」
向井がお盆に乗せて運んだ氷水を仲石の机に置くと、ぼっーっとしている仲石の姿が段々と不安になってきたのか、たまらずに声を掛けようとした。
「あのぁ、社ち―――――」
「あぁ・・・給食のおばちゃんだ!」
向井からしてみれば、なんの脈絡もない仲石の呟きがどう聞こえるのか・・・想像するまでもないことだ。
「社長、いつものことですが一瞬だけため口を訊いてもよろしいでしょうか?」
「――――――――――どうぞ」
ふざけ過ぎたとは思いつつも、これも日課のような流れ。子供の悪戯が親にばれてちょっとだけ叱られる。その程度にしか仲石は受け止めていない。
「まだ若いクセしてこのアル中野郎が、脳卒中とかで早死にしても知らんぞ」
「すみませんでした」
なんと優しいことか。成人になってからは理不尽な怒りをぶつけてくる奴は数いれども、叱ってくれる存在というのはそうは多くない。ダメな社会人の象徴と自己評価する仲石にとって、向井という年配の存在はとても大きな意味合いを持つ。
「いきなり全部は無理でしょうから、少しずつ、一升瓶を・・・そうですね、三本ほどでも構いませんので控えていきましょうよ。本気で心配です」
加えて、妥協するだけでなく、無理のない提案も具体的に示すところがこの向井という年配の社員が当然ように持ち合せている常識的な価値観である。
「いやもう、本当に向井さんをうちで雇ってよかったと心から――――――――」
「いつもどおりなら、そう言った上で全く減らせてませんよね。社長」
既に、向井の言う一瞬は過ぎたのか、いつもの一社員としての口調に戻っている。
このようにして、この仲石職業紹介事務所の午前業務は始まる。
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「社長、そろそろ時間では?」
時間にして午後を回って幾ばくか過ぎた頃、向井は仲石に仕事の確認をする。仲石は、なんとだらしのないことか、自身のスケジュールを把握していない。向井が入社する前は自己管理を行わざるを得なかったが、入社後は自身のスケジュール管理を彼に任せっきりにしている。
「え、あー、あ!あの兄妹の件か。思い出しました」
「咲本さんとの仕事でしょう?早めに行かなくてよろしいのでしょうか」
「・・・そうですね。一応提携相手だし、恰好だけはつけないとなぁ」
そう言いながら、仲石は外出をする支度を整える。支度といっても鞄に幾つかの資料をまとめて入れるだけという誰にでもすぐにできる簡単作業だ。物の数十秒でできるはずの作業ではあるが、まったく準備していなかった仲石には必要な資料がどこのファイルに挟んでいるのかを思い出すところから始まる。
「あれぇ・・・どれにしまったっけ」
棚に収納しているファイルはそのすべてにきちんとどういったものが挟まれているのかが見てわかるように名前のついたシールが貼られている。
「あれぇ・・・おっかしいな。無いぞ」
「無いぞじゃ普通済みませんよ社長。それに、必要な資料は既に鞄に入れておきましたので探さなくても大丈夫ですよ」
向井は、仲石の机の上に載せてある鞄を指さしながら答える。
「えぇ、だったら最初に言ってくださいよ」
誰にでも当てはまることで、当然向井という年配にも我慢の限度というものがある。声色が変われば如何に立場上の上下関係があるといえども仲石は素直に謝罪するしかない。
「――――――――――社長・・・一瞬だけため口を訊いてもよろしいでしょうか?」
「あ、いえ大丈夫です。ごめんなさい。あと、準備しておいてくれてありがとうございます。いつも助かってます」
「はぁっ・・・一応ご自身でも資料の確認をしておいてください。抜けてるものもあるかもしれませんし」
仲石が資料の中身を確認し終わると、「いってらっしゃい」と距離感が近く聞こえる言い方で自分を送ってくれる向井に、「いってきます」とだけ言葉を残して事務所を後にすることにした。
「いつも彼のことをダメな社会人だと思ってはいるけど・・・こうやって我が子のように世話を買って出る私は、どうなんだろうなぁ」
自身の行動を省みる。これは大事なことだ。それが欠けていたが故に、向井貞尚という男は痴漢の冤罪を経てここにいるのだ。
読んで下さり誠にありがとうございます!
久々の投稿となりましたが、今回から最後の主人公の物語がスタートしました。
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