竜の巣に乗り込んだ娘は謝罪の旅に出た
「その傷さえなければ、綺麗な娘だっていうのによ!」
「うっさいわ!!」
どかーん
「ぶべへぇっ」
そして男が一人吹き飛ばされた。
着地点は見えない。
フールツィーラ王国の西にある、国名にも入っているツィーラ山脈。
西側をぐるりと囲む山脈は、魔獣が出る上に道が険しいこともあってあまり開拓されてはいない。
けれども、西に位置する隣国レオンジ帝国との往来には、かならず通過する山脈である。
比較的通りやすい道を両国共同で開通させたものの、結局山脈の南を縫うようにを流れる大河プレア川を船で渡る方が楽であるため、山の街道はあまり使われていない。
わざわざこの山道を通るのは、よっぽどお金のない者か、魔獣と船酔いなら魔獣の方がマシだという者か、腕に覚えのある冒険者か、乗り合わせになる船を避けたいお忍びの者。
いずれにしても、複数人で隊を組み、護衛も雇っての大所帯となるのが常である。
その山中を縄張りとしている大きな山賊団は、非常に珍しいカモでしかない一人歩きの旅人を襲った、はずだった。
しかし現状は、山賊団が一人の娘に襲われていた。
「おら次!来ないなら私から行くわよ!!」
「や、やめてくれぇぇっ?!」
「私の一発はお高いからね!一発ごとに、あんたたちの蔵からお宝が無くなっていくと思いなさいっ!」
どごん
「ぎぃやぁぁあー?!」
また一人、男が視界からいなくなった。
娘は、山賊が蔵の代わりにしている洞窟の前に陣取り、魔法を使って中を漁りながら、山賊を蹴散らしていた。
「あら、これは金貨ね!嬉しい、ちょうど次の街では贅沢に泊まりたいと思ってたのよ」
「やめろぉ!それは俺たちが必死に集めた金で」
「どうせ盗ったんでしょうが!盗人から奪ったモノは返還義務なしってのは、どこの国でも同じよ!」
ちゅどーん
「うごぉあああ!」
さらに山賊の人数が減った。
「まいどあり~」
一見可憐な娘による、一方的な蹂躙を見つめる青年が一人。
青年もまた、山の街道を一人で進んでいた変わり者であった。
彼は、襲われた娘に気づいて助けようと一歩出たものの、すぐに始まった蹂躙によって足を止められていた。
下手に出られない。
うっかり出る機会を失った。
出たら彼女に殺されるかもしれない。
しかも動くと見つかるかもしれないから動けない。
青年は、進退窮まっていた。
ぼかーん
「いやだぁあああぁぁ……」
そして、最後の一人が消えていった。
「ふぅ。いい仕事した」
娘は掻いてもいない額の汗を袖でぬぐい、満足そうに微笑んだ。
青年は、意を決して足を進めた。
ざり
その音を聞いて、まだ残党がいたのか、と娘は勢いよく振り向いた。
が、そこにいたのは山賊とは思えない小ぎれいな青年。
びくりと怯えるように肩が動いたかもしれないが、気のせいだろう。
宵闇のような藍色が印象的な髪を一つに束ねた青年は、かり、と右手で頭をかいた。
「ごめんね。助けようと思ったけどいらなかったみたいだから、見守ってたんだ」
決して、娘が怖くて逃げられなかったわけではない。
「あらそう」
素直に受け取った娘は、美しい栗色の髪を一つに編んでいた。
だから余計に目立った。
左頬から首にかけて、そして多分その下まで、引き攣れた大きな傷が走っているのだ。
多分、通常なら致命傷になるだろう傷。
しかし娘は生きているのだから、ある程度の医療魔術を使えるのだろう。
本格的に医療魔術を極めていれば、傷跡も残らないというから、ある程度であることがうかがえる。
理知的な色も見せる深緑の瞳は、角度によっては漆黒にも見える。
娘は、その深緑の瞳を青年に向け、上から下まで一巡りしてすぐに興味を失ったようだ。
「じゃ」
体ごと青年から別の方向へと向いてしまい、娘は歩き出した。
「え、えぇ?いや、ちょっと待って。俺も一緒に行くよ!」
青年は焦りながら娘を追いかけた。
「なんで?さっきの山賊なら、全員まとめてふもとに作った檻の中だから、途中で回収して次の街のギルドに行くのよ」
「あ、意外とちゃんとしてたんだ。って、ちっがーう!それも気になってたけどそこじゃなくてさ。一緒に行こう、幸い方向も一緒だろうし。あれだよね、プイレナの街に行くんだよね?」
青年は、さっと追い付いて娘の横に並んだ。
「えぇまぁ、プイレナに売りに行くけど」
「売るって言っちゃった?!うん、結局そうなんだけどさ。いやほら、一人だと心もとないときもあるじゃない?せっかくだし、一緒に行こうよ。どうしても奴らから目を離さざるをえないときとか、役に立つからさ!果物を見つけるもの得意だし、星の位置は読めないから夜は動けないけど、太陽が出ていれば大体方向分かるはずし、っていうか連れて行ってくださいぃぃいい!」
「迷子?」
「そうともいう」
「あんたそれで一人旅とかよくできるわね」
「うぁ、ぐっさりきたー!」
青年は、ルノフェーリと名乗った。
娘はそれに対して、ベラと呼べとだけ言った。
「なんで?」
「本名を教えると、相手が呪われるのよ」
「え?名前を知られると呪いをかけられる、じゃなくて?」
ルノフェーリは、ベラの後ろを歩きながら聞いた。
彼は車輪のついた大きな箱を引いている。
中身はもちろん山賊のすし詰めだ。
「私の名前を知ると、知った人が呪われるの。ちょっと若いころに失敗しちゃってね。でもまぁ、ルノが言うように知られたら呪いに使われることもあるし、便利だからそのままにしてるの」
「えぐいひどいこわい」
「知らなきゃどうってことないわよ。呪いだって、解けないけどそれで死にはしないんだし」
「どういう呪いなんだ?」
ベラは歩みを止めて振り返った。
ルノフェーリの髪と同じ色の藍色の瞳が、ベラの深緑の瞳の中に、何かを見た。
「ごめん、聞かない」
「その方がいいわ」
にこりと笑ったベラは、傷など気にならないほどに美しかった。
まだプイレナの街まで3日ほどかかるので、当然ベラとルノフェーリは野宿だ。
山賊たちは、すし詰めのまま。
死なれてしまったら困るので、最低限の食事と水はそれぞれに与えているが、外には出さないので垂れ流しのままだ。
定期的に浄化する魔法をかけているから、大丈夫だろうとベラは気にもしていない。
運んでいるルノフェーリに、後ろから愚痴や文句や脅しがうるさいと言われ、音が伝わらないよう箱に魔法をかけたから、見た目は動いているようだが静かなものだ。
これなら、野宿しても魔獣などが集まる危険もないだろう。
「はい、これ果物と、追加の薪」
「お疲れさま。食事は一応できてるわよ」
ベラはルノフェーリから果物を受け取り、大きめの石の上に置いた堅パンと干し肉のスープを指した。
スープと言っても、干し肉を水から炊いて、適当に野草と塩で味付けしただけのものだ。
しかし、ルノフェーリは感激していた。
「あったかいスープだ!!何日ぶりだろうこんな美味しい食事」
「大げさね。干し肉なんて食べ飽きているでしょうに」
「うん、4日前から果物しか食べてなかったからね!やっぱ肉を食べないとだめだと思うんだ!」
「迷子を極めていたわけね」
「そういうこと」
「ほんとに、ルノはなんで一人で旅なんかしてるの?死にたいの?それとも死なない呪いでも受けてるの?」
「ぐっさりばっさりくるなぁ!?仕方ないだろう、お金がなかったんだから」
「まさかの極貧」
「極貧とか事実だけど言うなぁあああ!仕方ないだろう?!住んでたところでは物々交換が当たり前だったから、お金なんか話に聞く程度のものだったんだよ!」
ルノフェーリは、器用に食べながら大きく叫んでいる。
ベラはそっと魔法の壁を組み立て、ルノフェーリの口から飛んでくるものを遮断していた。
「ちょっと?!その対応は酷いと思うんだっ!」
「汚す方が酷い」
「うぐぅっ」
彼の話をまとめると、少し南の方から旅をしてきたらしい。
探し物の手がかりがこちらにあるらしく、レオンジ帝国を通ってフールツィーラ王国へ入ることになったそうだ。
船を使わなかった、もとい使えなかったのは先に言った通り、充分なお金を持っていなかったから。
迷子スキルについてはきっといつものことだから考慮していなかったんだろう。
「ベラは?なんでこっちを歩いて旅をしているんだ?見たところ、お金がないわけでもなさそうだし」
食事が終わり、寝るまでにはまだ少し時間があるとみて、ルノフェーリが話しかけてきた。
ここまで、聞かれなかったからベラは自分のことを話していなかった。
しかし、別段秘密にするようなことではないと、口を開いた。
「まぁ、お金はあるし、船も大丈夫、相乗りも平気なんだけどね。ちょっと探しものをしていて、なるべく人のいない地域を選んでいるのよ」
「探しもの?人のいない場所にあるものなのか?」
「えぇ。ちょっと竜を探しているの」
「え?り、竜を?竜って、結構そこらへんに飛んでたりするよね?」
「私が探しているのは、私が1回ぶっ飛ばした竜よ。あのときは夜中だったから体色は分からないけど、多分暗い色で大きめ、目の色も暗かったかなぁ。気づいたときには乗り込んだ巣にはいなくなってたから、探してるのよ」
「ぶっ?!べ、まさか、ベラが?マジで?!っていうか、そのときの傷がそれってこと?!」
ルノフェーリは、藍色の瞳をこれでもかと見開いた。
そういう反応はいつものことらしく、ベラは軽く肩をすくめただけで言葉を続けた。
「ちょっとブチ切れたら勝ったのよ。そもそも、うちの領主がゲスたっだのね。成人少し前の私に目をつけたらしくてごたごたが」
「ごたごた?」
驚きが通り過ぎたのか、領主という領民を守るべき存在が酷いものだったと聞いたからか、ルノフェーリは不思議そうに聞いた。
「そう。特殊な病原菌を私の弟と妹に浴びせて、病気にさせたのよ。それで、『治してほしかったら愛人になれ』とか言われて。しかも、よく聞いたら『治すための薬は竜の涙だけだから、それを取りに行く討伐隊を組んでやろう』っていう間違った方向で財力と権力を示そうとした内容でねぇ」
「うわ非道」
「ゲスでしかなかったわ。確実じゃない方法を交換条件にされて、弟と妹は10日ももたない状態と医師に言われたし、もうそこでブチ切れたの。そうしたら、魔力がありえないくらい増大したのよ」
「我を失って魔力増大……?それって、ご先祖に魔術師かエルフか、竜族か何かが混ざっていたってことか」
「多分ね。詳しくは分からないけど。それで、『あ、これなら私1人でいけるんじゃないの?』と思ったから、故郷の街から半日魔法使って走って、その勢いのまま竜の巣に突っ込んで寝込みを襲って脛を蹴り飛ばしたの」
「勢いのままで夜襲?!計画的な何かじゃなかったわけ?!」
「そんなのなかったわ、ブチ切れてたもの。それでまぁ、勢いがつきすぎてたのね。蹴っ飛ばして痛みで涙を出せたところまでは良かったのよ。でもね、全身を魔法で強化してたもんだから、ちょっと竜の足を切ってしまって」
「あ、足って、え?蹴ったら切れたってこと?鋼鉄の鎧とか言われる竜の鱗で覆われた足を?剣とか仕込んでいたわけじゃなくて?」
ルノフェーリの表情が驚愕に染まっている。
対して、ベラは暇つぶしでもあるかのように淡々としている。
「ただの強化と勢いよ。そんで血を浴びちゃったわけ。さすがの竜も、寝込みを襲われて驚いたらしくて、すぐに巣から飛んで行ったから、特に戦闘にはならなかったんだけど、飛び上がるときに足元にいたから、爪にひっかけられてこのざまよ」
「それだけでそんな傷が残ったの?っていうか、そんな魔力があるんなら傷跡くらい……」
「あぁ、傷跡はわざと残したの。必要だったし」
「必要?その傷が?」
「そうよ」
思い出したのか、ベラは楽しそうにうっすらと笑った。
それは美しかったが、同時にルノフェーリの背筋を寒くさせた。
「血まみれで傷跡も残るまま、とにかく弟と妹に涙を飲ませたわ。あのときは泣かせてしまったわね。『お姉ちゃんが大けがしてるー!!』って。実際には、血は竜の血だったし、怪我は傷跡だけだったんだけど」
「それ絶対トラウマになってるよ」
「とにかく2人に竜の涙を飲ませて、劇的に治ったのを確認して領主の城に乗り込んでやったわ」
「……まさか、そのまま?」
「そうよ、血まみれのまま。そんで股間を軽く踏んづけて言ってやったの。『竜を蹴り飛ばす女でもまだもらってくださいますか?』って。面白いくらい狼狽して、ガタガタ震えながら謝り倒してくれたわ。おかげで領主が改心して、うちの領が栄えることになったからいいことだったのかもしれないわね」
「領主にもトラウマ?!いや、でもそこはそれでいいのかも」
ルノフェーリは心底同情したような表情になったが、すぐに頭を振って否定した。
日が暮れて暗くなり、炎に照らされたルノフェーリは、白い肌以外が風景に溶け込んでいる。
それを見ながら、さらにベラは言葉を続けた。
「そうしてまぁ、平和になったわけなんだけどね。せがまれて竜の巣に夜襲をかけた話をしているとき、姪っ子に聞かれたのよ。『その竜って、悪い竜だったの?』って」
「悪い竜……」
「人里や森林を荒す竜も、たまにいるし、おとぎ話にはよくいる悪役だからね。そういう竜だったのかって聞かれたわけ」
「そうだったのか?」
「いいえ」
「ということは……」
「完全にとばっちりね」
「飛び火すぎる」
ぱちり、と薪が炎を上げた。
ゆらゆら輝く炎を、ベラは遠くを見るように眺めた。
「だからまぁ、その竜を探しているの」
「……見つけて、どうするんだ?」
「もちろん、謝るのよ」
「……」
ルノフェーリは、きょとんと両目を瞬いた。
「私が気になるから、竜の好物だっていう花の砂糖漬けも持っているのよ。時間が経ちすぎているし、もしかしたら忘れているかもしれないけどね」
「そんなに昔のこと?」
ベラは、どう見ても20代半ばに見える。
対するルノフェーリも同じくらいだろうか。
「えぇ。もう60年くらいは前のことね……。実は竜の血を浴びたときに、その血をかなり飲んでしまったらしくて。知り合った魔術師に調べてもらったら、いつの間にか私が『竜の眷属』になっていたの」
「ふぁっ?!りゅ、うっそだぁ。だって竜の眷属なんて……」
「おとぎ話の存在だけどね。多分、私の先祖に竜が混じっているのも影響しているって言ってたわ。だから、年をとらないし、どうやら長生きになっちゃったわけ」
「それで、家を出てきたのか?」
「それもあるわね。妹と弟にも孫ができてしまって、もはや言い逃れも何もできないし。さすがにね、人の世にいられる存在じゃなくなったことは分かったから」
ベラの言葉を聞いて、ルノフェーリは眉を下げた。
その様子を見て、ベラはからからと笑った。
「やだ、信じてくれたの?これまでに話したことのある人には、全員面白いおとぎ話だって言われておしまいだったわ」
「……分かるよ。嘘じゃないことくらい。あぁ、ごめん、どうしよう。そんなことになっていたなんて」
困ったように言うルノフェーリに、ベラは苦笑して告げた。
「大丈夫よ、気にしないで。久しぶりに誰かに聞いて欲しかっただけだから」
「いや、気にするよ。どうしようもないかもしれないけど、でも気にするよ。だってその竜、俺だもん」
ルノフェーリの言葉を聞いたベラの絶叫が、ツィーラ山脈に轟いた。
宵闇の竜が眷属の伴侶を得たのは、それなりに後の話。
読了ありがとうございました。