帰る場所
トン!
何かを叩く音が聞こえた。
トン! トン!
この方向は……、窓からだ! 一気に眠気がとぶ。何の音だろうか。外は暗くどうなっているのか分からない。何かの影が横切っているのはわかった。
一瞬見覚えのある顔が見えた気がした。
急いで窓を開けてみる。
「アスエラさん! 迎えに来たよ! 早く乗って! 位置を保つの難しいんだ」
外にいたのは、アーシュだった。ペガに乗り、空に浮かんでいる。
「早く!」
アーシュの声に、窓から身を乗り出す。考えるのは後だ。
冷たい風が身体に当たる。いま、アスエラがいるところは、とても高い所だ。下を向くと足がすくむ。
「アーシュの方を見て、思い切り足をけってください! 急いで!」
震える足に力を入れてアスエラは頷くと、窓に足を掛け思いっきり蹴った。
「うっ」
ペガの上に着地をすると同時に高度が少し下がった。バランスが取れず、落ちそうになるが、アーシュが抑えてくれる。小さい体からは想像もつかないぐらい安定した力で、アスエラを引っ張ってくれた。
「ありがとう」
「うん! えっとあと、お姉さまは先に行っているからすぐに会えるよ!」
アスエラが、ペガにしっかり座ったことを確認して、ゆっくり前に動き出す。
「どこに行くの?」
「アルカへの入り口。霧の森だよ! そこを歩いていけば、アスエラの国に帰ることができると思うから」
もう、諦めかけていた。また、元の世界に戻れるなんて。帰れる。
耳元では風を切っている音がする。冷えた夜風が気持ちよかった。
「アスエラさん、また会えるよね。また、遊びに来て」
「うん、ペガたちと遊んだり、楽しかったもん。また、アーシュたちに会いに来るよ」
「うん!」
アーシュが、嬉しそうに笑った。もし、また来れるなら、遊びに来たい。
「あそこの柵を越えると霧の森だよ。まっすぐ歩いていくと帰れるって、お母様が言っていた」
「アーシュ、ありがとう」
「うふふ」
空の旅はすぐに終わりを迎えた。アーシュたちとの別れも刻々と近づいている。
見覚えのある柵が見えてきた時、人影が柵のそばに見えた。
「アスエラ!」
ペガが着地した時に真っ先に駆け寄ってきたのは、もちろんルーミャだ。
「アスエラ、ごめんね。アスエラの気持ちも考えずに、無視してあんなところに置き去りにして」
ペガから降りると、手を握ってルーミャが話す。ルーミャの目は、涙に濡れたあとがまだ残っていた。しかし、不安そうに、心配そうにアスエラの方を見ている。
「平気だよ。ちょっと寂しかったけど、ルーミャが起こる理由や、悔しい理由はわかるから」
「……ありがとう、アスエラ」
「うん、こっちこそ、見送りに来てくれてありがとう」
少女二人はそれから、抱き合って泣いた。
この世界とは、お別れで、もう会えないかと思うと、涙が出てくる。
「またね、アスエラ、離れていてもずっと忘れないでね」
「うん、ルーミャもだよ」
少し落ち着いてくると、アーシュの他にも、もう一人この場にいることが分かった。
「アスエラ、旦那がごめんなさいね。一度ゆっくり話したいと思っていたのよ。けど、あっという間だったわね。もう帰る日になってしまったわ」
ルーミャたちの母だった。
「気づいているかもしれないけど、私はアルカで生まれたの。あなたの母、雨美は私の妹よ。私たちの家系は、ナーハラの王家なの」
何となく予想はしていたが、本当に、母と姉妹だったなんて。
「ふふ、雨美に、よろしく伝えておいてね。あと、一度この世界に来たら、手鏡を使って世界を行き来することができるのよ」
そういえば、手鏡、捕まった時にどこか行っちゃった。もう、城には探しに行くことはできないし、仕方ない。もう、行き来もできないのだ。
「ほら、ルーミャ。アスエラに渡してあげなさい」
「え? あっ、うん!」
「えっ」
悔しくて、寂しくて、顔を下げていると、目の前に手鏡が現れた。
「これって……ルーミャのだよね?」
「うん! けど、今からアスエラのね」
「えっ」
ルーミャは、これからもこの世界で暮らすのだ。王族が持っている、成人の証である手鏡をもらってしまうのは悪い。
「いいの、アスエラ、もらって。その代わり、アスエラの鏡が見つかったら私がもらってもいい?」
「え……うん! ありがとう」
鏡の交換だ。それなら、どちらも困らない。ルーミャから受け取った手鏡は、ずっしりと重たかった。
「また、来たいときは、いつでもいらっしゃい。旦那のことは心配しないで。私たち三人で説得するから。次は、ゆっくり話しましょうね。良かったら、雨美も連れて来て」
「はい! お世話になりました! ルーミャ、アーシュ、また来るね。その時はまた、たっくさん遊んで、たくさんお話ししようね」
「うん!」
二人とも涙ぐんでいたが、笑ってお別れが出来そうだ。
「バイバーイ! またね!」
そういうと、アスエラは、柵の向こう側へ足を踏み出した。みんなの声が、遠くなっていく。気が付くと、周りは霧に包まれ、声は消えていた。
硬い地面の感触と、草のもさもさとした、くすぐったさ。
少女は目を開けた。
ぱちりと、祖母と目が合う。
「おはよう、明美。お疲れ様」
紅の空を背景に祖母は言う。すべてを見ていたかのように黒い瞳はまっすぐ少女を見ていた。最後に見た、若い姿ではない。いつもの祖母だ。この世界に戻ってこれたと安心し、ほっとする。
地面に横になっているせいで、背中が少し痛いが、あまり気にならなかった。
「ただいま」
目の隅で、何かがきらりと光った。顔を向けると、あったのは成人式の時の手鏡。
「夢じゃなかったんだ」
アスエラ、いや明美はそう、呟いた。
これで、完結です。
ここまで読んで下さりありがとうございました(*^▽^*)