わたしの永遠の故郷をさがして第二部 第七章
就任式
「結局僕たちが見たものは、何だったのだろう。明日は議会で首相の就任式だ。形だけの審議があって、リリカが火星の首相になる。何の経験もないのに。ついでに、僕は副首相ときた。軍のトップにもなる。数日後に、君は副首相の副官様に正式に推挙されることになる。名誉なことだろう。」
「まあ、文字通りそうだよ。間違いじゃない。僕のような下層階級出身者がそこまで行くことは普通ない。君のおかげだよ。それは素直に喜びたいところだ。」
「まあ、その率直さが君の良いところではある。でも、僕とずっと協力する考えなら、もう少し物事を皮肉に見る事も学んでくれ給えよ。」
「ははは、それはもう慣れました。大臣殿。」
「まだ早いよ。まあ、なにしろ女王は無理やりでも、僕たちを味方にしておきたいのだ。敵に回すより味方にするのが彼女の基本だからね。」
「それは、当然だよ。第一君は息子なんだし。」
「火星はもう、とっくに民主化していて当然なんだ。実際一度はその軌道に乗ったはずなんだ。あいつがぶち壊していなければ。今回も、表向きだけの民主化なのは誰が見ても明らかだ。」
「禁句だよ。君でなかったら、命が危ない。それに当時は君も僕も、まだ存在していない。これから先の事も含めて、慎重な解釈が必要ですよ。」
「ふん。まあね。どの道、ぼくは中途半端だ。それにしても、あの事件は解せない。なぜ僕たちが見たあの映像と、王国が公開した映像が違うのか。出所について、何か分かったかい?」
「それが、どうしても発信元が特定できないんだよ。ただ、あのテロリストの女。その実在は間違いないことは分かった。しかも今は接触ができなくなっている。生きていることが確認できたら、話は違ってくるだろうに。でも、死んだという確認も出来ない。情報機関が何か隠しているかもしれないが。就任後に、君が力を発揮して調べるしかないね。」
「ふん。形だけの副首相に何ができる?」
「違うよ、リリカさんに、直に確認できるじゃないか。簡単さ。」
「まさか。僕たちは正反対だよ。しかも彼女は女王の操り人形なんだし。今日会った感触でも、もう当分うっかりした事は話せない気がする。完璧に洗脳されてしまっているみたいだ。前は結構自由意志があったのに、まるでもうロボットのような感じになっていた。」
「それは、まずいね。彼女は重要な存在なのにね。」
「少しでも期待した僕たちが甘いのさ。相手は女王だからね。しかも化け物である女王自身が、もっと強力な化け物の奴隷なんだから。さらに手に負えない。結局僕たちの目標は当面、たった一つに絞られる。そのあとはリリカに任せてしまって構わないんだ。」
「でも、実際にはどうする?」
「うん。まあ、そこは又、ね。でも、君も僕も、気を付けていないと、僕が開発した物理洗脳装置にかけられるかもしれない。本当にあれは効くよ、しっかりと。なので、君にお守りを上げておこう。これをぐっと飲んで。ちょっと痛いけど自分であるべき場所に収まるから。危険はない。たぶん。僕も今飲む。少なくとも女王が持っている洗脳装置はこれで回避できるはずだ。あとは上手く立ち回ること。」
「まあ開発者が言うのだから、そうなんだろうね。まあすでに、すべて覚悟の上ですよ。」
「けれども、女王はもっと過激に脳そのものを改造する技術を当然持っているよ。あのテロリストだって、結局はその技術の犠牲者なんだろうし。これはリリカのご先祖が作ったもので、ぼくにはどうしようもない。今にも二人とも確保されるかもしれないな。それ以外にだって、女王には隠し玉がたくさんある。各種拷問装置や自白剤、それに・・・」
「わかった、わかった。もう良いです。」
そこで、ソーの部屋のドアがノックされた。
「ほら、言わんこっちゃない。」
ソーがドアを開けると、そこには、いかつい甲冑に身を包んだ保安兵が五人も立っていた。
一人だけ色違いの甲冑を身に着けている兵士が言った。低音の効いた威圧感のある声だ。
「女王様がお呼びです。ご同行願います。」
「任意?」
「ご命令ですよ。規則違反です。お二人はここにいる予定ではない。」
「あれ、女王はそうは言わなかったはず。リリカによれば明日の朝までは自由のはずだ。それに、僕がどこにいようが勝手だよ。」
「あなたには重要人物として所在確認義務が設置されています。ご存知でしょう? まあ、ご命令です。リリカ様もお待ちです。ご同行ください。拒否されれば逮捕するよう命じられております。」
「はいはい。わかったよ。服を着てもいいかな?」
「いえ、そのままで結構です。」
二人は上半身裸のままで王宮に連行された。
「まったく、何考えているのやら。」
ヘレナ女王はリリカ(複写)と話し合っていた。
「たぶん、私の言い方がまずかったのです。明日の朝まで予定はないように言ったのですから。」
「かばわなくていいの。常識というものがあるのですから。自分の立場を考えたら、王宮に詰めておくのが当たり前です。」
「ダレル様には、世間的な常識は通じません。」
リリカは全く抑揚のない話し方で答えた。
「おまけに、そのソー様との関係は、大丈夫なのですか?」
「あのお二人は、兄弟みたいなものなのです。裸のお付き合いと言いますか、まあ、そんなところです。」
「ダレルには、恋人とかは、いないの?」
「さあ、そこはまったく聞いたことがありません。」
「ふうん。あなた、少し感情抑制が効きすぎたようね。それじゃまるでロボットみたい。」
「そうですか?」
「それじゃあ、首相にはふさわしくないか。緩和してあげる。ほら、どう?」
「あん・・・、あの、背中から定規が外れたみたいです。」
「そうね、自然になった。」
「あの、女王様・・・」
「はい?」
「私は、もし本物が見つかっても、生きていられるのですか?」
「まだ、怖いの?」
「少しですが、恐怖と言いますよりは、多分、疑問ですが。」
「そうね。いいわ。じゃあ、明言してあげる。あなたを消滅させるつもりはない。ただし、その姿のままじゃあたぶん具合が悪いかもしれない。当分はリリカの影をやってもらうでしょうが、その先はほかの役割をあげるわ。」
「本物のリリカ様は、どこなのでしょうか?」
「あなたどう思う?何か分かった?」
「それが、さっぱりなのです。まったくリリカ様の・・・私の分析装置も、手掛かりを掴めずにおります。ダレル様に協力していただいた方が、いいかもしれません。」
「本気で、そう思う?」
「え、どうしてですか?」
「あなたは、自分が複写だと自分自身で確認した。それで、弱気になっている。それだけのことでしょう。ダレルの協力を得たいなんて、リリカなら思わないわ。」
「はい。そうだと思います。」
リリカ(複写)は少しうつむいた。
「まあ、元気出しなさい。いい、まだどこでどう入れ替わったのか分からないけれど、あなたがリリカであることに変わりはない。そうでしょう?」
「はい。複製を作成した記録、不死化の処理を行った記録。どちらも確認しましたが、痕跡がありません。」
「装置自体に、複製は本当にないの?予備の機械よ。あなたの頭の中には見当たらないけれど・・・。」
「頭の中になければ、ありません。」
「ふうん。リリカ本人が持っていて、あなたにない記憶は、ありうるでしょう?」
「はい。あり得ます。でも、私には探しようがありません。リリカ様が、何か記録していなければ。そのようなものは、今のところ見当たりません。」
「ふうん。まあ、とにかく予定通り新政権は発足させる。ビューナス様の要求する民主化は進める。ゆっくりね。火星文明がブリューリ様とともに、自然崩壊するまでは、持たせるの。いいわね。だから、けっして過激主義にならないように、お互い気をつけましょう。ダレルとその相棒の処置の準備はできてるかな?まあ、今日はやらないでおこうかな、とは思うけれども。」
「はい。大丈夫です。」
「おや、やっとこさ、ご本人たちがご到着ね。いい、自分が複写人間だなんて、絶対しゃべったらだめよ。わかったかな?」
「はい、女王様。」
「こんなこと言いたくないし、可能性は少ないけれど、万が一にもリリカ本体が消滅したりしていたら、あなたが本物なの。そこんところ、絶対忘れないでね。」
「わかりました。女王様。」
「おいおい、どこにつれて行く気なんだい。」
兵士たちは、二人を王宮内にあるという、伝説の迷宮に導こうとしているかのように、普段はほとんど誰も立ち入らない地区に入り込んでいた。
「まあ、ここの構造の全てがわかっている訳ではないが、この方向は、世にも恐ろしい、見ただけで身の毛もよだつという、あの拷問室方向だな。そこには女王だけの人体実験ルームもあると聞いている。たぶん過去何千年とかの間に作られた、傑作拷問装置とか、洗脳装置とか、洗脳薬とか、沢山の手術台とか、ありとあらゆるこの世の終末につながる機械類や薬品類がある。その犠牲者たちの体も保管されていて、夜中に女王とともに酒盛りするとか・・・たぶん僕が作った最新型洗脳装置もある。」
「それは、非常にありがたくない場所だね。」
「人間が到達した、もっとも神聖にして高貴なる場所だ。」
「なるほど。」
「しかし、女王様には本来機械など、必要でもない。こうしたいと思えば、ほとんど全てがそうなる。人間の頭の中も自由にいじくれる。ただ例外がある。僕たちみたいな、この世のクズたちさ。」
「あすから君は火星のナンバーツーだ。くずじゃあないさ。」
「そうか。ほら、君たち、そんなに突かないでくれたまえよ。逃げたりしないさ。多少は敬意を払いたまえ。」
しかし、兵士たちは無言で、二人を、きっと巨大病院の奥にはこうした場所があるだろうと、いつの時代の患者たちも、密かに想像するような、寒気に包まれた場所に連れ込んだ。
それから、ある大きな扉の前で止まり、急に丁寧な王室の一族を相手にしたときのしぐさで中に入るようにと促した。
「どうぞ、ダレル様、ソー様、お入りくださいませ。ここまでの失礼はお許しください。」
先頭に立っていた、色違いの厳つい武具に包まれている兵士が、ガラッと変わった声を出した。変声装置を使っていたらしい。
「あれ、君は女だったのか?」
その兵士が、上半身だけで軽くお辞儀をした。
「それは、どうも。」
ダレルとソーは、室内に足を踏み入れた。
そこは、かなり広めだが、常識の範囲内の少し豪華な応接室か、相当豪華な居間、という感じの、割とくつろげる、少し赤っぽい色に包まれた暖かい空間だった。それはまた、冷たい外の通路とは好対照を成していた。
「ちょっと、意外だったかなあ。」
反対側のドアから、すぐに女王とリリカ(複写)が現れた。
「わたくしが、ドリルとのこぎりとか持って、出てくるなんて思っていましたか?」
「あなたは、日曜大工はしないでしょうね。」
ダレルが精いっぱい皮肉った。
「まあね。おかけなさい。やっと捕まえた、というところよね。ね、リリカ様。」
「はい、そうですね。」
二人は、並んで、薄いピンク色のソファに腰かけた。
「まあ、そんなにピリピリしないでね。ここは、誰にも邪魔されない、わたくしの憩いの部屋なのだから。ま、もっともこの、向こう側にはちょっとした博物館のような部屋もありますの。そこには古代の火星から現代までに使われていた、様々な拷問用具とか、手術台とか、洗脳用機器とか、まあ言ってみれば、あなた方が想像する限りの、危ない品々が収納されております。あなたが最近作ってくれた機械もね。ダレル様。」
「はあ、確かに想像通りだね。」
「もっとも、それらは基本的には展示されているだけなのよ。でもね、この部屋の続きの部屋では、何でもできるの。わたくしが、必要な機器を指定すれば、自動的に展示から解放されて、移動してくるの。後で見せてあげるわ。すべての展示品は、きちんと整備してあるから、いつでも使用可能よ。最近はほとんど使うことはなくなったけれども。だって、火星は長く、とてもよく管理できていたから。ね、リリカ様。そうでしょう。」
「はい、女王様。仰せの通りかと思います。」
「そうなの。まあ、昔々は、わたくしも、ここで毎日のように活躍したものよ。でもね、このところ、何か不安定な要素が、高まってきているわ。ちょっと心配なの。ところが、ビューナス様が民主化なんていう、びっくりな、ありがたい提案をしてくださるから、助かっちゃった。いい、あなた方二人と、それから、あなた、ソー様ね、あなたは見たことがある。勿論いろいろ調べさせても、もらったわよ。とても優秀ね。不感応だけれども。多分、リリカ様の右腕のアリーシャ様ともほぼ対等か、もしかしたら、それ以上かもしれない。これ、褒めてあげてるのよ。」
「はい・・・。ありがとうございます。」
「うんうん、素直でいいわ。ダレル様、少しこの方を見習いなさい。」
ダレルは返事をしない。
「まったく。で、あなた方の出番と言うことに、あいなった訳なの。そこで・・・。」
女王は右手を上げてから、さっと、世にも美しい顔を斜めによぎらせた。
「と、普通の人間なら、もうこれで、わたくしの意図が体中にみなぎり、わたくしへの深い忠誠心と、やる気と元気で一杯になるものなの。ところが、あなた方不感応者は、そうはゆかないのよね。ね、リリカ様。面倒でしょう?」
「はい、本当に面倒ですね。」
「そうなの。手間がかかる事、この上ないの。で、相談なんだけれど、あなた方の場合に必要なのは、絶対の信頼関係よ。いまここで、わたくしに再度、絶対の忠誠を誓いなさい。意見を言うことは認めるわ。でも、命令には絶対服従よ。例外は無し。まあ、組織なら当然ではあるけれど、そうじゃない方も中にはいるからね。もし裏切ったら、消滅してもらう。リリカ様の装置で不死化はしてもらったと思うけれど、体の構成物質を消滅させればすべてはおしまいよ。再生できないから。もし、心の中に不安があるのなら、取り除いてあげる。強制的に手術してでも。どうなさいますか?誓えるかしら。絶対の服従よ。どう?因みにリリカ様は、いかがかしら?」
「私は、女王様に完全で絶対な永遠の忠誠をお誓いいたしております。」
「そうよね。そういう事なの。さあ、ダレル様、いかがかしら。」
「この前の試験で、表明したはずです。」
「何回でも、表明しなさい。さあ。言いなさい。お手本は、今聞いたでしょう。」
「あなたに、忠誠の努力を尽くします。」
「ふうん。あなたは?」
「ぼくは、いえ私は、忠誠を誓います。」
「誰に?」
「それはもう、あなたに、です。」
「まあ、いいわ。ダレル様、あなたの言葉にはね、いつも含みがあるように感じるの。それは、あなたの優秀さと正直がそうさせるのでもあるけれど、なんとなく相手を不安にもさせる。いつか裏切るんじゃないかなあ、とね。どこかに不満や反抗の意思がありそうだぞ、って。これ、わたくしのひがみかしら?」
「それは実際に支配者のひがみと言うものですよ。まあ、そういう事ではないです。ぼくがこれまでに、あなたの為にしてきたことを、お考え下さい。」
「なるほど。確かに、あなたはわたくしの要求する事柄は、確実に、しかも手早く処理してしまう。それは認めてるの。まあ、わたくしも、本来の自分が人間であるとは言えないし、人間という生き物のしぶとさは解っているわ。リリカ様、いかがかしら。これでいい?少し不安?あなた決めなさい。あなたはダレルの上司なんだから。もしダレルが裏切ったら、あなたにも責任がある。」
「そんな、無茶な。」
ダレルが反発した。
「無茶?」
「ぼくのことと、りりカの事は、無関係です。」
「いえ、違う。あなた方は共同体なの。お互いに責任を持ち合うの。いいわね。」
「はい、女王様。」
「あなたは?ダレル。」
「わかりました。」
「あなたも、ソー様?」
「もちろん、わかりました。」
「いいわ。で、リリカ様、どうしますか。このお二人については、念のために物理的な洗脳、あるいは何らかの方法で、意識コントロールが必要かな?それともこのままで信じられますか。」
「ソー様は、当面これで良いかと思います。彼にはダレル様に対する厚い信頼があります。ただ、ダレル様は、しばらく確認期間を置くということで、いかがでしょうか?ご本人様の努力も、ご覧になってみてはいかがですか?」
「わかった。じゃあ、ダレル様、二か月後に、再試験します。その後も定期的にあなた方の精神チェックは行います。この件は、これでおしまい、と。では、ちょっとせっかくだからね、お腹もすいたでしょう。はい、用意して・・・ほら来ました。」
女王の身の回りの世話をする『封式官』と呼ばれる男女がさっさと現れて、美しい皿に少しずつ盛られた料理を並べた。
「まあ、おやつ程度だけれどね、どうぞ召し上がって。お酒は無し。それは明日の晩よ。明日の晩は覚悟しなさい。晩さん会なんだから。ダレル様、あなた先日も、なんだかんだと言って結局逃げてしまったようだけれど、明日はそうはゆかないのよ。これは、さあ練習よ。ほら、こちらは【『普通人』の金星風ソテー】、こちらは【『高級普通人』のショウガ煮トマト添え】よ。で、これはもっと高級な【『最高級普通人』のカタビラのたまご混ぜグラタン】。で、デザートの【『普通人』のムース・チェリーかけ】。どれも王宮特製の最高級品ばかり。これからはこういうものを食べていただく機会がぐっと増えるの。で、カロリーも多くなるから、あんな感じの高官が増えちゃうわけなの。それって、いやでしょう。だから運動もしっかりしてもらいます。ああ、アリーシャ様がやっとご到着みたい。」
アリーシャが少し慌てたように、バタバタと入ってきた。
「すみませんでした。ちょっとトラブっちゃってですね。」
「どうしたの?」
リリカ(複写)が尋ねた。
「それが、例の教授先生が突然騒ぎ出してしまって。まあ、今は落ち着きました。どうしたわけか、その後人間料理をじゃんじゃん食べまくっています。」
「少し精神抑圧が強すぎたかな。もともと強烈な自意識のある方なので、そこに新しい考え方を押し込んだから。無意識の領域での猛烈な戦いがあったみたいね。とうとう壊れてしまった感じかな。まあ、仕方ないわね。わたくしに逆らったのだから。」
「壊れたって、それはつまり・・・」
「まあ、人格が崩壊してしまった。という訳よね。もう、以前の教授じゃないわ。あえて言えば、わたくしたちの善良な仲間よ。これからは、余計なことは何も考えない、良い王国民になるわ。」
「いや、待ってくださいよ。それって、もしかしたら意図的に”壊した”のじゃないでしょうね?」
「まあ、偶然よ、偶然。別に壊れてくれなくても良かった。いい子になってくれればね。」
「信じがたい。」
「ほら、さっき忠誠を誓うと言ったばかりでしょう?この件は終わり。さあ、食べて。アリーシャ様も嫌な仕事で悪かったわね。お食べなさい。」
「ありがとうございます。では・・・」
アリーシャが、大きな角と牙を目いっぱい出して、まったく遠慮なく人間の料理を食べるのを見て、ダレルはかなりショックを受けた。
「まあ、アリーシャ様、もう全然平気ね。」
「はい、すごくおいしいですよ。」
「そう、よかったわ。ほら、二人ともぼっとしてないで、ちゃんと角出して、牙出して、ほら食べなさい。お母さんみたいに言わせないで。まあ、そうなんだけれども、でも、子供じゃあるまいしね。ほら、ちゃんと前掛けもして。」
女王は、ソーの首に白いナプキンをくくった。女王の美しい唇が、ソーのすぐ目の前ぎりぎりに迫った。
「あなたも同じようにして差し上げましょうか、ダレル様。」
「いえ、結構です。」
「いい、社会共同体の成員として認められるためにも、指導者の出した料理は、文句言わずに食べるものよ。火星のある辺境地域では、さらにややこしい食べ物もあるのよ。ご存知かしら?あなた方、この先地方訪問の時には食べさせられるわよ。体長15メートルの巨大ゴールデン網目蛇と普通人のごった煮鍋とか。大きなお皿の上には、両方の首がずらっと並べてありますの。」
「うをほん・・では、少しいただきます。」
ダレルが覚悟を固めたように言った。
「まあ、少しだなんて、あなたが四つになったころは、いっぱい食べてたじゃない。人間の肉団子チョコとか、人間ケーキとか。大好きだったでしょう。」
「まあ、先日も言われましたが、記憶にはありません。」
「残念ねー。」
ダレルとソーは、この際あきらめて、人間料理を少しだけ口に持って行った。
「そうそう、えらい、えらい。美味しいでしょう?」
実際その料理は、非常に美味しかったのだ。なにしろ火星最高の料理人が腕を振るっていたのだから、それも当然ではあった。
しかし、これが明らかにブリューリによる人間倫理の最終的な破壊と。その没落以外の何物でもないとの思いを噛みしめるのは、火星上の支配者の中では、もうダレルとソーくらいになってしまった。
他に理解者を求めようとすれば、過激派のテロリストやミュータント、あとは金星人。これから成長するはずの地球人。
「そう、人間を食べたからと言って、あなた方、すぐブリューリに成れるわけじゃあない。ブリューリ様は、あなた方のお味がお嫌いなの。つまり、美味しくないの。なぜかしらね。一般的に言って、不感応者は美味しくないことが多い。でも、リリカ様などは例外的に美味しくないようだし...ごめんね。まあ、そういうケースもみられる。その原因の特定はできていない。でも、ブリューリ様が、あなた方が首相や副首相になることを認めてくださったことには、ビューナス様の強大な力が作用したとはいえ、ブリューリ様に大いに感謝しなさい。」
「それはまた、最高のお気配りですわ。うれしいです。私も、本当は早くブリューリ化したいです。」
すっかり洗脳されてしまったリリカ(複写)が、訳の分からないことを言うのを、ダレルはぐっとこらえて聞いていた。
『しかし、このままでは本当に長くはないな。結局リリカも完全に怪物の仲間になりきってしまうのは、もう時間の問題だ。とはいえ、その『味』の問題はこれまで、ほってしまっていたが・・・まてよ。ふん。こいつは使えるかも・・・』
「さあ、食べてしまって。済んだら博物館や手術室なども見せてあげるから。興味深いわよ、きっとね。」
リリカは生きていた。自分でもそれは解っている。
あの時、強烈な危険を感じた。
このままでは、自分は女王によって根本的に変えられてしまうと確信した。
けれど、それはこの火星で支配者として生きる上では、当然の事なのだ。
にもかかわらず、だ・・・
そう、声が聞こえた。
あれは、誰の声なんだろう。
識別はできなかった。
その声に従う理由はないはずだった。
けれど、すべき事はわかった。
彼女は、自分の複製を秘かに作った。
複製であることを示す細胞を消去することは不可能だったが、機械を使ったことや、作成者名や作成場所を記録しないことはできる。
不死化も行った。
記憶の同期もしたが、一部削除した。謎の声が聞こえたこととか、その内容とか、女王に見られるとちょっとまずそうな事を、だ。
そうして、入れ替わった。
ところが、どうしたわけか、本物であるはずの自分が、現実空間から削除されてしまった。設定のミスだった可能性も否定はできないが、何かの力が介入したのかもしれない。
コピ-元が乗るステージから、リリカはそのまま消滅してしまった。
それにしても、ここはいったいどこなのだろう。
完全な静寂。
上も下もないまるで宇宙空間の中にいるような、しかし星の姿はなく、音もなく、匂いもなく、目は見えているはずなのに、何も見えていない。いや、見えるものが無いのだ。
自分の体も見えない。
白であり、黒であり、何の色もない。虚無の空間。
いったい、時間がどの程度経過したのかさえ分からない。
突然周囲に、光の列が走り始めた。
七色に輝く光たちが、自分の周囲を走り抜けてゆく。
やがてその光が輪を描いてぐるぐると踊りながら、周囲を廻ってゆくようになった。
手を取り合って、ダンスをしているような・・・
二重三重に、彼女の自意識の周囲を取り囲んで、広がったり狭まったりしながら。
歌が聞こえる。
不思議な歌。
聞いたことがない言葉だ。
「とおりゃんせ、とおりゃんせ。」
というような、意味のまったく分からない言葉。
違う歌も聞こえる。
「マイム、マイム、マイム・・・・・」
掛け声のような、祈りのような声。
女の声だな・・・・。
その、ある種の掛け声によって、空間がほんの少しだけゆがむようなのだ。
今や、もう大きな力は失っている。もしかしたら、かつてそれが、この世界の人を別世界に誘う呪文だったのかもしれない。それは太古の火星にもあったから。
リリカには、自分とともに、その真ん中に誰かが二人いるらしい事は、なんとなく分かるが、はっきりとはしない。
その周囲を、女の人らしき、まるで影のような存在の輪が、広がったり縮んだりしながら踊りを踊っている感じだった。
「次元が交錯しているようだな。どこか別の宇宙に紛れ込んだようだ。」
ピントが合わないカメラのファインダーを覗いているように、全体がはっきりとはしない世界を、他所の世界からぼんやりと眺めている感じだ。
そこで、突然爆発が起こった。
すべてが吹き飛ばされた。
どこかに自分が飛んでいっているらしき感覚だけはあった。
『ビューン』
突然耳鳴りのような音が、見えない頭の中を駆け回る。
それから・・・再び、長い静寂。
一日か、百年か、一万年か・・・・・・
白くて丸い不思議な物体が、少し向こうをゆっくりと追い越しながら通過してゆく。
表面に、何かのマークか象形文字らしきものが印字されているのは解った。
食べ物かもしれない、と感じはしたが、自分の手が存在しないのだから、文字通り手の出しようもない。
そこには【楽】という印があった。その意味は解らない。遠方に過ぎ去ってゆく宇宙船のように、やがてそれは遥か彼方に消えて行った。
その後は、再びまったくの『無』が取り囲んだ。そこにいるのは、『自分』という意識だけだった。
「おそらくこれは、一種の幻覚なのだろうな。夢かもしれないが、目を覚まそうとしても出来ないらしい。複製をしたときに、装置に異常が発生した可能性も高いな。でも、あの声も幻聴だったのかな。おかしなもの食べたかしら。女王様の計略とかもありうるか。それが何にしても、どこかに解決策が必ずあるはずよ。考えて。リリカ。」
そのまま、永遠のような、虚無の時間が流れた。