わたしの永遠の故郷をさがして第二部 第四十七章
リリカ(精神=女官)は、随分長い時間、「永遠の都」のエントランス・ホールと呼ばれた場所にしゃがみ込んでいた。
物音ひとつしない、まったくの静寂である。
風も吹かない。
木々のざわめきも、小鳥の歌も、かさっというような音も、一切存在しない。
リリカ(精神=女官)が立てる音のみだ。
さっきまでは、アマンジャの喧しい声が響いていたから、そんなことは何も気にしていなかった。
もしも、女王ヘレナの言う通りならば、また、「永遠の都」に行く候補者が現れるまでは、この静寂が続くのだろう。
ふと見上げると、扁平な饅頭のように固まった「ブリューリ」がいる。
未来から乗ってきたゴンドラが、やはり空間に張り付いたように止まっている。
ブリューリは、しかし、たとえ中身は死んではいないとしても、もはや何の動きもなかった。
「どうやって、ここから出るのだろうか?」
リリカ(精神=女官)は、今になって初めてそのことを考えた。
「ゴンドラに乗るとしても、あそこまでどうやって行くの?」
ジャンプして届く距離ではない。
柱を登って行けないかと考えたが、柱からゴンドラまでは、火星のジャングルに済む、空間を滑空する動物でもないかぎりは、届きそうもない。
もしこの体を捨てて、精神だけで抜け出すことは、多分簡単だが・・・・。
しかし、その考えを彼女は捨てた。
そんな自分勝手なことができるはずもない。
それは、このままならば、いずれ体の方が参ってしまうことは確かだとしても。
「だって、食料もない。飲み物もないじゃない。」
リリカ(精神=女官)は、体育座りした。
それから、未来の地球で女王から教わった『歌』を口ずさみ始めた。
「ナツカシ カワベニ ツユハアレド・・・・・」
意味は解らない。
火星には無い、不思議な旋律だった。
でも、彼女は覚えたし、歌えたのだ。
「よくこれが歌えたわね。まあ、体が地球人だからもあるだろうけど、音域が広いし、むつかしい歌なのにね。りっぱ!」
未来の地球では、音楽家でもあるという女王様。
女王様が教えてくれたシナリオは、こうではなかった。
第九惑星の上空で、すべてのことは運ぶと聞いていたのだ。
どこかで、何かが行き違った。
「まあ、未来はよく、ころころ変わる。そのたびに新しい未来ができる。それだけよ。」
ヘレナ様は、あっさりと言う方だ。
「これじゃあ、手も足も出ないかあ。」
リリカ(精神=女官)は、仰向きになって天を仰いだ。
なんだか少しだけ、眠ってしまったような気もする。
声が聞こえる。
「もしもし、リリカさん。もしもし。」
「はあ、・・・え?え?」
彼女はびっくりして起き上がった。
「もしもし、リリカさん。どうしましましたか。」
やはり、はっきりと聞こえる。
「え、どなたですか?」
「やだなあ、アーニーですよ。あれ、そういえば、このリリカさんは、初顔合わせかなあ? わからなくなっちゃったぞ。あのですね、星態コンピューターの「アーニー」と言います。ヘレナの、まあ、一の子分と言うか、まあ、そんなところですよ。」
「うそ。どこにいるの?」
「あらゆるところに。なんてったら、叱られますよね。まあ、気にしないでください。怪しいモノじゃありません。きわめて物理的な存在ですから。」
「姿もなくて?」
「はい。」
「ここはどこですか?」
「あれ、ヘレナから聞いたんでしょう?」
「まあ、確かに。『永遠の都』のエントランス・ホールだとか。」
「ええ、そうです。正解です。」
「でも、それでは、まったくはっきりしません。」
「そうですよね。まあ、ここは、ある巨大なブラックホールのぎりぎり限界のところに広がってる微妙な場所です。これ以上立ち入れば、絶対に出られない。」
「『事象の地平面』ということ?」
「ずばり、そうです。あなたの背中の後ろ側からは、もう何の情報も得られません。」
「数学的にはそう言えても、ここに建築物を置くなんてできないでしょう。」
「建築物じゃないからですよ。まあヘレナにしかできない。そうとしか言えない。ヘレナには物理法則は当てはまらない。だって、ご存知でしょう?」
「まあ、ね。信じたことはないけれど、信じていたような気もします。」
「ここが実例です。この床には厚みがない。」
「またもう・・・へレナさまと、アマンジャさんは、どこに消えたの?」
「だから、もう、ブラックホールの中です。そこに「永遠の都」があるのです。アーニーだって、入れない、というか出られない。出入り自由なのはヘレナだけですよ。」
「そんな怖いこと言わないでくださいよ。光が出られない空間から、どうやって出るの? マンガみたいよ。現実性がないわ。」
「まあ、そう思えばそうでしょうね。でも、あなたのおっしゃるとおり、ヘレナの元体も、アマンジャさんも、ヘレナじゃない。永遠にさよならです。でも、あなたはそうじゃない。あなたは、現実に帰るべきです。ここからなら、あなたを連れ出せます。まず火星に帰りましょう。その後、ゴンドラは、未来の地球に帰します。あなたのその体も。あなたは、火星に戻ってきている「リリカ」さんの本当の体に乗り移ってください。これも非常に微妙です。あなたにとっては、本来自分の体ですが、いまはすでに独自の人格を持って他人になっています。それをあなたは自由に操れるわけですがね。あなたの体は、あなたによって「不死化」されています。あなたの精神は、この宇宙の終末までは滅びませんし、他の体に乗り換えることも、自由自在です。この宇宙が存在する間は、あなたはヘレナに次ぐ存在ですし、むしろある点では、それ以上です。だって、あなたにとっては、「不感応者」なんか関係なしなんですから。誰もあなたには、絶対に勝てないのです。ダレルさんだってね。あなたはこの宇宙の支配者ですよ。ヘレナを除いてですが。」
「そんなのいやです。」
「だって、これは偶然起こったことです。再現はまず不可能ですよ。あなたが戻ってきたこと自体が、まずもう二度と起こらない事だから。ただ、ヘレナの意思が、どこまで関与しているのかは、アーニーも言い切れないですよ。まあ、それが、ヘレナなんですから。じゃあ、帰りましょう。時間自体がゆがんでいますが、なんとかあなたを適当なところに戻します。それが、アーニーの限界です。」
「あの、怪物はどうするの?」
「それがですね。これがまた、なぜそんな馬鹿な事を、と、思うでしょう?」
「まだ聞いていません。」
「そうですね。なんとヘレナは、火星に連れ戻せというのです。そこで「封印する」とね。ここは神聖な場所で、『こいつ』がいるべき場所じゃないと。そう、仰せです。だからあなたと一緒に連れて帰ります。」
「ええ!?・・・それはものすごく嫌なような気がしますが。」
「仕切りまして、見えないようにします。」
「寒気がしそうな・・・、あの、話が、逆転するようですが、ヘレナは、どこにいるのですか?」
「火星ですよ。今。来てますよ。」
「はあ?」
「じゃあ、あなたの体を、ゴンドラに移します。その先は、ご自分で聞いてください。」
リリカ(精神=女官)の体は、ふわっと浮かびあがった。
「待ってください、まだ聞きたいことが山ほどあるわ。あの、真っ黒な怪物は、ひとつの生き物だと未来の女王様から聞いたけれど、本当はなに?どこから来たの?」
何かに首筋をつままれた火星猫のように、リリカ(精神=女官)は、ゴンドラの中に放り込まれた。
「あれは、だからアーニーの管轄外から来たもので、不明です。ヘレナにそういわれたなら、それが正解で、それ以上の情報はありません。直に聞いてください。」
「じゃあ誰が、いまは女王様なの?」
「ああ、それは、まあ、お伝えしておいた方が良いでしょうね。ビュリアさんです。ただし、まだ秘密ですよ。ダレルさんも、もう二人のリリカさんもご存知じゃないですから。」
「ビュリアさん?それ、誰? もう二人のわたし?」
「テロリスト集団「青い絆」の魔術師さんです。」
「女王様は、さきほどのお体から、移ったのですか?」
「いえいえ、まあ、かなり前からですよ。それと、あなたは間違ってご自分の複写を一体作ってしまった。だから二人います。あなたが。アーニーの見立てでは、さきほど王宮に入った方が、本来のあなたの体です。もう一人は、複写ですね。どうやら地球に一旦帰るようです。まあ、どっちでもいいじゃないですか。変わりはありません。どっちも相当改造されていて、もう訳が分からない人間になってしまっていますからね。あなたが入れば、元に戻るでしょう。たぶん。」
「こほん。それは、ちょっとひどい言い方です。」
「失礼。でも、事実ですよ。かなり危ない人間になってしまっていますから、取り扱いには十分注意なさった方がいいですね。」
「さっき、宇宙船アブラシオに乗って来てきていたのが・・・」
「ああ、そうです。その方が『複写さん』ですよ。おっと、いま後ろに「ブリューリ」さんを放り込みました。じゃあ、帰ります。いいですか、思いっきり脱出速度が必要なので、調整はしますが、車内事故が無いようお気をつけくださいませ。では、発射!」
ゴンドラは、ブラックホールの周囲から飛び出した。
さっきまで見ていたはずの「エントランス・ホール」は、あっというまに、消え去った。
「結局あれはどこだったの? あなた、太陽系外は守備範囲外のようなこと言ってましたよね。」
「まあ、ヘレナに聞いてください。でも、ここはもう太陽系ですよ。「飛び地」なんていう守備範囲もありますからね。」
「はあ・・・・あの、私は、またあのヘレナ様や、アマンジャさんに会うのでしょうか?」
「さあて、どうでしょうか。でも、いつかあなたが『永遠の都』に入れば、会えますよ。きっとね。」
「私は、不死なのでしょう?」
「生きたままでも入れますよ。だって、ちゃんと見たでしょう?」
「ええ・・・、あの二人は、本当にあのまま、生きていたのでしょうか?」
「え? それは、文法的にどういう意味ですか?」
非常に珍しく、アーニーが言いよどんだ。
「あのとき、感じたのです。アマンジャさんも、ヘレナ女王様も、確かに生きてはいたようだったけれども、なんだかだんだん・・・・うまく表現できないけれど、通常の生き物ではなくなってきていると言うか、そんなおかしな気がしたのです。どこかもう、この世の人ではないと言うか・・・。まあ、気のせいですね。」
「それは、気のせいです。たぶん。」
「いいわ。女王様に聞いてみるから。」
「ええ、是非そうしてください。」
リリカ(精神=女官)の非常にメランコリックな気分は、解消したわけでは無かったけれど、彼女には、まだ前に進まなければならない事情というものがあった。
少なくとも、まずは抗ブリューリ薬の製造と、その確実な「散布」が必要だった。
ゴンドラは、一気に火星に向かった。
しかし、あそこが、通常の太陽系内だなんて、実際ありえないだろう、とリリカ(精神=女官)は考えていた。もし、聞いた通りの場所ならば、だ。
そんなことは、火星の幼稚園児だって知っている。
もしかしたら、つまり、この体験全体が、きっと「現実」ではないことに基づいているのだろう。
虚構の上に積み上げられた、ほとんどすべてが虚構の構造体だ。
きっと未来の地球で見た、「オペラ」や「SF映画」みたいなものなのだろう。
それなら、説明は意外と単純に、簡単に出来るのではないだろうか。
ただし、そうなると、あの未来も、幻想だったことになるかもしれないな。
でも、抗ブリューリ薬は、見事に効果を発揮したようだし・・・。しかし・・・
しかし、「お腹がすいたなあ。」
彼女は、そうつぶやいた。
隣の席に、火星の「巨大ハンバーガー」と、金星の「ババヌッキ」が出てきた。