わたしの永遠の故郷をさがして第二部 第四十六章
「火星の温暖化現象は、とても深刻な状況なのに、企業家は知らん顔のまま、王国政府は無関心。学者はごく一部を除けば「腫れ物に触る」のは御免状態さ。これは、火星という星がたった一人の存在に完全に依存してしまっていることからくる異常な現象だ。いや、むしろ稀有な成功例かもしれないな。もし民主主義社会だったら、一億年早く滅んでいたかもしれない。」
ブル博士がぼやいた。
アバラジュラ(ビュリア)はいつものように、先生をなだめにかかった。
「ほらほら、先生、また告げ口されちゃいますよ。まあ、その先生がお嫌いな女王様から、先生は好かれているのは明らかです。じゃなきゃ、ここにいるわけがないでしょう。」
「そうか?嫌がらせとしか思えんがな。おい、ほらあそこ見て!」
飛行艇は、緯度をどんどん高くしながら北極方向に向かっていた。
アラビア地方(基本的な地域名は後世の地球で名づけられたものに従う)から中心都市「シドニア」を通過し、アキダリア平原のはしっこを横切りながらぐんぐん北上する。
「ほら、川が氾濫してる。」
「ああ、ひどいですね。昨日大規模なゲリラ豪雨があったんです。街が水浸しですね。救援機は大分きているみたいです。」
「ああ、多くの人が住む場所を失っているのさ。またシドニアに流入するだろう。」
「女王様が、一時滞在施設を大規模に作っておられますから、そこで止まるでしょう。」
「そうかな。難民はよい食糧になるだろうが。」
「それは、まあ一部は、確かに。」
「確かにね。何を考えてるんだか、ぼくにはさっぱりだよ。」
「そういえば、リリカ新首相が、新しい首相令を発表するとか。画期的なものらしいという噂が立っております。」
「ほう、そうかい。」
「ええ、人間食を禁止にするんじゃないかって、いう噂もあります。いっぺんにしたら、火星は崩壊しますよね。」
「ほう。君は反対なの?」
「いえ、時間をかけて食料供給のバランスを取りながらやらなければ、という意味です。」
「総論賛成、各論反対かな。」
「各論反対じゃなくて、各論をしっかり考えなくては。『はいやめましょう! しゃんしゃん。』とはゆかないですよ。」
「ああ、わかるよ。しかし、実際のところ、長年の食料バランスは簡単には変えられない。いじる気持ちはあるんだろうがね。もう、遅すぎたんだ。火星の環境は間もなく大崩壊する。食料生産どころじゃなくなる。まさにこれから、共食いが始まるんだ。それが現実だよ、君。」
「先生は、でも人間を食べないのでしょう?」
「菜食主義だからね。合法だよ。ほら北極に近づく。こんな、いい天気で穏やかな北極って、ありとだ思うかい。それもここんところずっとだよ。データとれてる?」
「大丈夫です。」
「降りてみたいと思うだろうね。」
「ええ、ぜひ。」
「よし、準備したまえ。」
「はい、先生。」
飛行艇は、北極の「北の高原」の着陸ポートに着いた。
とはいえ、周囲は見渡す限りの海になっている。
かつては、氷の上にそれなりの町があった。
食堂も、映画館も、バーもお土産屋もあった。
いまは、少し高いビルが一本、天にそびえているだけだ。
あとは、水面下に見え隠れしている。
「お粗末な事さ。こんなになるまでほっとく方がどうかしているさ。」
「どうか、なったのですか?先生。」
「そうだね。あと二百年早く動いていればね。まだ寿命が延びたかもしれない。」
「はあ、生まれてません。」
「そうだよ、子孫は先祖が悪い、先祖がやった事だと言うさ。でも、責任取らせたくても、もういない。一人だけ残ってるのが女王と、それとブリューリさんだ。じゃあ君に聞くが、この先火星はどうなると思う。授業の一環と思いたまえ。」
他の研究者たちは、ボートを出したり気球を飛ばしたり、みな忙しそうだ。
「え、成績に反映されますか? それは大変。そうですね、大陸内の赤道近辺では、自然発火も焼き畑も含め、森林火災が止まらなくなっています。大気中に有毒な物質が散乱していますが、一方で工業化地域の化石燃料の消費が相変わらず高止まりのままです。いまでは、工業化地域だけでは無くて、火星全体に大きな影響が出ています。温暖化効果で海水温が上がり、二酸化炭素は増加。酸素の量は減少。オゾン層は破壊状態が進行してます。やがて大気は破壊され、海は蒸発し、文明は滅亡するでしょう。金星が大分先を行っていますが、火星は小さいですから、事が始まれば早いでしょうね。」
「君は、火星文明の滅亡までどのくらいだと思う?」
「まあ、下手したら二百年、と思っていましたが、どうやら新しい首相が誕生したので、少し伸びるかもしれないと思いますが。」
「ぶー。落第。」
「先生、ひどい。先生の気に入る様に言ってますのに。」
「そうか、そりゃ悪かったな。でもね、ぼくはこう思ってるんだ。いいかい、今回女王が政権の座を降りるのは、火星を見限ったからだよ。女王が見限ったのか、ブリューリさんが見限ったのかは、ぼくらにはわからないがね。いずれにせよ、火星人の自然絶滅に、ぐっと舵を切ったんだ。最後の舵取りを弟子に任せたのさ。ぼくが思うに、女王様がもし本気になったら、ここ百年の間に、強制的に経済生活を大縮小させても火星を救うことはできたはずなんだ。でも、ほっときっぱなしだった。もとから、滅ぼすつもりなんだ。まあ、実際のところ、文明を正常に維持できるのは、よくてあと五十年だな。そこから先は、直角になだれを打って転落さ。まあ、それなりの文明らしきものの維持は、ある程度は可能だろうな。大幅に縮小してね。でも、そこ以外はあっというまに滅んでゆく。で、まあ最終的には君の言う通り、火星は赤茶けた大地と、少しだけ凍って残った水が眠る。どこまでも延々と続く荒廃した星になるのさ。永遠にね。」
「決定、ですか。」
「まあ、ほぼ。不確定要素は、ない事もないがね。」
「というと? 」
「地球人さ。」
「は?」
「この様子では、地球に高度な文明を持つ生物が、まもなく現れるだろう。彼らが、荒廃した火星を復活してくれるかもしれない。そう、三億年先とか。もしかしたら二十億年先とかにね。願わくば、火星の生き残りが、おかしなちょっかいを出さないでいてほしい、ということかな。それと、地球の高等生物君たちが、金星や火星の二の舞、三の舞を踏まない、レベルの高い生物であってほしい。」
「先生、それじゃあ、私たちの出る幕がありませんよ。」
「ああ、そうか。いや、頑張ってぼくの推測を覆してくれるんだったら、それに越したことはない。よし、さあ、飯にしようぜ。順番にみんな。」
*************
「あ、目が開いた。」
リリカ(精神=女官)が女王を見上げながら声を上げた。
そうして、女王の体から少し離れて行った。
「お目覚めかい?姉さん。」
アマンジャが、ヘレナの体を両手で抱えて、上半身を後ろにそらしながら言った。
「ここは、ここは・・・、ああ、ついにここに来たのですね。」
ヘレナが、半分まだ眠っているような感じでつぶやいた。
「姉さん、ここがどこなのか、あたしたちにはわからないんだ。」
ヘレナは、ゆっくりとアマンジャを見て、それから少しだけ離れたところに立っているリリカ(精神=女官)を見た。
「あなたは、アマンジャさん。こちらは?」
「リリカです。意識だけですが・・・。体は二億五千万年後の地球人です。」
「ああ、そうですか。」
「女王様、ご気分は?」
リリカ(精神=女官)が尋ねた。
「わたくしは、もう女王ではありません。女王様は出て行かれました。」
「え?」
二人が同時に驚いた。
「それは・・・つまり、どういう意味ですか?」
「そのままの意味ですわ。わたくしは、解放されました。もう、自由の身です。」
「あの、ここは、いったいどこなんですか?」
ヘレナは再度二人を見て、それから遥か彼方を見つめながら言った。
「ここは、「永遠の都」あるいは、「真実の都」とも言いますが。そのエントランス・ホールです。」
「エントランス・ホール?」
「はい。そうです。ここから、「永遠の都」に入ることができるのです。ただし、その入口が開くかどうかは、わたくしには、もうわかりません。女王であれば、自分で開くこともできますが、もうできないのです。あとは、待つだけです。」
「あのさ、こんな時に聞くのもなんだけれど、あたしはいいよ。あたしは、姉さんとずっと一緒だ。でも、この人は、そうはゆかないだろう。心を、元の体に帰してやらなければ。それと、この体自体も、戻してやらないと、まずいだろう。」
ヘレナは、ほほ笑んだ。
「はい。わかります。これは、女王様が、つまり、わたくしではない、別の女王様が目論んだことなのでしょう。しばらくお待ちなさい。それに、他に方法はないのです。どんな宇宙船も、ここには入れない。そう、一人だけ例外がありますが・・・。」
「あの、ヘレナ女王様ではない、他の女王様、ですか?」
リリカ(精神=女官)が聞いた。
「そう、わたくしも、つい最近までは、自分が女王その者、と思っていました。当然のこととしてですが。しかし、ある時気が付いたのです。自分は、本物ではないらしい、と。」
「なんだい、それ?」
アマンジャが、今度は尋ねた。
「いいですか、女王の本体は、いくらでも自分の写しを作り、人の体に移植できます。女王がこの太陽系に千人いても、おかしくないのです。まあ、もっとも、そんなにはいないでしょうけれどね。みな、例外を除いて、つまり、あなたは私のコピーだからと、教えていない限り、自分が本物だと思っています。偽物が、自分のコピーを作る事だってできますから。」
「それじゃあ、本当の本物がどこにいるのかって、のは。」
「はい。本物しか知りません。」
「あ、でもみんな本物だと、自分は・・・思っているのですよね。」
リリカ(精神=女官)が尋ねた。
「まあ、わたくしのように、気が付いてしまう場合もありますでしょうが、多分そうです。ただ、・・」
「ただ、なんだい?」
「本物の女王様は、すべてのコピーを、一瞬にして、すべて回収してしまうことができます、コピーのコピーも含めてね。私もそれができると信じていました。勿論自分が作った偽物や、その偽物が作った偽物は回収できますが、すべてではなかったのですね。でも、それは自分ではわからないのですから。」
「なんだか、もう雲の中を漂っているような話だねえ。それが真実だという証拠はあるのかい?」
「証拠? ありません。」
「あんたの中にいた女王様が本物じゃなかった、というのも、間違いかも?」
「当然分かりません。まあ、どこにいったのか、回収されたのかも、わかりません。ただ一つ、女王を経験した人間は、女王の意思が、違うことを望まなければ、「真実の都」に招き入れられることになっていました。私はここに来たのです。間もなく、招き入れられるでしょう。それは、わたくしの「権利」ですもの。あ、ほら!」
三人の向こうに、光の輪が浮き上がった。
「さあ、開きました。あなたがたも、自分が招かれているかどうか確かめることができます。一緒にあの光をくぐりましょう。招かれていない人は、そのまま、ここに残されます。別に害はありません。さあ、三人で手を繋いで、入りましょう。」
「あの・・・・」
リリカ(精神=女官)は、少し躊躇した。
「やってみようぜ。」
アマンジャが、にやっと笑って言った。
そうして、三人は、仲良く光の輪に向かってゆっくりと進んだ。
その光の輪が、ほんの少しだけ揺らいだ。
三人が、輪をくぐった。
エントランスホールに、輝かしい偉大な光輝がとどろき、満たされた。
やがて、その光も、「光の環」も、すーっと、消えて行った。
後には、リリカ(精神=女官)だけが残されていた。
彼女は、鏡のようにきらめくフロアに、一人うなだれて、座り込んだ。