弟の彼氏はスペシャリスト! ……たぶん
冒頭に朝チュンレベルのBL表現があります。
嫌いな方は□■□■□■の間を飛ばして下さい。
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梅雨が終わり、本格的に夏が来た今、ジッとしていても自然と汗が流れ落ちていく。
目の前の恋人の首筋を伝っていくその滴は、この喉の渇きを潤してくれるのだろうか――
彼の渇きの原因は、気温のせいだけではない体温の上昇。東田は、そっと触れた肌が自分と同じ熱を持っていることに歓喜した。その熱に身をゆだね、背凭れのないベンチへと横たわる愛しい彼に、覆いかぶさるようにして唇を重ねる。途端に他の部員が全員帰宅したバレー部の部室に、淫靡な音が響く。
東田が湧き上がる衝動のままに、柔らかな肌を手で、唇で、舌で味わうと、目元を染めた恋人が可愛く啼いた。彼はその姿に満足そうに嗤うと……
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「もう無理です……」
呟くと同時に机に突っ伏した私に、前の席に座って様子を見ていた亜美ちゃんがほっぺを膨らませた。
「ちょっと陽菜ちゃん! まだ最後まで読んでないでしょ!?」
「少し読んだだけで分かるよ。これ健太たちがモデルでしょ」
「えーっ。やっぱダメかぁ」
溜息をついている亜美ちゃんに、持っていたスマホを返す。そして意識して眉間にしわを寄せると、分かるに決まってるよと伝える。
「攻めの名前が三年の東田先輩で、受けの名前が新入生の寛太。バレー部内での恋愛模様。これで分からなきゃ私、鈍すぎじゃない」
「しょうがない。名前を変えるか」
(名前どころか設定から変えて……)
亜美ちゃんの妄想小説に多大なダメージを与えられた私は、思わず溜息を吐き出した。
遡ること数分前。
登校して教室に入ってきた亜美ちゃんは、私の机に駆け寄るなり、おはようじゃなく「最高傑作が完成したの!」と叫んだ。
趣味の小説のことかな? と、亜美ちゃんの言葉によかったねと相槌を打ちながら聞いていた私は、途中で亜美ちゃんにストップをかける。何となく嫌な予感がしたから。
「亜美ちゃん、その亜美ちゃんがはじめて書いた高校生カップルの小説の内容、詳しく教えて」
その言葉に、今の今まで目を輝かせて浮かれていた亜美ちゃんが、体を揺らして視線をそらす。……怪しすぎる。
「亜美ちゃん」
「う……」
「教えてくれないなら、私ももう健太たちのこと何も言わないよ」
「それはイヤ~!!」
しぶしぶ話し出した亜美ちゃんの話を聞くと、私はすぐに内容の変更を求めた。亜美ちゃんてばいつから二人を見守る会・会長(自称)から、二人を暴露する会・会長に代わったんだ。
亜美ちゃんが趣味のことに関しては暴走してしまうことが多いことを知っていたのに、すっかり油断してしまっていた。反省しながらも小説設定の変更を譲らない私に、亜美ちゃんが「絶対わからないからっ! 読んでくれたら陽菜ちゃんも大丈夫って納得するはず」と言ってきた。
必死な様子の亜美ちゃんに、仕方なく亜美ちゃんのスマホに入っているデータを見せてもらうことにした。私が読んでみて、それでもダメって言ったらちゃんと書き直すと亜美ちゃんが約束したから。
(でもなぁ。私、亜美ちゃんの小説苦手なんだよね)
昔……二、三回読んでみたことがある亜美ちゃんの小説は、攻めと呼ぶ彼氏役の人と、受けと呼ぶ彼女役の彼氏が、何度も裸でキャッキャ・ウフフなピンク色の世界を繰り広げていた。
そのピンクな部分が、私はどうしようもなく恥ずかしくて読めなかったのだ。それは亜美ちゃんのBL小説だけじゃなく、少女マンガでもそんな場面があると、ていっと飛ばし読みをしてしまう。
弟に先をこされたけど、私だっていつかは大好きな彼氏が欲しい。クラスや部活の友達が、放課後に彼氏と手を繋いで校門をくぐっていく姿を見たら、いいなぁと思うし。
まあそう思い始めたのは、最近のことなんだけど。
(とりあえず、最初のほうをチェックすればいいか)
いくらなんでも冒頭からピンクなはずはないと覚悟を決めた私は、亜美ちゃんのスマホの画面に視線を落とした――
で、撃沈しました。
でも登場人物は確認したので、オッケーということにしよう。
私だって、この小説を亜美ちゃんだけが読むなら何も言わなかった。だけど亜美ちゃんは、趣味の小説をネットに載せている。そこそこ閲覧されているらしいし、もしかしたら身近の人の目に触れるかもしれないもののチェックを、厳しくするのは当たり前だと思う。
(それにしても……亜美ちゃんのせいで、これから健太と西田先輩の顔を見るのが怖い……)
二人の顔を見て、もしかして二人はもう……とか、つい想像しちゃったらどうしてくれるのだ。そんな不満を亜美ちゃんにぶつけると、彼女はケロッとしてそんなの自分はいつだってしていると胸を張った。こらこら、そんな得意気な顔をしない。
「陽菜子ちゃんは猥談とか苦手だもんね。私なんかお似合いの組み合わせを見つけるたびに、どっちがタチかなとか妄想が止まらないけどね。健太君たちなら、体格差では西田先輩が攻めだろうけど、私はむしろ西田先輩のあの体が攻められているところを――」
「あ~みちゃーーーーん!」
朝から親友にライフポイントをガリガリと削られた私が上げた悲鳴に、まばらにいたクラスメートから笑いながらの野次が飛んだのだった。
「お先に失礼します」
「お疲れさま。また明後日よろしくね」
「はい、オーナー」
日曜日のお昼過ぎ。
朝からのバイトが終わった私は、レジにいるオーナーに挨拶をしてから店を出ようとして……体の向きを変えると、冷凍コーナーからアイスキャンディを二つ手に取りレジに向かった。
「お、陽菜ちゃん、彼氏とのおやつ?」
「だからあの人は先輩で、(私の)彼氏じゃないです」
「はいはい。22円のお返しです」
「……」
何度言っても信じてくれないオーナーに笑顔で見送られながら、今度こそ店外に出る。すると少し離れたガードレールに、軽く腰を落としていた西田先輩と目があった。
笑顔で手を振っている先輩に近づくと、西田先輩は地面に置いていたビニール袋を手にガードレールから離れた。
「陽菜子ちゃん、お疲れさま」
「西田先輩。こんな暑いところにいないで、先に家に行ってくれれば……。健太だって家で待ってるんですから」
「はは、でも、せっかくのデートだから」
「だから先に行ってていいんですよ?」
「うーん……。陽菜子ちゃんは、俺がここに来るの嫌かな?」
苦笑している西田先輩に、そんなことないと返しながら、溜息を飲み込んだ。
(嫌じゃないから、困ってるのに)
家からコンビニまでは、私の足で歩いて10分くらい。その道を誰かと話しながら帰るのは、正直楽しい。
健太と西田先輩がお付き合いを始めて、そろそろ三ヶ月。
毎週会って言葉を交わして、今では私の中で西田先輩は文句なしの弟の彼氏だ。だからこそ、私は二人の邪魔をしたくない。邪魔になりたくないのだ。
私の差し出したアイスキャンディを、嬉しそうに銜える西田先輩と並んで歩き出す。私はアイスキャンディを舐めながら、横目で先輩を盗み見た。
平均よりも高い身長に、半袖からのぞく筋肉質な二の腕。笑うと下がる目尻が、先輩のチャームポイントだと思う。Y工は女子の人数が少ないけど、学校に西田先輩を好きな女子がいてもおかしくない。
無言で歩き続ける私に、西田先輩は何も聞かずにアイスを食べ続ける。暫くして「あの」と声をかけると、「ん?」と視線を合わせてくれた。
「先輩。そろそろ付き合い始めて三ヶ月ですね」
「そうだね」
「友達に聞いたんですけど、三ヶ月って……危ない時期らしいんです」
「んん?」
一昨日、クラスの友達5人でカラオケに行った。それは彼氏に浮気されて、結果別れることになった子を慰める会だったんだけど、その子が彼氏と付き合い始めたのは、健太たちと同じ時期だったのだ。
彼女たちは毎日一緒に帰っていたし、何度もデートをしていたみたいなのに、たった三ヶ月でその彼氏は浮気したらしい。
他の子と違って経験値がない私は、ひたすら聞き役だった。その時にみんなの会話で三ヶ月とか半年とかは危ないということを知って、私は急に心配になったのだ。
(健太たちもそろそろ三ヶ月だ……)
それから色々考えているうちに、西田先輩と距離を離そうと思った。
もともとはじめての彼氏に不安そうな健太のために、私も西田先輩がどんな人なのか知ろうと思ったのがきっかけだった。その結果、先輩はとてもいい人だった。
リビングで健太と二人、楽しそうにゲームしている姿を見ていると、最近は健太もずいぶん西田先輩に心を許しているのが分かる。これ以上私が西田先輩を知る必要はないだろう。
健太だって、彼氏がたとえ自分の姉でも一緒に歩いているのは嫌かもしれない。最近、近所のおばさんたちがオーナーと同じように、西田先輩を私の彼氏だと誤解しているみたいだし……
(お母さんやお祖母ちゃんまでそう思ってるもんね。でも、しょうがないのかなぁ)
家は共働きの両親と、お父さんのほうのお祖母ちゃんとの五人家族。私以外の四人は休みの日に家でゴロゴロするのはもったいないって考えの人たち。だから日曜日も出かけていることが多いんだけど、何度か西田先輩と会っている。
はじめてのご対面には、私は健太よりも心配していたと思う。両親はまだしも、健太たちのことを知ってお祖母ちゃんの心臓が止まったら大変だ。
自分のことなのに、ちっとも気にしていなさそうな健太の代わりに、私が上手く話さないと。でもどうやって二人のことを説明しようか……
そう私が悩んでいるうちに、気付けば家族の中で西田先輩は健太の部活の先輩で、私の彼氏ということでまとまってしまっていた。
お母さんたちは最初から西田先輩に好意的だったし、最初は物凄く不機嫌だったお父さんは、西田先輩とTVゲームで対戦してからは、よきライバルとして認めている。
健太はその事を何も言わないけど、もし心の中では悩んでいたら……
可愛い弟と、私も彼氏が出来るならこんな人がいいなと思える西田先輩。そんな二人の邪魔者になりたくない。
だからこうして二人で歩くのはもう止めたほうがいいと先輩に伝えようとして――私はうまい言葉が見つからずに、思わずしかめっ面になってしまう。
西田先輩は最初、そんな私を困ったように見つめていた。けど、不意に表情を緩めると、頬を微かに染めて微笑んだ。
その表情に、私の心臓が一度大きく鼓動する。
「不安にさせたのならごめん。もっと言葉にするように頑張るから」
「え?」
「俺は……三ヶ月経って、好きだって気持ちがどんどん大きくなってるよ。会う度に、話す度に好きが増えてく」
「……っ!」
まるで自分に向けて言われているかのように錯覚してしまいそうで、私は無意識につばを飲み込む。見なくても分かる。今の私は完熟トマトのような顔色をしているはずだ。
(落ち着け、この人は健太の彼氏。健太の彼氏。健太の彼氏。今のは私じゃなくて健太のこと! 西田先輩は弟の彼氏、弟の彼氏なんだから!!)
うるさい心臓を宥めるように浅く呼吸を繰り返す私に、西田先輩が目を丸くしている。ほら、このままじゃ先輩に変な誤解をさせちゃうかもしれない。顔の熱よ、早くどっかにいってくれっ。
「そっか。やっぱり言葉って大事なんだな」
「そ、そうですかね」
どうにか西田先輩から視線を逸らし、自分の中の最大速度の速足で歩き出した私の隣を、苦もなく歩く先輩は何故かずっと笑っている。
ご機嫌なのはいいですけど、彼氏の姉の心臓に無駄にダメージを与えるのは止めて欲しい。本当に。
私の息が切れて段々速度が落ちてくると、なんだか無性に西田先輩の笑顔に腹が立ってきた。
(西田先輩は、もしかしたらとんでもない恋愛のスペシャリストかもしれない)
「先輩は、今まで、何人の、恋人が、いたんですかっ」
「俺? 三ヶ月前にはじめての恋人が出来たよ」
「嘘つかないでください」
「本当だって。それまでは初恋の人をずーっと想ってたんだって言ったら、陽菜子ちゃん引くかな?」
「ずっとって、どれくらい、ですか」
「んー……六年くらい?」
「引きます」
「ひどっ」
笑い声を上げた西田先輩に、聞こえるかどうかの声で「嘘です」と呟く。
優しくて、大きく口を開けて笑うと柴犬みたいな愛嬌があって、一途で……少しだけ、健太が羨ましいなと思ってしまった。
雑念を追い払うように、立ち止まって勢いよく頭を振っている私の顔を、西田先輩が覗き込む。ちょっと先輩。顔が近い!
思わず一歩下がった私を見て、少し残念そうな顔をした西田先輩が私に質問してきた。
「陽菜子ちゃん。そろそろ手を繋いでもいいかな?」
その言葉に、何でか少しホッとした。どうやら健太たちはまだ、キスとかピンクの世界にまでいっていないみたいだ。
そんなのいちいち姉に許可を貰わずに、自分達の好きなようにすればいい――そう言おうとして、ちょっとだけ西田先輩に意地悪をしたくなってしまった。
「ダメです」
「えーっ」
「手を繋ぐのは四ヶ月を過ぎてから。キスは半年経ってからですっ」
私の言葉にショックで固まった西田先輩の顔を見て、思わず声を上げて笑ってしまった私は悪くないはず。うん。