【幻想千夜一夜03】明日もきっと晴れ
王都を中心に四方へ伸びる街道がある。その街道は近隣の大きな街につながり、さらに大小さまざまな村に蜘蛛の巣のような広がりを見せている。主要となる街道はある程度の整備がされているが、小さな村に向かうような街道はどちらかというと獣道に近いものも多い。
そんな獣道のような道を一人の男が歩いていた。こげ茶の頭髪はぼさぼさで、背中には大きな背負子と、それに多くの荷物が積まれている様子は背後から見ると小山が歩いているようにも見える。歳の頃は20半ばといったところか。腰には剣とも鉈ともいえないような歪な武器を下げ、背が高く筋肉質な身体は革鎧をまとっている。顔は身体と同様に厳つい雰囲気だが、決して恐ろしげなものではなく、太く垂れた眉と小さな黒い眼がどことなく愛嬌あるお人よしそうな顔つきをしている。
男の名前はカカと言った。王都より2ヶ月ほど北へ歩き続けるとある、山奥の小さな貧しい村の出身で、幼い頃に両親を亡くし、なんとか一人で生きてきた。両親の事で覚えている事はほとんどなく、はっきりとわかる事と言えば墓石に刻まれた名前くらいだ。その事を寂しく思う事もあるが、日々生きていくだけで精一杯のカカは成長するに従ってそのように思う事も少なくなってきた。
大きくなってからは猟をしたり、猟が難しい季節は村の特産品である薬効人参を売り歩き、塩や胡椒、その他の生活必需品を購入して村まで戻ってくるという行商人の真似事のような仕事をしている。
今回は思い切って王都まで足を延ばし錬金ギルドに薬効人参を持ち込んだところ、不幸中の幸いと言うのも不謹慎だが、王都で流行している病の特効薬として想定していたよりも高い値で買い取ってもらうことができた。
生きるだけでも精一杯な民が大多数だと知っているカカは、高値のついた薬効人参が手に入らずに死んでいく貧しい人たちがいることもわかっていた。だが、薬効人参を買えずに亡くなる命がある一方で、今回の行脚の成果で村で待つ幼い命のいくつかが無事に今年の冬を乗り切るだろう。
カカは決して冷たい人間ではない。ただ、自分の力の及ぶ範囲を知っているだけだ。
最北の村まであと2週間ほどの距離にある小さな村まで到着し、そこで小さな商いをしたカカは、その翌朝、今にも雨が降りそうな空模様を見て出発するかどうか悩んだ。次の村までは2日はかかるだろうが、雨に降られた場合には足元が悪くなり、さらに1日ほど多く日数を必要とするだろう。
結局、カカは早く最北の村に帰ることを優先して出発することにした。
秋色に染まりつつある山道を1時間ほど進んだ頃だろうか、進行方向から人の争うような声が聞こえてきた。カカは様子を見るかどうかほんの少しだけ迷った末に、声が聞こえてきた方向へ向かうことにした。
運が良いのか悪いのか、心配してた雨が降り始め、雨音がカカの気配を消してくれている。急いで背負子を雨除けの油紙で包むと近くの藪の中に隠し、鉈剣を抜いて声のする方向へ駆けていく。
そこには薄汚いボロを纏った男が3人と神官のような服を着た女性が1人争っていた。女性はうまい具合に棍で応戦しているが、男3人に囲まれ攻撃を防ぐだけでやっとの様子だった。
カカは大きく息を吸いぴたりと息を止めると、次の瞬間鉈剣を振りかぶりながら獣のような雄叫びを上げながら男達に突進した。
「うぉおおおおおおぉぉぉぉお!」
突然、熊のような大男が突進してくる様をみて男達は明らかにひるんでいた。すぐに2人の男が逃げをうち、1人だけが踏みとどまった。女性はギョッとしたたもののすぐに残った男とカカの両方に警戒の目を向ける。
踏みとどまった男はカカが振り下ろす鉈剣を片手剣で防ごうとしたが、カカの縄をよじったような太い腕で振り下ろされた鉈剣にあっさりと剣を弾き飛ばされてしまい、そのまま勢い付いた鉈剣で頭を割られてしまった。
「大丈夫か!?」
「ひゃい!」
カカが吠えるような大声で聞いたのが良くなかったのか、女性は突然のことに棍をカカへ向けて構えたまま返事を噛んでしまっている。
女性にどうやら怪我がなかったようだと確認すると、カカは一息ついて、女性に落ち着いた様子で語りかけることにした。
「あ、いや、大声ですまん。お困りの様子じゃったんで、よう確認もせずに助っ人に入りましたが、ご迷惑じゃなかでしたか」
「いえ、こちらこそ、助けていただいたのにすみません。ご迷惑なんてとんでもございません。助かりました」
「おいは最北の村のカカじゃ。えっと神官さまは・・・」
「はい、私はカーリーラムクールカレジリアレムラレスドメイロラインと申します。忘却の女神の神官を努めさせていただいております」
「は?えっと、カーリー・・・さま?」
「いえ、カーリーラムクールカレジリアレムラレスドメイロラインです」
「・・・」
「カーリーラムクールカレジリアレムラレスドメイロラインです」
「・・・おいは余り頭はよくなかですけんよう覚えきらん。カーリーさんとお呼びしてもよかか」
「・・・はい」
ちょっと納得行かなそうな、しょんぼりと口を尖らせた表情でカーリーラムクールカレジリアレムラレスドメイロラインがカーリーさん呼びを承認すると、カカはホッとした表情を浮かべた。
彼女は明るい栗色の髪に青の瞳と、この辺りではよく見る容姿ながら、おっとりとした顔立ちがとても愛らしい容姿をしていた。年の頃は20を少し超えたところだろうか。
それにしても、忘却の女神とは聞かない神様だ。この世界に八百万と存在する神々でも有名どころと呼ばれる神々はそう多くない。王国民の大多数はこの有名どころの何れかを信仰している。カカにしても多くの旅芸人や飛脚が信仰する”風と旅の神”を信仰している。他にも、”太陽の神”、”大地と豊穣の女神”、”戦の神”、”海の神”、”商の神”、”学問の神”、”芸術の女神”などが有名どころだ。中にはかつては国の英雄だった者が神に引き上げられ、神の一柱として祀られている例もあるほどこの世は神々で溢れている。だからカカが忘却の女神の事を知らなくても何ら不思議はなかったし、この国の民にとって神とは非常に身近な存在だった。
カカが先程隠した背負子を藪から持ち出すとカーリーはおずおずとした様子でカカに話しかけた。
「あ、あの実は先程の賊に神事で使用する大切な道具を取られてしまいまして、助けていただいた身でこんな事を言うのは申し訳ありませんが、取り返すのをお手伝いくださいませんか。大してお渡しできませんが、もちろんお礼はさせていただきます!」
「あぁ、よかぞ」
「え?」
「いいぞ、と言った。この雨じゃ、足跡の残っているうちに追うたほうがよかじゃろ」
「はい。ありがとうございます!あ、でも少しだけ待ってください」
そう言うと、カーリーは頭を割られた賊に死者の祈りを捧げた。例えそれが賊であろうと自分の命を奪われそうになった相手であっても、神官として死者を放置することが出来ないのだろう。
祈りが終わると2人はさっそく賊が逃げていった方角へ足跡を確認しつつ追跡することにした。
道なき道を黙々と追跡するカカにおずおずとカーリーは語りかけた。
「・・・どうして、こんなあっさりと引き受けてくださったのですか」
「さっきカーリさんば助けたとき、おいは3人の賊を相手に戦う覚悟をしちょる。まだ1人しか叩き斬っておらん。じゃから3人まではおいの手の届く範疇じゃ」
「・・・そうですか、改めてありがとうございます」
「おいの決めた事じゃ。礼には及ばん。それと、忘却の女神と言うたか、どんな神さまなんじゃ?」
足跡を追いつつカカが話を向けるとカーリーは少し寂しそうに語り出した。
「忘却の女神はある種の記憶を司る女神です。人々が辛い、苦しいという思いを少しでも早く忘れ、前を向いて生きていけるようにしているんです。でも・・・戦争、飢餓、疫病、世の中には辛い事が多すぎるんです。頑張ってはいるのですが、なかなか手が回っていないんです。実はお恥ずかしい話をなのですが、人々が時折、大切な事を忘れてしまうのも忘却の女神のせいなんですよ」
「嫌な思い出以外の記憶も忘れさせてしまうんか?ドジな神さまなんじゃのう」
「はい、あの・・・忘れさせないといけない記憶が多すぎて、時折まちがってしまうのです」
「なるほどのう」
「がんばっているんですよ!嫌な事が多いのが悪いんです!かわいそうな女神なんですよ!恋する時間だってないんですから!」
「はっは、そうかそうか」
「もう!笑わないでくださいよ!」
先程、カカが話を向けた際の寂しそうな顔はいつの間にか消えている。その様子にカカは安心しながら追跡を続けていると、やがて遠目に小さな沢が見えてきた。
カカは沢で水を飲んでいる賊2人を確認すると身振りだけで、声を出さない事と身をかがめる事をカーリーに伝え、静かに背負子を降ろした。その背負子から短弓を取り出すと、賊の1人に狙いを定める。
ヒュッという、人の命を奪うにはいささか軽い音を立てて飛んだ矢は正確に賊の喉に突き刺さった。
残りの一人がすぐさま気が付き、足元に投げ出していた剣を掴むとカカへと向かってきた。次の矢を放てるほどの距離的な余裕はないと見てカカも鉈剣で応戦する事にする。
先の不意打ちと違い、完全に相対する戦いだ。経験、実力、運で勝負がつく。今回は賊が運でカカを上回った。カカが雨でぬかるんだ地面に足を取られて体勢を崩して尻もちをついてしまったのだ。そこに賊が剣を振り下ろそうとしカカが死を覚悟をした瞬間、背後からカーリーが鋭い声を発した。
「”forget!”」
賊が剣を振りかぶったまま惚けたような顔になり、動きを止める。
「早く!長くは持ちません!」
カカはそれに応えるように、地面に倒れた状態から賊の鳩尾めがけて思い切り足を蹴り上げた。防御も取らず、まともに蹴りをもらった賊は、2m近く飛ばされ息ができずに苦しんでいる。カカは素早く立ち上がると、鉈剣で賊の頭を容赦なく叩き割った。
「・・・カーリーさんの魔法かの?おかげで助かった」
「カカさんお怪我ありませんか!」
「問題なか。それよりも、沢に降りんとな。賊の荷物がまとめてあるようじゃ」
そう言うとカカは賊の荷物と思しきズタ袋のところに行き中身を改め始めた。カーリーが死者の祈り捧げているのを尻目に、やがて荷物の中から短杖を見つけて取り出す。木製ながら、きめ細やかな細工が彫り込まれており杖の先端には小さな宝石のようなものがはめ込まれている。
「カーリーさんの探しちょったのはこれかの」
他にそれらしい品物もなかったことから短杖を、祈りが済んだ様子のカーリーに見せた。
「はい、間違いありません。本当にありがとうございます」
深々と礼をするカーリーにカカは手を振り手早く荷物をまとめ背負い直した。
「雨は弱まってきたとはいえ、間もなく日も暮れる。早めに街道に戻った方がよかじゃろ」
「そうですね。・・・あの、もしよろしかったら私の管理する寺院へ来られませんか?ここからはそれ程離れておりませんし、カカさんお一人でしたら泊まれるお部屋もあります」
カカはその提案に少し迷ったものの、結局招待を受けることにした。次の村まで野宿を覚悟していたが、屋根の下で寝られるのなら渡りに舟というものだ。
しばらくして街道まで戻ると、カカは気になっていたことを聞いてみることにした。
「先ほどおいを助けたときのは・・・あれは魔法かの?」
「”forget”の魔法のことですね。あれは忘却の女神の使途が使える数少ない魔法の1つです。それほど難しいことをするわけではないんですよ。一瞬だけ何をしていたか忘れさせることができるんです。対象の同意がないと、魔法の掛りはよくなかったり、集中しないといけなかったりで戦いの最中に使うのは向いてないんですけどね。さっきは上手くいって良かったです」
「なるほどのう。大したもんじゃ」
そんな会話を続けながら歩いているといつの間にか雨も上がり、空には星が見えるようになってきた。それからしばらく街道を進むと少し外れた場所の林に隠れるように小さな寺院が建っているのが見えてきた。
「ここが忘却の女神を祭る寺院です。狭い場所ですがどうぞ・・・”light”」
カーリーはそう言って棍の先に小さな灯りをつけると寺院の中へカカを案内した。
小さな礼拝堂の脇に小部屋があり、カカはそこで休むように言われた。静かに部屋を出ていったカーリーはやがて盆を手にもどってきた。
「こんなものしかないのだけども」
そういって持ってきたのは黒パンと葡萄酒だ。カカはそれに礼を言い、ありがたく受け取ることにした。
小さなテーブルを挟み、カカとカーリーはそれぞれが信じる神に祈ると、交わす言葉も無く、静かに食事を始めた。最北の村で、カカはずっと一人だった。いつも一人で静かな夜を過ごしていた。今も言葉のない静かな夜ではあるが、一人の夜とは違う温かみを感じていた。
親のことを覚えていないカカはきっと寂しく、家族がほしかったのだろう。知り合って間もない他人であるカーリーと食事をとる穏やかな時間が、カカにとっては金貨以上に貴重なもののように思えた。
「もう一度、カーリーさんの名前を教えてくれんかのう」
そうポツリとつぶやいたカカにカーリーは優しい笑顔を向け言った。
「カーリーラムクールカレジリアレムラレスドメイロラインです」
「カーリー・・・ラムクールカレジリアレムラレスドメイ・・・ロ・・ラインじゃな」
物忘れをさせる女神は自分の寺院には目が向かなかったのだろうか。不思議と2度目に聞く長い名前をカカはすんなりと覚えることができた。
その日の夜は、静かに優しく過ぎていった。
翌朝、窓の隙間から入る光でカカが目を覚まし窓を開けると外は快晴であった。
手早く身支度をし部屋から出て礼拝堂へ顔を出すと、一人の老人が祈りをささげていた。老人はカカに気が付くと人のよさそうな、しわだらけの顔をさらに皺くちゃにしながら声をかけてきた。
「おや、旅の人か、こんな辺鄙な寺院に珍しいことじゃ。昨日は雨も降った。雨宿りの足しにはなったかのう」
「はい、おかげゆっくりと休むことができました。カーリーさんに連れられてここに泊まらせて頂いたんじゃが、彼女はどこじゃろか」
「はて?カーリー?知らんぞ。この寺院はわしが一人で10年以上管理しておるのじゃが・・・おや?」
老人はそういうと、礼拝堂に飾られている女神像の足元にいつの間にかおいてあった短杖に気が付いた。
「これは・・・!先月寺院から盗まれた短杖じゃ。旅の人、おぬしがこれを持ってきたのか?」
「取り返したのはおいじゃが、それはカーリーさんに頼まれたものじゃ」
「なんと。もしやカーリーさんという方はカーリーラムクールカレジリアレムラレスドメイロラインと名乗らなかったか?」
「おう、確かにカーリーさんはそう名乗っておった」
「なんと・・・不思議なこともあったものじゃ」
そう言いながら女神の像を見上げている老人の視線をカカが追うとそこには、確かに昨日一緒だった、カーリーさんその人の像が祀られていた。
その後、カカは老人と少し話しをしたが、忘却の女神である彼女自身が祭器を取り戻すために現れたのだろうという予想が立っただけだった。
カカは、後ろ髪を引かれつつも午前中には寺院を後にすることにした。
寺院を出てしばらく街道を進み、カカがふと空を見上げるとそこには青く抜ける空が広がっていた。
今朝、村をでるまで今にも雨が降り出しそうなどんよりと曇っていた空はいったいどこにいったのか。
ふと、街道の反対側から一人の女性が歩いてくるのに気が付いた。明るい栗色の髪に青の瞳と、この辺りではよく見る容姿ながら、おっとりとした顔立ちがとても愛らしい容姿をしていた。年の頃は20を少し超えたところだろうか。彼女はすれ違う際にニコリと笑い、旅人同士の会釈をし、すれ違った。
カカはふと思い出す。そういえば、自分の母親はあんな風に笑う人だったなと。心の中になんとも言い表せない温かい気持ちが溢れる。
さぁ、次の村まではもう一息だ。
きっと明日も晴れるだろう。