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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

※シリーズ短編

※これは扉ですか

作者: 裏山おもて

『全自動変形固有鍵【ATOK】の使用方法


・挿しこみ式錠前の場合

 1.鍵穴に挿しこみます

 2.固定されるまで数秒間待ちます

 3.開きます


 ※【ATOK】は熱や衝撃に弱く非常にデリケートです。

 ※人工知能も搭載されているため所有者との会話も可能。


 あなたの周りのセキュリティ、これ一本。

 古黒精機製【ATOK】をぜひご利用・ご活用ください』




  門 門 門 門 門




「先生は『赤い鍵』って知ってる?」 


 エアコンを効かせるために締め切った教室にも、蝉の声が響いてくる。


 自習時間と銘打ったホームルームでは生徒たちがそれぞれ自由に話していた。

 担任教師の有馬は教室の隅に座りながら、来週に迫った実務研修のことをぼんやりと考えていた。同じ教育大学出身の先輩から、研修の後に飲まないかと誘われていたのだ。

 夏休みは指導案を提出しなくていいし、有馬にとっても楽な季節。

 いつもなら断っていた飲み会の誘いも受けてみようか、と考えていたときだった。近くで雑談していた女子生徒たちが話しかけてきた。

 

「『赤い鍵』? なんのことだ」

「えー知らないの? なんでも開く『赤い鍵』。この学校のどこかにあるんだって」

「さあ……知らないな」


 そりゃあ学校だ。

 怪談話のひとつやふたつある。テンプレートなものからちょっと変わった噂話まで。今回は後者のようだったが、有馬は本当に聞いたことがなかった。


「……『開かずの扉』なら旧校舎にあるけどな」

「そんなの知ってるし! 十五年前くらいに生徒が行方不明になったって怪談でしょ? 古いよ先生!」

「そうか。すまんすまん」


 苦笑すると、もう用はないとばかりにまた怪談話に熱中しはじめる女子生徒たち。

 有馬が学生のときには旧校舎の『開かずの扉』が一番新しい怪談話だった。

 そういえばあの頃は大変だったな、と想い出にふけろうとしたとき、ちょうど授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 あしたは終業式。

 夏休みだ。


 有馬が号令をかけると、生徒たちは思い思いに帰っていく。

 なにも夏休みに喜ぶのは生徒だけじゃない。

 肩の荷もすこしは降りたな、と有馬は職員室へと戻っていった。

 




【キーワード検索:なんでも開く 赤い鍵】


 趣味といえる趣味はとくにない。

 家と学校を往復する毎日だ。公務員とはいえ、教師は残業が当たり前の職業。

 指導案や教材研究はもちろんのこと、研修や会議や行事担当など、実際に働いてみないとわからなかった仕事がいくつもある。

 高校や大学時代から付き合いのあった友人たちとは仕事を始めてから疎遠になった。同じ地区の同年代教師たちの集まりもあるが、そういったのはあまり得意ではない。

 しぜんと有馬は、誰かと遊ばなくなっていった。

 

 むかしから、得意なことといえばピッキングだけだ。

 手先が器用で、針金があれば錠前くらいすぐに開けることができる。役に立たない素朴な特技だが、どこかパズルを解くような快感があったからか、ときどき南京錠を買っては開けるというつまらない作業をすることはあった。

 そんなことをしていたせいか、昼間に生徒が話していた『赤い鍵』の噂はすこし気になってしまった。

 家に帰った有馬がネットで検索をかけると、ヒットしたのはすこし怪しげな通販サイトだった。


「『あなたの周りのセキュリティ、これ一本』……? バカじゃないのか」


 なんでも開く鍵。

 そんな鍵があれば、自分の鍵を一本にまとめるより、もっとあくどい事に使うだろう。

 鼻で笑い飛ばした有馬だったが、その値段は思ったよりは安かった。

 とくに趣味もない。恋人もいなければ養う家族もいない。貯まっていく金の使い道としては、すこし遊んだっていいかもしれない。

 

「……買ってみるか」


 ふざけ半分で購入ボタンを押した。

 期待もほとんどなく、有馬は冷蔵庫からビールを取り出してテレビをつけた。

 ちょうど贔屓にしている野球チームがチャンスを迎えていた。

 有馬はすぐに『鍵』のことなんて忘れて、テレビをじっと見つめるのだった。




  閂 閂 閂 閂 閂




 荷物が届いたのは、実務研修が終わった翌日だった。

 生徒たちはクラブ活動で学校にきているものの、担当を持っていない有馬にとってはほとほと関係のないことだった。定時に出勤して定時に退勤する。すばらしいことだ。

 日が暮れるよりはやく家に着いたとき、ちょうど小包を持った宅配便員がドアの前に立っていた。


「あ、有馬さん。お届け物です」


 ……届け物?

 疑念をもちかけて、思い出す。

 そういえば妙な鍵を買ってたっけ。

 有馬は鞄から財布を取り出して、商品代金を支払った。

 

 小包は軽かった。

 部屋のなかに入り、すぐに包みを破る。


 てのひらサイズの銀色の箱が姿を現した。

 たいした材質じゃないな、とかすかにあった期待を沈ませながら箱を開いた。


『――ワタシハ、全自動変形固有鍵【ATOK】デス』

「うわっ!?」


 驚いた。

 いきなり響いた機械音声に、つい箱を落としてしまう。

 中から転がりでたのは白い鍵。

 死んだ人間の肌のように青白い鍵だった。


『ワタシハ全自動変形固有鍵【ATOK】。指紋ヲ登録シテクダサイ』

「鍵が……喋った」


 そういえばサイトの説明にそんなことが書かれてたっけ。

 有馬は胸を抑えて、落ちた鍵を拾った。


『指紋ヲ認証。ユーザー登録ガ完了シマシタ。アナタノ名前ハ?』

「……有馬」

『コンニチハ、アリマ。元気デスカ』

「……ああ」

『ソレハナニヨリデス。ワタシモ元気デス』

「だろうな」


 鍵が風邪なんか引くわけがない。


『デハアリマ、マズハワタシヲ試シテクダサイ』

「……え? もう使えるのか?」

『ハイ。使用方法ハワカリマスカ?』

「まあ、一応」


 たしか挿し込んで数秒待つだけだったか。

 とはいえ鍵の先端は、どうみても白くて細い針金にしかみえない。

 まあ、ものは試しだ。 

 有馬は家の外にでてドアを閉める。もともとあった鍵を使ってしっかりと施錠してから、ゆっくりと【ATOK】を鍵穴に挿しこんだ。


『アリマ……コレハアナタノトビラデスカ?』

「ああ、もちろんだ」

『認証シマシタ』


 ジジジ、と指先にかすかな振動。それもほんの数秒だけだった。


『生成完了。開錠可能デス』

「もうできたのか」


 おそるおそる、手首をひねってみる。


 ――ガチャリ――


 手を引くと、するりと鍵穴から抜ける白い鍵。

 形状が変化していた。針金のような細い形から、家の鍵と同じ形に。


『初期動作ノ確認完了。コレカラヨロシクオネガイシマス、アリマ』

「……本物だったのか」


 有馬は呆然としながら、手の中の白い鍵を見つめた。




  閃 閃 閃 閃 閃



『コレハ、アナタノトビラデスカ?』

「……あ、ああ」

『認証シマシタ。開錠可能デス』


 ゴクリ、と唾を嚥下した。

 周りを見回して誰もいないことを何度も確認する。

 ゆっくりとドアノブをひねり、音を立てないようにゆっくりと忍び込む。

 深夜の雨がドアの軋みを消してくれる。だいじょうぶ。バレるはずがない。

 同じアパートの一階の部屋。住んでいるのは二十後半の女性だ。どこかの病院で働いているらしく、毎週同じ日に夜勤だってことは知っていた。

 鍵さえ開けてしまえば、どうにでもできる。

 

 とはいえ女に興味があるわけでも、金が欲しいわけでもない。

 一人暮らしの部屋はおもったより散らかっていた。机の上に趣味だと思われるマンガやアニメグッズが無造作に転がっている。ハンガーにつるされた下着類、しわくちゃになった毛布、床に放置されているペットボトル。

 綺麗に整頓されているのは、玄関の靴くらいだった。

 部屋のなかをぐるりと見回して、有馬は踵を返した。


 家主のいないあいだに部屋に入る。

 それだけが目的だった。

 目的はすんなりと遂げられた。長居する必要はない。


 有馬は玄関で立ち止まって、特に意味もなく置いてあった靴を一足だけひっくり返してから、部屋から出た。




  閉 閉 閉 閉 閉




 どんなものでも開くことができる。


 そんな鍵を手に入れたなら、いったいなにを開くだろう。

 金庫か。

 豪邸か。

 政府の極秘施設か。

 あるいは、罪を犯した者の秘密か。


 ……それもいいかもしれない。


 蒸し暑い夜だった。

 月は雲に隠れ、虫も鳴かない静かな夜。

 教頭先生の車が駐車場から走り去ったのを確認して、有馬は職員室からぬけだした。

 ぼんやりと非常灯だけが浮かぶ暗い廊下に、足音が響く。


 コツ……コツ……コツ……

 反響した足音はまるで有馬を追い立てるように後ろから迫る。

 わけもなく足早になりながら理科準備室の前までくると、有馬は周囲を確認して懐から鍵を取り出した。

 職員室で管理している、ふつうの銀色の鍵だ。

 もちろんすんなりと開いた準備室。締め切ってエアコンも効いていないから、入ったとたんに背中から汗が滲みだす。

 

 有馬はそのまま準備室の奥まで歩き、大きな棚の前に立った。

 中には薬品が並んでいる。

 棚は電子ロックで閉じられていた。ナンバー方式の厳重なセキュリティ。近隣の学校で薬品の盗難があったため、三年前に市の教育委員から予算が降りてすべての学校の薬品棚は電子錠前に取り替えられたのだ。


 ここを管理しているのは教頭先生と、五十歳の理科教師だ。

 有馬は暗証番号を知らないし、もちろん鍵穴はない。


 それでも有馬は、白い鍵を手に持っていた。

 その鍵を電子ロックの前にかざす。


『――コレハ、アナタノトビラデスカ?』

「……ああ」

『認証シマシタ。……解除シマシタ』


 カチリ、と扉が開く。

 十桁の番号を八つ組み合わせたセキュリティコード。そのパターン一億通りを一瞬にして解いてみせた。

 有馬は鍵を懐にしまい、棚のなかから手早く薬瓶を引き抜くと、中に入っていた液体を持参した瓶のなかに流し込む。半分ほど流し入れてから、すぐに元に戻して扉を閉めた。

 ……夏休みだ。

 薬品が減ったことに、誰も気づかない。

 有馬は薬品棚が施錠されたのを確認して、理科準備室を後にした。



 



「ねえ先生、夏休みの自由研究手伝ってよ」

「……なんだ、いきなり」


 下校時刻のチャイムが鳴ると、生徒たちが帰っていく。

 夏休みでも自習室は空いている。どれだけ生徒が学校離れしている時代であっても、宿題や受験勉強をしにくる生徒は何人かいる。

 その日、自習室の担当は有馬だった。

 野球部が練習を終えてぞろぞろと校門から出て行くのを窓の外に眺めていると、たったひとり教室に残った女子生徒がいた。

 

「ほら、自由研究あるじゃん。してもしなくてもいいやつ」

「ああ」


 むかしの名残のような、形骸的な宿題だ。

 有馬がうなずくと、女子生徒は健康的な白い歯を見せて、


「あたしさ、学校の怪談の調査しようと思うの。ほら、このまえ言ってたやつ」

「『赤い鍵』だったか」

「うん」

「そうか。がんばれよ」


 有馬は胸ポケットのキーケースを、服の上から撫でた。


「ちがうの。でもさ、さすがに『赤い鍵』がそうそうあるとは思わないわけ。だからさ、まずは有名だしある程度ネタがわかってる『開かずの扉』のほうから調べようかなって。だからさ、先生」

「……旧校舎は立入禁止だ」

「そこをなんとか、おねがい!」

「ダメだ」

「おーねーがーいー!」


 拝むように頼まれて、有馬は嘆息した。

 生徒の宿題に、教師がルールを破って付き合うわけがないだろう。

 そう吐き捨てようとしたときだった。


「誰にも言わないから……ね?」


 まるで娼婦のように、彼女はスカートからのぞく白い足を見せて言った。

 もうすぐ日も暮れる。

 ただでさえ誰も近づかない旧校舎。

 旧校舎の鍵は校長室にある。もちろん、借りることなどできないが……

 有馬は長い沈黙を挟んで、目を落とした。


「……わかった。先に行ってなさい。ただし、誰にも見られないようにしてくれよ」

「やった! はーい!」


 彼女は飛び跳ねるようにして自習室から出て行った。

 ポツリ、ポツリ、と大粒の雨が窓を叩きだしていた。




  開 開 開 開 開




「近くで見たらほんとに怖いね、ここ」

「……そうか」


 木造二階建ての旧校舎は、プールの奥にある。

 本校舎からは屋根しか見えない。壁とプールと裏庭に挟まれてひっそりと佇む、古めかしい建物だ。

 肝試しやたまり場にはいかにもな雰囲気だったが、ネズミや虫が住み着いて誰も近寄ろうとはしない。解体業者の目処がつけばすぐにでも取り壊す……学生の頃からそう教えられてきたが、いまだにそのままだった。


『コレハ、アナタノトビラデスカ?』

「ああ」


 旧校舎の扉を開く。ギギギ、と大きな音がして軋んだが、雷鳴にかき消されてほとんど聞こえなかった。白い鍵の音声も雨音に埋もれ、後ろに立つ彼女には届かなかったらしい。

 

「ね、先生遅かったけどどこいってたの?」

「ちょっと車までな。大事な道具を取りに」

「ふうん」


 後ろ手で彼女が扉を閉める。

 廊下の窓から入ってくる外の明かりだけでは、旧校舎は薄暗い。

 だが懐中電灯をつけるわけにもいかない。有馬はそのまま足を進めた。

 慌てて彼女がついてくる。横に並ぶと、腕を絡めてきた。


「おい」

「いいじゃん。えへへ」

 

 無駄に密着してくる。肘に当たる柔らかい感触に、有馬は顔をしかめた。

 腐りかけた床板に注意して歩いた。廊下の隅には蜘蛛の巣が張り、二人が歩くたびに雨音に混じってガサゴソとなにかが動く音が聞こえてくるような気がした。


 廊下を突き当りまで歩くと階段があった。

 その階段の横にあったのは、小さな鉄扉。

 錆びて赤黒くなっていた扉だった。


「……ここは?」

「倉庫だ」


 鍵はついていない。

 そのままドアノブをひねる。

 が、開かない。


「……もしかしてこれが『開かずの扉』の噂になったっていう?」

「ああ」


 少し力を込めて、扉を上に持ち上げてから手前に引く。

 パラパラと錆を落としながら扉は開いた。

 冷たい空気が倉庫のなかから漏れだした。

 なにもない小部屋だった。人間ふたりが寝転べる大きさくらいの、コンクリートで囲まれた無機質な部屋。むかしは掃除用具などを入れていたようだが、道具はすべて持ち出されている。


「え、ちょっと先生」


 無言でそこに入った。

 彼女が戸惑うように眺めていた。

 有馬は振り返り、じっと彼女を見つめた。


 揺れる彼女の瞳を、じっと。


 じっと見つめる。


「……うん」


 彼女はおそるおそる、倉庫に入ってきた。

 有馬が扉を閉める。

 完全に、真っ暗になる。


「……先生」


 ぴたりと背中に彼女が密着する。

 腕を回し、胸をおしつけてくる。


 有馬は暗闇のなか振り返り、彼女の顎に手を添えた。


 彼女が身を固くする。


 くいっと、その顔を上に向けてやる。


「ん……」 


 彼女が息を止めた。


 冷たい静寂が、狭い部屋に満ちる。


「……愚かだな」


 有馬は懐から薬品を染み込ませたハンカチを取り出して、彼女の口許に押しつけた。

 その瞬間、彼女の体はぐったりと力を失った。




  闇 闇 闇 闇 闇




 むかしから、ピッキングが得意だった。

 なにかを開けるということが快感だった。

 なんでも開けられるものがあるとするなら、なんだって開けるだろう。


 金庫でも。

 豪邸でも。

 極秘施設でも。

 誰かが犯した罪でも。


 そこに意味はない。ただ閉じられた門を開くという行為こそが、好奇心を満たしてくれる。


『コレハ、アナタノトビラデスカ?』

「ああ」


 重い音を立てて、コンクリートの壁が開いた。

 奥に広がったのは闇。

 階段下の空間を利用した、隠し部屋。


 そこから流れ出てきたのは鼻をつく腐敗臭。

 しかし有馬は躊躇いもせず、少女の体をかついで部屋に入った。


 後ろで扉が閉まってから、有馬は少女の体を床に横たえる。ズボンのポケットからライターを取り出して、部屋の隅においてあった蝋燭に火をともした。


 ぼんやりと浮かぶ赤い光。


 その灯りに照らされたのは、少女と、崩れたモノ。

 十五年も放置され続けた、人間の慣れの果てだ。


「…………。」


 とくに感慨もなく一瞥し、有馬は動かない少女の手足を縛る。口は塞がない。口は、人間という生き物の門なのだから。

 そのまま少女のブラウスのボタンを丁寧に外していく。興奮は覚えない。服は、門を持たないからだ。隠すことはすれど閉じることはない。

 ブラウスをはだけさせると、少女の肌が露わになる。白くて健康的な肌。薄桃色の下着のむこうには、つつましやかなふくらみがあった。

 有馬は少女の腹を撫でる。

 柔らかく、弾力があった。


「――え? え? え!?」


 目が覚めたようだ。

 強い薬ではなかったから、ほぼ予想通りのタイミングだった。


 ソレ(、、)は自分の状況を理解できないようだった。声というには些末で意味のない音を吐き出して、有馬と自分の縛られた手足を交互に見つめていた。

 有馬は白い鍵を取り出した。針金のような鋭い切っ先を持った、一本の鍵。


「え、え? 先生なんなの!?」


 有馬は鍵の先端を、ソレの腹部に押し当てる。

 ゆっくりと垂直に沈めていく。


「痛っ! え、やめて! やめて先生!」


 皮膚を破った。

 白い肌のうえに、血の珠が浮かぶ。

 まだまだ。これじゃあ意味がない。


 ずぶり。


「痛い痛い痛い痛い痛い! 痛いってやめてよせんせ――」


 身をよじって逃げようとする。

 そこで初めて、ソレは自分の隣にある腐った塊に気が付いた。


「あっ……えっ……え!?」


 蛆虫がほとんど食べ尽くしたから、肉は残っていない。骨と皮だけになり人の形から崩れかけている。ただ臭いは強烈で、慣れていない者にとっては醜悪だった。逃げようとしたソレが胃の中のものを吐き出すのに不便はなかった。

 

 吐瀉物が床に跳ねまわる。

 昼間に食べて消化されかかったものが、ほとんど原型を留めずにソレの口からこぼれ落ちてくる。何度も、何度も体を震わせて吐き出していた。

 震えがおさまってくると、唾液と涙と鼻水にまみれたソレの足を掴んで引き寄せた。


「ひいっ」


 悲鳴にも、もはや力はない。

 震えるだけになったソレの腹に、有馬はもう一度鍵を突き立てた。


「……どうして……先生……どうして……?」


 ソレがなにか小さく鳴いた。なんて言っているのか、もはや理解できない。

 有馬は首を傾けて、鍵を深く押し込んだ。


 ずぶり。


 声にならない悲鳴をあげ、身を捻って逃れようとするソレ。

 離さないようにしっかりと捕まえる。

 鍵の根元までしっかりと押し込んだとき、温度のない声が狭い部屋に木霊した。


『コレハ、アナタノトビラデスカ?』


 無機質な声。


「ああ」

『コレハ、アナタノトビラデスカ?』

「ああ」

『……コレハ、アナタノトビラデスカ?』


 繰り返し問われる。

 壊れたのだろうか。

 そんなことは、ないはずだが。


「開けろ」

『ソノ前ニ、モウ一度キキマス、アリマ。コレハ(、、、)トビラデスカ(、、、、、、)?』

「ああ」

『……認証シマシタ』


 ぐちゅり。

 なにかが潰れたような音が響き、ソレの口から液体が溢れてくる。

 有馬が手首をひねると、ソレの腹部が跳ねるようにパックリと開いた。

 蝋燭の灯りに照らされた暗闇に、まるで蝶のように飛び散る赤。


 ソレの絶叫が木霊する。

 同時に、痙攣が始まった。

 有馬は動かないように抑えつけながら、身をのりだして観察をし始めた。


 人体模型や死んでから切開したものとは比べようもない、今度はちゃんと生きたまま(、、、、、、、、、)の臓物が、その中で蠢いていた。


『施錠……完了デス』


 有馬の手に握られていた鍵は血に染まり、一筋の赤い涙をポトリと落とした。 




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― 新着の感想 ―
[良い点] 短い中に散りばめられた伏線。 教師のさりげない行動から垣間見える狂気が秀逸です。 [気になる点] 赤い鍵がチートすぎるw この設定なくてもいい気がする。通販とか安っぽいし。 [一言] 怖面…
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