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Little angel  作者: 有里
本編
3/4

後編

「これからバートリ伯爵夫人との約束があるので、皆さん、そろそろお引き取り願えますか」

 甘やかで、まるで媚びを含む猫なで声は、神経を逆撫でされるような不快さがある。ディットリヒの屋敷で通された応接間で、エリアスは壁掛けの古びた鳩時計を見上げた。部下たちが屋敷内の捜索を始めて、ちょうど一時間だ。深く腰掛けたソファーから体を起こし、エリアスは軍服の裾に張り付いていた紅蝙蝠を部下たちの元へ向かわせた。

「痛くもない腹を探られる、というのはなかなか不愉快なものですね」

 上品でスマートなフロックコートに身を包み、杖を手持無沙汰に弄りながら、ディットリヒはうっすらと微笑むような表情のまま言った。右の眼窩に嵌め込んだ片眼鏡(モノクル)が、照明を反射して鏡のように光る。

「まあ、……貴方に言っても仕様の無いことでしょうけれど」

 ディットリヒの足元に寄り添うように、白っぽい毛色の猫が腹を伏せて寛いでいる。その猫は、エリアスが放した紅蝙蝠を黄色の目玉で追いながら、アオーウと低く鳴いた。紅蝙蝠は猫の視線を避けるように、そそくさと窓の外へ飛んでいく。小さな体が開け放した隙間から外へ出たのを確認して、ディットリヒは窓を閉めた。

 本来ならば明るい月の輝く青空が広がるはずの時間帯だが、窓から見える空は黒い雲が渦巻くように一面が黒ずんでいる。時折ちかちかと、その雲間から電気が流れるように光が灯り、消える。風が出てきたのか、ガラス窓が小刻みに震えた。よく見ると、ぽつぽつとガラスが濡れている。雨が降ってきたのだ。

「お手間を取らせて、申し訳ありません。ですが我々も仕事ですので」

 エリアスはソファーに座り直し、丁寧に頭を下げた。暖炉の上の髑髏が描かれた絵画を眺めていたディットリヒはそれを一瞥し、お気になさらず、と素っ気無く答えた。そしてまた退屈そうに、絵画へ視線を戻す。

「もう一つ、申し訳ありませんが、この写真の少女に見覚えは?」

 エリアスは内ポケットから二枚紙片を出し、一枚を深い焦げ茶色のテーブルに置いた。ディットリヒは暖炉の傍を離れず、その場からエリアスが示した写真を見詰めた。明るい茶髪を二つに結った、青白い顔色の少女はフェリシアナだ。写真といえど、深い緑色の瞳の色までしっかり見て取れる。

 ディットリヒは無言のまま、首を横に振った。エリアスはもう一枚の紙片を、少女の写真の隣に置く。それは、テオの容姿を真似て変化したアクセルが写っている――白い髪は短く整えられていて、ほんの少し頬骨の出た、唇の薄い男だ。少し目尻の垂れた、黒目が優しげな雰囲気を醸し出している。それを見ても、ディットリヒは唇を結んだまま何も言わない。

「こちらも? ああ、そうですかご存知でないですか」

 エリアスは朗らかに頷くと、彼はドヴェルグでね、と独り言のように続けた。

「王宮付きの魔術師です。つい先日、新たに雇い入れたとか。彼は研究の為にしばらくは王都を離れることになるでしょう」

「そうですか……王都には優秀な術者がいて、羨ましい限りですね」

 エリアスの話に耳を傾けていたディットリヒは、ほう、と感心するように口角を持ち上げて、微笑んだ。目尻の皺が、微かに痙攣するように震えていた。


 しばらくすると、エリアスとディットリヒの待つ応接間に軍事局の悪魔が二名やって来る。エリアスの部下だ。

 亜麻色の長い髪を黒い軍服に靡かせた、軍事局でも一、二の腕を争う実力の持ち主であるスティナが、エリアスの視線に応えるように小さく首を横に振った。頬が強張り、悔しげな表情をしている。スティナとバディを組むことの多いジーマも、同じ顔だ。やはり、フェリシアナを連れ出した魔術師テオが言っていた地下牢は見付からなかったのだ。

「屋敷の地下には、ワインを保存する地下蔵しかありませんでした。ですが、東の石階段付近で、空間を捻じ曲げたような魔術の気配を感じました。おそらく、地下牢があるとすればその付近ですが……魔術解除は時間が掛かりますし、相当難しいかと」

 エリアスの耳元で囁き、スティナはディットリヒの後姿を睨み付けた。スティナは剣の腕ももちろんだが、魔術にも秀でた女悪魔なのだ。

 彼女の軍服の胸ポケットからふいと紅蝙蝠が顔を出し、エリアスの肩に飛びついた。そのまま、エリアスの黒い後ろ髪に潜り込む。まるで疲労を訴えるような声でひと鳴きして、蝙蝠は動きを止めた。髪の中や軍服の裾などはこの蝙蝠のお気に入りの場所で、任務の時には大抵こうして体にぴったり纏わりつくのだ。

「さすがに、冥界随一といわれるだけあるってことか」

 部下二名の不満そうな顔に苦笑して、エリアスは立ち上がった。残念だがこれ以上、屋敷を捜索することはできない。

 ディットリヒが細やかな笑みを浮かべながら、これ見よがしに部屋の扉を開けた。

「どうぞ、お足元に気を付けて――特に雨の日は、視界も悪くなりますからね」

 愉快そうな声で、ディットリヒが言う。ディットリヒの足元にぴたりと寄り添っていた猫が、欠伸をしている。エリアスは口の中で悪態をついた。背後から掛かる声は、ぞっと寒気が走るような、悪意に満ちていた。

 屋敷の玄関には、浅黒い皺のある顔に品のない笑みを浮かべる使用魔が控えている。黒っぽい欠けた歯を見せ、目をきゅっと細くしながら、使用魔は扉を開けた。お足元にご注意を、と嗄れ声が言った。

 正面の門へと続く石畳はつやつやと濡れ、地面は水を含んでぬかるんでいた。雨は小降りになって止んだようだが、頭上では暗鬱と広がる雲が渦巻き、笛の音のような音を立てて風が吹いている。エリアスはスティナとジーマを促して、足早に門を出た。

「エリアス次官、地下牢は必ずあの石階段の辺りにあるはずなんです。もう少し、調べさせてください…!」

 エリアスを追い掛けながら、ジーマが言う。それに同意するように、スティナも頷いた。

「ジーマ、スティナ、この調査はもう終わりだ。早くこの町を出るぞ」

「でも、折角ディットリヒを捕らえるチャンスが……」

 モーテルのような長屋形式の建物が、等間隔に設置された古びた外灯の灯りの中で、浮かび上がるように並んでいた。左端の外灯は、ちかちかと壊れたように点滅している。その外灯の足元に、白色の猫が前脚を揃え、座っていた。黄色い目玉を光らせ、ひょこひょこと尻尾を動かしている。

 建物の中には何者かの気配が感じられるが、それはエリアスらを遠巻きに眺めるだけで、様子を窺っているようだった。外に出てくる者はいない。猫は黄色い目でエリアスらを一瞥すると、モーテル裏の草叢に消えた。気紛れに動く尻尾だけが、残像のように揺れていた。

 辺りの、まるで意図的に息を潜めているような静けさが不気味だとエリアスは思った。やはり長居は無用だ――常闇の町はディットリヒが統べる、秩序も法も効かない町なのだ。

 肩越しに未だに何か言いたげな様子の二名を見て、エリアスははたと立ち止った。ぬかるんだ道を進む度に、軍服の裾や靴に泥が跳ねるはずが、彼らの靴は屋敷から出た時と同じ、綺麗なままだった。

「次官…?」

 エリアスは自分の足元を見下ろし、舌打ちをした。集中して目を凝らせば、ぐにゃりと地面が揺らいで見える。

「畜生、いつからだ? 同じ所をぐるぐる歩かされて…!」

 悪態をついて辺りを見回すエリアスに、スティナとジーマがまさか、と驚いた顔をした。

 モーテルが続く町並みも、空を覆う分厚く黒い雲も、風に揺れる木立も、全て幻だ――それに気付いた瞬間、町並みは一瞬で色味を失い、絵画の絵の具が流れ落ちるように溶け出した。

 今まで足を付けて立っていたはずの地面が、深い谷底へ瓦礫が崩れ落ちるように消えていく。じわじわと遠くに建つモーテルが消え、その手前の外灯が消え、得体のしれない暗闇が迫りくるのを見て、三名は互いの背を合わせるように身を寄せた。幻の世界は、それを見破った途端に崩壊を始めるのだ。この世界から抜け出す鍵は、偽物ばかりの中で唯一、真のものを見付けることだった。

「幻術だと…? そんな、いつの間に……」

 徐々に消えていく景色を見詰め、ジーマが息を呑む。

「スティナ、できるか?」

「は、すぐに解除します!」

 腰に差していた剣を鞘ごと引き抜き、胸元に翳すように持つと、スティナは目を伏せた。点滅していた外灯が、闇に飲み込まれるように跡形もなく消える。風の音も消え、雲の流れも途絶える。スティナの額から、汗が流れた。剣を握る左手が小刻みに震えている――術者の魔力が強力なのだ。

「猫だ――スティナ、白猫を探せ!」

 エリアスが囁く。エリアスが外灯の下で見たアレが、この偽物の世界の真だ。思えば、ディットリヒの足元に控えていた猫も白猫だった。スティナが苦しげに眉を寄せ、唇を噛み締めた。

「――っ見付けた!」

 スティナが右手を宙に伸ばし、何かを掴むように拳を握り締めた。それを思い切り、引き寄せる――スティナの手は、白猫の首筋を掴んでいた。

 まるで見えない穴の中から引っ張り出すように、暗闇から突如、白い毛が飛び出て、猫の頭、顔、背中から尻尾の先が現れるまで、スティナは手を離さなかった。白猫は尻尾を左右に揺らしながら、低い声で笑った。その途端、霧が晴れるように暗闇に包まれていた風景が明るくなり、足元に苔の生えた石畳が浮かび上がる。

 エリアスら三名は、煉瓦造りの塀で囲われた常闇の町の入口で佇んでいた。塀からぶら下がるランタンが、ぼんやりと赤い光を落としている。

 常闇の町では見えなかった月が透き通るような青空に昇っているのを見て、エリアスはほっと安堵した。

「ここは、……ああ!」

 スティナの手から逃れた白猫が細い体をしならせ、二メートルほどの塀の上へ飛びあがった。そしてこちらを見下ろして、ふふ、と口元を緩ませる。

「それでは皆さま、もう二度と、お越しくださいませぬよう」

 猫は威嚇するように、小さな牙を見せた。地を這うようなおどろおどろしい声だった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 エリアスが軍事局長官の執務室に戻ると、一足先にガンナの下へ向かわせていた紅蝙蝠が擦れ違いに部屋を出た。自らの巣に戻るのだ。それを見送ってすぐ、エリアスは腹の辺りに軽い衝撃を受け止めた。フェリシアナが腹に顔を押し付けるようにして、エリアスに飛びついたのだ。

「なんだ、シアナか」

 綺麗にひとつに結った茶色い髪を撫でれば、エリアスから体を離して、フェリシアナが顔を上げる。眉を中央に寄せて、少し泣き出しそうな顔をしている。深緑の瞳がうっすらと濡れていた。

「ああ、お前が心配だと言って、来やがった」

 珍しく自身のデスクに着いたガンナが、エリアスを労わるように声を掛けた。

「まあ、ディットリヒの件は想定内だ。とりあえず、テオは保護プログラム対象として、今後王宮にある薬草園を手伝ってもらうことになった。軍事局(うち)の目の届くところで、一番安全な場所といったら王宮しかないからな。ついさっき、ここを出たところなんだ。もう少ししたら、王宮に着くだろう」

 やれやれ、と肩を竦め、ガンナは背凭れに寄り掛かる。肘掛けに腕を付き頬杖をついて、大儀そうに息を吐いた。

「お前も一緒だ。お前は特に、ここでは預かってられないのだから」

 ガンナは強い口調で言いながら、フェリシアナに視線を向けた。フェリシアナはガンナの視線から逃れるように顔を伏せた。

 ソファーセットには、アクセルがむすっとした顔で座っていた。屋敷からフェリシアナに付き添ってやって来たのだ。エリアスの顔を見て、心底疲れたとでも言いたげに鼻を鳴らした。草臥れた茶色のジャケットから、先日エリアスが渡したダークグリーンのシガレットケースを出す。

 アクセルは紙巻煙草を銜えながら立ち上がった。

「ほんじゃ、俺は屋敷に戻るぜ。お前がくりゃあ、あとはいいだろ」

「テオとは、話はできたのか?」

 アクセルとテオは同じドヴェルグで、今までも親しくしていた仲間である。保護対象となって王宮で過ごすこととなれば、もう会うこともないだろう。エリアスの問い掛けに、アクセルは無言で答えた。黄みがかった目が、いいんだ、と言っている。

「そうか……分かった。シアナは俺が王宮まで連れていくよ」

「ああ、…おい、その前に火ぃ、…」

「局内は禁煙だ」

 溜息をついて、エリアスはアクセルの口から煙草を引き抜いた。ち、ち、と舌打ちを零し、薄い頭を掻きながら、アクセルは部屋を出た。惑いの森の家を失ったアクセルは、葦毛のアダムと共に、当分はまたエリアスの屋敷で過ごすことになったのだ。

「……あの男がアクセルか」

 二名のやり取りと静かに見守っていたガンナは、頬杖をついたまま、どこか面白くなさそうに呟いた。

「ああ、あんなナリだが、うちの薬術師だ」

「ああ、ひどい(なり)だ」

「恰好はともかく、昔からあんな奴なんだ」

 ガンナの顰め面に笑いながら、エリアスはフェリシアナをソファーへ促した。ガンナも自身のマグカップを持って、デスクからソファーに座り直した。相変わらず軍服は身に付けず、ゆったりとしたシャツ姿で、ソファーに横になるように足を伸ばし、もう起き上がる気配も見せない。

「テオは、ディットリヒの屋敷に勤めて五百年は経つ。それなりに信用されていて、屋敷に捕らえられた神族の世話係をやっていたらしい」

 いつの間にか情が湧いたんだろう、とガンナが言う。だろうな、とエリアスは呟いた。長年勤めた主人も裏切って、テオは自身の命さえも懸けて、常闇の町からフェリシアナと共に逃げ延びたのだ。

「……良かったな、これからはお前も手伝いをしないといけないけれど、常闇の町にいるよりずっといい」

 エリアスの隣に座るフェリシアナは、ぐっと深く頷いた。そして意を決したようにエリアスの手を取って、手の平に指を走らせる。白く華奢な指は、他の皆は? と拙い文字を書いた。唇を噛み締めて、強張った真剣な表情で顔を上げたフェリシアナに、エリアスはすぐには言葉が出なかった。

「屋敷に残っている他の皆も、同じだ。あの屋敷から出られるように、必ず、…時間は掛かるかもしれないが――約束する」

 深緑の瞳から目を逸らさずに、エリアスはそれだけを伝えた。真っ直ぐな眼差しのまま、フェリシアナは何度も頷いた。そして、ありがとう、と一文字ずつ丁寧に指を動かした。

 小さな歯を見せて笑うフェリシアナは、可憐で、それでも力強い眼差しをしていた。



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