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夜土を駈ける  作者: 一色
1/1

月曜日

 夏は暑いものだとあたりまえのように母さんは言った。その通りだと、ぼくも思う。

 けれど苦しいくらい吸い込んでも足りない酸素と、振り返る間もなく後ろへと流れていく涙と、もう痛いとも思わない足裏が蹴ったコンクリートの冷たさと。なんでこんなに必死になってるのか、自分でも分からない自分が抱えてるこの熱さが、この夏の夜の魔法みたいなものだと、どうして一言で片付けてしまえるのだろう。

 それは、きっと。



「むかぁしむかし。このじいさまの髭がばあさまの白粉より真っ白になるよりも昔のこと。村には私ら人と犬と、あと何かしら役に立つけもの以外おらんかった。大池も無かったし、村もこんなに大きくなかった。

 ある日のこと。山向こうから男が一人で来よった。あんまり寂しがるもんだから仕方なく村に入れてやると男はたいそう喜んでなぁ。お礼にと、たった一晩で黒池の隣によく魚が獲れる大池を掘ってくれおった。

 それが人と鬼がはぶ(半分)になった最初じゃで」

 コブジイの話はつまらない。何度聞いても、おんなじ話ばっかりだ。

 チリはシワバアお手製のカルメラ焼きを齧りながら、目の前で幾度も語られる村の民話を聞き流していた。今日も暑い。太陽はいつになく張り切っているのか、西日は頭を焦がすほど照りつけてくる。オレンジの光がこうして襲ってくるのだから、昨日テレビで観た怪獣映画の破壊光線そのまんまだ、とチリは思った。ぬるく口の中で溶け出した砂糖を味わいながら、ぼくらはなんて心優しい子どもだろう、と溢す。

「な、チリ」後ろの少年が話しかけてきた。

「これから山、行くだろ」

 ガジは誰にでも聞こえるヒソヒソ声で、チリの耳元に誘いかけた。抑えきれないその声が耳に痛い。ただでさえ暑いのだ。ガジの遠慮を知らない急接近に我慢ならず、うっとおしそうに振り向いた。

「いかないよ」

「はぁっ、お前昨日行くって言ってたじゃん」

 つり目のまなじりをさらに持ち上げて、いっそうガジが近づいてくる。ただでさえ暑苦しいのだ。チリは突き飛ばすように、棒みたいなガジの体と押しのけた。これで村一番の俊足を誇るというのだからずるい。

「とっくに行ったし」

「学校のあとすぐここに来たんだぞ。行くヒマなんていつ・・・」

 そう言いかけると、ガジはニンマリと笑った。しまった、とあからさまに口をつぐむチリ。

「お前、また夜明け前に山ん中入ったろ」

 また殴られるぜぇ、と意地悪く口の角を引っ張りあげるガジにチリはしかめっ面を向けながら自分の失態を悔いた。

 山は夜中は危ないから、絶対に子ども一人だけで入るな。大人たちは口を酸っぱくして言ってくる。けれど山は夜こそ面白い。昼には見られない冒険を求めて、チリたちはよくこっそりと真夜中の山を探検していた。

「ヨドがいるんだ。一人じゃないし、問題あるもんか。

 大人なんかの言葉を聞いてたら、人生の半分は損するぜ。」

 多少の危険は人生のスパイスなんだ。チリが胸を張っていると、

ばこんっ

 横から強かに殴られた。

 痛むまま見あげればしわくちゃの大きな手。プラスチックのおぼんから水滴が伝って、キラキラと光っている。乱反射した西日が軒下の風鈴に光を送っている。

「ガキが馬鹿なこと言ってんじゃないよ。

 あれだけ怒鳴られて、よくもまぁ大口を叩けたもんだ」

 ばこんっ

 本日二度目のおぼんアタック。痛い。チリは呻きながらも声を上げた。

「一人じゃないんだ、ヨドがいる。あいつの夜目さえあれば何処へだっていけるさ」

「だから馬鹿だって言ってんじゃないか。一人で行くなってあれほど言ったろう」

 たわけたことばかり言ってると痛い目を見るよ。とどめの一発をチリにくれて、シワバアは奥に引っ込んでいった。

「あーあ・・・

 バカじゃね」

 いつの間にか離れていたガジが寄ってくる。チリはじと目でガジを睨むと、奥の台所をいっそう恨みを込めて睨んだ。

「一人じゃないって言ってんのに」

「しゃあないって、大人だもん」

 ヨドが笑い混じりに、チリを宥めた。

 ヨドはチリのはぶだ。いつでもチリと一緒の、山の鬼。この村の子どもはみんな自分のはぶを連れている。

 子どもが生まれると、同じ日の、同じ時間、おんなじ土の上で生まれた鬼とはぶになる。双子みたいなもので、子どもが十二歳になるまでずっと一緒だ。十二歳を超えて「大人」になった子どもははぶが見えなくなる。はぶの約束の繋がりが途絶えるからだ。「大人」はそのまま自分の約束を忘れて、はぶを無くした大人になる。村と山、人と鬼を繋ぐ、はぶの約束事。

 その約束が具体的にどんなものであるかは誰も知らない。

「それよりさ、昨日の繭の目が覚めたよ」

「本当かっ」

 ヨドの掌に、コロンと塊が転がった。真っ白なそれはチリの小指の爪位しかない。じっと観察すると、僅かに震えているようだった。

「なんだよなんだよ」

 退け者にされたのが不満なのか、ガジが腕を掴んでくる。

 だから暑いんだって、と再度振り払って、仕方なくヨドから受け取った繭を見せてやった。途端、息を呑むガジ。

「すげぇ・・・雲喰いの卵だ」

「昨日ヨドとぼくで見つけたんだ。

 黒池の側の、百日紅に引っかかってた」

 真っ暗な森の中で、淡い紅色にまぎれて仄かに光っていた卵。ヨドの目が無かったら、絶対見つからなかっただろう。

 雲喰いは成虫はよく見かけるけど、幼虫は誰も見たことがない。上手くいけば、今日の内に僕らは村のヒーローになれるかもしれない。

「な、触らしてくれよ」

 ガジが興味津々と手を伸ばしてくる。

「やだよ」

「いいじゃんちょっとくらい」

「やだよ、おまえ荒っぽいもん。

 この前ぼくの紙工作ぶっ潰したこと忘れてんじゃないか」

「あれは謝ったじゃん。悪かったって」

 拍手を打つみたいに、何度も手を合わせてねだってくる。なぁなぁと言う細っこい隙間の割りに黒目がちな瞳が、前の帰りに見た猫の親子そっくりだった。あの時の母猫は子猫たちに完敗したようだったけれど、僕は母親じゃない。

 コブジイの話しそっちのけで言い争っていると、

「あ」

 卵を眺めていたヨドが声を上げた。

 なんだなんだと二人で掌に目を戻すと、卵がさっきより大きく震えている。すぐにぐるんぐるんと回りだして暴れ始めた。

「こりゃあ孵化かのぅ」

 びっくぅ

 チリたちが肩をゆらせば、間近に寄せた三つの鼻先に、しわくちゃの鉤鼻が混じっていた。鉤鼻の持ち主は硬く節くれだった指先でひょいと卵を掴むと、何処からか取り出した眼鏡を虫眼鏡みたいにして観察する。

「まぁた、ようこんなもん見つけたのぉ。

 ほとんど生まれてるようなもんじゃわ、まだ出でこんのが不思議じゃで」

 摘まれた卵はこれでもかというほど暴れるけれど、コブジイはなんてことないように軽く押しつぶさない程度の力加減を保って卵を陽に翳した。うっすら繭の中が透けて見える。

「コブジイ返してよっ」

「つぶしゃあせんわ」

 伸ばしたチリの腕を器用にかわして、じいさまは眼鏡を掛けなおして言う。

「ほうら、生まれるぞ」

 ゆうらり

 タバコの煙のような、逃げ水のゆらめきのような、つかめそうでつかめない影が綻ぶように、繭が解れていく。繭から解れた糸は端から溶けるように消えていき、チリは逃すまい、とまばたきを忘れて卵を見つめた。

 雲喰いはその名の通り雲を食べる生き物だ。たいてい入道雲の間に棲んでいて、遠めには紫がかったすじが泳いでいるようにしか見えない。時折、稲妻に乗って地上に降りては夏草に卵を産み付ける。雲食いが乗った稲妻はたいていからっとした青空も連れてくるから、夏告げの虫と呼ばれたりもする。どこにでもいる虫だけれど、たいていは親虫の姿でしか見つけられないから、幼生の形を知るものはほとんどいない。

 ほろ、ほろ、ほろ、

 


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