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セーレの花  作者:
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9. ひとまずの現状

「国王陛下の、お成ーりー!」

陛下の入場を知らせる声が響き渡る。

その声とともに広間の扉が開き、陛下が姿を現した。頭に金の王冠をかぶり、黒地に緻密な刺繍がほどこされた豪奢なマントを纏っている。その姿に先ほどお会いした時のような気安い雰囲気はない。堂々としたその様は、王と呼ぶにふさわしい威厳のあるものだ。

陛下は広間を分断するように扉から壇上まで敷かれたカーペットの上をゆっくりと歩いて行く。

その陛下の後ろには、あの太陽の瞳を持つ少女——アラム様の姿があった。

アラム様が歩くたびに、シャン、シャンと小さく鈴の音が響く。ふわりと衣が靡けば、アラム様の足首に飾られている鈴がちらりと見えた。

彼女の姿を見て驚く者はもはやいない。ある者は好奇心をもって、またある者は敵意をもって陛下の後ろを歩くアラム様を見つめている。

初めてアラム様を私達の前に出したあの日、陛下はアラム様がアズルム神王国の王の落胤である事、そして『神』であり本来『王女』であったはずのアラム様を正妃にする事を宣言された。

当然反対の声は多く上がったが意外と賛成の声もあり、今のところ正妃の件は保留となっている。

けれどアラム様を正妃にするという意思表示のためか、陛下はこうした公の場にアラム様を伴うようになっていた。

「またあんな服で来ているのね。場違いにもほどがあるわ」

近くの令嬢が扇の影で囁くのが聞こえた。彼女に賛同するようにまた別の令嬢が大きく頷く。

アラム様は真っ白な貫頭衣を着ていた。どこも締める事なくゆったりと彼女の体を足首まで覆っている。飾りと言えば衣の首周りにほどこされた金糸のささやかな刺繍だけ。服と同じ真っ白なベールが髪のかわりにひらひらと背で揺れていた。

相変わらず棒切れのようにやせ細っているが、その頼りない体つきに反して顔を上げて歩くその様は凛としている。着飾った令嬢のような華やかさはないが、独特な衣装と相まって、どこか神秘的な美しさがあった。

これまで幾度かアラム様を目にしたが、彼女はいつもあの服を着ていた。何故その服を常に身に付けているのかまでは知らない。知っているのは常に清廉な白を纏う彼女のせいか、夜会で白いドレスを着る者がいなくなった事くらいだ。

「皆、よく集まってくれた。今夜も無礼講だ。存分に楽しむが良い」

陛下の言葉が終わると共に音楽が鳴り響く。陛下はアラム様から離れ、義姉のディアレの手をとり踊り始めた。それを合図に会場の者達も踊ったり挨拶したりと一斉に動き始める。

私も家族へ挨拶に行きたいところではあるが、始まったばかりの今は皆忙しい。かと言って食事をする気分でもなく、いつものように果実水の入ったグラスを手に取って壁際へ移動した。

ディアレには少しは目立てと言われているが、常の行動を変えるのは難しい。とりあえずできるのは誘われたダンスをできるだけ受けるようにすることと、ドレスに気をつかうくらいだ。今日は光沢のある明るい水色のドレスなので、少なくとも戦時中のようだと言われる事はないだろう。

いつもの特等席に立ち、会場を眺める。多くの踊る人達に紛れることなく、すぐに踊っている陛下とディアレを見つけた。

正妃がいない場合、夜会で一番始めに踊るのは、その時もっとも寵愛されている側室だ。

私はこうして隅で見ているばかりだが、ディアレはこれまで幾度となくその栄誉を賜ってきた。

そのディアレを見る眼差しは、今日はいつもより少しばかり多い。それも賞賛や羨望など、好意的なものがほとんどだった。

それも当然だろう。

陛下がアラム様を正妃にすると宣言されたあの日、最も早く賛成の声を上げたのは、意外な事に最も有力な正妃候補であるはずのディアレだった。

反対の声が響く中、ディアレは一人声高に言ったのだ。

「わたくしは賛成致します」

と。そうしてこう続けた。


「陛下は今までわたくし達を正しく導いてくださいました。何か考えがあっての事だと、わたくしは愚考致します。陛下の忠実な臣下のひとりとして、陛下の考えに従いたく存じます」


それは、奇しくも私が陛下に告げた言葉とどこか似た言葉だった。

けれど、私は陛下に告げる事はできても、あのような公の場で義姉のように堂々と言う事はできない。ましてや、皆が反対する中でなど。それが私と義姉の器の違いなのだろう。

ディアレの言葉は、ただ闇雲に反対の声を上げていた者達が考え直すきっかけとなった。

もちろん、有力な正妃候補のディアレが賛成し、それを父である宰相が反対する事なく静観していた事も大きな影響を与えたのだろう。

アラム様を正妃に据えた方が我が国の一部となったアズルムが治めやすいかもしれない、もしくは大陸中に散った信者を利用できるようになるかもしれないとアラム様に価値を見いだし、賛成へと意見を変えた者が出はじめた。

王とて臣下全員が反対していてはアラム様を正妃に据える事などできない。けれどディアレの声をきっかけに、アラム様の件は取り消されることなく保留となったのだ。

一族の益だけでなく、国益を考えて動ける側室。

アラム様の事への賛否は別として、ディアレの行動は人々にそう捉えられた。

その件でディアレの妃としての器量は人々の知るところとなり、例えアラム様が正妃になろうと実質的な正妃の役割はディアレが果たす事になるだろうと言われている。

人々の中心で、くるくると陛下とディアレは踊っている。その二人はまるで対の人形のようにお似合いだ。

堂々とリードする陛下は逞しさを感じさせ、流れるようにステップを踏むディアレは自信にあふれていて美しい。

洗練されたダンスは優雅であり圧倒的で、自然と目が引きつけられた。


「綺麗ね」

「綺麗だなあ」


「え?」

呟いた声が思いがけず誰かと重なった。

声がした方を振り向くと、驚いたような丸くなった目と視線が合った。

そこにいたのは、茶色い目と髪の若い男だった。おろらく私と同じくらいか、もう少し若いくらいだろう。中肉中背で、純朴そうだが地味な印象を受ける。唯一目尻からこめかみに走る傷跡だけが特徴的と言えば特徴的だ。軍の制服を着ているから軍人なのだろう。それも夜会に出席しているくらいだから上層部か、よほどの手柄を上げた人物のはずだ。しかし失礼ながら、私には田舎出身の新人にしか見えなかった。

「……こ、こんばんは」

お互い見つめ合う中、唐突に彼が言った。

その声で私は我に返り、ドレスをつまんで頭を下げた。

「失礼いたしました。初めまして、わたくしはセーレ•ロサ•ローディルと申します」

「あっ、は、初めまして。俺、いや私はガゼス•ノードと言います」

私の自己紹介でやるべき事を思い出したのか、慌てて彼は頭を下げて名前を言った。初めてのように落ち着きがなく、こうした社交の場に慣れていないのは明らかだ。当然見覚えはない。

けれど、彼のその名には覚えがあった。

「……まさか、英雄の?」

「いや、そんな大層なものじゃ……」

彼は恥じらったように視線を逸らし、頭をかいた。

私は驚きのあまりそんな彼を凝視してしまった。

ガゼス•ノードといえば、此度の戦争の英雄の名だ。なんでも入隊したばかりの新人にも関わらず鬼神のような強さを見せ、一人ならず幾人もの敵将を打ち取ったらしい。平民出身にも関わらず異例の出世を遂げ、一代限りのものだが爵位も授けられる予定だと聞いている。

しかし、あまりにも意外だ。

鬼神のように強いと聞いていたので、もっと強面の大男を想像していた。

「あの、そんなに見つめられると照れます……」

そう言う彼の頬は本当に照れているのかほんのりと赤い。

その様子や外見も、目の前の彼はいたって普通の人に見えた。とても英雄と言われるほどの強さを持っているようには思えない。

「申し訳有りません。意外だったので」

「よく言われます」

思わず正直に告げると、彼はへらりと笑った。

締まりのない、王宮では見る事のなかった無邪気な笑みだ。

それはどこか懐かしく、私に故郷の村を彷彿とさせた。

「ところで、ローディルってまさかあのディアレ様の親戚か何かですか?」

思わず見入っていると、ノード様はなにやら興奮した様子で言った。踊っているディアレを視線で示し、好奇心いっぱいの目を私に向ける。

「ええ。妹です」

少し気圧されながらも頷くと、彼はぱっと目を見開いた。

「えっ、似てないですね!……あ!いや、その」

率直に言い過ぎた事に気がついたのか、ノード様は気まずげに視線を泳がせた。

こうした社交の場では、率直に言い過ぎるのはあまり良いとはされない。何事も表面上は穏やかに繕うのがマナーだ。

けれど私と義姉が全く似ていないのは事実であり、あきらかに社交の場に慣れていない者が明白な事実を叫んだところで、目くじらをたてることもない。

私は彼の失態には気付かなかった振りをした。

「よく言われます。義姉とは母が違うので」

「ええっ!?あの宰相閣下に妾がいたんですか!?……あ!いや、その。……すいません」

「……」

さすがにこれは気付かなかった事にはできなかった。

ノード様の声が聞こえた人々が彼を振り返りひそひそと囁き合う。

怒る気はないがうまく取り繕う方法も思いつかず、ただ彼に苦笑を返した。

「すいません。俺、いや私はこういう所は今日が初めてなもので。正直に言うな叫ぶな黙ってろって言われてたのに……」

彼は困りきった表情で、申し訳無さそうに俯く。そうしてチラチラと私の機嫌をうかがっていた。

その様子は、悪い事をしたと自覚した子どもが親に謝っている姿にそっくりだった。

懐かしい。彼はまるで故郷の村の子どものようだ。

この王宮でその態度はふさわしいとは言えないが、彼を見ているとなんだか心が和んだ。

思わず破顔してしまいそうになるのをこらえ、微笑にとどめる。

「いいえ。誰にでも不慣れな事はありますから。でも、初めてなのに付き添いの方はいらっしゃらないのですか?」

初めての場合、付き添いがあるのが普通だ。正直この様子のノード様を一人で野放しにするのはあまり良いとは思えない。軍の印象を悪くしてしまいそうだ。

「いや、上司がいます。今はちょっと挨拶に行ってて、待っているところで——」

「ノード!」

ちょうど話をしたところで、上司らしき人がノード様を呼ぶ声が聞こえた。

ノード様はビクッと肩を震わせて少し離れた所にいる上司の方を確認すると、申し訳無さそうな顔をして私を振り返った。

「じゃあ、俺はこれで。なんか、すいませんでした」

しきりに頭を下げ、ノード様は去って行こうとする。

大人しく見送ろうとしたが、ふとひとつ思いつき、彼の袖を軽くひいて止めた。

「どうしたら良いか分からない時は、少しだけ笑みをうかべて黙っていればいいですよ。きっと今日は、上司の方が助けてくださいます」

怪訝そうに振り返るノード様に、まわりには聞こえないようにこっそりと囁く。

これは心を和ませてくれた彼に対するささやかなお礼だ。

目を丸くするノード様に笑いかけると、彼は小さく笑みを浮かべて去って行った。

会場を見れば陛下と義姉のダンスは終わっていた。私もそろそろ家族に挨拶へ行かなければならない。

持っていたグラスを給仕に渡し、その場を後にした。




「お父様、お義兄様」

広間を探しようやく見つけた父と義兄に声をかけると、彼らはそろって振り向いた。

よく似た親子だ。

どちらも黒い髪と切れ長な青い瞳をしており、背が高い。

違うのは年齢差による顔の皺と体の太さくらいだ。鍛えているため父の方が少しがっしりとしている。

しかし、よく似ているのは私も同じだ。私達3人が並んで親子だと思わない人はいないだろう。唯一今は亡き奥様に似て生まれたらしいディアレだけが、家族の中で異なった容姿をしている。

「息災か」

父が言った。

先日も会ったばかりだが、父の私への言葉はいつも決まっている。私もいつもと同じように言葉を返した。

「はい。お父様方もお変わりなく」

「あちらは大分変わったようだがな。陛下はあの娘について何か言っていたか?」

割り込むようにして義兄が言った。

顔で示された方を見ると、壇上の椅子に座っているアラム様の姿があった。その背後には侍女らしき女が立っている。

「申し訳ありません。わたくしには何も」

アラム様を正妃にされるという決定は、陛下がおひとりでなさったものだ。正妃の件は皆と同じように私もあの場で初めて知った。

あの夜以降陛下がアラム様の事を私の前で話される事もなく、今後どうするつもりなのかも私は知らない。

「ディアレも何も聞いていないという。まったく、ディアレも余計な事をしたものだ。黙っていれば自然と正妃になれただろうに、何故わざわざ己が不利になるような事をする」

渋面をつくって義兄が言った。

確かにローディル家からすれば不利に違いない。けれどあの場で当主である父が何も言わなかったので、誰も異を唱える事ができなかったのだ。家の利益を考えれば、真っ先に賛成の声を上げた義姉とそれを静観した父の行動は異常と言えるだろう。

「確かにめでたく我が国の一部となったアズルムも、この方が治めやすいかもしれん。国の事を考えれば利益はあるだろう。けれどそうするのなら初めから“最高神”であった王女を生かして正妃にされていた方がよほど良かっただろうに。わざわざ庶子の娘を正妃にされるなど。何を招くか分からないあのような火種など、いっそ処分した方が楽だろうに——」

「ディラン」

父が咎めるように低い声で言う。

義兄はピタリと言葉を止め、苦笑してわざとらしく肩を竦めた。

「失礼しました。これ以上は言いますまい。まぁ、わざわざ口に出さずとも皆が思っているでしょうし。しかし、父上も静観などされずはっきりと意見を言うべきです。私のように腹に抱えているものがあろうと、ディアレでなく当主である父上がおっしゃるのなら一族の者は何も言わず従うでしょうよ」

「……」

挑発するように義兄が言っても、父は何も言わない。義兄は苦笑し、またわざとらしく肩を竦めた。

この父子は姿形はよく似ているが、性格はあまり似ていない。口数に関しては正反対と言える。

義兄はとてもよく話す人だ。けれど何を話す時もその言葉には毒があることが多く、その毒とよくまわる舌で意見を押し通す。

それに反して父は寡黙な人だ。話す言葉は最小限で、けれどその少ない言葉だけで人々を納得させ宰相として国を治めている。

しかしどちらにせよ優秀なのは確かで、今代のローディル家は昔とかわらずナセルで盤石な地位を築いていた。

「先ほど、ガゼス•ノードと話していたな」

唐突に父が言った。

伏せていた視線を上げると、無表情の父と目が合う。

相変わらず口数も少ないが表情も乏しい人だ。父の娘になって10年経つが、私はいまだに父から何らかの表情を向けられた事がない。

誰に対しても似たような態度ではあるが、見ている限り私に対しては一層その傾向が強いように思う。

それが私への苦手意識ゆえか無関心ゆえか知らないが、どちらにしろ今となってはどうでもいい事だ。

私は再び目を伏せ、視線を逸らした。

「はい。先ほどお会いしました」

「何を話した?」

「挨拶をしただけで、特に何も話しておりません」

言葉少なに問う父に、私も言葉少なに答える。こういうところは父に似たのかもしれない。

「ガゼス•ノード、英雄殿か。確か近々爵位を賜る予定でしたね、父上」

先ほどまでの渋面はどこへいったのか、なにやら楽しそうな様子で義兄が言った。

「そうだ」

「なら、セーレの降嫁先になるやもしれませんね。セーレならば他の令嬢よりも気が合うだろうし。時の人たる英雄殿と繋がりを持つのも悪くありません。いっそこちらから申し出ますか?」

今いる側室の中で庶子であり、平民の生活を知っているのは私だけだ。その点で、平民出身のノード様とは気が合うと義兄は言っているのだろう。

しかし、ありえない話ではない。

特にこのナセルでは戦で手柄を立てた者に側室を下賜する事が多い。ノード様に側室を下賜しようという話が出て、同じ平民出身という理由で私が選ばれるのもおかしな話ではなかった。

「我らにそのような権限はない」

「しかし、このように近頃頻繁に夜会を開いているのは後宮を整えるためでしょう。セーレが残る事はまずないし、多少口出ししても良いのでは?」

「駄目だ」

私の今後の事で言い合う二人の会話を、私はただ黙って聞く。

自分の事ではあれど、私に選択肢はないからだ。

私はただ、流されるままに生きていけばいい。それが私の意志であり、衣食住を約束された貴族の娘としての義務でもある。

——そのはずだ。

「やれやれ、父上はどこまでも陛下に忠実でいらっしゃる。セーレ、どこぞのひひ爺に嫁がされるのが嫌なら、自分でなんとかするんだぞ?今のうちに、好みの男から望んでもらえるよう唾をつけておくといい。褒美に欲しいと望まれれば、陛下も拒むまいよ」

「ディラン」

父の咎めるような声に、義兄は黙って肩を竦める。

私はちょうど話が途切れたのを見計らい、その場を辞した。



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