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セーレの花  作者:
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7. 神を殺した王

1人の少女が、壇上に立つ。

一見、王宮という華やかなこの場には似合わないみすぼらしい少女だ。体は棒切れのようにやせ細り、小さな顔は顎が鋭くほお骨がやや高い。焦げ茶色の不揃いの髪は結われることなく肩の上で揺れており、貴族の女性としてはあり得ないほど短かった。

少女が壇上に立った時、何故こんな少女がこの場に登場したのかと誰もが思っただろう。しかし、少女が俯いていた顔を上げその瞳を見せた瞬間、その少女の正体を悟る事となる。

黄色と表現するにはあまりにも輝かしいその瞳。離れていても分かる黄金のようなそれは、まさしく『太陽の瞳』。先の戦争で全員処刑したはずの、隣国アズルム神王国の王族特有の瞳だった。

誰もが驚きざわめく中、私は一人冷静に少女を見上げていた。

小柄な体なためそう見えるのかもしれないが、 思っていたよりも若い。そして想像以上に貧相だった。

ひと目見れば、少女が苦労してきたことが分かる。満足に栄養を摂れていない痩せすぎた体に、売って金にしたための短い髪。労働を知るよく日に焼けた肌。

それらどれもが、少女が王族ではなくただ1人の民として生きてきたことを如実にあらわしている。

少女は無表情に、けれどその太陽の瞳に強い意志を宿し、私たちを見ていた。






——彼の者、灰の髪、太陽の瞳。その清く偉大なる御業にて、穢れた大地を救い賜う。


これは、この大陸では誰もが知っているであろう有名な一文だ。

何百年も昔、大陸中の国が争っていた戦乱の時代。争いにより流れた血で大地が穢れ、人々は神の怒りを買ったという。神の怒りは凄まじく、何千何万という人々が痛みに呻き死んだらしい。

そんな誰もが明日は我が身かと絶望するなか、1人の男が現れた。灰色の髪と太陽のような黄金の瞳をもったその男は、痛み苦しむ者を救い、争いまでも平定し、平和をもたらした。

それはまさに、神による大地の浄化。男は穢れた大地を清めるために降臨した神だったのだ。

やがて男は大陸を統一し、王となる。それが古代アズルム神王国——王族が現人神として頂点に立つ宗教国家だ。

しかし何百年という長い時が経つにつれ国は瓦解し、再びいくつもの国が大陸に誕生した。

そして古代の何分の一もの大きさになったのが、現代のアズルム神王国である。

この大陸統一時代の神話がどこまで真実なのか知る由もないが、神の子孫とされるアズルム神王国の王族は、神話で『太陽の瞳』と呼ばれた黄金のような瞳をしている。一時は統一されていたせいかアズルム神王国のみならず『神』の崇拝者は各国に存在し、国が縮小し大陸での発言力が低下しても影響力の強い国だった。

また王室に伝わる秘術があり、医療に関しては統一時代から大陸随一を誇っている国でもあった。

我がナセルが、他大陸と貿易を始めるまでは。

そもそもの戦争のきっかけは、遠く離れた他大陸との貿易を可能にした船が誕生したことだった。

先王の時代に誕生した船は、多くの商品だけでなく技術ももたらした。造船技術や治水、金属加工、建築、軍事、そして医療技術など。それまでアズルム神王国の医療技術を持ってしても治らなかった病が治るようになり、陛下は王太子時代から医療技術の取り込みに力を入れていた。

しかし、それに異を唱えたのがアズルム神王国だった。

曰く、他大陸は穢れであり、大地が穢れれば再び神の怒りを買うことになる。それを避けるためには他大陸との貿易を取り止め、大陸全土で鎖国をしなければならないのだという。

ナセルの発展を恐れたための異論だというのは明白であり、そのような言葉を聞けるはずがない。

先王は異論に従う事なく逆に貿易に力を入れ、貪欲に技術を取り込んでいった。

しかし先王は激しい痛みを引き起こす原因不明の未知の病にかかり突然崩御した。アズルム神王国はこれを先王が他大陸のものを招き入れたため神の怒りを買ったのだと言い、『大陸を穢さぬため』という大義名分を掲げナセルに宣戦布告した。

当時即位したばかりの陛下はこれを受け、アズルム神王国との戦争が始まった。

かつて大陸を支配した程の国だ。貿易により資金と軍事力を得たとはいえ、勝算は高いとは言えなかった。

しかし戦争が始まると、不思議とナセルは勝ち続けた。3年と長引いたがその割には被害は少なく、向かいくる敵を蹴散らし首都ディナーシェへと侵攻した。

そして、王族全員の死でもって、アズルム神王国の終焉を迎えた——はずだった。



「王も、子も、妃も、全て殺した。まだ十にも満たない幼い王子も、腹に子を宿した側妃も」

俯き、どこか虚ろな表情で陛下は語る。

私をきつく抱きしめたあの後、陛下は「聞いてくれるか」と言い、戦争での事を話し始めた。

そこにいつもの覇気はない。今はただ、1人の弱った男の人だった。

辛い事を思い出すのだろう。時折苦しそうに沈黙する。その都度背中を撫で、あるいは手を握り、私はただ黙って話を聞いた。

「あの国は永く生きすぎた。 始祖の意志さえ歪めるほどに。『神』という名の選民意識にとり憑かれたあの国は、もはやこの大陸の害にしかならぬ」

神と呼ばれたアズルム神王国の初代国王は民に尽くす事を第一とし、その『清く偉大なる御業』を身分や立場を問わず誰にでも施したという。

しかし現代のアズルム神王国は貧富の差が激しく、大陸随一と言われた医療もごく一部の者しか受けることが出来ない程に選民意識の強い国へと変化していた。

また、大陸統一時代を取り戻すためにあらゆる所で暗躍しており、数多くの国が被害を被ってきた。けれど狡猾に戦争を起こす口実を与えることはなく、また『神』を殺すための大義名分もなく戦争を起こせるほど剛毅な国もなく、アズルム神王国は現代まで存続していた。

何が理由かは分からないが、アズルム神王国の側から宣戦布告をしたこの戦争はもはや不要な『神』を殺すのに絶好の機会だったのだ。

「だから、王族と呼ばれる者は全て殺した。殺さなければならなかった。たとえ国土がなくなろうとも『神』がいるかぎりあの国が滅びることはない。だからこそ、根絶やしにしなければならなかった。——だが」

不意に、陛下の顔が歪む。それを隠すように片手で顔を覆った。

「あの娘は違う」

指の隙間から見える目に宿るのは、苦痛なのか憎悪なのか。

ぎり、と歯を食いしばるその姿は敵を前にした獣のようだった。

「残党どもが探し出した、王の落胤。王の気まぐれでできた認知さえされなかった娘を、今まで王族とは何の関わりもなく生きてきた娘を奴らは引きずり出し、無理矢理アズルム神王国復活の旗頭にした」

唸るように言葉を吐き出すと共に、陛下は自らの顔に爪をたてる。

傷にならないよう手をとりそっと握ると、痛いほど握り返された。

陛下に気付かれないよう密かに手の痛みに耐えながら、私はその娘のことを考えた。

王の子でありながら王族として育てられなかった娘。

貴族の子でありながら貴族として育てられなかった私と、どことなく境遇が似ているような気がした。

けれどきっと、実際は全く違うのだろう。

私は母が死に生きる場所がなくなり、父に引き取られた。そこに私の意志はなくとも、父に引き取られたことは生活していく術のなかった私にとっては幸運なことだった。

けれど、娘は違うだろう。いきなりそれまでの生活を他人に奪われ、国を背負えと強要された。

もし、母と暮らしていた時にそんなことを私がされたら——。

その娘を知らない私には、その心情など知りようがない。けれど何も分からない私でさえ、あまりの理不尽さに腹立たしい思いがした。

「そやつらは期を待って、反乱を目論んでいたらしい。娘に子を生ませ、『神』を増やし、再びこの大陸を支配しようと……。舐められたものだ。そのような者を、我々が見逃すはずがない。すぐさま捕らえ、全員首を刎ねてやった」

陛下の口に昏い笑みが浮かぶ。

初めて見る陛下の冷酷な面にぞっとした。

私の知る陛下は、基本的に穏やかな方だ。噂で聞く他国の王族のように理不尽な理由で罰したり処刑するようなことは決してなさらない、公平で優しい方。

けれど、それは陛下の一面にすぎないのだろう。事実陛下はアズルム神王国王家のみならず、戦争を機に謀反を謀った異母弟も自らの手で粛正している。

全ての人が幸せを享受できる世界などありえない。誰かが喜べば誰かが悲しむ。他国を侵略して富む国があれば、侵略されて滅ぶ国がある。

必要とあれば、殺さねばならない。それが誰であろうとも。

そんな冷酷さと業を背負う。それが『王』というものなのだろう。

それがどれほどの苦しみなのか、私には想像もつかない。

陛下の顔から笑みが消える。そして再び苦しげに歪んだ。

「だが、娘も捕らえねばねらなかった。娘の存在は、今や火種でしかない。例え娘に害意がなくとも、ただあるだけで争いを呼び起こす。本当ならば捕らえるのではなく、あの残党どもと共に殺すべきだった。だが、私は……」

陛下の手が、微かに震えた。



「殺したくない」



それは、まるで懺悔しているかのようだった。

絞り出すように紡いだ言葉は掠れ、あまりにも弱々しい。個人としての願望と王としての責務に挟まれ、苦渋に満ちていた。

「多くの者の生死を握り、富と権力を持つ。その代わりに人生を国に捧げねばならぬ。それが王族だ。だが、あの娘は違う。親の顔も知らず、王族としての義務も富も受ける事なく孤児院で生きてきた、何の罪もないただの少女だ。名前さえ授けなかった親のために、何故死ななければならない。あの娘は王族でも、ましてや神でもない!」

堰を切ったように吐き出された言葉は段々と激しさを伴い、最後は叫んでいるかのようだった。

陛下はきつく目を瞑り、震える息を吐いた。

「……分かっている。娘の境遇も罪があるかないかも関係ない。国に害があるならば、消さねばならぬ。私は王だ。国を守る義務がある」

先ほどの激しさが嘘のように消え、力なく呟く。

それきり陛下は何も言う事なく、沈黙がおりた。

時折何かに耐えるように震える吐息が聞こえる。

お優しい陛下。あなたがどれほど苦しんでいらっしゃるのか、私には分からない。

ただ流されるままに何も成すこともなく生きてきた私は、王としての責務の重さも、人を殺すことの恐ろしさも罪悪感も知らない。

けれどあなたが、いつも民のことを考え国を想っていることは知っている。

花を見て泣いた私の頭を撫でてくれた優しい方だと知っている。

そんな陛下が苦しんでいることが、私も苦しい。

どうしてだろう。今までこんな風に思うことなんてなかったのに。

自分でもよく分からない衝動に突き動かされるまま、私は共に腰掛けていた寝台を降り、陛下の前に膝を突いた。

「……陛下」

下から見上げれば、俯いていた陛下と視線が合う。

いつも自信に満ちて見える瞳は、今は辛そうに揺らいでいた。

「私には、国政のことは分かりません。だから、娘をどうするべきか、私には何も言うことはできません」

私には、国政に意見できるほどの知識も責任もない。いや、何も望まぬと、国さえどうでもいいと思っている者が、意見など述べるべきではないだろう。

正直に告げると、陛下は微かに苦笑した。

「……そのような事、そなたに求めてはおらぬよ。ただ、聞いて欲しかっただけだ。……さぁ、もう休もう。そなたも床になど膝を突くのはやめよ。体が冷えてしまう」

陛下はそう言うと、深く息を吸い、顔を歪ませた。

あぁ、またあの笑みだ。全てを隠してしまう王の笑み。

臣下の前では、その笑みが必要な時もあるだろう。けれど今、陛下の前にいるのは私ひとり。そんな笑みは必要ない。無理矢理になんて笑わなくていいのだ。

その笑みをやめさせたくて、私はそっと陛下の両手を握った。

「いいえ、陛下。どうか聞いてください。……私は国政に意見することなどできません。けれど、あなたの治める国の民の1人として申し上げます」

何もかもどうでもいいと思っている愚かな私に、国政に意見するなど無責任なことはできない。

けれどそんな私でも、王として悩み苦しんでいるあなたに、ひとつだけ言えることがある。



「あなたは、偉大な王です」



私は陛下が立派な王であることを望んではいないと言ったが、陛下が偉大な王であることは私の中では紛れもない事実だ。私の意見は言えずとも、ただ事実を言うことに何を躊躇う事があるだろう。

陛下の瞳が揺れる。

その薄い空色の瞳を見つめ、私は言った。

「突然の即位にも揺るがぬ治世を行い、戦争を勝利へ導き、多くの難事を乗り越えてこられた偉大な王です」

私には、娘を殺したくないという陛下の願いを叶えて差し上げることも、諦めた方がいいと諭すことも出来ない。けれど、その願いを叶える力も諦める思慮深さも、陛下は既に持っているのだ。

他大陸と貿易を行い、『神』を殺すという陛下の今までの行いが本当に正しいことだったのか、私には分からない。けれどそれで、この国は潤い、多くの民が助けられたのは事実だ。この国の人々が今笑って暮らしているのは、陛下の治世だからだ。

それを成し遂げてきた自分自身を、どうか信じて欲しい。

私の言葉を陛下がどう捉えたのかは分からない。

陛下は少し驚いたような、呆然としたような表情のまま、ぽつりと呟いた。

「……そなたにとって、私は偉大な王か」

「はい、陛下」

本心だと分かって欲しくて、はっきりと答える。

「……そうか」

陛下は小さく呟き、もう一度「そうか」と繰り返した。

その顔には苦しげな表情も偽物の笑みもなく、ただ、どこか泣きそうな笑みがあった。







太陽の瞳の少女を前に、貴族達は騒然としていた。

誰もが少女が生きている事の疑問を口にし、生きているにしても何故牢ではなくこの場にいるのかと推測する。中には今すぐ殺すべきだと言う者もいた。

そんな批判ともとれる疑問に晒される中、陛下は常と変わることなく堂々たる態度で私達の前に立っていた。

耳に届いているだろうどんな否定的な言葉を聞いても、その態度が揺らぐことはない。

不意に陛下が首をめぐらせ、こちらを向いた。距離が離れていても、確かに目があっているのだと分かる。

今、私を見て壇上に少女と共に立つ陛下の姿からは、不安や迷いなど一切感じられない。

けれどきっと、隠しているだけなのだろう。

あの夜、私は陛下にも弱さがある事を知った。私にも覚えのある辛さと、それ以上の苦しみを抱えていることを知った。

いま私にあるこの感情が、同情からくるのかは分からない。

けれど私は、あの夜思ったのだ。陛下が苦しんでいることが、私も苦しいと。

そして、今はこう思う。

陛下の、力になりたいと。

——大丈夫。あなたはきっと、どんな選択をしても成し遂げられる。

きっと不安と迷いを抱えている陛下に信頼をこめて、私は頷いてみせた。



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