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セーレの花  作者:
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6. 望まぬ側室


侍女と時間をかけて準備したものの、陛下はいつもの時間より半刻ほど経ってもいらっしゃらなかった。

「いらっしゃいませんね……」

侍女が扉を見つめて呟く。私などより余程そわそわとして不安そうだ。

陛下がいらっしゃらないこともあるが、自分が施したお渡りの準備の結果が気になるのだろう。

当の本人である私は、それほど不安でも緊張もしていなかった。陛下がお渡りに遅れることはたまにあることだし、侍女の腕は信頼している。

「お忙しいのでしょう。心配しなくても大丈夫よ」

声をかけても不安そうな顔のまま頷く侍女に、思わず苦笑がもれる。

相変わらずそわそわとする侍女をよそに、私はのんびりとした気分で陛下の訪れを待った。

「セーレ様、陛下のお渡りでございます」

お渡りを告げる女官長の声と共に扉を叩く音が部屋に響いたのは、それからまた少し時間が経ってのことだった。

一瞬ビクリと肩を揺らす侍女に扉を開けるよう視線で命じ、私は陛下を迎えるべく立ち上がる。

扉が開かれ、外には侍従とセーレの花を抱えた女官長を従えた陛下がいた。

「すまない。待たせたな」

そう言って、陛下だけが部屋に入ってくる。

ふと、陛下の顔色が悪い気がした。

けれどそれは一瞬で、気がついた時には陛下はいつものように笑っていた。

見間違いだったのだろうか。内心で首を傾げながらも私はいつものように微笑み、頭をさげた。

「いいえ。いらっしゃいませ、陛下」

「ああ……」

ふと陛下が私をじっと見つめて微かに首を傾げた。

「……今日はいつもと少し違うな?」

ピクリと視界の端で侍女が反応していた。それをなんとなく微笑ましく思いながらゆっくりと頷く。

「ええ。侍女が頑張ってくれました」

「そうか。…良い腕だ」

侍女は目を見開くと顔を赤くさせて頭を下げた。

視線が合うと侍女ははにかむように笑う。

陛下の様子を見るに、やはりそれほど気にされてはいないのだろう。

けれど、やって良かった。

私も小さく笑い返した。

そうして侍女と笑い合っていると、不意にさっと陛下が手を挙げた。退出の命令だ。

陛下の後ろに控えていた女官長が花を陛下に渡し、すぐに侍従とともに下がって行った。侍女もそれにならい、部屋を退出していく。

2人きりになると、いつもより少し多めに束ねられたセーレの花が差し出された。

「今日は私が持って来た。数日置きに届けるよう言付けておいたが、きちんと届いているか?」

「はい。おかげさまで、毎日花を見る事が出来ます。陛下、花を届けるようにしてくださり、ありがとうございます」

言葉と共に、殊更丁寧に頭を下げる。顔をあげると、陛下は前と同じように私の頭に手をのせた。けれどぐしゃぐしゃにすることはなく、髪の流れにそって優しく撫でられる。

「きちんと花が届けられているようで何よりだ。……今回は泣かないのか?」

「……」

前回幼子のように泣いたことを思い出し、羞恥で顔が赤くなる。何も言うことができず俯くと微かに笑う気配がし、頭にあった手がそっと離れた。

受け取った花を、既に花が生けられているガラスの花瓶に加える。密集したセーレの花は、幼い頃に見た辺り一面の花畑を思い出させた。

「…さて。酒を飲みたい。用意を」

「…はい。どうぞ、あちらに」

陛下がいつものように言う。私もいつものように席へ案内した。

杯に酒を注ぎ、陛下がそれを呑む。

いつもは他愛ない話をするものだが、今日の陛下は酒を飲み始めると何かを考え込むように沈黙した。

お渡りにいらっしゃるのも遅れていたくらいだ。何か立て込んだ仕事があるのかもしれない。

私は邪魔にならないよう、ただ静かに酒を注いだ。

しばらくそうして陛下の横顔を眺めながら杯があいたら満たしてを繰り返していたが、ふと、その横顔に陰りがある気がした。

ただ疲れているだけではなく何か思い詰めているような、そんな表情だ。

やはり、いらっしゃった時に顔色が悪いと感じたのは気のせいではなかったのだ。

陛下は強いお方だ。多少愚痴を言う事はあっても弱音を吐くことはなく、疲れた様子などもあまり見せることはない。それは私の前だけでなく、いつでもそうだ。戦時中ですら、その姿勢は全く変わる事がなかった。

その陛下が、無意識とはいえ弱った姿を晒している。

いつもの私ならば、陛下から何かを求められぬ限り、どんなに弱った姿を見ようとも自分から動く事はなかっただろう。

けれど今は、穏やかな日々をくださったことの感謝からか、常にない様子をただ見過ごす気にはなれなかった。

「陛下、お疲れでしょうか」

声をかけると陛下は一瞬目を見開き、すぐにいつもの笑みを浮かべた。

「少しややこしい案件があってな。考え込んでしまっただけだ 。そなたがいるのに黙り込んでしまって悪かったな」

さすが王と言うべきか。つい先ほどの憂いなど微塵も感じさせない。

しかしそれは、見えなくなっただけで消えたわけではないのだ。

「いいえ。……誰にでも、悩む夜はありましょう」

私などが陛下の相談にのれるとは思っていない。けれど少しでも力になれればと言葉を紡ぐが、出てきたのは月並みな言葉だった。

「……誰にでも、か」

ぽつりと陛下が呟くように言い、ぐいと杯を呷った。

その顔は笑ってはいるが、どこか疲れが滲み出ているようでもあった。

「……」

私は何か気の利いたことは言えないのかと言葉を探すが、自分でも呆れるほど何も思い浮かばない。

「……陛下、今日はもうお休みになりますか?」

結局慰めることは諦め、私がした事はただ休息を促すことだった。

「良いのか?せっかく着飾ったのだろう?」

陛下が首を傾げる。

確かにこのお渡りのために珍しく着飾ったが、抱かれたくてしたわけではない。

それにこんなにお疲れの時に特に好きでもない女を抱く事もないだろう。

「良いのです。見ていただけただけで十分ですから」

気にされることのないよう微笑んで頷くと、陛下は不意にいつもの笑みを消し、苦笑した。

「……あぁ。着飾ったのは侍女のためだったな」

「え?」

一瞬何を言われたのか理解できず、陛下を見つめる。

陛下も私をまっすぐ見つめかえし、言った。



「そなたは、私に何も望んでいない」



じわじわと、言われたことを理解する。

—あぁ、そうか。陛下は気付いていたのか。

頭の隅で、どこかのんびりと納得している自分がいた。

「最初からそうだった。例外は、この花だけだ」

ちらりと、陛下が花瓶の花を見た。

本当に、陛下はよく気がついていらっしゃる。

この3年で側室として寵愛を含め何かを頂いたことは数多くあるが、私が本当に望んで喜んだのはセーレの花だけだ。

他に何を望めというのだろう。衣食住の他に必要なものはなく、欲しいものなどもうこの世のどこにもありはしないのに。

私はただ、セーレの花に囲まれたあの村で母と一緒に暮らしていたかった。優しく抱きしめてくれる腕や、私を愛しいと語ってくれる眼差しがあるあの生活を続けたかった。

けれどもう、何もかも失ってしまった。

代わりに与えられたのは、贅沢ながらも空虚な暮らしと身分、そして家族という名の他人。

あの温かな愛情はもうどこにもない。

陛下は残りの酒を杯に自ら注ぎ、一気に呷った。

「着飾ったのも侍女に言われでもしたからだろう。私に何も望まないそなたが、私のために何かしようとするはずがない。……こんな王には、何も望む気にはなれぬのだろうな」

いつもと比べ乱暴な所作で音をたてて杯を置く。

その顔は苦しげで、笑みはもうどこにもない。

そして、陛下の口からこぼれたのは紛れもない弱音だった。

「……」

何も言えず、ただ陛下を見つめる。

不興を買ったとか、そんな事よりも弱音を吐いた陛下が心配だった。けれど相変わらず言うべき言葉は浮かんでこない。

陛下は人形のように押し黙る私を見ると深く息を吸い、顔を歪ませた。

その顔はたぶん、笑っているんだろう。確かに顔は笑みの形をしているのに、私にはもう笑っているようには見えなかった。

「……すまない。つまらない事を言った。どうやら思った以上に疲れているらしい。今日はもう休むことにしよう」

そう言うと陛下は立ち上がり、背を向けた。そのまま寝台の方へ向かって行く。


——孤独なひと。


その背を見ながら、思った。

疲れた姿も弱音も晒さない強い方。それが陛下だ。

けれどそれは、逆に言えば誰にも晒す事ができず、1人で抱え込むしかないということだ。きっと、今までもああやって無理に笑って誤摩化してきたのだろう。

母が死んだ時、父に引き取られた私には縋れる人が誰もいなかった。まともに話せる相手すらおらず、涙を他人に晒す事も許されず、私はただ眠るときにだけ声を押し殺して泣いた。

1人で抱え込む苦しさは、私も知っている。


「……そうです。私は、何も望んでいません」


無意識に、私は呟いていた。

それは2人しかいない部屋では十分なほど響き渡る。

声を聞いた陛下が、怪訝そうに振り返った。

私は顔を上げ、まっすぐ陛下の目を見つめた。



「 私は、何も望んでおりません。何かをくださることも、 正妃にしていただくことも、 ご寵愛くださることも……——陛下が立派な王であらせられることも」



憐憫のような、庇護欲のような色々なものが混じり合ったこの感情を言葉にするのなら、同情というのだろう。

母が死んで、私は最も大切なものを失った。

だから、私はもう何もかもどうでもいいのだ。本当は、生きることすらどうでもいい。愛するものなど何もないのに、生きることに執着などできはしない。ただ、母が今際の時に生きてと言った。だから、自分では死なないと決めた。

そんな私だから、王が暴君になろうと、国が滅びようとどうでもいいのだ。

そんな私にくらい、弱音を晒したって良いではないか。最初から期待していない私の前では、どんな姿であろうと同じなのだから。

陛下は、ゆっくりと目を見開いた。

「では」

ふらりと、私に一歩近づく。

「ではそなたは、私が愚かな王でも良いと?」

私を見つめるその顔は、迷子の子どものように見えた。

私は立ち上がり、そっとその手を握った。

「かまいません」

くしゃりと、陛下の顔が歪む。

顔を隠すように俯く陛下に手を伸ばし、頬を撫で顔を引き寄せる。陛下は逆らうことなく、私の肩に頭を預けた。

昔、母にしてもらったようにそっと抱きしめ、頭を撫でる。

陛下は縋るように、きつく、きつく、私を抱きしめ返した。



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