23. 裏切り者
ノード様が殴り倒した男達がうめき声を上げながら起き上がり始めた。怯えるアラム様に駆け寄り抱きしめる。また先ほどのように襲ってくるのかと思わずきつくアラム様を抱きしめていると、ノード様が男達を冷たく一瞥して言った。
「お前ら邪魔だ。あっちの部屋にでも行ってろ。自分らの崇める神を傷つけようとする馬鹿に、近寄る資格はない」
「……そうだな。私もだが、冷静を欠いていたようだ。少し頭を冷やして来い」
ノード様の言葉に男達は不満げな表情を浮かべたが、続くオルドの言葉に男達は渋々と言った様子で隣の部屋にうつって行った。
男達が部屋を出て行くと、しんと静かになる。アラム様はそれを待っていたかのように口を開いた。
「裏切り者……裏切り者っ!」
目を吊り上げてアラム様が叫ぶ。
私はそれをどこか呆然とした心地で聞いていた。
「裏切り者とは心外ですね。俺は一度も裏切ったことなんてないですよ」
「うるさい!お前なんか死ねばいいんだ!」
「ひどいなあ」
悪びれる様子もなく、ノード様は笑う。
ノード様がルト一族であるのなら、確かに裏切った事などないのだろう。彼は最初からアズルム側の人間で、私達がただ騙されていただけだ。
「……全て嘘だったのですか?陛下を助けた事も、私に近づいた事も全部演技だったのですか?」
ノード様とはまだ出会って間もないし交流する機会もそれほどなかったけれど、私は彼を信じていた。本当に彼の事が2番目に好きだった。
だが彼がくれた気遣いは、言葉は、全て偽物だったのか。
信じたくない。
けれど今起こっている事が、きっと全ての答えなのだ。
「信じられないでしょうけどね、俺はセーレ様に嘘をついた事はないですよ」
それこそ嘘だ。だったら何故私達の味方としてここにいてくれない。
思わず睨むと彼はわざとらしく肩をすくめた。
「本当ですよ。そもそもナセル王が襲われたのは勝手に暴走した信徒の仕業で俺たちは関わってませんでしたし。ナセル王にはまだ生きててもらわないと俺らも困るんです。他の奴らじゃアラム様を殺そうとするだけですからね。それと、あなたと出会ったのは偶然でした」
「……」
「本当ですよ。だから、あなたの事が二番目に好きだって事も本当です」
今さらそんな事信じられるわけがない。いや、もう彼の事などなにひとつ信じるものか。
感情的に喚いてしまいそうになり唇を噛んで堪えていると、その代わりというようにアラム様が口を開いた。
「だったらどうしてセーレ様まで巻込んだ!セーレ様は今大事な時期なのに!」
「だからこそですよ。まぁ、のこのこ城から出てきたからっていうのもありますけどね、ナセル王の子がいるからこそ、用があったわけです。俺としても世話になった方を巻込みたくはありませんでしたが、こればかりは代わりがいないから仕方がない。セーレ様でなければナセルは早々に俺らを潰しにかかりますからね」
「……おかしな事を。確かに妊娠していますが、私とこの子の犠牲程度で戦争が防げるのなら、陛下は必ず実行なさいます」
元は平民とは言っても、10年も貴族の世界に身を置いていれば国にとっての己の価値など嫌でも理解できる。少なくとも、私に国を止める“盾”になりえるほどの価値などない。陛下の第一子がいてもそれは同じだ。側室は他にも大勢いるし、子はまたいくらでも増やせる。ひどい言い方だが、私も子も国にとっては替えのきくものでしかない。
当たり前の事を言っただけなのに、何故かノード様はおかしそうに笑い始めた。
「可哀想なナセル王。あなたは本当にひどい人ですね」
「どういう意味ですか」
「確かにセーレ様の言う通りナセル王は冷酷と思われるほど国のための行動ができる人です。でも知ってますか?彼も一応人間なんですよ」
そんな事言われなくたって知っている。あの方は冷酷なのではなく、ただ粛々と王であろうとしているだけだ。陛下に弱さがある事も、迷う事だってある事も、誰が忘れたって私は絶対に忘れない。
まるで私が何も知らないとでも言うような言葉に思わず睨んだが、ノード様は構う事なく続けた。
「分からないならそれで良いでしょう。まぁ、最終的にはセーレ様を切り捨てはするでしょうが、俺らがルナハトに亡命するまでの時間稼ぎくらいにはなるはずです。たとえ一時的だとはいえ、あなたはナセル王を止める事のできる唯一の人なんですよ」
「まさか」
「そのまさかですよ。……本当に分からないんですか?」
「……」
私は何か見逃しているのだろうか。
また私を騙して楽しんでいるに違いないと思ったけれど、思いがけず真剣に問われ気持ちが揺らいだ。
けれどどれだけ考えても何も分からない。
戸惑う私を哀れむように、あるいは嘲るように見て、ノード様は言った。
「あなたは本当に臆病者ですね。それでは手に入るものも手に入らない。……ねぇ、セーレ様。以前互いの一番について話したことありましたよね」
「ええ」
それほど前の事ではないのに、今となっては遠い昔の事のように思える。
あの時は妊娠や神の狗など私には関係のない事で、ノード様に嫁ぐ事を誇りに思えていた。
「あの話は嘘じゃない。本当に欲しいものがあるんです。それを手に入れるために今も足掻いてるんですよ。あなたは諦めるようですが、俺は絶対に諦めない」
それまでのどこか演技がかった雰囲気が一変する。垣間見えた激しさはまるで飢えた獣のようだった。これが私が知らない、ノード様の本来の姿なのだろうか。
「ノード様。あなたはそうまでしていったい誰を、いえ、何を求めているのですか?」
アズルムの復興か。それとも復興を成し遂げてやっと手に入る誰かか。
ノード様は剣を鞘に戻すようにいつもの様子に戻ると、答える事なく首を横に振った。
「今は内緒です。そのうち分かりますよ」
答えるつもりはないと言う事か。
きっと追及したところで無駄だろう。諦めて、もうひとつ気になっていた事を聞いてみる事にした。
「では何故、あなたはナセル側の英雄になっていたのですか」
「それは私も聞きたいな」
唐突にオルドが言う。
オルドも知らなかったのかと視線を向けると、彼はわざとらしく困った顔をした。
「実は戦争後は音信不通になっていてね。お互いに己以外は全員死んだものだと思っていたんだよ。それがつい最近死んだと思っていた弟が生きていて、しかも敵方の“英雄”なんぞになっていた事を知ったんだ。理由を知りたいと思うのは当然だろう」
それはさぞ驚いただろう。もしかしたら裏切り者と疑いもしたかもしれない。
私達の疑問の視線を受けて、ノード様は口を開いた。
「簡単な事です。猊下の命令ですよ」
「猊下の?」
よほど意外だったのか、オルドが目を見開く。
ノード様は頷いて言葉を続けた。
「猊下は戦争に負けた時の保険として、俺をナセルに送ったんです。アズルムが負け、ナセルに王族が取り込まれそうになった場合、保護できるように。英雄になったのはある程度の地位があった方が実行しやそうだったから、かな。アズルム側の作戦知ってたから成り上がるのはそう難しくなかったですしね。まぁ、言うなればまさに今のためってところです」
「なんと。猊下はそこまで考えていらっしゃったのか……」
感銘を受けた様子でオルドは呟く。
だが、ふと思い出したように表情を曇らせて言った。
「だが、お前は間に合わなかったようだな。神は子を生めぬ体にされてしまった」
「知ってるよ。信じてもらえなさそうだったから実際見てもらってからと思って言わなかったけどね。でもまぁ、まだ手はある」
「なんだと!?」
「!?」
もう復興の可能性は潰えたと思っていたのに、まだ何かあるというのか。
驚く私達をよそに、ノード様はあっさりと言った。
「簡単な話さ。アラム様にはこのままアズルムの神になってもらって、彼女が生きている間に他の王の落胤を探せばいい。陛下だけでなく歴代の王は割と好色な方が多かったから、他にもうひとりくらいいてもおかしくないよ」
「確かに……。そうだな、もはやそれしかない」
そう言いながら何度もオルドは頷く。
確かにアラム様に子を生ませるよりかはよほど可能性が高い。
だが、それではオルド達は生きている限り諦める事はないだろう。戦争を回避できない。
考え込む私をよそに二人は話し続けた。
「そういえばガゼス、あれは連れて来たのか?」
「もちろん。それにしても人使いが荒いよね。アラム様を連れて来たのに、追加頼むなんてさ」
「裏切り者だと思っていた不肖の弟が突然帰ってくれば疑いたくもなる」
「ひどいなあ」
不意にノード様が扉を開け、ふわりと風が入り込んだ。それにつられ顔を上げると、予想通り今は夜だったらしく外は真っ暗だが、並び立つ木々がかすかに見えた。もしかすると、ここはどこかの森の中なのかもしれない。
何故か扉のすぐ近くには大きな布の塊が置いてあり、ノード様はそれを持ち上げると無造作にオルドの前に投げ出した。
鈍い音がして荷物が落ちる。その拍子にそれに巻き付いていた布が解け、中身が見えた。
その途端アラム様が小さな悲鳴を上げて私の腕から飛び出した。
「マキアさん!」
はたしてその荷物(••)の中身は、アラム様の侍女であるマキアだった。
「マキア!」
私も慌てて彼女に駆け寄る。
マキアは固く目を瞑りピクリとも動かなかった。だが、よく見れば胸が緩く上下しているので生きてはいるらしい。殴られたのか頬に痣があり、口の端には血が滲んでいた。動けないようにと手首は後ろ手に縛られている。
「裏切り者というなら、それの方が我らにとっては裏切り者だ」
私達を見下ろしてオルドが言った。
「どういう意味ですか」
「ガゼスが不肖の弟なら、それは私の不肖の妹だという事だよ」
「それは……」
つまりマキアもルト一族なのか。
怪しかったがまさか彼女までとは思わなかった。
反射的にマキアに縋り付くアラム様を抱きしめるようにして引きはがすと、オルドはどこか面白そうに笑った。
「おや。それは君たちにとっては味方といえるのではないかね。なにせ何度神をお連れしろと言っても頑として連れて来ず、それどころか我らの妨害すらしていた。ガゼスは違ったが、それは正真正銘の裏切り者だったというわけさ」
「でもマキアはルト一族だったと……」
「そうだ。それも猊下にお仕えするほど一族の中で最も優れた者だった。だが何故か裏切ったのだよ。その理由を私も知りたくてね、ガゼスにわざわざ連れて来させたんだ」
そう言うが早いか、オルドはマキアの腹を蹴り上げた。
アラム様が小さく悲鳴を上げる。
だが私達に構う事なくもう一度オルドがマキアを蹴ると、マキアは瞼を震わせて目を開いた。
「ようやくお目覚めか、この裏切り者」
「……」
マキアはチラリとオルドを見たが、何も言わなかった。その様子に苛立ったのか、オルドが再び足を上げる。だがアラム様が腕の中から飛び出しマキアに覆い被さったので、諦めたように足を下ろした。
「……アラム様、セーレ様。お二人ともご無事なようで何よりです」
マキアはアラム様と私を見て、かすれた声で言った。
見た限りでは本当に私達を心配していたように思える。だがマキアを信じて良いのか、もう誰が味方で敵か判断がつかない。
「マ、マキアさん、大丈夫ですか?怪我が」
けれどアラム様は少しも疑う事なく信じているようだった。思い返してみれば先ほど驚いている様子もなかったので以前から知っていたのかもしれない。
それならば陛下もご存じだったのだろうか。
いや、ご存じだったはずだ。もとよりマキアに何か裏があるのは確かな事だった。その裏がルト一族だった事だと思えばむしろ納得できる。
「大丈夫です。たいした事はありません」
陛下が信じていらっしゃったのならば信じられる。いつもと変わらない冷静な様子で言うマキアの側に膝を突いた。
本人は平気そうにしているが、顔の痣やきつく縛られた手首が痛々しい。傷になっていないかと手首を見て——ふと気付いた。アラム様の影になってオルド達の位置からは後ろ手に縛られたマキアの手首は見えない。
マキアが拘束されているのは彼女に力があるからのはずだ。本人も以前に戦えると言っていたし、オルドも一族の中で最も優秀だったと言っていた。主の護衛から敵の暗殺まで行うという、あのルト一族の。
この縄を解く事ができたら、逃げる機会ができるかもしれない。
気遣う振りをして手首の縄に触れると、マキアはほんの一瞬だけ私を見た。だが、すぐに何でもなかったように顔を上げ、オルドを見て口を開いた。
「……お久しぶりです、兄上」
「そうだな。最後に会ったのは、我が君が天の園にお戻りになる前だった」
顔はオルドやマキアに向けながら手で縄を探り隙間に爪を立てたが、当然と言うべきか簡単に縄が解ける気配はなかった。耐えきれず爪が変形し嫌な痛みが走る。だが、たとえはがれたって構うものか。無視して力をさらに入れた。
「マキア、何故裏切った?」
オルドが問う。怒りを滲ませながらもどこか否定する事を願っているような、躊躇いのようなものも感じた。兄弟として育ったのだから当然かもしれない。
だがそれを無視するように、マキアは淡々と答えた。
「あの国は滅ぶべきだったからです」
「なんだと?」
オルドの顔が怒り一色で染まる。
マキアは強調するように、同じ言葉をもう一度言った。
「滅ぶべきだったからです。神が導いてくださるからと慢心し、腐敗したあの国の荒れようを思えば分かるでしょう。神によって治められるには、私達は愚かすぎました。人は人によって治められるべきだったのです」
「何を言っている」
「現にアラム様に対してあなた方は何を行いましたか?崇めるどころか傷つけ、己の意志を押し付けた。そして新たに争いを起こそうとしている」
「すべては我らの国を取り戻すためだ!」
冷静なマキアに対し、オルドは興奮した様子で声もだんだんと大きくなってきている。その目は射殺さんばかりにマキアだけを一心に睨みつけていた。視線をずらせばノード様もどこか楽しそうな顔をしてオルド達を見ていて、二人とも私に意識を向けていない。
この様子ならば少し視線を縄に向けても大丈夫だろうか。
少しだけ緩んだ感じはするが、やはり結び目が分からないと解くのは難しい。できるだけ自然な動作で下を向いた。
「それが愚かだと言っているのです。己の願望にどれだけの者を巻込むつもりですか」
「国を取り戻す事が我が君の、神のご意志だ!」
「神はもうお戻りになりました。それに、神を求めている者は国を取り戻せるほど多くおりません。それこそ、戦争が起こる前から。あの国はいわば寿命だったのです」
「……まさか」
縄が緩んだ。あと少しだ。
これで最後だと強く引っ張った、その時だった。
「まさか貴様、戦争時からナセルに手を貸していたのではないだろうな!」
鬼の形相でオルドが怒鳴った。
あまりの迫力に、誰もが息を呑み沈黙が降りる。
その時、そんな状況でも無意識に力を込めていたのか、縄が解ける感触と共に、パキン、と指先に衝撃が走った。
「……ぁっ」
指先に走る強烈な痛みに声を堪えきれなかった。
この沈黙の中ではどれほど小さい声でも耳に届いてしまう。オルドの血走った目が私に向いたその瞬間——
「そうだと言ったら?」
——マキアは笑みを含ませて冷ややかに言った。
「貴様あぁぁあ!!」
オルドが激昂して剣を抜く。
その瞬間マキアは緩んだ縄から手を抜き、身を起こしながらオルドの懐に入り込んだ。胸を肘で突き、剣を持つ手に手刀をいれる。剣が落ちる音で我に帰り、慌ててアラム様の手を引いて立ち上がらせた。
「行け!」
マキアは剣を抜こうとするノード様を蹴り飛ばし、私達を振り返って叫んだ。
弾かれたようにアラム様の手を引いて外へ飛び出す。隣の部屋に控えていた男達が気付いたのか、複数の叫ぶ声や物音がしたが、振り返る暇などない。
方向も分からないまま我武者らに走った。やはりここは森の中だったようで、木の根に足をとられそうになりながらも必死に足を動かす。
シャンシャンシャンシャン
走る足音に合わせてアラム様の鈴が忙しなく響いた。
これでは追っ手を呼んでいるようなものだ。弾む息を堪えて口を開いた。
「アラム様、その鈴ははずせないのですか!?」
「鍵があります!」
答えるとともにアラム様が急に止まったので慌てて立ち止まる。
アラム様はしゃがみ込むと、足首に付いた鈴のひとつを手にとりそれを回した。ぽろりと小さな鍵が落ちる。まさかそんなところに鍵があったとは。
驚いている間にアラム様は素早く足輪をはずして立ち上がった。
その時後ろの方から男達の声が聞こえた。それほど遠くない。
もう追っ手が来てしまったという事は、マキアはどうなったのだろうか。最悪の可能性が頭に過るが、私達を逃してくれた彼女のためにも捕まるわけにはいかない。
男達の声に慌てたアラム様が鈴を投げ捨てようとするのを、私は咄嗟に止めていた。
「セーレ様?」
アラム様が訝しそうに私を見る。その手から鈴をもぎ取り、アラム様から一歩離れた。
「アラム様、ここからは別々で逃げましょう」
「まさか……。絶対駄目です!今奴らに捕まったら殺されます!」
「いいえ、行ってくださいアラム様」
女の足では男から逃げるのは難しい。このままでは二人とも捕まってしまう。
だが、アラム様だけは絶対に彼らの手に渡すわけにはいかない。戦争など、陛下を苦しませるものなど決して起こさせるものか。
「いいから行きなさい!!」
泣きそうな顔をするアラム様を強く睨みつける。躊躇った後、走って行くその背を見送り、私もアラム様とは別の方向に走った。




