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セーレの花  作者:
15/28

15. 夏の到来

穏やかな日差しは過ぎ去り、今や肌を焼く強烈な日差しが眩しい。鮮やかに咲いていた花は散り、代わりに青々とした葉が茂っている。

春は過ぎ、季節は夏。

夏は本格的な社交シーズンという事もあり、心なしか貴族達は浮き足だっている。3年ぶりに戦争でない夏だと言う事も大きいだろう。いまだ戦争の名残で平和とは言い難いところもあるが、戦時中とは比べるべくもない。多くの貴族達の屋敷で夜会が開かれ、後宮の中でも貴族の子女を招いての茶会などが行われている。夏という季節にふさわしく、皆賑やかに過ごしているようだ。

そんな誰もが夏を謳歌する中、私はひとり後宮の自室でぐったりと長椅子に座り込んでいた。

「暑い……」

もわもわとした不快な暑さが体を苛む。思わず暑い暑いと文句が口からこぼれるが、暑さがなくなるはずもない。どうする事もできずひたすら耐えていると、はあ、と小さなため息が聞こえた。

「セーレ様、そんなご様子で本当に行かれるんですか?」

どこか呆れたような色を滲ませ、扇子で扇ぎながらシェディルが言う。

顔に届く微かな風を感じながら、私は目を閉じたまま頷いた。

今日は王城近くにある孤児院を訪問することになっている。月に一度ほど行っている慈善活動で、私の数少ない楽しみでもある。

しかし最近は少々体調が悪く今日も思わしくなかったため、朝から何度もシェディルと同じ問答を繰り返していた。

「調子がお悪いのですから、日を移された方がよろしいのでは?」

「日を移してもしばらくは治らないもの。侍医にも許可はもらったわ」

心配してくれるのは嬉しいが、体調不良といってもただの暑気中りだ。

寒村育ちの私に王都の夏は暑すぎる。特に今年の夏は例年に比べて暑く、比例して私の体調も悪い。そのためシェディルが心配するのも無理はないが、この時期体調を崩すのは私にとって慣行行事のようなものだ。

暑さのせいでぼんやりするのを頭を振ってごまかし、背筋を伸ばした。

「それより準備はできてる?」

「はい。いつも通り準備しました。あとは女官長を待つだけです」

シェディルが諦めたように言うと、扉を叩く音が響いた

同じ暑さを味わっているとは思えない素早さでシェディルが動き扉を開ける。訪れたのは、ちょうど話していた女官長だった。

女官長は部屋に入ると恭しく頭を下げた。

「おはようございます、セーレ様。ご調子はいかがでしょうか」

「おはようございます。万全とは言えませんが問題はありません」

「では、ご予定通り行かれるのですね?」

「はい」

女官長はひとつ頷くと、懐から小さな紙包みを取り出した。そしてシェディルが用意した水を受け取り、紙包みを解き中の白い粉を入れる。

差し出されたそれを、私は思わず顔をしかめそうになるのを堪えて受け取った。

先ほどこの水に入れられたのは避妊薬だ。

後宮を出る際、私達側室はこの避妊薬を女官長の前で飲む事が義務づけられている。無論、万が一他の男の子を身ごもって王の子だと偽られるのを防ぐためだろう。

陛下が避妊しているため実際には必要のない事だが、昔からの慣習であるために今でも続けられている。実際に遠い昔に偽って生まれた子がいたらしく、そのせいで国が荒れた事があるらしい。それ以来ナセルでは不義の子の誕生は何よりも忌避されている。念には念を、ということだろう。

この避妊薬は貿易によりもたらされた物のひとつだ。ナセルの後宮では、昔から多くの避妊法が行われてきた。だがこの薬がもたらせる以前のものはどれも完璧ではなく、体を害するものもあったらしい。

中でも最悪なのは、子を生めぬ体になってしまうという薬だ。常用すると次第に激痛が体を苛むようになり、腹が黒く染まっていく。そして染まりきった頃には子が生せなくなっているという。そんな薬が昔は使われていたのだ。

それに比べこの避妊薬は体を害す事もなく効果も完璧で、今やこの後宮では重宝されている。避妊薬と同時に堕胎薬でもあるというある意味恐ろしい点はあるが、使い時を間違えなければ問題は無いだろう。医学の進歩とは素晴らしいものだ。

「……」

手の中にある避妊薬の入った水をじっと見つめる。

効能は素晴らしいが、だだひとつこの薬に難を言うとすれば、不味いという事だ。

かなり苦く、飲んだ後も苦さが口に残る。改良を重ね少しずつ苦みをおとそうとしているらしいが、これまではいつ飲んでも不味かった。きっと今回も不味いだろう。ただでさえ暑気あたりの今は尚更きつい。

しかし飲まないわけにもいかず、グラスを一気に傾け喉に流し込んだ。

その瞬間苦さが舌にこびりつき、思わず吐き出しそうになるのを堪え最後まで飲みきる。予想通り不味い。改良の成果か味は変わった気がするが、肝心の苦みは全くなくなっていなかった。

「確かに薬を飲まれた事を確認致しました。どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」

女官長は空になったグラスを見て満足そうに頷いた。





いつもシェディルを伴って行くが、今回は違う侍女が付くらしい。

不思議に思いながら外へ行くと、馬車と幾人かの護衛の騎士、そして見覚えのある侍女の姿があった。

「お久しぶりでございます、セーレ様」

そう言って慇懃に頭を下げたのは、アラム様の侍女であるはずのマキアだった。

「久しぶりね。でも、どうしてあなたが?」

「話は道中で致します。馬車にお乗りください」

促されて馬車に乗り込む。マキアも向いの席に座ると扉が閉められ、すぐに動き出した。

「それで、どうしてあなたが来たの?」

「王に命ぜられて本日は参りました」

「陛下に?」

およそ感情を感じさせない無表情で、マキアは頷いた。

「セーレ様は最近何人かの貴族が賊に襲われ負傷した事件をご存じでしょうか」

「ええ」

突然変わった話題に内心首を傾げながらも頷く。

夜会から帰る途中貴族が馬車を何者かに襲われるという事件が何件か起こった話は耳にしていた。

こういった事件は社交シーズンにはままある事だ。被害にあった貴族達が負傷はしたものの死にはしなかったためあまり騒がれておらず、私もあまり気にしてはいなかった。だが、その事件と私の侍女が変わる事に一体何の繋がりがあるのだろう。

マキアは変わらぬ無表情のまま淡々と続けた。

「伏せられておりますが、その件、アズルムの残党の可能性があります」

「……」

驚きよりも納得の方が強かった。

以前アラム様を旗頭にしようとした残党達は処刑したと聞いているが、国ひとつが滅びたのだ。他に残党がいてもおかしくはない。それも大陸を支配していたという歴史のある国だ。ナセルの民の中にすら、古い信仰を持つ者がいる可能性もある。

「ご側室は狙われる可能性があるとの事で、私が参りました。普通の侍女では何かあっても足手まといにしかなりませんので」

「あなたは大丈夫なの?」

「多少腕は立ちます。何かあった時は騒がず私の指示に従ってください」

「分かったわ」

頷くと、マキアは言うべき事はなくなったのか口を閉じた。

私も話す事など思い浮かばず口を噤み、必然的に二人だけの馬車に沈黙が降りる。

私は何とはなしに前に座るマキアを眺めた。

きっちり結われた茶色の髪に同じ色の瞳。整っているが特徴的なところがなく、なんとなく印象に残りづらい顔立ちだ。おそらく私より何歳か年上だろう。無表情なその様からはどこか冷たい印象を受ける。

先ほどの話からすると、マキアはアラム様の侍女であると同時に護衛も兼ねているのだろう。あまり戦える女性がいないナセルでは随分と異質だ。だが、陛下の信頼を得る程には優秀なのだろう。

しかし、本当にマキアは信用できるのだろうか。

以前会った時の事を思い出す。私の目の前で堂々と毒味を行うほどアラム様をお守りする一方で、憎悪するような視線を向けていた。

あれが守る者に向ける目だろうか。陛下が危険な者をアラム様の側に置くとは思えないが、それでもこの侍女こそがアラム様を害しそうに見えた。

「アラム様がいらっしゃる前から王宮で侍女をしていたの?」

沈黙を破って聞くと、唐突な質問でも特に訝しむ様子もなく、マキアは窓に向けていた視線を私に向けた。

「いいえ。以前はナセルの王宮の外で別の方の側仕えをしておりました」

「では王宮へ来たのは、その腕を見込まれて陛下に引き抜かれたから?」

「少し違います。ナセルの王宮へ来たのは仕えていた主人が亡くなったからです。その後腕を見込まれアラム様の護衛となりました」

よどみなく淡々とマキアは答える。

その様子からは言っている事が本当なのか嘘なのか、何も読みとる事ができない。

「……私は信用なりませんか?セーレ様」

思わず考え込んでいると、不意にマキアが言った。

マキアは先ほどと変わらない無表情で私を見ている。

咄嗟に誤摩化そうと思ったが、既に怪しんでいる事を気付かれているのに誤摩化して何になるというのだろう。すぐに無駄だと思い直し、私は無意識に止めていた息をふっと吐き出した。

「……そうね。あまり信用できないわ。私には、あなたが本当にアラム様を守ろうとしているようには見えなかった」

「守ろうとしております。彼女は私にとっても重要な人です」

「苦しむアラム様に手もかさなかったのに?」

「問題ないと分かっておりましたから」

疑われているというのに動揺するどころか感情すら見せずにマキアは答える。まるで人形と話しているようだ。何も掴めない苛立ちに眉間に力が入る。

「不思議ですね」

そう言って、マキアは僅かに首を傾げた。

「国の事など、いいえ、ご自身の行く末さえ、あなたは何もかも興味などなかったでしょう、セーレ様。それなのに何故それほど私の事を気にされるのですか」

「……」

何故2回ほどしか会った事のないマキアが私の心境を知っている。

ぞっとする私に構わず淡々とマキアは口を開いた。

「アラム様に同情でもしたのですか?それともご家族に探るよう命じられましたか。それとも、王のためですか」

王のため。そう言われた瞬間体が強ばった。

それを見て、マキアはふっと笑った。

「存外分かりやすい方ですね、セーレ様」

マキアの笑みは初めて見る。

それはどこか温かさを感じる笑みで、初めて人間らしさというものが伺えた。

一瞬その笑みに見入られたが、言い当てられた事への羞恥と苛立ちを思い出し私はマキアを睨んだ。

「……随分私の事を知っていると言うような口振りだけど、あなたは私の何を知っているというの」

「さあ。それほど存じません。けれど分かる事もあるのです。あなたと私はある点においてとてもよく似ている」

「……」

出自か性格か、それとも心境か。一体どこが似ているというのか。マキアの事などほとんど知らない私には分からない。

マキアはふと気付いたように窓の外へ視線を向けた。つられて見れば、孤児院の白い屋根が見える。

「着いたようですね。今日はあまり調子がよろしくないと伺っております。もし具合が悪くなったらすぐに私に言ってください」

先ほどまでの会話が嘘だったかのように事務的な口調でマキアは言った。もう何も話すつもりはないと言う事だろう。私もこれ以上聞く事は諦め、素直に頷いた。

院内に馬車が入り揺れが止まる。馬車の扉が開かれる寸前、不意にマキアが顔を近づけて小さく囁いた。

「今のところ、私達の利害は一致しております」

ふ、と一瞬だけ笑い、扉が開かれた時にはもう元の無表情に戻っていた。

馬車の前には子供達が集まって、私が降りるのを待っている。それに笑顔で答えながら、頭の中では先ほどの言葉の意味を考えていた。

『私達』とは私の事か、それとも陛下か。どちらにしろ意味はそう変わらない。つまり『今のところ』敵ではないという意味だろう。

仮にマキアの言葉を信じるとして、見えてくるのはひとつの可能性だ。つまり、マキアはただ雇われているのではなく、彼女には彼女の考えがあり手を貸している。

その考えが何かは分からないが、陛下はおそらくご存じだろう。だからこそ、危険因子でもあるマキアをアラム様の側に置いている。そう考えればつじつまが合う。

国政に関し私が知らない事があるのは常の事だ。それが当たり前だったはずなのに、今はその事を淋しく思う。

いや、淋しいのではない。胸に重く沈むこの気持ちは、陛下と秘密を共有するマキアへの嫉妬なのだろう。



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