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rotoio人外ものシリーズ

near miss

作者: ゲストa

目まぐるしく流れる視界の片隅で、ぎゅるり、うごめく縦長の瞳孔。

振り下ろされる“竜殺しの大剣〈ドラゴンスレイヤー〉”に備え、鱗につつまれそびえ立つ筋肉が警戒に盛り上がる。

そりゃ恐いだろうね、竜を殺傷する数少ない脅威の一つがこういった魔剣なんだから。


ただ目前の敵だけに全てを向ける魔剣士を、背後から襲うのは簡単だった。

気配に気づかれたとしても、馬鹿でかい獲物を振り下ろすさなかにそうそう回避行動がとれるもんじゃない。

身上である身軽さを生かし、背面に取り付き胴に足を回すと渾身の力で頸動脈を押さえ込む。

しかし分厚い筋肉に阻まれ、昏倒するどころかよろけもしないなんてどれだけ頑丈なんだ。

ならば、するりと顎下に両手を掛け、いっそ折る気で仰け反らせるように体重を掛けた。

折れなかったけどね。


「ぬあっ!?」


ガキュ、と獲物を逃した剣の悲鳴に被さり、硬直のとけた赤い巨体が、俊敏に後退るざらついた音。

得物から離した片手であたしを引き剥がそうとする魔剣士、その動きに逆らわず滑り落ちる勢いでつかまれた指を振りきる。

捕らえに来る動きを交わすために二、三度そのまま転がると、低い姿勢で竜の足元へ走りこんだ。

窺うように伸びて来た首にぽんぽんと触れて、聞きとりやすいよう囁くのは。


吐息ブレス


指差した先を一瞬の後に舐めつくす紅蓮の奔流。

頭上に渦巻く熱気に、かすかに髪の焦げる臭い。

全身鎧を避けた魔剣士さんだ、その意図が敏捷性にあるならこんな単調な攻撃で片付かないとしても。

食いこんだ大剣、抜く時間はなかったでしょうが?


さすがの肺活量で吐きつづけられる火炎から必死に逃げ出す男を背に、残された魔剣に近づいた。

深く刺さるそいつに両足揃えて飛び蹴りをかますと、ガシャンと倒れたまではいいんだけど、地鳴りのような妙な響きが剣から聞こえた。

……はは、魔剣にゃ意思があるってのが、ただの伝説だといいんだけど。


でなければあたしは、酷く恨まれることになる。


「そこの女っ何をする!!」

「何ってねぇ?」


追い散らされ遠くに立ったまま、魔剣士がとがめる声をかけてきた。

あたしは不機嫌そうに唸る大剣の刃止めを両手で引きずり上げ、遠心力を頼みにぶん回す。

あ~あ、か弱いあたしにこんな力仕事は向かないんだけど、仕方ない、さてもういいのかね?


「待ていお嬢さん!ソレをどうする気だっ……?」

「ふふっ、まあ、見てな」


回転を保ったまま踊る足取りで右へ右へ、その先は……ちょっとした崖になっている。


「そ~~れ、取って来ぉおーい」

「阿呆かキサマぁあ~~っ!?」


ひょいと離した手から陽光が描き出す銀の軌跡、いいね、思った以上に飛んだ飛んだ。


「我が国の、いや世に並びなき至宝だぞ!?何たる扱いかっっ!!」

「でも物騒なんだもの。取りに行かなくて……良いのかい?」


背後からとどろく重い足音、シュウゥウウッと天敵が消えたとたんの現金な威嚇も聞こえた。

竜を相手取って、丸腰の人間に何ができる?


「覚えていろよっ、こンの……罰あたり女っ!今度会ったら尻をひっぱたいてやるからな!!」


ちょっと可愛気のある捨て台詞を吐いて。

躊躇なく崖に身を投げた魔剣士は、斜面を削る派手な音と、乾いた空気にもうもうと立ち上る黄色い砂煙を上げて滑り降りて行った。

小さくなる姿を覗きこみ、ひらひらと手を振ってからさて、と振り向けば背後に金色の眼があって、息が止まった。


怯えを嗅ぎつけたのか、赤竜はさらにそっと頭を下げ上目づかいにあたしを見、瞬いた。

だからって、べつに可愛くも無害にも見えないんだけど?

……黙ってしばらく見つめあうけど今は戦闘中、こんなことしてる暇はない。


「大丈夫、アンタが怖いのはあの魔剣だろ?しばらくは帰って来ないよ」


ビッタンビタンと遠くで地面をえぐる尻尾が、喜びを表すのか憂慮の意を示すのか短い付き合いのあたしには分からなかった。

というよりただの盗賊崩れの傭兵が、どうして他人様の召喚獣と心を通じ合わせたりできるだろう。

別に共闘する気も無かったんだけど、突然戦場に呼び出され、その戦力を当て込んで一番危ない相手をあてがわれたうえ、無責任な術者が窮地を見過ごして何の援護もしないときたら仕方ないじゃないか。

この竜の強さが何人の味方を救ったか知れないというなら、立派な恩竜、大事な味方だ。

怯えた目を見た瞬間、身体は勝手に動いていた。


「あたし達を助けてくれて有難うね、頼りにしてるよ。さぁあと少しで片が付く、もう一頑張りしようじゃないか」


一度瞬いた金眼は、少しだけ何かの感情をよぎらせ細まると、すぐさまかっと見開かれ瞳孔を肥大させた。

もたげられた頭、軋る口元からは赤を通り越し冷たくさえ見える蒼い炎がちろちろと揺らめき、暗紅色の馬鹿でかい皮膜が檻のような影をあたしの周りに落とす。

ゆっくりと向きを変えた赤竜がその強靭な脚で走り出し、やがて翼が風を叩く。

身体にかかる圧力は強い風と、それにも勝る剥き出しの……殺気。


……いやイヤ、別にいいんだってばそんなに張り切らなくても。

ただでさえ細やかな攻撃は望めないその巨体で、“焦熱の吐息〈フレアブレス〉”で。

そんな、一番の混戦地帯に飛んでって何をする気なのさ?



――コォオオオォオオオウ……



深い、深い息吹につれ一杯に膨らむ赤竜の身体。


「ずっ、頭上注意~~!!」


思わず叫んだあたしの声に、反応した幾人かが上げた声にならない悲鳴が、動揺が、風より速く戦場を撫でた。

さして間を置かずドォオンッ、と腹まで痺れさせる轟きと共に視界を覆い尽くした白熱の天蓋。


……何だろう、この大惨事。






そして阿鼻叫喚の地獄絵図……とはならなかったのは、有難いことだよ本当に。

共通の敵の出現は、打算まみれながらもある種の絆を敵味方の内に、瞬時に生み出したみたいで。

戦場上空に無数に展開される小さな結界を、全て取り込む防御壁を張ったのが誰だか知らないけど、今日の英雄に決定だ。

蒸し焼きにならないよう小規模な氷系の術が何度も閃き、防御壁中心部に固まった人間達は茫然と頭上の脅威を見上げる。


恐怖の眼差しを浴びて悠々と旋回する赤い悪魔が性懲りもなくまた胸を膨らませる。

襲う第二撃、どんな連携がなったのか防御壁は格段に強化され、しっかりと炎を弾いた。

上がる歓声に応じて赤竜の上げた金属的な咆哮、あたた、こりゃヘソを曲げたねぇ。


そして降り注ぐ執拗なブレス攻撃を、貧弱な反撃を放ちつつ目を疑うような団結力で防ぎきる人間側。

泥沼状態のまま高かった日は落ちて……もう本当に何時間粘ったのか。

悔しげに弱く啼いた竜が夕日の茜に溶けるように離れた地に降り立ったと見るや、気力体力の限界に達した人間側も一気に崩れた。


ぐんにゃり座り込む兵士や魔術師達は、誰も復讐に燃えるほどの気力が残っちゃいないようだ。

人対竜の攻防に巻き込まれなかった者達も、逃げるなり救援を呼ぶなり心労で倒れるなりしてて。

恐々と竜の様子を覗きに行こうなんてバカは、あたしだけだった。






「きゅうぅう~~、ごぁああああぁうぅ~~」


何やら切なげに唸る赤い竜も疲労困憊といった感じで、だらしなく両翼を伸ばしたままぐったりと岩場に横たわっていた。

馬鹿な事をしたもんだと思うものの、その理由が解らない。

人間同士の争いが馬鹿馬鹿しいなら、召喚の支配から逃れた後さっさとトンズラすればいい。

人間の支配が誇りを傷付けたなら、召喚主だけを狙えば良かったのに。

それにあたしを捉えた綺麗な眼には、やっぱり怒りの色なんかない。


「ぎゃうぅ~~、ぐうぅうう~~っ!!」


喋るように複雑な抑揚の唸り、緩慢に上がった左翼が庇うように大きな頭を覆った。

眩しいのかと振り返ってももう日は沈んだ後で、薄い筋を引いて棚引く雲が高くに朱金を留めるばかり、辺りは薄暗い。

……もしかして怖いのかね?

距離を取ろうと踵を返すと。


「に゛ゃ~~~~っっ!!」

「にゃーって!?」


「ぐるぅうっ!ぎゃう~~!!」

「……行くなって言ってるのかい?もしかして」


じたばたとこっちに来ようとする赤竜だけど、その動きはどこかぎこちなくて。

そりゃあたしなんか丸呑みに出来る程の体格差があるわけで、あちらにしてみればうっかり爪にかければ死んでしまう生き物だ。

躊躇いもするだろう、相手に情の一つもあるなら。


「落ち着きなよアンタ、どこにも行きゃしないって。様子を見に来ただけだから警戒する必要もない、怪我はないのかい?」

「ぐるるるるっ!」


「翼はどうしたのさ?ちょいと羽ばたいてごらんよ、痛くないなら」

「ぎゃー、ぎゃおっ!!」


ぱたぱたと素直に両翼をはためかせる赤竜。

大きな翼の風圧を顔を背けてやり過ごし、意外に元気そうな赤竜に向き直ると、また頭を翼で隠してる。


「頭が痛い?」


無言の赤竜の、尻尾が所在なく地をする音。


「アンタの流儀ってやつかい?」


さらに落ち着かないそれに、ぶつかった石柱崩落の轟き。


「……あたしと話すのがちょっぴり恥ずかしい?」


こりゃ分かりやすい、ぴたりと動きを止めた尻尾に正解を知る。


「じゃあそのままでいい、しっかり聞くんだよ。何がしたかったのか知らないけど、アンタの行動はロガリアとファルシの領主を敵に回した。今すぐ逃げな、西を目指してね。一番高い山を越えりゃ国境も越えてる、それ以上追われる事はないだろう。ほとぼりが冷めるまでしばらくこっちには来ちゃいけないよ?それを守れりゃあ――」

「――問題無し?そうはいかなくてよ愚かな竜め!召喚師の支配に逆らうなどと、小癪な真似を仕出かしてよくも……よくもわたくしの名声に泥を塗りましたわね!!」


ぎょっとして振り返るといつの間にか、少し離れた場所に小柄な人影がふんぞり返っていた。

およそこんな場には向かない華奢な女が、連れもなく登場とはまた不審だねえ。

これまた山には向かない高そうな礼服が、滑って転んだのだろう鉤裂きと泥と草の汁で再起不能になってはいても。

不思議に、哀れを誘わないのは。


「お前の責を負わされてわたくしの名が堕ちた礼に、そっ首刎ねてやりますわっ!!覚悟なさいな低能ドラゴン!」


ぱちぱち弾ける音でもしそうな怒りと殺気と魔力とが、全身に溢れているせいだ。

かざされたこれまた泥まみれの“呪杖”には召喚師を示す卵の意匠と、高い階級を証立てる真紅の魔石。

しかし無意味だと常なら笑うね、剣も魔法もろくに効かない竜を相手に接近戦なんて、無謀を通り越して自殺行為だ。

なのに何の目晦ましの手も打たず、護衛の召喚すらせず突っ立って、おそらくは攻撃魔法の詠唱を始めた召喚師。

…………いやいやイヤ、正気かねこの人は?ああ、それでもこの素直そうな竜が相手なら……。



――ボヒュ!



赤竜が炎を吐いた。

手加減なのか疲れが残っているのかかなり小規模なブレスだったけど、回避さえも鈍い召喚師の髪を舐め、服を燃やす程度の威力はあった。

やれやれ気の回しすぎだったか。


「いやぁああ~~っ!?熱いっ、燃えてますわよちょっとっ~~!ゃっ……助けてえっ!!」

「はいはいはい、お助けしちゃうから物騒な真似はよしておくれよ、まったく……」


見ちゃいられないと上着を手に巻き火を叩き消してやると、綺麗な金髪をちりちりに焦がした召喚師がそのままあたしの背にへばりついてしまった。

その髪に相応しい青玉の目がもう泣きださんばかりでいたたまれないんだけど、敵の味方は敵という理論があるなら今度は二人まとめて丸焦げだろう。

素早く見やれば赤竜に追撃のようすなく、おろおろと尻尾を振りつつにぎにぎと足元の岩を掴み砕いている。

盛大に人を襲うさま、そしてさっきの迷いなしの反撃を見ても思うほど穏やかな性格ではないらしいのに、ここで躊躇うのはどうしてだろうね?


「ちょっと待ちなアンタ、時間をおくれよ。あたしがこの人を説得するからまだ攻撃はなしだ。いいかい?」

「……ぎゃー」


大人しく鳴いてはみせたものの、油断のない眼をこちらに据えて低く身構える赤竜。

まっとうな対応だ、捕食の頂点にいる存在だったら、このくらいの気概は不可欠だろうさ。

むしろ明らかな敵を前によくここまで攻撃衝動を抑えられるもんだ、まだ幼いようなのに。


「さてお嬢さん、この竜を召喚したのはあんただよね?どうして制御できなくなったんだい?」

「だって命令が届かないんですものっ!!こんな空気じゃ仕方ないんですわっ、殺気や恐怖や怒りや狂気、野蛮な感情が渦巻いてて思念が浸食されてしまいましたの!」


「……そりゃ戦場だしねぇ?それじゃ理由にならないよ」

「だからっ!!わたくし戦闘行為なんて初めてですの!だってこれまでは神殿で聖獣や聖鳥をお呼びしたりお世話したりする事が務めだったんですもの……こんなっ、こんなところ大っ嫌いですわ~~!!」


「…………ちなみに竜の召喚は何度目だい?」

「初めてに決まってますでしょうっ!?竜は聖獣ではありません、ただの血に飢えた大きな蜥蜴ですっ!!ですが圧倒的に強い“存在〈モノ〉”をと請われたら……他に思いつかなかったんですわ……っ」


しばし、天を仰いでみた。

その場しのぎに最強と名高い“血に飢えた大きなトカゲ”を召喚できる神経は、いっそ感心すべきなのかね?

そりゃ援護もおぼつかないだろうさ、最初に制御できていただけでも大手柄だよ。

色々と衝撃の告白から意識をそらしてみたかったわけだけど、残酷な召喚師は容赦しちゃくれなかった。


「わたくしの召喚術はずっと完璧でしたのにっ……優美なる聖獣さんや恐いほど愛らしい聖鳥さんに囲まれた地上の楽園にはべって一生を終える計画でしたのに~~っ!どうしてうちのアホ領主は戦争なんぞおこしましたの!?どうしてわたくしが愛しい一角獣さんや迦陵頻伽さんから引き離されて、こんな醜い、鱗だらけの生き物と――っほむ!?」


とりあえず口を塞ぐことには成功したけど、もう遅いような気もする。

竜の知性を完全に見くびった発言に加えてその外見にまで及んだん悪口、我が身に置きかえたって上機嫌とはいきゃしない、ましてや遥か格下の敵に容赦なんか見せるはずがない。

やはり丸焼きかとお嬢さんともども横っ跳びで退避してからうかがえば、そこにはショボンとうなだれたままの竜がいて。

ナニか、かっときたのでつい言ってしまった。


「あたしは鱗ってのも好きだけどね。赤い色ならなお良い、夕日に映えて炎みたいに深い色になるから。アンタは綺麗だよ」


とたん、ぶんっと撓った尻尾が一抱えもある岩を小石みたいに吹っ飛ばした。


「…………『余計なお世話だ?』」

「違いますわ、喜んでますの」


いつしか深まった闇を見通す燦爛(さんらん)たる双眼が、あたしだけを見据えて底光る。


「『どの面下げて言っている?』」

「大間違いですわ、憧憬の眼差しです」


「ふぉるぉおおおおおぉ~~ん!」


雄叫びが夜のしじまを揺らす。


「食欲的な意味でかい?様子が尋常じゃないね」

「どうして捻くれて取るんです、あれは感極まってますの!それよりまずいのではなくて?」


「マズいって、何が?」



――ボフォワアアァアア~~!!!!



月より明るく闇に咲く火柱に、照らし出される二人と一匹。


「派手に鳴いて火まで吹いて。ここにいますとこれだけ主張されたら、いくら両軍共に疲弊していようが体面を保つためにも討伐隊を出さざるをえませんわ。回復の時間もありましたし、再び襲われる事を思えば今叩いておこうという思惑が生まれてもおかしくはないでしょう?」


「今のはこいつの心配をしてくれたのかい?」

「まさか、やめてくださいな!でも私の救い主である貴女がこの竜を大切に思うなら復讐は諦めます。それに……貴女からは私の同類のニオイがします。ならばいささかの協力は致しましょう」


「同類だぁ!?あ、いや待ちな、聞かない方がよさそうだ」

「何を大げさな。知恵持つ獣、幻獣と呼ばれる存在に対する偏愛で繋がる同士よ、貴女の望みは何です?」


「じゃあ竜も愛してやったらどうだいっ!」

「愛とは儘ならないものですの」


にっこりと笑う召喚師、その姿がどんなに可憐でも精神のありようがどこか世間様とずれているらしい。

しかし、こんな変なのに同士認定を受けたままでいるのは御免でも、訂正する時間はいくらでもあるんだからここで反論する必要はない。

ちょっとした頼みを持つ身なら、下手に出ておくに限るから。


「その前に聞きたいんだけどあんたこれからどうするんだい?我が身可愛さにこの竜を殺ろうだとか、売ろうなんて考えは捨ててもらえたんだろうね?」

「失敬ですわよ貴女!?協力すると言ったからには貴女方に不利になる真似は致しません!!それに、ここの領主には愛想が尽きましたの。わたくしを寄進という賃料で貸し出した教会にも恨み骨髄ですから、余計な心配は無用ですわ」


「じゃあお願いだよ、この竜を送還してやってくれないかい?住み慣れた場所に返すのがやっぱり一番の幸せだろうから」

「あら……けれど、それもまた愛ですわね。よろしいですわ、貴女がそう望むなら今すぐにでも」


頷いて、今だ足を踏み鳴らして興奮する赤竜のもとへと。

すぐさまにあたしに気付いた竜は、静かに四肢を地に付けて蹲ると、頭を低くして目の前に差し出してきた。

丁度良い位置にある鼻ずらを撫でると、ふしゅー!と熱い息が吹き出す。

闇に浮かぶ蕩けた黄金のように鮮やかな瞳が、今日会ったばかりの小さな人間を映して閉じんばかりに細まるのが。

彼女の言葉を信じるならだけど、好意の表れだとしたら、まあ、気恥ずかしい話だよ。


「聴きな。アンタ、帰れるよ」

「……………………ぎゃう」


「嬉しいだろう?あたしも嬉しいよ。短い間だけどアンタと知り合えて光栄だった。またどこかで会えたら……燃やすのは勘弁だよ?だからあたしの顔を忘れないどくれ」

「ぎゃうっ」



「時間がないんだ、いつ敵が来るかわからない。くたくただろうが我慢しておくれね、元いた場所に返ったらゆっくりお休み。それじゃ……」

「ぎゃうっっ!!」


「さよならだ」

「……………………」


まんまるに見開かれた瞳に追われながら後退ると、代わりに進み出た召喚師が呪杖を高々と掲げる。


「送還の陣が展開しますからもっと下がってくださいな。巻き込まれると厄介ですわよ」


言われるまま距離を開けるうちにも、ぼんやりと赤光を放つ円陣がごつごつとした地面をものともせず浮かび上がり、赤竜を中心に鼓動のような明滅を繰り返す。

あたしの見てきた召喚術はもっと小さな幻獣一匹のために、地面に彫り込まれ呪石を埋めて強化した陣を用意し、長い長い呪文詠唱の末に呼び出すなんて代物だった。

高い自尊心に見合う実力の一端に、ちょいと見直したんだけど……やっぱ第一印象ってのは大事だねえ。


澄んだ声が奏でる旋律は異国の音楽みたいで、意味は解らなくても耳に心地いい。

しなやかな首を天に伸ばし目を閉じる赤竜も、聴き惚れてるんだろうか?

円陣の明滅が緩やかに増し、光は赤味が薄れて月光のような淡い金色に変わった。

その時が近いのを感じ思わず身を乗り出してしまう、ああ、幻想的って言葉はこんな光景を差すんだろうね。

通る声音は囁くように落ちていき、甘やかに、艶やかに夜を染めて。

……残念だよ、彼女は性格的にも性向的にも歌手を目指すのが世のため人のためだろうに。


「――クァール・ホゥっ…ら、ぁ……レイージュ――」


でも、穏やかな変化はそこまでだった。

旋律は少しずつ崩れて、間に混じる雑音。

絞り出されるようなそれは明らかに他の詠唱とは違って、そして気のせいでなきゃ徐々に強くなるみたいだ。


「――イェニ・ヤア……いっ!……フォウ・ラァズ……っ!」


歪む表情、一つの唇にせめぎ合う言葉、やがて全部が途切れた。

不自然に強張って立ちつくす彼女が心配で、あたしはなんでか留まってる送還陣の縁まで駆け寄った。

大きく開かれた彼女の目は、陣の発する微光を受けるのか光を放つように鮮やかで。

だからこそ欠けた表情が際立つ仮面じみた顔が、人形みたいにこっちに曲がった。

……背を走る、怖気にも似たイヤな予感が外れたことはあまりないんだけど?


「……ら、い…………」

「……何だって?」



「――“来〈ライ〉”っっ!!」



魔力の籠る鋭い叫びが、意味を伴いあたしを捕らえた。

誰かが後ろに引っ張ってるような……!って、そっちはダメじゃないか!!

ぱん、と両手で顔をひっぱたき乗っ取られそうな意識を強引に醒ます。

力なく動いていた身体も支配権が戻り、背後に迫っていた送還陣を辛うじて避けたが、まだ。

無表情にこちらを眺めた召喚師がするりと距離を詰め、おもむろに呪杖を振りかぶった。


「お嬢ちゃん!?」


無言で、容赦なく振り抜かれた。

左手を支えに右の手甲で受けたものの勢いは殺せず、押されざま陣の光を超えた左腕の肘に、肩に、びりびりと麻痺が広がる。

華奢なくせに何て力だい……こんにゃろ!


「何やってんだいっ!!」

「………………」


じりじりと呪杖を押し付けてくる召喚師の瞳は、金色。

ふときざす理解、同じ色彩を探し振り向けば、深紅。


ぬらりと光り、鋭い牙の白に彩られた口腔で視界が埋まった。

送還陣の光の縁を越え、引きずりこまれる動きのまま全身を襲う、もう痛みと化した痺れ。

動けない身体が喰まれ、呑まれ、恐怖に叫ぼうにも舌先さえ自由にならない絶望感。

気も失えないまま生温かい暗闇に包まれ、今度は天地がひっくり返った。











「ったく、だから竜なんて野蛮な生き物は嫌いですのっ!召喚師との“共感覚〈シンクロ〉”を悪用してこちらを操るなんて無神経極りますわ忌々しいったら!!」


違和感の残る五感にふらつく召喚師だったが、気配を隠そうともしない一団の接近に気付くと即座に立ちあがった。


「まあ、良い面もありますわね。あの方……そういえばお名前も尋ねませんでしたが、あの方が下種竜の共犯扱いされることはありませんもの。あの執着からみて伴侶なのでしょうし、昼間の狂態もおそらく彼女を守るためでしたのね」


暗いばかりの地面に竜や女性の存在を示すものは何もない。

全ては送還の陣に消え、今ではひっそりと静まり返るのみだ。


「まあ素敵!竜の守護など望んで得られる物ではありませんし~、上手くすれば国さえ手に入るという野心家さん達の憧れの的、な~んて幸運なんでしょう!!貴女だって野心の一つ二つ、お持ちでしたわよね、うふふふ……ふふ……」


竜の独占欲は、強い。

ゆえの保護、ゆえの束縛、逃げ道などどこにも無い。


「ぅうう…………御機嫌よう友よ、どうかわたくしを恨まないで下さいませね?」


胸の内を吐露したことで罪悪感も拭われたのか、召喚師は一つ伸びをすると恐れ気もなく闇の中に踏み出す。

何者を呼ぶのか、呪杖に仄かな光を灯して――。











上も下も無い、右も左も無い、身体さえ失くしたかと思うほど珍妙な浮遊感を経て、戻った光景は広すぎる青空だった。

馬鹿な、今は夜のはずじゃないか?

一瞬覚えたそんな疑問も、生命の危機を前に霧散した。

落ちている、それも凄まじい速さで。


「のがあっ!?」


均衡を崩した拍子に身体が裏返り、開いた大口に風が詰め込まれ息が詰まった。

細くしか開かない目に映るのは、原型を留めるなんてこと期待もできない遥か下に広がる大地。

これも人生ってものなのかい神様!?

ぎゅっと目を瞑ったせいで、まさかの障害物にぶち当たるとそのままごろごろ転げ回る破目になった。


「った!いだだだっ!!えぇいチクショウっ、今度は何だってんだい!?」


ざらついた表面で嫌という程顔面をすり剥きながらそれでも涙目で確認すると、艶やかな赤鱗が陽光を浴びてうねっていた。

あたしはそれの背中にいる、いや、いた。

取り付くのが間に合わず、あえなく転がり落ちて再びの落下体験を味わったけど、器用に空を滑った赤いのがその背にあたしを受け止めた。

安定が悪く翼が上下する度に形を変える足場、凍えを通り越して痛い風、萎える身体で這い進んで両手に余る首筋をそれでも必死で締めつける。

出来るもんならこのまま絞め殺してやりたいよ!

必死、そうまさにコレこそがそう呼ぶべき状態だ、夢なら早く醒めとくれ!!


「ぎゃっ!ぎゃー、ぎゃ~~!!」


あたしの心情とは裏腹に、響く赤竜の鳴き声は鼻歌のようにゆるかった。






「はぁ~~っ、あ゛ぁ~~!厄日だね今日は……っ」

「ぐぅ~~う……」


甘えるような唸りはあたしを雛のように囲む赤竜の身体を伝い、あたりを包み込んで響き渡る。

着陸したとたん完全に腰を抜かし、首もとから滑り落ちたまま立ち上がる気力もなくして倒れてたら、何故かこんな状況になってしまったのだ。

召喚酔いとでもいうのかね、自分が送還陣に入ってからの記憶はあやふやなものの、赤竜と一緒にどこかに飛ばされたのは確かだろう。

……それも、竜の口に入って。

そこかしこがぱりぱりになった服に名残を留める、あの悪夢のような記憶。

切実に酒が欲しいよ、火の点くような強い酒が。

まあ、考えようによっては酒は無くとも命は有ったという事で満足するべきなんだろうけど、そうはいくかい!!


息を吐いて身を起こしべちべちと温かな檻を叩く、すぐにとぐろじみた囲い込みが解かれて、木立の間からはやっぱり有り得ない上天気の真っ青な空が広がってた。

というかこの澄み方、下手すればあっちと季節まで違うんじゃないか……?


「ああクソッタレ、何処なんだいここはっ!?」


するする下がって来た金眼は、あたしの身体を隅々まで眺め回し、ついでに臭いまで嗅いでふしゅっ!と満足の息を吐く。

ああ怪我はない、怪我はないさ、身体にはね。


「いいかいアンタ、あたしは強引な奴が大っ嫌いなんだ!人間だろうと竜だろうとねっ!!」

「…………ぐう」


「ぐうじゃない、あたしの了解も得ずどこに連れて来たんだい!?その後の扱いは言わずもがなだ、あんなに怖かったことはないってんだよ!!」

「……ぎゅぁ……?」


「はっきり言って、あたしはもの凄く怒ってるんだっ!!」


間近な金の眼を睨み据え、指を突きつけて言ってやった。

茫然と固まるのを見ても、連続した九死に一生体験の反動でどろどろに煮詰まる鬱屈は、ちょっとやそっとじゃ収まりそうにない。

ふいと目を逸らし、これ以上きつい言葉を吐かないうちにととりあえず目に付く高台を目指した。

何はなくともまず飲み水だ、帰れる見込みがない以上水場の発見が最優先になる。

あそこからなら、少しは辺りが把握できるだろう。


「ぐるぅうっ!ぎゃう~~!!」


ざっと空から見た限りでは、目立つ程の集落は無かった。

この場所も放牧地にうってつけの土地なのに鬱蒼としていて人の手が入った様子はない。

考えたくはないけど、近くにゃ人がいないってのを前提に行動すべきだね。


「ぎゃうっっ!!ぎゃう……っ!」


それでも生き物の気配は豊富で季節で言えば初秋という気候、天気も問題ない、ってかしばらく晴れてろあたしのために。

植物の種類からしてもそうそう暑さ寒さが偏っているようじゃない、きっともといた場所と似た四季があるんだろう。

これから冬に向かうならそう余裕はない、周囲の探索に加え冬支度も整えておかなきゃくたばっちまう。

さて根性入れてかからないと、こんなところで独で生き延びるのは大仕事だ。


「ぅに゛ゃ~~~~っっ!!」

「だから猫の仔じゃあるまいしっ!!」


思わず振り返ると、赤竜はあたしを追い掛けてはいなかった。

多分一歩も動かずに、その場にしゃがみ込んで……翼で、顔を覆っていた。


「きゅうぅうっ、きゅい……!」


羞恥を示すその格好は、恐らく萎縮の表れで。

さよならに納得しなかったこの竜の、我儘にはたぶん悪意なんかなくて。

捕食動物の貫禄をかけらもとどめず、鳴いて縋られる理由はただ“嫌われたくない”からで。

その辺をちゃんと解ってて、まだ片意地を張り通せるほど荒んだ人生は送ってこなかった。


チクショウなんだろねこの負けた気分は?こんなんじゃお仕置きが足りやしないってのに!!

いや違う、あたしはそんなにお人好しじゃない、そう、これは打算なんだ。

竜が傍にいれば猛獣避けになるし、火竜だから火種には不自由しないし。

何より土地勘のある連れがいれば、探索に費やする時間をぐっと減らせる……といいんだけどねぇ。


何よりの決め手は、重なる両翼の隙間から一心にこちらを窺ってくるから。

どうせ無視しようがいっそ襲い掛かろうが、付き纏ってくるのは間違いないんだ。

なら、あたしから興味が逸れるまで受け入れた方が得ってもんだろう?


「ずっとそうしてるつもりかい?アンタが連れて来たんだ、最後まで面倒を見るのが筋だろうに」

「……ぎゃー」


「おいでよ赤いの、まずは水場が知りたい。案内出来るかい?」

「っ~~!?ぎゃーっ!!」


どすどすと走ってきた赤竜は、ぐるりと進行方向に回り込んでくるとそのままうずくまり、何度も何度も自分の背に顎をもたげて見せた。


「…………そりゃもしかして乗れってコトかい?」

「ぎゃーっ!」


「結構だよ、断固拒否する。アンタは乗り物にゃ向いてない、己を知りな。少なくとも今日は絶対御免だ、さぁ歩いとくれ」

「…………っ!」


「そ、そんな顔しても無駄だからね。あたしは乗らないよ」

「ぐう……ぐう。ぎゃー」


しぶしぶ立ち上がり先に立った赤竜が、下生えをへし折りながら恐らく水場へと最短の獣道を敷いて行く。

長い尻尾で掃くように残骸まで掻き分けてくれるもんだから、後から楽々と追える。

どれだけ頼りになるもんかってのが正直なところだったのに、これはこれは。


「へぇ、なかなかの甲斐性じゃないか。惚れちまいそうだね」


ふと叩いた軽口を受け、調子の良かった赤竜の歩みがぴたりと止まった。

ひょいと振り向けられた顔の中、薄っすら細まる目は笑っているのだと“分かった”。

そして顔を戻し再び進み始めたのだ、楽しげに拍子を取る尻尾を揺らしつつ。


あたしは衝撃に立ち竦んだまま、その姿を見送る。

いやいや有り得ないだろうに、あのとげとげの凶悪な輪郭と、みっしり生えた鱗と、人外の眼があってなお一瞬、ほんの一瞬といってもあの笑顔に、妙な色気を感じただなんて。

だけどだんだんと、じわじわと感覚が通じ合ってきてるような気もする、あっちにいる時は喜怒哀楽なんて分からなかったはずだ。

これがアレか、噂に聞く危機的状況で芽生える恋情紛いの勘違いか……種族さえ超えるとは恐ろしいね。


「今のは冗談だよ!?真に受けるんじゃないよアンタ!!」

「ぎゃあう♪」


「コラ聞いてんのかいっ!?」


名前も知らない召喚師がこっそり脳裏に忍び込み、にんまり笑って“同士”と呼んだ。

そうはいくかい、そこまで堕ちやしない、何としてもまともなままにこの地を踏破して懐かしの故郷に帰るんだ!!

だけどそれには一人じゃだめだ、成り行きはどうあれ今のあたしにはこいつしかいないんだから。


「……まあ、いいさ。もうなるようになれだ、よろしく頼むよ赤いの!!」

「ぎゃ~~っ!!」


しばらくは一緒にやろうじゃないか。

仲良くなれれば言うことなしで、帰るのに手を貸してくれりゃ万々歳だけど。

さて、どうなることやらねぇ?







side:赤竜



この善き日、言祝げ風よ大地よ、我愛をば得たり。


我抱きし気紛れもまた、大いなる繰糸の一端なれば。


時の歯車軋みて宿命(さだめ)詠唱(うた)となり、我を呼ばえり。






『あたし達を助けてくれて有難うね、頼りにしてるよ。さぁあと少しで片が付く、もう一頑張りしようじゃないか』




血潮と砂塵のただ中、君来たれり。

得がたき無私の恩にむくうことあたわず、しからば我、身を捧げて尽くさん。

されど君が敵の鏖殺叶わず、我が全ての息吹をもって成しても。




『……行くなって言ってるのかい?もしかして』




無力なり醜状の我が身、君が目に映るはいかなる思いか。

掛かる呼び声ただ優しく、打ち伏せしこの身に注がるる。

あさましき我が身は震え、心憧れに高まりぬ。




『お前の責を負わされてわたくしの名が堕ちた礼に、そっ首刎ねてやりますわっ!!』




そして訪ないし、宿命の紡ぎ糸にして詠唱謡い、小さき者。

役目を終えた駒なれば、盤を追いしがその道理。

なれど君が慈悲深く、小さき者のさえずり我が心打ちのめせり。




『――アンタは綺麗だよ』




しかし君は語りぬ、我が鱗の好ましさを。

君は讃えぬ、我が誇りたる赤の色彩(いろ)

そして我を、その小さき手中にしかと捕らえたり。




『――この竜を送還してやってくれないかい?』




何をのたもうや残酷なる君よ、我を弄ぶなかれ。

一度の否定、二度の拒絶、三度の嘆願さえ拒みし君よ知るや?

我が心君が形に欠けて在り、永久に埋まる事あらじ。




『さよならだ』




否、来たれ、来たれ、来たれ!

汝、もはや我が伴侶(もの)なれば。

進みて来ずば力もて引き行かん、いざ!!




『――“来〈ライ〉”!!』




心地、良し。

君が全てを我が身に収め、いっそこのまま胃の腑までも。

我が血肉に君巡りたれば寂しからずや?なれど答えはいつの日にか。









そして、世界が――我らを呑んだ。









召喚に伴う見えぬ枷、人の操りに耐えるよう心曇らす霧が払われる。

望むままに人に招かれよそに出向くたび、鈍麻する情緒は全く苛立たしいものだ。

しかし舌先に蠢く体温を感じると、とたん思考は狂喜に染まった。


ようこそ我が故郷、そして君の住まう地に!

さあ懐かしき空の下、愛しい存在を生み落とそう。

……まあ雄の身だが、気持ちだけ。



――んべっっ!



『のがあっ!』


などと歓喜に叫ぶ彼女、界を移る負担に耐え気をしっかりと保つ強い精神力が、我がことのように誇らしい。

さて、豊かな地特有の濃い緑の風に泳ぐ、この清しさを堪能すれば機嫌を直してくれるだろうか?

しかし小さな人の身が安全に降りられる場所など限られているのだから、無粋なれどすぐに邪魔をすることとなった。


『った!いだだだっ!!えぇいチクショウっ、今度は何だってんだい!?』


案の定彼女は、おてんばに我が背を転げ回り抗議を示した。

実に心苦しいが、翼の無き身で再び飛び出すなど危険に過ぎる。

断固としてこれを受け止めると、観念したのか首元をやんわり抱かれ、案ずる心をほっこりと温めてくれた。


「ああ、好い。これは好い」


連れ立って飛ぶ空とは、また格別に気持ちが良いものなのだな。






慎重な吟味を重ね最も安全な地にそっと降り立つと、彼女は満腹の仔竜のようにずるり、と降り立った場所でそのまま寝入ってしまった。


『はぁ~~っ、あ゛ぁ~~!厄日だね今日は……っ』

「そう拗ねてくれるな……」


奔放なことだと呆れる思いに、脆弱なる人の身への憂慮が重なる。

やはり疲れているのだろうか?ならば雨風を防ぐ我が巣へ戻るべきだったのだ。

しかし、訪れた眠りを妨げては可哀想ではないか?

それに我に身の安全を託し、こうも無防備に振る舞うなど信頼の証に他ならない。

是非もなしと、彼女の安らかなる休息を守るため身を丸めてその姿を覆うと、響く微かな呼吸に聴きいる。

我の鼓動一つが彼女の五つに及ぶのを知ると、秘めたる時の違いに畏怖と切ないまでの愛おしさが混じりあった。


うっとりと微睡みかけた頃、合図を感じて身を解くと、待ちかねたその姿を目で貪る。

人の女には珍しい短い体毛と、撫でれば血を吹く白い薄皮、毛皮や鱗になり替わる継ぎ接ぎされた何かを纏ってちょこなんと我が前に立つ、か弱くも面白い生き物を。


『ああクソッタレ、何処なんだいここはっ!?』


我の知る人語は古く彼女の言葉遣いから少し崩れていたが、辛うじて意味はわかる。

しかし答える術もないので聞き流して匂いを嗅いだ。

怪我の有無を知る血の臭いは無いが、怒り、動揺、不安までも有能な鼻は香りとして伝えた。

手荒な招きに悔悟は無用だ、我は竜、強き王、そしてあまねく人の知る悪役である。

圧倒的な力で凌ぐか、情を以て絆さなければ我らの望みが阻まれる事はなく、彼女にはそのどちらもなせなかった。

もはや、この現実を受け入れるしか道はない。


『いいかいアンタ、あたしは強引な奴が大っ嫌いなんだ!人間だろうと竜だろうとねっ!!』

「…………だろうな」


『ぐうじゃない、あたしの了解も得ずどこに連れて来たんだい!?その後の扱いは言わずもがなだ、あんなに怖かったことはないってんだよ!!』

「……そうなのか……?」


『はっきり言って、あたしはもの凄く怒ってるんだっ!!』


言葉通り、小さな身体には怒りの匂いが立ち込めている。

その気性が好きだ、腹が立てば怒り、怒れば面と向かって喚き立て、恐れを知らず振る舞う君。

だが恐怖心が欠けているわけではない、空中散策に抱いたように。

それでも我に怯えず、初対面から人にするように声を掛け、指図さえしてみせた姿に目を奪われた。



我ら名にし負う暴君は告白する――独りは寂しい、と。



高い知性などガラクタにも劣る、生きるために生き、戦い、成すことといえば破壊のみという生涯を送るなら、そんなものが何の役に立つ?

幻獣の中においては群を抜く戦闘力が敬遠され、執着心の強さに伴う絶え間ないいざこざで嫌忌された。

幻獣に次ぐ知能で繁栄する人に混じれども、なおさらに際立つ強さが人の欲を煽り恐れを煽り、必ずろくでもない破綻を迎えた。

同じ竜同士で添える幸運はあまりに稀で、多くは己と同じような思考と退屈を相手に透かし見て辟易する。

余りにも個として強靭な所為か、繁殖行為でさえ気を紛らす程度にしか感じないまでに倦怠極まった者は、しばしば時を呪う。

それでも正気を無くさずに、己を失わずにやっていけるのは、識っているからだ。


人の中に、幻獣の中に、獣の中にも。

我らの特性を知り少々鬱陶しがりつつも、仕方ないとばかりに受け入れてくれる者がいる事実を。

恐れもおもねりもせず、利用する程の野心も知略も持たず、自身を偽ることなく傍らに迎えておきながら。

だから何だと、不思議そうに問い返してくるような得難い連中が。


見つければ攫い来る、その在りようがその他大勢の思惑で歪められてしまう前に。

何度も苦い経験を繰り返した我らは、彼らを伴侶と呼び保護することにした。

そして高らかに鳴り渡る悪名に、攫い屋の呼び名が加わった。

謳うがいい、我らその名のみは甘んじて受けよう。


それが児戯にも等しい人の召喚に力さえ与えて、時に己を呼ばせる理由。

まだ見ぬ地へ、新たな者達の元へ、いつか出会うべき誰かを求めて。

しかし大半の竜が召喚師の支配に甘んじるには我が強すぎ、自尊心が高すぎた。

そしてその支配を振り切っては恐れられ、故郷を目指すついでに辺りを物色するのが精々という体たらくに陥った。

人の栄える大陸は獲物が少なく、飢えて家畜を襲えば敵意を生み、ひとつ伴侶に、などと言い出せる状況ではなくなる。

我も、戦いなら決して劣らないが『此処を発ち此処に至るに十の陽しか戴かぬ』と、豪語する緑竜を酷く羨んだものだ。

強き翼で世界を巡る彼らは、多くが伴侶を見出し、他の竜に希望と羨望と軽い殺意を覚えさせる。



そんな労苦も全ては己が伴侶を得るため――そう、君に出逢うために。



「だから、行ってはならぬ~~っ!!」


陶然と感慨に浸る我に愛想を尽かし、背を向けてしまった伴侶殿。

見知らぬ地でどこを目指すつもりなのか、迷いのない足取りが不安を誘う。

此処は彼女の住んでいる大陸ですらない、人より竜の多い地。

それを告げられたある竜の伴侶は、しばらく泣き暮らしたという。


まあ、我が伴侶殿に限ればそんな気配は微塵もなく、油断の無い目配りは狩り場を彷徨う獣のそれで、好悪の情はさて置いて、この地で生き抜くと決めた強い意思が窺えた。

取り乱さないようすを見れば、それなりの自信や知識もあるのだろう。

群れから離された人間ならば、一も二もなく我を頼るだろうという目論見はついえた。

我など不要と、語るその背が憎くさえ。


「戻れっっ!行くな……っ!」


ここに我がいるではないか。

何故置いて行く、何故呼び声に応えない、何故、何故っ、何故だっ!?

恐ろしい思いをさせたからとて、こんなにも早く見限ってしまったというのか!!


……今に戻ると、冷静な部分は思考する。

真に危険な魔獣は、猛獣などとは比べものにならない脅威だ。

彼女の育った地では見ることもない種が、ここには日毎夜毎にうろつく。

竜の庇護を受けぬ人間が、仲間も持たず生きてゆくのは無理だと“解っている”。

追い付いて攫い上げ、意のままに囲うなどたやすい行為だと“解っている”。


だが、それは理性に過ぎない。

向けられ続ける意固地な背に、果てなく高まる焦燥は、ぞっと身を絞るこの暗うつこそが。

“恐怖”と呼ばれし感情ではないのか?

我は、見捨てられるのか……?


「ぅに゛ゃ~~~~っっ!!」

『だから猫の仔じゃあるまいしっ!!』


うごめくく本能、口を吐く悲鳴、流石に無視しかねた彼女が初めて反応をくれた。

そして我も言いたい、にゃーとは何だ忌々しい!!

成竜となって後、無様に悲鳴を上げた事など無……………二度しかない。


「我を見るな伴侶殿……!」


掲げた両の翼の陰にて恥辱に震える事しばし、このように情けない雄を誰が選んでくれるものか!

しかし、それでも……恐々とそちらを窺えば案の定、彼女は苛立ちの匂いを風に流した。

素直故に口の悪い彼女の追い打ちも恐ろしいが、無言の責め苦もまたこたえる。

とても怒っているようだ、我は一体どうすれば……!?


『ずっとそうしてるつもりかい?アンタが連れて来たんだ、最後まで面倒を見るのが筋だろうに』

「……承知の上だ」


『おいでよ赤いの、まずは水場が知りたい。案内出来るかい?』

「っ~~!?勿論だともっ!!」


受け入れられたという喜びのまま彼女の元へと走り寄り、うやうやしく我が身を供する。

何度も背を指し示し、乗ってくれるよううながしもした。

己が誰かの騎獣となるなど思いもよらなかったが、必要とされるならもう馬代わりでいい!!


『…………そりゃもしかして乗れってコトかい?』

「是非っ!」


『結構だよ、断固拒否する。アンタは乗り物にゃ向いてない、己を知りな。少なくとも今日は絶対御免だ、さぁ歩いとくれ』

「…………っ!」


執拗なまでに断られた!!

ああ伴侶殿、何という言い草だ。

もう一度一緒に空中散策をという我の願いはいつ叶うのだ!?


『そ、そんな顔しても無駄だからね。あたしは乗らないよ』

「むう……むむ。承知した」


幾ら粘ろうと無理なものは無理そうだ、潔く諦めまずは彼女の望みを叶え、評価を上げよう。

人も使える水場というなら滝の辺りは無理だろう、水はとても綺麗なのだが。

急流も流されては困る、なだらかな辺りといえば……こちらか。


長い尾に気を付けゆっくりと向きを変えると、体躯を生かして茂みを薙ぎ彼女のための道をつける。

新たな地を我が領に得るべきだな、もっと人に向いた地を。

少し振り向き確認すれば、踏み残した緑が彼女の行く手をはばんでいた。

…………草木の分際で生意気な。


距離を取ってから尾で薙ぎ払い、踏みしだく際もより丹念を心がける。

己以外に心を砕くというのは、慣れないが不快ではない感覚だ。

しかし翼を使わない移動は地道で、身体は勝手に動けども思いは取り留めもなく。


浮かんだのは、我が伴侶殿とは毛色の違う、この地にて泣いた人のその後。

思い人がいたのだと散々になじられたその竜は、取って返して彼女の思い人をも攫った。

無事結ばれた二人を共に伴侶とした竜は、生涯彼らの愛情を独占できる事はなかったが、変わらぬ友愛を得た。

そして伴侶達の血族はその竜を家族の一員として認識し、末永く友好関係を築いた。

いや、築き続けているのでその老竜の自慢ぶりと来たら噛み付いてやりたいほどである。


一方、純粋培養で竜を恐れぬその血族は、伴侶を望む竜達の垂涎の的だ。

老竜は一応の理解を示し、無事攫えたなら取り返しはしないと公言している。

黒竜長老格の狡猾にして強力な存在が『ワシの屍を越えて盗れ!!』と言うのは処刑宣言以外の何物でもないが。

まあ、竜とはそんな存在だ。


だがそんな老竜への問いを一つ、我は何十年と温め続けている。






伴侶とは竜が勝手にそう呼ぶだけではなく、相性が良いのか気が合うとでもいうのか、たとえ異種族であっても不思議に言葉なくして通じ合う存在だからだ。

竜が悲しむ時に、怒っているのかと聞くものはいない。

竜の示す好意を、無碍に切り捨てたり、打算的に利用するものなどいたためしがないのだ。


最良、最高、最愛、唯一。

ならば他に何が要る?


伴侶に愛されるは我のみで当然、伴侶の恋人など敵に過ぎない。

我のみを目に映し、我のみに笑み掛け、我に触れ、触れられるを喜びとし、交わりに求める者さえ同種でなく我であるべきだ。

もし伴侶殿が誰かを恋うなら、我はソレを抹消する。


『老竜よ、人の番〈つがい〉に割り入った異種よ、貴方の得た愛は充分なものだったか?』


訊けば殺されそうで、きっと問うことはない。

また子を残した竜の伴侶も他には皆無、となれば我の問いの答えはある意味、既に出ているのだが。






黙々と歩く内機嫌も直ったのか、彼女が唐突に我に呼び掛けた。

虚を突かれたが、冗談と分かる軽い口調の柔らかな響きに安堵した。 

だがそれ以上に喜ばしいのは、己が伴侶との思考の同調だった。


『へぇ、なかなかの甲斐性じゃないか。惚れちまいそうだね』


大地よ我を讃えよ!!道普請を体得した竜などそうはいまいっ!

ようやく一つ役立てただけの身には過分な言葉だったが、とても、とても、誇らしかった。

ああこの喜びを君に伝える術があれば!

光栄だ、存分に惚れて欲しい。


…………君のためにも。


振り向いて笑いかけると、彼女はびくりと固まってしまった。

む、やはり我の造作では上手く表情は作れぬか。

脅かしたのかとも思ったが、吹き過ぎる香りの乱れは仄かに甘く。

……ここでグッとくる彼女の感性は正直不可解だが、その奇異さこそが伴侶たる所以か。


『今のは冗談だよ!?真に受けるんじゃないよアンタ!!』

「聞けんな♪」


『コラ聞いてんのかいっ!?』


照れ隠しとはまた愛らしい。

そ知らぬ振りで先を行けば、諦めの声音が休戦を告げた。


『……まあ、いいさ。もうなるようになれだ、よろしく頼むよ赤いの!!』

「任せてくれっ!!」


ああ、喜んで終生の保護を引き受けよう。

こちらこそ、よろしく願うぞ伴侶殿!

本作はゲストa氏より頂いたお話です。許可をもらいrikiが投稿しております。

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