3
[グンコウニシテハ グンカン イヨウニスクナシ ショウカイテイ フタ ソノタコガタセンテイ ショウスウ]
「出来立てなんだろ。施設も新しいしな」
[ホキュウブッシニハキタイデキズ]
「なに、俺一人の飯一ヶ月分と、お前が食う極々僅かな油がもらえりゃいい。金を積めば船から抜き取ってでも入れてくれらあ。燃費がよくてつくづく助かってるよ」
つぎはぎだらけでボロボロの船長帽を深く深く被り、首から下げた発光器と会話をしながらトモキセは街へと向かっていた。
大型の戦艦すら係留できそうな埠頭には、既に2100時を過ぎた現在も獣人の兵士たちが見張りのために巡回していた。厄介ごとを避けたいがために、できるだけ目を合わせないように歩いていた(これはもちろん軍人に対する若干の恐怖もある。船を降りればただの人なのだから)が、驚くことに、すれ違う兵士がみな真剣に敬礼をトモキセにたいしてしてくれるのだ。もちろん、不規則、不摂生、不健康で、蒼白い顔に眼ばかりギョロギョロしているトモキセが普段どのような扱いを受けるかなどというのは言うまでもなく、今回のような経験は、船長を勤めて17年、初めてである。
肘を前に出す海軍式の敬礼をする兵士たち一人ひとりに、左胸に右手を当てる文民の敬礼で返した。
「なんだよいったい……」
[グンジンタチカラノケイイ シンシニウケルベシ フナノリニタイスルケイイ スナワチ ジョウセンニタイスルケイイニオナジ]
「ああ、ああ、そうだな、お前はすげえよ。浮かれんな」
[ワレ マンゾク]
この状況を一番喜んでいるのは誇らしげにツートンツートンと光るセレナのようであった。そのずんぐりとした特異な姿からか、へたれの船長と同じく悲惨な扱いを受ける事が多いため、案外鬱憤がたまっていたのかもしれない。何か無性に腹がたったので、トモキセは発光器を小突いておいた。
[ヨセ]
「うるせえ」
その後も、敬礼と、発光器との下らないやり取りをしつつ、光のある方に歩くこと数分、一件の酒場らしき店へとたどり着いた。すりガラスから灯りが漏れ、軍歌と笑い声が内側から聞こえ、表には酔い潰れたのか酒瓶片手に丸くなって寝ている小柄な猫の獣人の姿があった。
「……嫌だなここは。嫌な予感しかしない」
酔った軍人は一番たちの悪い相手だ。本当に関わりたくない。しかし辺りには他に開いている店もなく、おそらくはここに入るしか無いのだろう。
[トッカンセヨ]
「馬鹿野郎、殺す気か」
[ナキガラハテイチョウニアツカイスイソウトス エイレイヨヤスラカニ ツケケン ササゲツツ チョウジュウウテ]
「俺は軍人じゃねえし、しかも勝手に殺してるんじゃねえか」
などと文句を垂れてはみるものの、それではどうにもならないし、ひとまずはこの店に入らなければならないのだ。覚悟を決めて、トモキセは笑い声のなかに突貫した。
静寂。従業員ばかりが忙しく動いている。テーブル席の方に固まっている酒臭い兵士たちは、トモキセを見ると、途端に酔いが覚めたように真顔で敬礼を始めた。先までの賑やかさが嘘のようである。実際に嘘だったのではないかとも思っていた。
「ああ、ああ、なんだ、そのな、俺は一介の船乗りだからな、お偉いさんでもなし、力抜いてくれ」
そんな切実な願いを伝えながら今日何度目ともわからない敬礼を出し、空いていたカウンター席へと座る。客も店員も全てが獣人であったが、唯一、カウンターにいる店主らしき老人だけは、トモキセと同じ地人であった。
「おや、軍人さん以外がここに来るなんてな。あんた、随分顔色が悪いじゃないか」
他とは違って毛におおわれていない同種族の顔は、どこか安心するものがあった。あまりにもアウェーな環境が、少し心細いところであって、そこに丁度、軍人たちに話が利きそうな地人が一人いたものだから、それは救われた気分になるだろう。
「仕事がら陽に当たらなんだ、年がら年中死人みたいなもんさ」
「そうかい。てっきり船酔いならぬ樹酔いでもする体質なのかと思ってな。ならばレモンでも添えようと」
「ハハ、確かに揺れがないのは落ち着かないけどな。とりあえずビール、それから、なんでもいいから新鮮なモノを頼む」
「アイ、サー。ゆっくりしとってくれ」
[ケイユヲモトム]
黙らない発光器を胸ポケットへしまう。ゆっくりしろとは言われたものの、兵士たちの視線はいまだこちらに集まっている。敬礼こそ終わったが、その静けさはなにか異様なものであるに他ならない。店員たちも感付いているようで、どこかぎこちない動きが目についた。
情報が早い、というか、統制が取れている、というか。部隊間の連絡網が強固であると言う点については、非常に優れているのだろうが、出来すぎていて逆に不気味さを感じる。視線を悟られないように、船長帽を更に深く被った。
程なくしてジョッキに入ったビールが出てくる。待つことはほとんどなかった。店主には悪いが、ここは長居せずに出た方が良いだろう。主に精神衛生的に。
とは言え、久しぶりの酒である。黄金色の命の水は、何物にも代えがたい。だが、さあまずは一口と、空きっ腹に流し込もうとしたときであった。
「これはこれは、セレナ号の艦長さまではないか」
悪感。いいや当たっている。ほぼ、確実に。40も半ばの過ぎた獣人の渋く重い声は、疑うまでもなく軍人のものであろう。それを確かめるため振り向いてみると、金色の毛に、鋭い牙と爪、それから琥珀色の目玉。ピンとたった頭頂部の耳と、佐官を示す階級章。威圧十分、眼光だけで人を殺せそうな狐の大獣人が、先刻店先で潰れていた猫の兵士を軽く抱えて立っていたのだから、トモキセは脱帽し、ついでに命の危険を覚えずにはいられなかった。見れば他の兵士も敬礼をしている。抱えていた兵士を下ろし、男は敬礼を出しながら、挨拶を始めた。
「遠路はるばる、ようこそ我が港へ。私はストキヴ海軍のキシル・ノルアドレ大佐だ。一時的ではあるが、ここの港長をしている」
「あ、ああ……。セレナ号船長、トモキセ・ドーパミナだ。理解に感謝している」
その図体にしては随分紳士的だ、というのがトモキセの率直な感想であった。偏見であるが、ストキヴ海軍と言えば、荒々しい雲海の男たちが多いというのが通説である。しかし、目の前のキシルには、そういった豪快さなどがあまり見られないのだ。このほうがずっと良い。
「部下たちが驚いていたよ。警戒灯もなし、まさかこんな僻地の港、あんな暗い埠頭に船を滑り込ませるなんてな」
「夜目だけは利くんだ。明かりのない航行にゃ慣れっこだよ」
「それは随分羨ましい。そのような部下が私にも欲しいものだ。じいさん、ビールをくれ」
「アイ、大佐。特急で」
軍服の首もとのフックをはずしながら、笑顔で注文する。店主とは顔馴染みのようである。やもすれば、この大佐、もしくは店主を丸め込めば、スムーズに補給を完了できるかもしれない。
特急という言葉通り、ビールはすぐに運ばれてきた。おそらく特注であるろう巨大なジョッキに並々注がれたものである。
「セレナ号のために乾杯させてくれ」
とのことなので、彼に任せることとした。
「てめえらよく聞けッ!」
豹変。偏見は間違ってはいなかった。立ち上がり、ジョッキを高く掲げた目の前の佐官は、獣に間違いなかった。
「今宵は、あの『三人連合』より客人が来られたッ!各自失礼の無いようにしろッ!だが、なにか難しい事じゃあない。てめえら飲兵衛どもにもできる簡単なことだッ!何故なら客人も海の男。海の男なら海の男らしく――」
悪感。いいや当たっている。ああ、神よ、私にもう少しばかりの幸運と大佐に先ほどまでのジェントリズムを。こうなれば、トモキセも信じているわけでもない神に祈るしかなかった。
「――ひたすらに飲み巻くれぇッ!店にある酒、一滴たりとも残すんじゃねえッ!俺の奢りだッ!」
兵士たちの歓喜の咆哮が響き渡る。恐ろしい。紳士は何処。
「各自、ジョッキを掲げええぇぇいッ!潰れてるやつも叩き起こせえぇッ!海の男として客人をもてなせッ!かんッ!ぱあああああぁぁぁぁいいッ!!!」
月までも響きそうな声、迫力。獣人たちの叫びは、トモキセの心をどこまでも不安にした。ジョッキを当てる音、勢い余って割れる音、それにも構わず飲む音、かける音。この先を思いやられた。