幸福のレプリカと、コートの下の傷口について
書いたのだがかきたくない
幸福のレプリカと、コートの下の傷口について
僕らはときどき、世界が用意したあらかじめ決められた幸福の型に、自分たちの生身の身体を無理やり押し込もうとする。そしてその型からはみ出した血や涙を、必死になって見えない場所に隠す。
大学の講義で「自由なテーマでプレゼンを発表せよ」と言われたとき、僕は迷わず『結婚』を選んだ。
世間の大半の人間が信じ込んでいる「結婚すれば人は自動的に幸せになれる」という盲目的なドグマに対する、僕なりのアンチテーゼだった。いや、もっと正確に言うなら、他人が信じる美徳を冷ややかに笑ってみせたいという、僕自身の底意地の悪い逆張り精神や、歪んだ承認欲求がそうさせたのかもしれなかった。
僕が提出したデータはシンプルだ。
結婚した人間のうち、約50%は離婚する。僕の住むような狭い田舎町では、離婚はすぐに悪意ある噂話として消費されてしまう。結局のところ、いつか他人に戻るくらいなら、最初から結婚というシステムに身を投じる理由なんてどこにもない。
そして残りの50%――別れを選ばなかった(あるいは選べなかった)人間たちは、本当に幸福なのだろうか。僕は身近な夫婦10組ほどに、それとなく尋ねてみた。結果は惨憺たるものだった。10組中8組が、結婚したことを何らかの形で後悔していると静かに告白したのだ。
その数字の背景にある一人の女性の顔を、僕はどうしても思い出さずにはいられない。仮に彼女をMさんとする。
Mさんは片親で、母親が女手一つで彼女を育てた。しかしそのお母様は深刻な鬱病を抱えており、Mさんが23歳のとき、自らの手で命を絶った。その衝撃から、Mさん自身も適応障害を患い、激しい希死念慮に囚われるようになった。
当時の彼女の姿を、僕はよく覚えている。ひどく痩せ細り、目の下には深い隈が刻まれ、ストレスから髪の毛は抜け落ちていた。今にも世界の隙間にすうっと消えてしまいそうな彼女を、僕は心の底から心配していた。
だからこそ、それからしばらくして彼女が「結婚することになった」と聞いたとき、僕は自分のことのように安堵し、祝福した。19歳だった僕は、決して裕福とは言えないバイト代をはたいて、自分がかつてイタリアンレストランで働いていた頃のコース料理を、我が家で再現して彼女をもてなした。
久しぶりに会ったMさんの目元には、柔らかな生気が戻っていた。僕の作った料理を「美味しい、美味しい」と何度も繰り返し食べてくれた。その笑顔が、僕は純粋に好きだった。世界はまだ、捨てたものじゃないのかもしれないとさえ思った。
その後、彼女に子供が生まれたときも、僕は自分のことのように嬉しかった。スターバックスのギフトチケットをLINEで贈り、実家に連れてこられた赤ん坊の愛らしさに、この子の未来に静かな期待を抱きながら眠りについた。
そこまでは、完璧な幸福のレプリカのように見えていた。
異変に気づいたのは、それから1年ほど経った正月のことだった。
年が明けて3日目、Mさんは子供を連れて再び僕の実家にやってきた。僕らはこたつに入り、みかんを剥きながら、他愛のない近況報告をしていた。
だが、何かが決定的に奇妙だった。
彼女の肌は荒れ、表情の輝きは、あの母親を亡くした直後のどん底の時期を100とするなら、せいぜい50パーセント程度まで目減りしていた。
そして、彼女は頑なにコートを着たままでいた。
部屋には暖房が効き、こたつも入っている。周囲の人間は体が火照ってきて、中には半袖になる者さえいた。それなのに、彼女だけが重々しい上着に身を包んだまま、2時間も3時間もじっと座っているのだ。
最初に「コート、ハンガーに掛ける?」と訊ねたとき、彼女は過剰なほどの強い口調でそれを拒んだ。その拒絶の鋭さに、僕の胸の奥で冷たい警報が鳴った。
僕は別室で夕食の準備をするフリをして、手伝ってほしいと彼女を呼び出した。我ながら、ごく自然な演技だったと思う。
人気のない台所で、僕は直球で訊ねた。なぜコートを脱がないのか、と。
彼女は最初「私、寒がりだから」と力なく笑ったが、その首元にはうっすらと汗が滲んでいた。嘘だ、と直感が告げていた。
「誰にも言わないから。俺にだけは、本当のことを教えてほしい」
彼女がゆっくりとコートの袖をまくり上げたとき、そこに現れたものを見て、僕の思考は一瞬フリーズした。
左腕には、新旧の無数のリストカットの痕が、醜い生き物のようにはい回っていた。
彼女の口から零れ落ちたのは、これまで一度も語られることのなかった、結婚生活という名の地獄の日常だった。
夫は、度重なる物価上昇に喘ぐ現代において、子供がいるにもかかわらず、月にわずか5万円の生活費しか渡さなかった。給料のほとんどはパチンコとギャンブルに消え、逆上した夫からは日常的にDVを受けているのだという。
激しい怒りで、僕の腹綿は煮えくり返った。すぐにそんな男とは離婚すべきだと、僕は声を荒げて彼女を糾弾した。
しかし、Mさんは力なく首を振るだけだった。「でもね、お母さんが死んで一番辛かったとき、ずっと横に寄り添ってくれたのは彼だったから……」
その言葉を聞いたとき、僕の胸に刺さったのは怒りではなく、底寒いほどの絶望だった。母親の自殺直後、彼女のそばにいてあげられる人間は誰もいなかった。年末年始や盆にしか会えない僕の家族や僕では、彼女の日常の孤独を埋めることはできなかった。その心の空白につけ込み、彼女を支配した男。そして、傷つけられながらも、過去の「優しさ」の記憶に縋り付いて離れられない彼女。
それは愛などではなく、ただの歪んだ共依存に過ぎなかった。
それからさらに月日が流れ、大学の教室でプレゼンの順番が回ってきたとき、僕はそっとあのこたつの部屋の静けさと、彼女の腕の傷口を思い出しながら、壇上へと向かった。
僕らが「幸せ」と呼ぶものの正体を見極めるために。
未定




