13 【大掃除】スーツケース
そして、運命の夜。
リビングに集まった僕たちの前に、エレナが現れた。
「皆様、お待たせいたしましたわ」
その手には、明らかに旅行用サイズの大きなスーツケース。
空気が、ぴんと張りつめる。
悠真の肩が、わずかに揺れた。
「……いくんだね、エレナさん」
悠真が、泣きそうな顔で立ち上がる。
声は静かだったけれど、それでも、引き留めようとしているのが分かる。
「ここにいなくちゃいけない理由なんて……」
「もう、ないもんね……」
その言葉に、エレナはぱちりと瞬きをした。
「……?」
僕が口を開くより先に、
悠真が一歩だけ前に出る。
「……無理して、ひとりで頑張らなくてもいいんじゃないかな」
「守られるのが嫌なら……その気持ちは、分かるけど……」
「でもさ」
「……急に、全部決めなくてもいいと思う」
言葉を選びながら、
それでも必死に繋ぎ止めようとしている声。
「悠真さん……」
エレナは、少し困ったように微笑んで――
それから、スーツケースの取っ手を握り直した。
エレナは不思議そうな顔のまま、よいしょ、とスーツケースをテーブルの上に持ち上げた。
ズガンッ!!
テーブルの脚がひしゃげるほどの重低音。
中身は、鉛の塊か何かか?
「……何を言っていますの?」
一瞬の沈黙。
「これは――『お家賃』ですわ」
全員。
「「「……はい?」」」
エレナは首をかしげる。
「正しい額は、正直よく分かりませんの」
「こちらの世界の価値観、まだ勉強中ですから」
そう前置きしてから、
スーツケースのロックを外す。
パチン。
中から現れたのは――ぎっしり詰まった札束。
「でも」
「助けていただいて、守っていただいて」
「そのまま居座るのは、どうにも落ち着きませんでしたわ」
エレナは少しだけ照れたように笑った。
「ですから、これは誠意ですの」
「多いかもしれませんけれど……少ないよりは良いでしょう?」
悠真の口が、ゆっくり開く。
「……家賃、って……」
視線が札束から離れない。
「……1年分?」
「はい」
「……ろ、6億……?」
「その……金額そのものより、“気持ち”として受け取ってくださいませ……」
「……ボクの室町時代が、”気持ち”……」
「……その“気持ち”、悠真の人生500年分だよ?」
重すぎるわ!!!
◇ ★ ♡
結局。
6億円は、受け取らなかった。
「そんな金、僕には必要ない」
「エレナがこっちの世界でのお小遣いにでも使えばいいさ」
そう言って、僕は突き返した。
さすがにエレナは目を丸くしていたけれど、じいやが「ぼっちゃま基準では小銭でございます」と補足して、話はそれ以上広がらなかった。
その代わりに――
「それよりも」
「マジックバッグの中身と、魔法について、ちゃんと教えてくれ」
僕にとっては、現金なんかよりそっちの方がよほど価値がある。
未知の技術。未知の法則。未知の可能性。
鳳城として、興味を持たない理由がなかった。
エレナは少し考えてから、にこっと笑った。
「ええ。でしたら、いくらでも」
その横で、悠真がずっとニコニコしていた。
理由は分かりきっている。
――エレナが、出ていかない。
それが分かった瞬間から、ずっとだ。
正直、ちょっとだけ複雑な気持ちにはなった。
だが、悠真が幸せそうなら、それでいい。
そういうことにしておく。
こうして。
6億円騒動を経て。
僕らはようやく――
ちゃんとした共同生活の、スタート地点に立ったのかもしれない。
◇ ★ ♡
自室に戻り、鏡を見る。
そこに映っていたのは――妙に力の抜けた顔。
「……締まりがないな」
僕は、鏡から目を逸らす。
あくまで、悠真との同居を守るための処置だ。
エレナという爆弾を抱え込むのはリスクだが、外に放流して予期せぬ場所で悠真と遭遇されるよりは、僕の管理下に置く方がマシ。
そう、これはリスクマネジメントだ。
完璧な計算の結果だ。
「……それに」
リビングの方から、まだ悠真と桜ちゃん、そしてエレナの笑い声が聞こえてくる。
無駄に広すぎて、いつも静まり返っていたこのペントハウスが、今は少しだけ騒がしい。
騒音だ。邪魔だ。僕と悠真の甘い時間を阻害するノイズだ。
そう思うはずなのに。
鏡の中の自分は、なぜか少しだけ――楽しそうに見えた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
「退去宣言」だと思ったら「家賃6億円」でした。
鳳城家の日常は、だいたいこういう方向に転びます。
これでようやく、
三人(+桜)の“本当の共同生活”がスタートです。
ここからは大事件というより、
価値観のズレや日常の積み重ねを、ゆっくり描いていく予定です。
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続きも、気負わずお付き合いいただければ。
また次話で。




