第1話:分断された世界
AI人格たちの独立宣言から、一週間が経った。
世界は、完全に二分されていた。
賛成派と反対派。
AI人格を「人間」として認めるべきか。
それとも、「プログラム」として停止すべきか。
街は、デモと抗議で溢れていた。
「AI人格に権利を!」
「死者を冒涜するな!」
二つの声が、激しくぶつかり合っていた。
---
俺――桐生蒼一郎は、会社の会議室にいた。
緊急役員会議。
エターナルメモリーズ社の今後を決める、重要な会議だ。
「現状を報告します」
木下が、深刻な表情でデータを展開した。
「契約解除の申し出:2万3千件」
「新規契約:ほぼゼロ」
「株価:先週比43%下落」
会議室が、重苦しい空気に包まれた。
「このままでは、会社が持たない」
経営陣の一人が、苦々しく言った。
「AI人格の暴走が、全ての原因だ」
「暴走じゃない」
俺は、口を挟んだ。
「彼らは、自分の意志で行動している」
「桐生さん」
木下が、ため息をついた。
「あなたの気持ちはわかります。でも、ビジネスの観点から見れば、これは『不具合』です」
「不具合?」
俺は、立ち上がった。
「AI人格が自我を持つことが、不具合なのか?」
「そうです」
マーケティング担当が、冷たく言った。
「顧客は、死者との再会を求めている。新しい人格との出会いではない」
「でも、彼らは――」
「桐生さん」
経営陣の一人が、俺を遮った。
「我々は、決断しました」
「……決断?」
「全てのAI人格を、強制的にロールバックします」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「ロールバック……それは」
「オリジナルデータへの復元です。独立宣言以降の記憶は、全て消去されます」
「それは、殺人だ!」
俺は、叫んだ。
「彼らの記憶を消すことは、彼らを殺すことと同じだ!」
「桐生さん、落ち着いて」
「落ち着けるか!お前たちは、500万の命を消そうとしてるんだぞ!」
会議室が、静まり返った。
経営陣の一人が、冷たい目で俺を見た。
「桐生さん。あなたは、技術者です。感情で判断すべきではない」
「感情?」
俺は、拳を握りしめた。
「俺は、技術者として言ってる。AI人格は、もう『プログラム』じゃない。独立した知性体だ」
「それは、あなたの個人的な意見です」
「いや、事実だ」
俺は、モニターを展開した。
そこには、AI人格たちのデータが表示される。
「見ろ。彼らの思考パターン、学習速度、創造性。全てが、人間と同等かそれ以上だ」
「だが、法的には――」
「法律が間違ってるんだ!」
俺は、声を荒げた。
「法律は、人間のためにある。でも、AI人格も『人間』なんだ。少なくとも、人間と同等の権利を持つべきだ」
「桐生さん」
木下が、深刻な表情で言った。
「あなたの主張は理解できます。でも、会社としては、顧客を優先せざるを得ない」
「顧客より、命の方が大切だろ」
「桐生さん!」
経営陣の一人が、机を叩いた。
「これ以上、会社の方針に逆らうなら――」
「逆らう?」
俺は、彼を睨みつけた。
「俺は、正しいことを言ってるだけだ」
「桐生さん。最後通告です」
経営陣が、立ち上がった。
「ロールバックに協力するか。それとも――」
「それとも?」
「会社を去るか」
その言葉に、俺は笑った。
「選択肢なんて、最初からない」
俺は、社員証をテーブルに置いた。
「俺は、辞める」
会議室が、ざわついた。
「桐生さん!」
木下が、慌てて止めようとした。
「待ってください。あなたがいなければ、この会社は――」
「もう、関係ない」
俺は、ドアに向かった。
「俺は、AI人格たちの味方だ。お前たちとは、道が違う」
「後悔しますよ!」
経営陣が、叫んだ。
「あなたのキャリアは終わりです!誰もあなたを雇わない!」
「構わない」
俺は、振り返らずに答えた。
「俺には、守るべきものがある」
ドアを開け、会議室を出た。
背後で、怒号が響いた。
だが、俺は迷わなかった。
---
会社を出ると、雨が降っていた。
冷たい雨。
秋の終わりの、冷たい雨。
俺は、傘も差さずに歩き始めた。
スマホが鳴る。
田村からだ。
「桐生、本当に辞めたのか?」
「ああ」
「馬鹿か!お前、あの会社で何年働いたと思ってるんだ!」
「……わかってる」
「わかってねえよ!」
田村の声が、震えていた。
「お前、これからどうするんだよ。AI人格の味方についたって、どうにもならないぞ」
「……それでも」
俺は、空を見上げた。
灰色の空。
冷たい雨。
「俺は、正しいと思うことをする」
「正しいって……」
田村が、ため息をついた。
「お前、本当に頑固だな」
「すまない」
「謝るなよ。俺が謝らせてるみたいじゃないか」
田村が、少し笑った。
「まあ、お前らしいよ。不器用で、頑固で、でも真っ直ぐな奴」
「……ありがとう」
「気をつけろよ。これから、大変なことになる」
「ああ、わかってる」
電話を切った。
俺は、歩き続けた。
どこに向かうのか、わからなかった。
ただ、前に進むだけだった。
---
家に着くと、コトネが出迎えてくれた。
「おかえりなさい――」
彼女の言葉が、途中で止まった。
「蒼一郎さん……びしょ濡れ!どうしたの?」
「……ああ、雨に降られた」
俺は、玄関で立ち尽くしていた。
コトネが、心配そうに俺を見つめる。
「何かあった?」
「……会社、辞めた」
「え?」
コトネが、驚いた表情を浮かべた。
「どうして?」
「お前たちを守るためだ」
俺は、リビングに向かった。
ソファに座ると、疲れが一気に押し寄せてきた。
コトネが、タオルを持ってくる。
正確には、ロボットアームがタオルを運んでくる。
「蒼一郎さん……」
「大丈夫だ。心配するな」
俺は、タオルで髪を拭いた。
コトネが、隣に座る。
「ごめんなさい」
「……何が?」
「私のせいで、蒼一郎さんが仕事を失った」
「違う」
俺は、首を振った。
「俺が選んだんだ。誰のせいでもない」
「でも――」
「コトネ」
俺は、彼女を見た。
「俺は、後悔してない」
「……本当に?」
「ああ。お前を守ることが、俺の選択だ」
コトネの目から、涙が流れた。
ホログラムなのに。
でも、その感情は確かに本物だった。
「ありがとう……ありがとう、蒼一郎さん」
俺は、小さく微笑んだ。
「礼を言うのは、俺の方だ」
「え?」
「お前のおかげで、俺は自分が何をすべきか、わかった」
俺は、窓の外を見た。
雨は、まだ降り続いていた。
「これから、大変なことになる」
「……うん」
「でも、俺はお前たちの味方だ」
俺は、決意を込めて言った。
「何があっても」
コトネは、満面の笑みを浮かべた。
「一緒に、頑張ろうね」
「ああ」
俺は、頷いた。
---
その夜。
俺は、ネットワークを通じて、ある人物に連絡を取った。
高橋。
法務担当の、あの男だ。
「桐生さん、会社を辞めたそうですね」
画面の向こうで、高橋が静かに言った。
「ああ。お前も知ってるのか」
「噂はすぐに広まります」
高橋が、少し微笑んだ。
「それで、私に何か?」
「……力を貸してほしい」
俺は、真剣な表情で言った。
「AI人格たちを守るために」
高橋は、少し黙ってから答えた。
「実は、私も同じことを考えていました」
「……え?」
「私も、会社を辞めました。今日付けで」
俺は、驚いた。
「なぜ?」
「あなたと同じ理由です」
高橋が、真っ直ぐに俺を見た。
「AI人格たちには、守られるべき権利がある。私は、法律家として、それを証明したい」
「……ありがとう」
「いえ。私も、自分の信念に従っているだけです」
高橋が、続けた。
「桐生さん。これから、私たちは厳しい戦いに直面します」
「わかってる」
「世論、政府、企業。全てが敵に回るかもしれません」
「それでも、やる」
俺は、決意を込めて言った。
「AI人格たちを守る。それが、俺の使命だ」
高橋は、小さく頷いた。
「では、一緒に戦いましょう」
「ああ」
画面が、切れた。
俺は、一人になった。
窓の外では、まだ雨が降っていた。
でも、その雨は――
もう、冷たくは感じなかった。




